春の嵐
その8 春の嵐
ええっと、後はおばあちゃんから預かった佃煮をクール宅急便で出しておいて、それからこのゴミを処分、と。先に買出し行った方が良いかな・・・。
リストを見て唸っていると、電話で話していた真紀さんが振りかえる。
「容子!これから来るって、篤君達。来たら買い物先に行ってきたら?確か、ラグとか大きいもの頼まれていたよね。ちょうど良いじゃん」
「んー、じゃあそうしようかな。真紀さん、お昼くらいにゴミ収集車が来るからゴミまとめて出しておいて」
「了解!げげっ 容子これっ 何か洩れてきているよ」
見ると、おばあちゃんから預かってきていた佃煮の袋だ。
「あっちゃー。水分ほとんどないと思ったのに。これ今日の午後に送らないと」
テーブルの上に汁が染み出して来ている。慌てて手近なビニール袋・・・ゴミ袋に入れてテーブルを拭く。
真紀さんが首をかしげた。
「じゃ、なんか別の入れ物の方が良くない?ついでに買って来なよ」
「その方が良いね。これじゃ、すぐにまた洩れちゃう」
じゃあそれもリストにいれて、と。
「あれー?ほらほら、来たみたいだよ!」
真紀さんが窓を開けて下に手を振る。
「そういやーさぁ、早川君も入ったことだし、また顔合わせってことで本当に飲みに行かない?」
「・・・帰りの運転は?」
仕方ないなあ。
脹れていた東誠さんの顔が目に浮かぶ。
でも、サヨさんにもあんまり飲ませちゃダメだって聞いた。実際にそれで一度倒れかけて、びっくりした。本人は、飲まないで生きるより飲んで死ぬ方が良いって言っていたけど。
本当に目の前で見張っていなくちゃ。
「もち、容子」
あのねーっ
なんで私だけ飲めないのよ!
「何だかんだ言って寂しいんだよ、東誠さん」
分かっているわよ。
「・・・ただし、あんまり飲ませちゃダメだからね」
「分かっているって。んじゃほら、行っといで」
「ん。じゃー後よろしく」
そうしてまたあの音量のでっかいワゴンに本郷を運転手にして一路買い物へと出かけて行った。
今日はなま物以外の書物やら薬やら服等が目的だ。最初に本屋やドラッグストアら辺を回って、ホームセンターへ。
ここの買い物は随分手間がかかった。一番の大物のかやとかラッグとかまであるから。
「一旦ここで切り上げるか。別のホームセンターにも行かないといけないし」
「すごいっスね」
「え?」
運転席に乗り込んだ本郷を振りかえると、本郷はすぐにエンジンをかけて車をスタートさせた。
「寸法も全部測って来ているんっすね」
「そりゃーそうよ。持って行って、合わないからって返すの私達だし、おまけに組みたてるのも立て掛けるのも手伝うもの。日曜大工みたいなこともしているわ」
「へえ。釘、打てるんスか」
う、いたい所を・・。
目が泳ぐ。
「・・・慣れよ慣れ。でも、この仕事始めるまでは全く打てなかったの。おじいちゃん達の方がうまいくらいなんだけど、目がもう良く見えなかったりするでしょ。だから、コーチしてもらいながらこっちが必死で組みたてたりするの。お陰でうまくなったけどね」
そして、そんなことをしているから手が足りなくなってきたんだけどね。それまでは日用品や食料品のみ週一で持って行っていたから。それ以外の配達で週2、3の配達になり、そのうちおじいちゃん達を乗せる簡易バスのようなものもやろうかって言っているんだけど。
「女の子で釘打てる人って珍しいっスね」
「そうかな。成り行きで、何となく。・・確かに私達がやっているのって配達だけどね。私はモノだけの配達はやりたくなかったんだ。私はおばあちゃんにあの夜沢山のものをもらったから。今度は私がそういうものをあの人達に運びたいなって」
お日様みたいに、ぴかぴかの何かを。
そう思って付けた屋号なんだけど・・・。やっぱり、これを口にするのは恥ずかしい。真紀さんが聞いたら笑い死にしそうなくらい私ってば恥ずかし過ぎ~っ!!
こいつだとついつい口が滑るよーっ
かあっと頬が赤くなってちらっと本郷を見るけれど、やっぱり本郷は笑わなかった。
「お日様を運ぶんっスね」
すごく当たり前みたいな顔で、さらりとまた凄い台詞を言う。
だから何だか、この無表情が妙に可愛く見えるのかもしれない。
思わず笑いかけたところで、電話が鳴った。
あ、携帯。真紀さんから?
