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お日様お届け屋さん

その12 お日様お届け屋さん





 そうか、このタイミングで来るか。

 駄目押し、に。

 もう少し立ち直ってから来てほしかったのに。そもそも、ここから出ちゃえばよかったんだ。真紀さんみたいに。

 靴音、結構響くな。

 視界に良く使い込んだごつい運動靴が入る。

 すぐ傍までやってきて、片膝つく。大きな靴だ。さすが長身なだけある。


 大丈夫、私は冷静・・・冷静だとも。


 「大丈夫っすか?」


 平気って言おうとするんだけど、それさえ億劫。大丈夫だってうなずく。


 「コーヒーっ」


 驚いた声がして、腕をつかまれた。


 そのままぐって引き上げられる。


 「立てますか?」


 おお、すごい力。


 そのまま引っ張っていかれて、部屋の隅にある小さい洗面台。そこで、蛇口をひねって水を出して指を流れに入れて冷やす。


 そっか、やけど・・・。


 冷水につけてって。ずいぶん手際がいい。


 もう大丈夫だから。


 口数が少ない本郷は、黙って付き添って立っていてくれているんだけど、そこまでする必要ないし。後はできるから大丈夫。


 そう言おうと思って顔を上げた。その先に鏡があって、自分の顔を見る。


 え?


 何なのよ。何その顔。私・・なんで泣いているの?


 ちょっと待ってよ。


 そう思うのに、止まらない。自覚した途端、涙の勢いが増した。鏡の向こうの自分さえ見えなくなって、肩が震えてくる。声を必死に殺すけれども、掴まれている腕から絶対に振動伝わっている。


 「真紀さんなら大丈夫です。早川が送っていきましたから」


 どうしてこのタイミングでそういうことを言うかなっ


 こらえられない。


 堰を切ったように涙があふれる。


 洗面台の枠に手をかけて、水音にまぎれるように願いながら泣いた。多分、全部分かっているんだけれども本郷は何も言わないまま、ただ腕を支えてやけどの指を水につけるのをじっと見ていた。容子が泣き止むまで、彼が顔を上げることはなかった。





 泣くだけ泣いたらその水分の分軽くなったのか、さっきの気分よりはましになった。気休めに顔を洗っても、目は充血しているし鼻は真っ赤になっているけれど。でも、亡霊のような顔よりはまし。


 「容子さん、何か探しものがあったんですか」


 冷たい缶ジュース、差し出されて受け取る。ちょっと表情に困るけれど、今だけは彼の好意に甘えることにした。多分、本郷ならこっちから言わない限り触れないでいてくれる。


 プルトップを空けて、一気に半分くらいのどに流し込んで、どれくらい自分がのどが渇いているか分かった。


 「ありがと。もういいの。探し物はね・・・」


 目を伏せる。


 どういえばいいのか、みよおばあちゃんにどう謝ればいいのか、分からないだけで。


 別に他意はなかった。話しながら、自分に整理をつけようとして、事のあらましを本郷に言った。すると、彼は腕時計を見た。


 「出発時間は?」


 「夜の10時半だけど?」


 「行きましょう」


 そう言って立ち上がる。


 「ちょ・・ちょっと本郷?行くってどこに」


 「今からならぎりぎり間に合う」


 さっさと歩き出した本郷に後ろから追いかける。


 「ちょっと、話聞いていたの?だから、私は結局見つけられなくて」


 階下に降りると、おんぼろワゴンの隣に黒いスカイラインが停めてあった。それにさっさと乗り込む。


 「乗ってください」


 迫力に押されて乗り込んだものの、エンジンをかけてスタートした車のシートの上で居心地悪く身じろぎをした。


 「どこ、行くつもりなの?」


 本郷の目はまっすぐ前に向けられていて、その横顔をじっと見る。横顔なら怖くない。


 「その夫婦の出発する空港に」


 「無理よ。行っても無駄よ。だって見つけられなかったんだから」


 それでも本郷は車を走らせる。


 本郷は本気だ。どうしよう。まだ私の不用意な言葉で。


 「無駄なことにお金を使わないの。明日も授業あるでしょ。こんな時間だし、帰ったほうがいいよ。これは私のミスだし・・・・・・本郷ってばっ」


 それでも本郷は引き返そうとしない。


 唇をかんで相手を睨む。


 「降りるわ。私、ここから帰るから。おろして」


 ちらっと本郷がようやくこちらに視線を走らせて車を歩道がわに寄せた。


 ほっとして、扉を開こうとする。


 右側の腕を掴まれて反射的に振り払おうとするけれども、ぴくりとも動かない。本郷を振り返った。


 「本ご・・」


 睨むようにして振り返ったのに、目が合った瞬間言葉が掻き消える。強い目。太く根を張るまっすぐで強い視線。初めて真正面から目を見合ったような気がした。絶対にこの目は逸れたりしない。どこまで逃れようとしたって引き戻される、強い強い視線。その視線に貫かれる。


