七瀬みこと:絶望から希望へ
月城ユウトの日常は、もはや「地味」という形容詞では片付けられないものになっていた。七瀬みことの狂熱的なアニメ愛、一ノ瀬すみれの秘めたる恋愛小説、御影ことねのメイドカフェでの二重生活、花園レイカの偽りのお嬢様生活、そして桜井ゆづきの元子役アイドルという過去。学園の「完璧な」ヒロインたちが抱える、誰にも知られてはならない「秘密」を、彼は次々と目撃し、その当事者となってしまった。
それぞれの秘密を目撃した瞬間、ヒロインたちは激しく動揺し、ユウトを警戒した。彼らは、自分たちが築き上げてきた「完璧な自分」という仮面が、一介のクラスメイトによって剥がされてしまったことに、恐怖と絶望を感じていた。しかし、ユウトは、その秘密を嘲笑うことなく、真剣に受け止め、決して漏らさないという固い決意を示した。その誠実さが、彼女たちの閉ざされた心の扉を、ゆっくりと開いていくことになる。
音楽室での目撃以来、七瀬みことは、常にユウトの視線を意識するようになった。学園No.1の美少女である彼女にとって、アニメオタクでアイドルアニメの完コピダンスに命を懸けているという秘密は、これまでの全てを台無しにするほどの「恥」であり「弱点」だった。
放課後、みことはいつものように、生徒たちの目を避けるように校舎の裏手を通って帰路についていた。その日も、校門を出てすぐに、後方から声をかけられた。 「七瀬さん、ちょっといいですか?」 振り返ると、そこにいたのは月城ユウトだった。彼女の心臓は、ドクンと大きく跳ねた。 「月城くん……何の御用でしょうか」 彼女は努めて冷静を装ったが、声が僅かに震えているのが自分でも分かった。周囲にはまだ部活帰りの生徒がちらほら見え、校門から離れたこの場所とはいえ、人目がないわけではない。
ユウトは、周囲に他の生徒がいないことを確認するように一度見回すと、彼女から少し距離を取り、真剣な眼差しで言った。 「先日、音楽室で見たことなんですけど……」 みことの顔から、一瞬にして血の気が引いた。やはり、そのことを言いに来たのだ。何を言われるのだろう。馬鹿にされるのか、それとも……。 彼女は反射的に、両手で顔を覆い隠そうとした。 「あの、それは……っ!」 動揺が隠せない。完璧な自分を保つのが、これほど難しいとは。
しかし、ユウトの次の言葉は、彼女の予想とは全く異なるものだった。 「……すごく、格好良かったです」 みことは、顔を覆っていた手をそっと下ろし、ユウトを見た。彼の表情には、嘲笑も軽蔑もなく、ただ純粋な尊敬の念が浮かんでいた。 「え……?」 「ダンスも、歌も、すごく上手で……あれ、練習の成果ですよね。きっと、たくさん努力されたんだろうなって」 ユウトの言葉は、みことの心を深くえぐった。誰にも見せない努力。誰にも理解されない情熱。それを、彼は一瞬見ただけで、そして「格好良い」と評価してくれた。
みことの瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。それは、秘密を知られた絶望の涙ではなく、長年隠し続けてきた情熱を、初めて肯定されたことへの安堵と感動の涙だった。 「そ、そんな……っ、誰にも、言わないでください……っ!」 彼女は、震える声で懇願した。 ユウトは、まっすぐに彼女の目を見つめ、力強く頷いた。 「もちろんです。七瀬さんが嫌がることは、絶対に誰にも言いません。僕が責任を持って、この秘密を守ります」 その言葉に、みことの心に温かい光が灯った。まるで、長年一人で背負ってきた重荷を、半分、いやそれ以上を、彼が引き受けてくれたかのような感覚だった。
「お願い……絶対、誰にも言わないで……!」 彼女は、まるで縋るように繰り返した。その言葉は、単なる口止めではなく、ユウトへの、そして彼の「誠実さ」への、初めての信頼の証だった。 ユウトは、その涙と真剣な眼差しを受け止め、再び深く頷いた。 この瞬間、七瀬みことの完璧な仮面の下に隠された心が、ユウトにだけ開かれ始めたのだった。