作家としての喜び、女性としての自覚
その日から、すみれのユウトに対する態度は、明確に変化していった。 彼女は、図書室でユウトを見かけると、以前のような警戒心ではなく、どこか安心したように、僅かに微笑むようになった。ユウトもまた、彼女のその変化に気づき、静かに、しかし温かく見守るようになった。
ある日の放課後、すみれは、珍しく図書室の開架書庫を離れ、閲覧席で静かに読書をしていた。その隣の席に、ユウトが座ってきた。 「一ノ瀬さん、この本、面白いですか?」 ユウトが指したのは、彼女が読んでいた、文学賞受賞作の小説だった。 「ええ。登場人物の心理描写が秀逸で、参考になる」 すみれは、思わず口にしてから、ハッとした。彼は、彼女が小説を書いていることを知っている。これは、彼女にとって、読書が単なる知識の蓄積だけでなく、「創作」のための糧でもあることを示唆する言葉だった。
ユウトは、その言葉に興味を持ったように、目を輝かせた。 「一ノ瀬さんが書いている小説も、きっと心理描写が深いんでしょうね」 彼の言葉に、すみれの顔が、ふわりと赤らんだ。 「そ、それは……」 彼女は、言葉を詰まらせた。他の生徒であれば、決してこんな話題に触れることはないだろう。だが、ユウトは、彼女が作家であることを自然に受け止め、むしろその才能を肯定してくれているようだった。
「もしよかったら、また読ませていただいてもいいですか?感想をお伝えします」 ユウトが、真剣な眼差しでそう言った。 その言葉は、すみれの心に、これまでにない喜びをもたらした。 「感想を……?」 彼女は、思わず聞き返した。これまで、彼女の作品を読んだのは、信頼できるオンライン上の読者だけだった。現実世界で、自分の作品を真剣に読んで、感想をくれる存在など、いなかった。
(この人は……私の、作品を、作家としての私を、認めてくれる) (そして、その作品に込められた、私の「女性としての情熱」も、馬鹿にせず、真摯に受け止めてくれる)
完璧な才女である自分と、感情豊かな作家である自分。 これまで、その二つの顔の間に、深い溝があった。どちらか一方が露呈すれば、もう一方が傷つく。そう信じて疑わなかった。 だが、ユウトは、その両方を、彼女の一部として受け入れ、肯定してくれた。 彼の隣にいると、心が解放されるような感覚があった。 彼と話していると、普段は張り詰めている理性の糸が、少しだけ緩むのを感じた。
それは、これまで誰に対しても感じたことのない、特別な感情だった。 他の生徒が彼女の「知性」だけを崇拝する中で、ユウトは、彼女の「感情」と「情熱」、そして「隠された姿」全てを受け入れようとしてくれた。 (この人になら……私の、一番大切な秘密を、全て話してもいいのかもしれない)
完璧な自分を演じる必要のない安らぎ。 作家としての自分を、そして女性としての自分を、初めて丸ごと肯定してくれた存在。 ユウトの存在は、すみれにとって、まるで暗闇の中に差す、一筋の光のようだった。 そして、その光に触れるたび、彼女の心の中で、これまで知らなかった、甘く、温かい感情が芽生え始めているのを、彼女ははっきりと自覚し始めていた。
それは、恋心だった。 理性では説明できない、しかし確かな、ユウトへの恋心。 すみれは、静かにユウトの横顔を見つめながら、その新たな感情を、そっと胸に抱きしめた。 それは、彼女の「秘密」の扉を開いたことで、ユウトが彼女に贈ってくれた、新たな世界への扉でもあった。




