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理性の城壁、感情の泉

月城ユウトに自身の秘密──学年トップの才女という完璧な仮面の下に隠された、甘く「ちょっとエッチ」な恋愛小説を執筆しているという真実──を知られて以来、一ノ瀬すみれの心は、常に揺れ動いていた。

最初は羞恥と恐怖だった。学問の道を究めることを人生の目標とし、感情よりも論理を重んじる自分にとって、恋愛小説、しかも秘密を抱える男女の性的な描写を含む作品を書いているなど、最も知られたくない「弱み」だった。もしこの事実が露呈すれば、これまで積み上げてきた全ての信頼と評価が、音を立てて崩れ去るだろう。しかし、ユウトは彼女の秘密を嘲笑うどころか、その作品を真剣に読み、「情熱的で人間らしい」と評してくれた。その誠実さと、彼女の作品に対する真摯な眼差しは、すみれの胸の奥深くに、これまで感じたことのない温かい感情を灯し始めた。

一ノ瀬すみれは、幼い頃から周囲の期待を一身に背負ってきた。厳格な両親は、彼女に常に最高の学業成績を求め、感情よりも論理、遊びよりも学習を優先するよう教育した。彼女は、その期待に応えるべく、ひたすら勉学に励んだ。教科書を読み込み、難解な問題集を解き、どんな分野においても完璧な知識を身につけようと努力した。

星見高校に入学してからも、その生活は変わらなかった。学年トップの座を不動のものとし、教師からは「将来が楽しみな逸材」と称され、生徒たちからは「知の女神」として畏敬の念を抱かれた。彼女は常に冷静沈着で、感情を表に出すことはほとんどなかった。友人との会話も、常に論理的で、個人的な感情を交えることはなかった。彼女にとって、感情は、理性的な思考を妨げる、余計なものとすら考えていた。

「一ノ瀬さんって、いつも落ち着いてるよね」 「感情的になるのを見たことがない」 「きっと、恋愛とかにも興味ないんだろうな」

そんな言葉が、彼女の耳に届くたび、彼女は知的な微笑みを浮かべながらも、心の奥で奇妙な違和感を感じていた。本当に自分は、感情を持たない機械なのだろうか?本当に自分は、恋愛とは無縁なのだろうか? その違和感の根源こそが、彼女が密かに書き続けていた「恋愛小説」だった。

それは、彼女が唯一、理性という鎧を脱ぎ捨て、感情の赴くままに筆を走らせられる場所だった。登場人物たちの恋の駆け引き、心の揺れ動き、そして、理性では抑えきれない肉体の衝動。それらを描写するたびに、彼女の心の中では、普段は閉じ込めているはずの「感情の泉」が、止めどなく湧き上がるのを感じていた。特に、彼女が綴る性的な描写は、彼女自身の秘めたる感情の奔流であり、理性で抑えつけることのできない「私」の一部だった。

この趣味は、学園の「知の女神」である一ノ瀬すみれには、決して許されないものだった。もし知られれば、彼女の知性は嘲笑の対象となり、その私生活は下品な好奇の目に晒されるだろう。彼女は、その恐怖を常に胸に抱きながら、完璧な才女という仮面の中で、息を潜めて生きてきた。放課後の図書室で、誰にも見つからないように小説を綴る時間は、彼女にとって、唯一、その仮面から解放される、かけがえのない瞬間だった。


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