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嵐の隙間

その10 嵐の隙間




 「どうぞ」


 マグカップを差し出すと、琴美さんが軽く頭を下げた。肩までのふわっとした髪が軽くゆれた。


 「ごめんなさい、こんな時間にお邪魔しちゃって」


 「いいんです。どうしようもないこと考えていただけですから。琴美さんこそ大丈夫ですか」


 向かい側に腰をおろすと、琴美さんはかすかに笑う。


 「私は・・ただ座っているだけですから。多分、あなた方のほうが心配してくださっているでしょうね、お義父さんのことは」


 言葉に詰まって琴美さんを見返す。


 「やだな、こんな愚痴めいたこと、言いに来たんじゃないのに」


 口元だけ微笑して、疲れの滲んでいる目を伏せた。


 小柄でかわいらしい感じのする人だけに、じんわりとした疲労の影がやけに痛々しく見える。とってもやさしくて、気の付く良い奥さんだ。それなのに、東誠さんは同居を拒み、琴美さんとの仲もあまり良くない。


 「今回のこと、本当にありがとうございました。もう少し遅かったら、手遅れになっていたかもしれないって先生に言われて。こちらの車で運んで下さったって聞いたので、お礼に来たんです」


 「そんな。大した事できなくて」


 慌てて容子は頭を下げ返す。


 「ほんと。むしろ謝らないといけないくらいで。様子を見てできるだけお世話をと思っていたんですけど、それもあまりできなくて。サヨさんが気が付いてくれなかったらと思うと」


 琴美さんは小首をかしげた。


 「契約にはそもそもそんなこと入っていないでしょう?週に何度か様子を見てくださる方がいるというだけで頼んでいた私たちにも責任がありますけど。その中で、とっさに対応していただけたんですもの。十分です。崇さんは今それを言う余裕がないみたいですけど、私はそう思っています」


 琴美さんは目を伏せてため息をついた。


 「お義父さんは幸せ者だと思います。年をとってから良い方々にめぐり合えたんですから。だからこそ、あそこを動こうとしなかったんだろうなって思うんです」


 「え?」


 だって、東誠さんははなっからあたしたちを相手にしなかった。サヨさんのお墨付きもあって、比較的早く村の人たちに歓迎されることになった容子たちが一番手を焼いたのが東誠さんだ。とにかく頑固で我侭で、折れることを知らない村一番の頑固親父。毎週の生活必需品運搬は、村のみんなが必要だった。そう確信していたから、一人も外さないでやりたかった。それなのに、東誠さんはよそ者を拒絶する。話も聞いてくれない東誠さんに、何度通っただろう。通ううちに、意地っ張りで頑固な東誠さんを放っておけなくなった。ようやくまともに話してくれるようになった最近でも、すぐに文句が飛び出す。果たして迷惑がられているのかと思ったときもある。


 「気に入っているんだなってすぐに分かりました。お義父さん、気にらない人には一言もしゃべらないの。私に対するみたいにね」


 気に入られている?あれで?


 正直に顔に出たらしく、琴美さんはくすりと笑った。


 「そうなんです。呆れるほど分かりやすいわ」


 やさしい微笑とは裏腹に、琴美さんの気持ちが沈んでいくのが分かって、容子は少なからず慌てた。


 「そんな。でも琴美さんだって、嫌われているなんて事・・」


 「仕方ないんです。あの人と結婚する時から半分覚悟していたことですから。崇さん、うちの養子に来てもらっているんです。一人息子で、その一人息子を盗ったのが私ですから」


 えええ?!


 「感謝しています。あなた方がいなかったら、お義父さんあそこに住むのは無理ですから。持病もちなのに、病院にも行けないところなんて。だから、気にしてくださらなくてもいいです」


 頭を下げて、琴美さんが立ち上がる。


 「遅くに済みませんでした」


 「あのっ」


 扉に手をかけていた琴美さんが振り返った。


 そんな時じゃない。こんなこと、していいときじゃないんだけど!


 肩を落としたまだ若い、あまり年の変わらないだろう琴美さんの後姿に、思わず呼び止めていた。


 「少し呑みませんか」


 「え?」


 琴美さんの目が見開かれる。


 どこかで止める声がするんだけど、それを無視する。


 だって。そんなの駄目だよ!


 勢いのまま口を開く。


 「呑みましょう。日本酒しかないんですけど。そもそも酒盛りをやる予定だったんです。東誠さんと。それなのに、こんなタイミングで倒れて・・・馬鹿ですよね?」


 言いながら紙コップと部屋の隅に置いてある日本酒のビンを取り出す。栓をあけて二つに注ぐ。


 「仲良くないですよ」


 戸惑ったような琴美さんの目を見返して、コップを差し出した。


 「いっつも差し出した手を振り払われて、こんちくしょーって思います。捻くれているわ口は悪いわ酒飲みだわ我侭・・。誰の言うことも聞かないから今回みたいに倒れるんですよね。だから、こっちで呑んでいましょう。うらやましがって起きて来ますから。ぶっきらぼうな言葉で乱入してきますから」