 「運ぶものは、物だけじゃないって、そう言ったんじゃないっすか?」


 どこにも避けようがない声。

 胸の真中に、直球の・・・。いつでも直球のせりふ。

 

 それを大まじめに真剣に言うから・・・・。


 心を振るわせる。


 私が運びたいのは物だけじゃない。そう言ったけれど。この屋号の意味、言ったけれど。


 心の奥を覗き込んだように、どうしてそんなに覚えているの。


 ごまかせないくらい、まっすぐに、そんな台詞を投げるの。


 ドアに手をかけたまま、それ以上動く事が出来なかった。


 車は夜のライトの群れの中を飛ぶようにして走った。


 何かに祈るような気持ちで、じっと町の明かりを見ていた。


 人って一生のうちに何回祈るんだろう。


 何に祈るんだろう。


 いっつも神様なんて、頭の隅にもないくせに。こんな時だけ。でも必死で、祈らずにはおれない。


 何に?何を?肝心なそれらが分からないまま。


 車は昼間のように明るいライトに照らされた空港に飛び込んだ。しり込みしていたのが嘘のように、止まるや否や車から飛び出す。


 確か、ニューヨーク行き。


 ゲートをくぐるのが1時間前。今ならまだロビーにいるかもしれない。早く中に入ってしまっているかもしれない。


 広い広い空港をひた走る。空港の中は旅支度した小奇麗な格好の人たちが、その勢いに驚いたように道を空けてくれる。まぶしい白い廊下。ライトが隈なく隅々を照らし出し、ぴかぴかの空港。

どんな気持ちがするんだろう。


 ここから旅立つこと。しばらく帰れない。佃煮が好きで、今まで英語なんて話せない主婦が、右も左も分からない国に行く。期待もあるけれど、不安も大きい。


 国際線の出発ゲートが奥に見えた。


 走り通しでお腹が刺されるように痛い。息が切れて喉が焼ける。何とか出発ゲートの前で見つけないと。


 「藤崎さん!!」


 数度しか見ていない顔。それも、写真でしか見たことのなかった家族。それが一目で分かるわけないけれど。それが分かったところが奇跡。


 特徴のある笑い方。仰向いて楽しそうに笑う、みよおばあちゃんにそっくり。


 急に名前を呼ばれて驚いたように彼らは振り返った。


 出発ゲートをくぐる手前。


 いぶかしげな顔になる彼らに、急いで近づく。


 容子は思わず笑った。


 凄い。本当に、会えた。凄い確率で。


 必死で呼吸を整える。


 「あの・・藤崎さんですね。私・・・みよさんにお世話になっています・・お日様お届け屋の牧野容子といいます」


 劇的な変化だった。


 いぶかしげな顔から一転、ぱっと娘さんの顔が輝いた。


 「ええ、ええ。よく聞いています。母がすっかりお世話になっているそうで。ありがとうございます」


 「今日・・ニューヨークに発たれると聞いて、みよさんからの伝言、伝えにきました」


 大きく息を吐いて、何とか呼吸を整える。


 怪訝な顔の娘さんに。


 笑顔、で。


 「行っていらっしゃい。元気で頑張って」


 直接会って言いたかったこと。


 今後の不安や、期待や、もろもろの感情に対して、親が一番娘に対して言いたいこと。


 簡単なこと、だ。考えてみれば。


 みよおばあちゃんは、これを伝えたかったんだわ。


 びっくりした顔をした娘さんが、不意にくしゃくしゃと顔をゆがめ、そして思いとどまったようにしばらくして笑顔を返した。最高の笑顔を。


 「ありがとう、ございます」





 無事に旅立つのを見送って、容子はほっと肩を落とした。


 さて、引き返そうと思ってふと思い出す。


 そ、そうだ本郷!


