春と雷と20人目の訪問者
その1 春と雷と20人目の訪問者
春、である。
うららかな陽射し、そよぐ風はやわらかで柔らかな花の香りを運ぶ。画用紙にたっぷり水を含んだ絵の具の青を落としたように滲んだ優しい青空。ガーゼのようにうすい雲が、ふんわりと漂って。気の早いタンポポの綿毛がふわふわと宙を舞う。
その完璧にのどかな背景とは裏腹に、牧野容子は不機嫌だった。
それはもう、どんより薄墨色のくもり空に雷鳴の兆しらしき紫の光りを放電しようかってくらい、見事な不機嫌。
みしみしって手の中でシャーペンが悲鳴を上げている。
「却下」
「えー」
ぼそりと呟いた言葉に、前の女が不満そうに唇を突き出した。
がたがたって身じろぎする動きに合わせてパイプ椅子が音を立てた。ぐりぐりとしたマスカラ過剰のまつげが重そうに上下する。
口紅からアイシャドウまでのバッチリメイク。華奢なミュールにオフホワイトのミニ丈襞スカート。ピンクのキャミソール。きんきらきんに塗りたくった長いど派手なネイル。大きく巻いた髪は、フランス人形並みにタテロール。
来る場所間違えてんじゃないの?
その一言を何とか飲みこんで、ばん、と組みたて式の長テーブルを叩く。手もとの履歴書をつき返す。
「とにかくダメ、却下!」
ぶうっと女は膨れると、立ち上がってそれをひったくる。
「ちぇっ おばさんが偉そうに!」
「な・・・」
脳が瞬間沸騰して真っ白になる。あまりの言いようにとっさに言葉が出ない。
捨て台詞の後、ばんって扉が乱暴に閉まった。
その途端、一気に脳の機能が復活。再起動。
「何だとぉ!この性格ブス!ギャル女ぁ!」
立ちあがった拍子にがたりとパイプ椅子が鳴った。反動で軽い長テーブルまでが移動する。
「なんて奴―っ 馬鹿はあんたの方よ、非常識のど勘違い女―っ」
怒鳴り返せど相手はすでに外、で。
あー腹が立つっ!
この怒りをどこにぶつけてやろう。怒りにぐつぐつ頭を沸かせながら、とにかく椅子に座り直した。まさか追いかけていって殴り飛ばすわけにはいかない。いくら失礼だからといっても、相手は稼いでいないガキで、こっちはいいオトナ。
冷静になれ、容子!
「十九人目えー・・・よーこ、もう諦めたら?」
ぼへぼへと、今にも溶けそうな声が隣りから上がる。事実、腕を長テーブルに伸ばしてその人物頭を伏せている格好。肩を越すふわふわの髪が顔を覆っているので、寝ているのか起きているのかすら定かではない。
一つ、大きくため息。
間違いなく、脳みそ溶けている。
「真紀さん、せめて顔を上げていてよ。あんたがそんなんだから、相手にもなめられるじゃない。たかだか勘違い大学生のガキに!」
「だってさ、よーこ。あんた面接相手、入って来た時点でダメだししているじゃん。あの子合わせて19人」
来た人数全員って事だ。つまりは。
それにしても、よく数えているな。寝ているとばっかり思っていたのに。
こっちに頭を反転させて、唇だけはどうにか確認できる真紀さんに、目を眇める。
「だって、あんなお馬鹿っぽい、もとい全くなんにも考えていなさそうな連中だったじゃない!一人目はぎんぎらぎんのロッカーで、二人目は勘違いしている主婦で、三人目はやっぱり変なオヤジで、四人目はがりがりの骸骨君だったし、五人目は来る早々ここに車ぶつけて、六人目は・・・」
「ま、その中でもちゃんと仕事分かっていたのはほんの数人みたいだけどねー。工事現場風のおっちゃんなんて、完璧お弁当屋さんと間違えていたよ」
えんえん続きそうな先を遮って、のんびりペースで真紀さんはあははと笑う。
この状況で笑えるのか?