お昼の相談かなー。
呑気に考えて、電話を取った。
「はい?」
『容子!大変!・・・・だから・・・って』
「真紀さん?真紀さんちょっと、聞こえない」
『戻っ・・・て!東誠さんが、倒れたのよ!!』
真紀さんの声は、まるで悲鳴のように聞こえた。
「真紀さん!!」
二人しかいないはずの事務所は、俄かに殺気だった空気が漂っていた。
「容子、救急車が今出払っているって。30分待ってくれって」
「待ってって・・容態は?また発作?」
真紀さんはいつにない厳しい顔で頷いた。
「さっきサヨさんから連絡があって。倒れていたんですって」
「ダメですよ、真紀さん。やっぱり肝心の車がない。病院は県立に連れて行ってもOK取れたんですけど」
受話器を置いて、早川君が切迫した顔で振りかえる。
うそ・・・どうしよう。
東誠さん・・。
棒立ちになって、頭の中が真っ白になる。前の発作・・・。あの時も、酷く苦しそうだった。お医者さんからは発見が遅ければ危険だったって。
「容子!村に行くよ」
「え・・」
ぐっと腕を引かれる。厳しい顔の真紀さんが振り返った。
「うちの車があるでしょ。あれで運ぼう」
「じゃあ、俺残っています。また連絡があればこっちから電話するんで」
「お願い」
いつものとろい真紀さんとは信じられないくらいのフットワークで、ワゴンから荷物を下ろすのを手伝い、ワゴンに乗りこむ。運転席には本郷が座り、真紀さんが助手席。容子は後部座席に座る。
車がスタートしてしばらくしてから、真紀さんが口を開いた。
「倒れてどれくらいなのかは分からないの。意識はあるみたいでね、電話口までは行ったみたいなんだけどそこで力尽きていたみたい。畑にいつもの東誠さんの姿が見えないからってサヨさんが見に行ってくれて発見。で、すぐにこっちに連絡してくれたの。意識はあるけど呼吸がかなりきつそうだって。息子さん達には連絡しておいたから」
それでも離れている場所に住んでいるから、息子夫婦が駆け付けるまでには時間がかかる。
村につくまでが嫌に長く感じられた。
村にようやく着いて東誠さんの家に車が止まるや否や、家の中にかけ出した。
「サヨさん!!」
「容子ちゃん、こっちっ」
たたきを駆けあがると、東誠さんはまだ廊下に倒れたままだった。サヨさんがその頭を膝に乗せて、手をしっかりと握っている。
「東誠さんは?!」
「大丈夫」
強張った顔ながら、サヨさんはしゃんとして頷いた。
その視線に、唇をかんで容子は頷き、側に膝をつく。
「救急車が来れないんです。私達の車で運びます」
「頼むよ」
ようやくサヨさんは少しだけ頬を緩めた。
県病につくまでの間、真紀さんが症状のあらかたを医師に説明する。もちろん専門家ではないので、素人としてしか報告は出来ない。しっかりとした声が、医師の指示にしたがっててきぱきと答えていく声を耳で聞きながら、片方の手を握り締めていた。
冷たい・・・。
その手が、酷く冷たいことと、真っ青な東誠さんの顔。ぎゅっと固く目をつむり、片方の手が胸を押さえている。
筋張った手は、かさかさに乾いて冷たく、死人のようだ。
何も出来ない。ここに座って、手を握っていることしか出来ない。
どうしよう。もしこのまま目が開かなかったら。どうしよう。どうしよう。
ぐるぐるそんな嫌な考えばかりが頭を回る。
私・・どうしよう。
県病に着くと、すでに医者達が待機していた。すぐに担架に乗せられて運ばれていく。そのまま、東誠さんは運ばれて手術室に入り、扉が閉ざされた。
見たことあるよ、こういうの。よくドラマでもある。手術ってランプが点いて、その扉の前で深刻そうに親族が待っていたり恋人が待っていたりするの。
妙に時間が長いんだよね。
時計の針が、一つ一つ確かめながら回っているみたいに。針が進む音だけが響いていたりして。
どうしよう。
ぐるぐると出口のない疑問がまた浮いて来る。
「容子、ちょっと落ちついて座りなよ。息子さん、あと2時間くらいでこっちに着くってさ。大丈夫だって。東誠さん、あたし等と飲むまで死なないよ」
「真紀さ・・・」
肩を引かれて前のいすに腰を下ろす。
一人じゃ抱えきれなくなった言葉が、思わず口からこぼれた。
「私、ね。崇さんに言ったのに。大丈夫だからって言ったのに」
「分かっている。ほら、しっかりしな。勝手に殺したら、東誠さん怒るわよ」
ぺしっとおでこをはたかれて、思わず目を閉じた。
「うん・・・」
そうだ。しっかりしないと。
「また泣いていたって東誠さんに言い付けるわよ」
「な・・っ 泣いていないわよっ」
真紀さんーっ あなたまた余計な事を!!