 慌てて車を止めていたさっきの場所に戻る。


 そこで本郷は待っていた。


 じっと見られると威圧感がある目。

 それに、思わずひるむ。


 怒っているかな。こんなところまで来てもらって、それに時間外で。多分これ自分の車だろうし。それなのに引っ張ってきてくれて。


 神妙に乗り込んだら、本郷が何も言わずに車をスタートさせる。


 でも、多分喜んでくれた。藤崎さん夫婦は。

 だから、きっちりとお礼、言わなくちゃ。


 「「あの」」


 期せずして声がだぶる。


 びっくりして目を合わせる。


 「前!」


 思わず前を指差して、本郷も慌てて前を向く。


 「この先、港だ。ちょっと止めていこう」


 空港のすぐ出た先が、港と高速道路と一般道に車線が分かれていて、指を指す。それに、本郷も逆らわず港に車を向ける。


 真っ暗な海は闇に沈んでしまっていた。波の音と潮風が海だと知らせる唯一のもので。テトラポットの山の向こう。真っ黒な闇の向こうに、ショーケースの中の宝石のように輝く飛行場が見える。そこから飛び立っていく飛行機の様子が良く分かった。


 港は、コンクリートの波止場沿いに街灯がぽつぽつと立っていて、ずっと先まで続いている。


 一気に言ってしまわないと。怒っていてもどうしても。


 面と向かうとなかなか言い出せなくなる。


 思い切って容子は口を開いた。


 ぼうっとした灯りが差し込む。その灯りを見ながら。


 「ありがとう、本郷。無事、会うことが出来た。何とか、ちゃんと伝えられたと思う。みよおばあちゃんが言いたかったこと。私、もしここに来なかったら、きっと後悔してると思う。だから」


 と覚悟を決めて顔を上げる。


 ありがとう。


 言いかけた言葉が引っ込んだ。


 ずずずずっと本郷がハンドルに覆い被さるように突っ伏してしまって、びっくりしたから。


 ええ?


 「・・・良かった」


 大きく息をついて、本郷が呟いた。

 

 「会えたんだ。やけに暗いから会えなかったのかと」


 「いや、暗くはなかったの。ほっとした反動。あんたの方が思いつめた顔するから言い出せなくて」


 「何っすかそれ」


 髪を掻き揚げて、本郷がハンドルになついたまま笑う。


 う・・・わ・・


 ぎゅるっと全身の血が一気に体内を駆け巡った。頭の中が、真っ白になる。規則正しい拍動だけが、やけにうるさく響いた。


 初めて見た。笑顔。


 当初の顔からは想像も出来ないような、人懐っこい笑み。鋭い目線も和らぐと、好青年で通りそうなくらいだ。さぞかし女の子にもてるだろう。


 「容子さん?」


 「・・え?」


 「ぼんやりしてどうかしたんですか?」


 いや、その・・・。


 うろたえて容子は思わず口元を抑えた。


 「顔、赤いですよ?ひょっとして熱でも出ました?」


 身を乗り出す本郷に、思わず身を引く。


 「違うの。大丈夫。熱なんて出ていないから」


 手を前に、顔を隠すようにしたのがそもそもの間違いだった。隠すから人は余計に見たくなるもので。


 「そんなことを言って。ろくに寝ていないでしょう。真紀さんが言っていました」


 真紀さんめ~!どうしてそういう余計なことを言うかな?


 「平気、熱じゃないったら」


 「確かめるだけですから手をどけて下さい」


 うーっ


 ダメっ 余計に顔が赤くなるじゃないの~っ


 「容子さん」


 手首に手がかかった。


 絶対に見せるものかと力を込めたのに、その手が外れる。


 気が付かなかった。大きな手だ。手首なんて簡単に一周してしまうくらいの、大きな手。振りほどけない強い力。


 ものすごい早く鼓動を始めた心臓の音の横で、年下の男の子、じゃないって急にはっきり自覚する。


 うわ・・てんで敵わないんだ。


 その事実に、背筋がぞくっとする。


 もう片方の手が額に触れて離れた。


 「やっぱり、少し熱い気がする。戻りましょうか」


 「う・・うん」


 離れた手にほっとして、容子は頷いた。なんか心臓に悪い、と思いながら。


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