唇の端が引きつるのが分かった。
ごろごろって雷鳴が聞こえる。
いくら雑誌で募集しているからってバイト代もあんまり出せないし不定期だから、まあまあのんきに構えていよう、何て思っていた今日の朝が恨めしい。そりゃ、あんまり来ないだろうとは思っていた。それが、結構人が来るのはいい。それは確かにうれしいことではあったけど。明らかな冷やかしとか、勘違い野郎が大半を占め、その一人一人にお帰りいただくだけで疲れる。
しかも、その勘違い野郎のほとんどが・・・
「やっぱりさ、“お日様お届け屋”なんてネーミングが、お弁当屋さんっぽいんじゃない?配達してくれって来たもんねー。最近この辺工事多いのかな。あとOLさんに以外に主婦の人」
ドーン!て一撃が落ちた。
あまりの能天気な発言に、今度はこめかみが引きつる。
「真紀さん、あなた状況分かっている?この調子だったら、100人来ようと1000人来ようとこの調子で1日日が暮れるんだよ?」
メンセツになっていない面接で。人を雇うどころじゃない。
仕事を頼むどころじゃない。
これは切実な問題なのだ。
「冗談じゃない!ここの事務所だって、立地がまあまあだったから借りるお金結構いっているんだから」
今はまだがらがらのスペースを指す。後ろに同様のパイプ椅子が並べられ、長テーブルが折り畳んで積んである。20畳くらいの広々とした部屋なので、こう何もないと余計に寂しく感じる。三方は連なる様に窓が儲けられており、一方だけが壁。薄いそれを隔てて隣りにも部屋があり、そこは完璧に物置と化している。二階建ての下は駐車スペースに空いている。だから、見晴らしはいい。とても。前は菜の花畑になっているし。住宅街の外れで、町の中心地にもそう離れていない。
「どーせここ、工事現場跡のプレハブでしょ」
むくり、とようやく真紀さんが顔を起こした。顔を覆っているワカメのごとき髪を手でどけ、パッチリとした目を据わらせて見返してくる。
「元手幾らもかかっていないし。こういうの借りさせたら容子は上手いから。ただ同然で借りているんでしょ。設備だって放置されていた椅子とかで間に合いそうだし。ホント得だよねー」
真紀さん?
何となく気迫がある真紀さんに、やや弱気に主張する。
「経費節減は当然でしょう」
「そーだよねー。店名も場所も何もかんも容子が決めて来ちゃって、私はここに座っているだけ?そーんな薄情なこと考えないわよね?共同経営者でしょ、うちら」
据わった目で真紀さんは、にっこり微笑む。
黙って微笑んでいれば天使の笑顔。なのに、目つきが座っただけでどーしてここまでえげつない笑みになるのか。
顔が引きつるのがわかる。
嫌な前兆。予感がする。
ふふふっと口元だけ天使の微笑みを浮かべ、そのエセ天使はやっぱりとんでもないことを言い出した。
「私もいい加減ここに座っているの飽きた。だから、次に来た子を採用しよう」
「真紀さん?!」
正気?!!!!
ピシャーンっ
特大の一撃が天地を揺るがした。今のは完璧地面を抉った。
立ち上がった途端、がたんと派手な音がして椅子がひっくり返る。
「丁度いいじゃない。20人目で切りがいいし」
何が丁度いいのか、何が切りがいいのかさっぱり分からないんですけども。
そんなお手軽なことなのか?人を雇うって!
なお悪いことに、言い出したらきかないのだ。真紀さんは。
青くなって口を開いた。
「ちょっと冗談は・・」
「あの」
投げかけられた言葉に、ぴたりと動きが止まる。戸口の方から、人影。
げ・・
オーマイゴッド。早速来ちゃったよー。