ソフトクリーム
ヨウダイはまだ私の顔を至近距離で見つめている。私が初めて彼を見た時、印象的だと思っていた長いまつ毛がはっきり見えた。
「ううん、美味しい」
「良かったあ」
ヨウダイのにっこり笑った顔を見ると、どうして私がここにいるのか思い出した。
私はヨウダイに誘われて、ここに来たんだ。流行ってるソフトクリームがあるからって学校終わりに誘われて―――それで私は今ここにいて―――それで―――
「付き合った記念でさ、なんかお揃いのもの買わない?」
「付き合った!?」
私が素っ頓狂な声で叫ぶと、ヨウダイが眉に皺を寄せた。
「もう三か月も前だぞ、俺がコクって、かをりがオッケーしたの。まさか覚えてないとか言わないよな?」
「みやりん!みやりんと付き合ったんじゃ―――」
「だーかーら、それ三か月前にも言ったけど、あいつはただの友達!ずっとお前のこと相談してたって言っただろ。今日大丈夫か?」
ヨウダイは私の額に手を当てた。ヨウダイの手は大きくて、温かかった。
「熱は無さそうだな。ソフトクリームに毒でも入ってた?」
ヨウダイはみやりんに向けるみたいな笑顔を私に向けた。
おかしい。絶対におかしい。みやりんと付き合っていたはずだ。私は「おめでとう」と言ったはずだ。でも、記憶が蘇ってくる。確かに私は一緒に遊びに行ったあと、ヨウダイから告白された。それから何回かデートにも行っている。私の頭の中にしっかりと記憶されていた。だけど、みやりんに「おめでとう」と言ったことも覚えている。
「ひょっとして美弥になんかされた?」
ヨウダイが何を言っているのか、私は分からなかった。美弥ってみやりんのことだ。何かされたって、あまり良い言い方ではない。もしもみやりんが私に何か危害を加えてくるなんてあり得ない。
「なんかってなに?」
「ほら、俺がお前のこと好きだったんだけど―――美弥が俺のこと―――」
「好きだったとか?」
私がそう言うと、ヨウダイが「まあ、そんな感じ」と小さな声で言った。まるで禁忌を侵す呪文を唱えるみたいだった。
「お前と付き合ってから、あいつとはほとんど話さなくなったし。もしあいつがかをりになんか言ってきてたら嫌だなあって思ってさ」
ヨウダイはまるで壊れ物を扱うように私に触れる。私のことが大層大事そうに話す。鼓動がとても強く脈を打ち始めた。なぜだか咄嗟に私は心臓を押さえた。
「まさか。みやりんがそんなことするはずないし。友達だもん」
「そういうふうに考えるところ、俺は好きだよ」
駄目だ。私は先ほどから乱されてばかりいる。本当に付き合っているのかと錯覚を起こしてしまいそうだ。
「これって現実?」
いや、もしこれが現実じゃなかったら何が現実なんだっけ?
さっきまで覚えていたはずなのに―――今までどこにいたのか、どうやって来たのか、自分がどんな人間だったのか、自信が持てなかった。
脳みそが中身のないシャボン玉になってしまったみたいだ。ふわふわと浮いている。
「そういえば、花巻さんは就職決まったらしいよ。お祝いでカラオケ行こうって」
「花巻さんと知り合いだったの?」
「当たり前じゃん、ダンスサークルの先輩だもん」
そういう関係があったんだ、と今更納得する。
「じゃあ、佐倉さんも決まったのかなあ」
ぽつりとこぼした言葉に私自身がはっとした。そうだ、私はゼミで花巻さんより佐倉さんとのほうが仲が良かった。私なんかがカラオケに誘われるのもおかしな話だ。
「佐倉さんって、かをりがこの前言ってた人?」
ヨウダイが訳アリ顔で私を見る。もし話していたとしたら、この前会ったことだろうけど―――
そんな顔をするような話ではないことは確かだ。
「見た目がちょっとあれな人だろ?太ってるっつうか、イケてないっつうか」ヨウダイがにやりと笑った。「なのに面白くない自虐で、カースト上位の花巻さんとかに絡んでもらってるって前言ってたじゃん。いつだったっけな―――」
ヨウダイはスマホをポケットから取り出して、ネットでの私とのやりとりを遡り始めた。人差し指を何度か上から下へ往復させたところで、スマホの画面を私に向けた。
「これだろ、佐倉って人」
どうやら私はヨウダイにゼミの飲み会の写真を送っていたようだ。何枚か送っていて、そのうち一枚は座敷での集合写真だった。ヨウダイは確かに佐倉さんを指さした。自分のなかにこの時の飲み会の記憶が確かに存在している。集合写真以外にも私が送った写真を見ると、昨日のように思い出すことが出来るのだ。花巻さんと佐倉さんを馬鹿にして笑ったことも、私に話しかける佐倉さんに対して、図々しいって思っていたことも。
「だって佐倉さん、汗飛ばして話すんだよ。ちょっと気持ち悪いでしょ」
「まあ一生懸命なんじゃないの?お前らの仲間に入るのに。明らか系統違うじゃん、かをりとか花巻さんとは。リアクション頑張らなきゃ、お前ら笑わないだろ」
私は手を叩いて笑った。そうだ、私はそうだ。佐倉さんはいつも陰気臭い見た目だと思っていた。別に馬鹿にしているわけじゃないけど、もっと見た目に気を遣えばいいのに、と思っていたし、あまり一緒に写真に写りたくないとも思っていた。
「そのわりに面白くないんだよね。花巻さんがフォローしないと、盛り上がんないし」
「いいじゃん。必死なんだなあって見とけば。そこに重点を置いて見れば面白くね?」
ネタなんかどうでもいいじゃん、とヨウダイが言った。私はまたとても大きな声で笑った。自分の笑い声が耳に響き、次に頭の中に響いた。ずっと反響している。とても大きな音だ。やまびこが頭の中で起こっているみたいで、次第にこの世界全部に反響しているかのような感覚に陥った。
私の頭の中のシャボン玉は一気に弾けて、ようやくふわふわとした感覚から脱することが出来た。今まで滞っていた血が巡り始め、足の先から指の先まで力がみなぎって、まるで今まで他人のものだった身体がすっかり自分のものになった気分である。ものすごく最高の気分だ。
「今度さ、大人数でバーベキューしようとしてるんだけど、誘いたい奴らいる?」
「とりあえず系統が同じ人たちでしょ」
暗に佐倉さんを馬鹿にするような言葉だったが、私は別に気にしなかった。というより、佐倉さんには価値がない、と思っていた。私にとって価値がない。この人間が私の人生にプラスになることがない。
ヨウダイだってそのうちの一人に過ぎない。私の価値を高めてくれる。良い付属品がついたほうが価値が高まるものだ。だから別に好意があったわけではない。それに何となくみやりんがヨウダイを好きだと気が付いていた。ヨウダイの付属品としての価値とみやりんのヨウダイへの好意が付き合った理由だ。