 顔が徐々に緩んできて、琴美さんは目じりをぬぐった。


 「そ・・うですね。いただきます」


 つんと鼻にくる日本酒のにおい。それに構わずのどに流し込む。密やかな、女同士の酒盛りは静かに続いた。その中で、琴美さんがこっそりというように教えてくれた。


 「多分、崇さんも知らないんですけど、私結構日本酒呑めるんですよ」


 じゃあ、次の酒盛りの時には声をかけますねって答えた気がする。はっと気が付くと、さんさんとお日様が昇っている中で、真紀さんが仁王立ちに立っている姿だった。





 「呆れた!本当に呆れた!!」


 容赦なく言いながら、真紀さんは紙コップを片付け、日本酒をしまう。


 どんよりと重い頭に目の奥に鈍痛。


 声だけが容赦なく脳に響いてきて、こめかみを抑える。


 「もう少し声のトーンを落として」


 「あんた馬鹿?!」


 ええ、ええ馬鹿ですとも。反論する気力もなく目を上げると、真紀さんが見下ろしてきている。


 「とっとと寝ろって言ったよね」


 「聞いた」


 「このどこが聞いたって顔なの?!」


 ばんと手鏡を押し付けられて、そこに映った顔に分かっていたとはいえげんなりする。


 昨日よりも酷い顔。目の下のくまが濃い。


 「でも、寝てたでしょ」


 ささやかな反論。


 「ベットで寝ろって事よ!なのに、何でここで酒盛りなんてやっているのよ!!」


 怒涛の洪水のようなせりふに敢え無く反論が消される。

 

 うーーーっ


 だから声が大きいってば・・・


 「琴美さんが来たって、どーしてあんたはそうなのよ!あんた今日はもう帰って寝な。このままじゃ、倒れるよ」


 ため息混じりに真紀さんがそう指示する。


 「駄目、なの・・・」


 それができたら苦労しない。そもそも昨日、見つけることができなかった佃煮を・・・どうにかして届けないと。今日の飛行機だし!


 そうだ、こんなことしている場合じゃない。


 脳がしゃっきりと起きて来た。


 「容子!」


 目を吊り上げる真紀さんに、間髪いれずに口を開く。


 「真紀さん、佃煮。あのタッパーに入っていた佃煮知らない?」


 「佃煮?うーんと・・・ああ、汁がこぼれていたやつ?」


 「そう、それ!確か戸口近くにおいていたでしょ」


 「えーっと、私動かしていないよ?そっか、あの日は東誠さんが倒れてばたばたしたからね。ずっといたのは早川君だから、彼に聞いたほうが早いかも。電話してみる?」


 うなずくと、真紀さんは早速携帯に電話している。


 すぐに早川君は電話口に出てきたらしい。しばらく話していたが、真紀さんは首を振った。


 「そういうの見ていないって。動かしてもいないって」


 「そうか」


 落胆のため息と同時に肩を落とす。


 馬鹿だ私。どうしてちゃんと考えられなかったんだろう。これは仕事なのに。


 ぎゅっと目を閉じる。


 大切なことなのに。みよおばあちゃんがせっかく作った佃煮だったのに。


 どうして私ってこうどうしようもない失敗ばかりするんだろう。


 顔が凍りつく。


 「それ、どうかしたの?しょうがないから謝ってもう一度作り直してもらえば?」


 「駄目なの。どうしても今日中に何とかしないと。何とかして見つけないと駄目なの!」


 「見つけるって・・今日中って・・容子?何よそれは」


 泣きそうになりながらも真紀さんに説明すると、真紀さんはため息をついた。


 「なるほどね。でも仕方がないじゃない。理由を説明して、謝ったらいいでしょう。みよおばあちゃんなら、分かってくれるよ」


 そうだよ。分かっているよ。みよおばあちゃんは分かってくれる。事情もわかっているし、孫みたいに思ってくれていて可愛がってくれているから許してくれる。でもそれじゃ駄目なんだもの。ここでおばあちゃんのやさしさに甘えていちゃ駄目なんだもの。何より、私が運びたいのはそんなんじゃないんだもの!


 「真紀さ・・」


 オルゴールのようなメロディーが鳴った。真紀さんの携帯の着信音だ。


 「はい、ああ早川君?うん・・・ああ~そっか。そういえば来る予定だったわね、ゴミ収集車。うん、うん。わざわざありがとう」


 ゴミ収集車?!


 電話を切って真紀さんが眉根を寄せる。


 「こりゃ、タイミング悪かったわね。確か、ごみ収集がくるんだって戸口に置いていたでしょう。んで、あの佃煮も確かごみ袋に入っていたのよね。一番可能性が高いわ」


 ごみと間違われて持っていかれた・・・ってこと?!


 「どこ行くの、容子」


 「どこって」


 駆け出した足を止めて真紀さんを振り返る。


 「もう無駄だって。何日か前の話でしょう?ごみ捨て場だよ!見つかったとしてもそれをどうするのよ。持っていけるわけないでしょう」


 ぐっと言葉に詰まってこぶしを握る。


 「容子、今回のはミスだったんだから、謝ることしかできないでしょ。あんた今は普通の精神状態じゃないんだから、早く帰って寝なさい。冗談じゃなく倒れるわよ」


 「でも!」


 反論できない。真紀さんの言うことはいちいちもっともで、確かにもうどうしようもなくて。せっかく一生懸命作った佃煮をゴミにしちゃって。


 謝るしかない。どうしようもないって、分かっているけど。


 「容子!ちょっと容子!?」


 扉を開けて階段を駆け下りた。

・・・・中々恋愛にならなくてすみません・・・

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