慌てて目じりをぬぐって、頬をはたく。ぱんと大きな音を立てて頬が鳴った。
気合い!
「内倉さん!牧野さん!!」
ばたばたと、息子さん夫婦が駆けつけてきた。
謝れば、それで済む問題じゃない。人の命にかかわることだ。
けれどそれだけしか出来なくて、頭を下げた容子に、息子の崇さんは苦く笑った。
“仕方ないんです。父が選んだ、ことですから”
手術はなんとか成功し、一番の危機は脱出しているが、集中治療室にてまだ意識が戻っていない。どちらにせよ、しばらく入院することは余儀なくされた。次の日の朝まで付き添っていたが、真紀さんに病院から追い出された。今日は配達をしなければならないし、入院するならそれなりの準備もいる。それらを取りに行く為だ。
あのばたばたの中でいつの間にかちゃんと本郷も早川も家に帰したみたいだし。今日の真紀さんには全く頭が上がらない。いつまでもこうして皆が雁首そろえていても東誠さんが起きない事には仕方がないので、腰を上げた。
「あんたの仕事、でしょ?」
容赦なく真紀さんにそう言われたこともある。
真紀さんはそのまま病院に待機。何かあったら知らせてくれる。事務所は早川君に任せるらしい。
しっかりしろ、私。いつも通りしゃっきりして。ぱん、と頬を両手で叩く。
病院まで迎えに来てくれた本郷の運転するワゴンに乗り込み、先週と同じルートを辿る。
この日ほど、本郷が無口だということに助けられた日はない。八百屋のおじちゃん達とは元気にやり合っても、車の中ではそんなこと気にしなくていい。ひたすら車の窓から景色を見ているだけでいいから。
携帯が気になるけれど、ぐっと堪えた。
どうせ病院の中じゃ、電源切っているだろうし。何かあれば、教えてくれるって言っていたし。
「寝て下さい」
「え?」
「酷い顔っすよ」
げげげっ そう言えば、化粧もしていないじゃない!
蒼白になって鏡を取り出す。
「馬鹿―っ 気が付いていたならもっと早く言ってよ!八百屋の親父さんにも見られたの?!」
鏡を見ると、これ誰ってくらい疲れ果てている顔が映った。
顔はどこか青白いし、目には隈が浮いているし、化粧っけはないし、構っていなかったとはいえ本当に酷い顔色だ。
道理で妙な顔していると思ったよ。親父さん・・・。
化粧で誤魔化すか?出来るかな・・・。こんな酷い隈。
そもそも、コンシーラなんて入れているっけ?ほとんど使ったことないからなぁ。
でも、これを世間に見られて・・・。かなり泣きたい。
「着いたら起こします」
「平気!」
それより、お化粧しなおさないとーっ
バックからポーチを引っ張り出した。本郷も男性の枠に入るが、仕方がない。今日だけは特別って事でここで直そう。
人前で化粧直しなんてするもんじゃないと思っているだけに嫌なんだけど、でも瀬に腹は代えられない。こんな顔のまんま村に行ったら逆に心配させちゃう。それだけは絶対にさせちゃだめ。
「うわあっ」
その途端に、前につんのめって放り出されそうになった。軋みあげそうな音がして、急ブレーキ。ポーチが手から転がり落ちる。
「ちょ・・本郷?」
危ないじゃないの!顔を上げて睨もうとすると、強い目線がまっすぐにこちらを見ていた。息を詰める。
「寝てください」
うーーーーーーーっ
にらめっこ。30秒。
「・・・・分かったわ」
負けました。
妙な迫力に押されて、頷いたものの、眠れる自信はない。
けれど目だけつぶっておけばいいかと思って目を閉じて目を開けたら、もうサヨさんの家だった。