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形貌  作者: 五四男
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私の日常

目を開けたら、真っ暗だった。

それもそのはずで、こっくりこっくり眠気に負けていくうちに私は顔を伏せていたのだ。顔をあげると、まだ授業が行われていた。隣の梨沙子も顔を伏せて、睡眠学習の真っ最中だ。

私は大講義室の真ん中より少し後ろに座っていたが、前はガラ空きで、ちらほら座っているぐらいだった。前の数人を除いて、後ろを見れば、七割が机に顔を突っ伏していた。私は眠気に負ける前まで書いていたノートの続きを急いで書き始めた。

金融論と名を打っている授業だったが、金融に関する理論というよりも理解不能な数式が並ぶ。しかし到底理解できないであろう数式が並ぶことよりも教授の声が極端に小さいことのほうが教室内の大半を沈没させる要因だと思う。

終わりのチャイムが鳴る三分前には沈没組もみんな起きて、そそくさと帰る用意を始めていた。

「かをり、もう授業無いの?」

一緒に授業を受けていた、浜中梨沙子が伸びをしながら私に尋ねてきた。昨晩は下宿しているみんなで一晩中カラオケをしていたらしい。実家暮らしの子も呼ばれていたようで、梨沙子が私にも声をかけてくれていたが、あいにく次の日に授業で行われる英語のプレゼン発表の原稿をまだ作っていなかったため参加することが出来なかったのだ。

「もうこれで終わり。梨沙子も無いんでしょ」

「無いけど、サークルの集まりがあるの。そういや、明日からゼミ合宿だよね?」

梨沙子がそう言って、講義室の重いドアを開けた。むわっとした湿気と暑さが同時にやってきた。講義室は寒いぐらいだったのに、一気に蒸し暑さで汗が吹き出す。

「その通り」

「わざわざ田舎に行くなんて、物好きだよねえ。ご愁傷様です」

梨沙子は明らかに私の反応を楽しんでいるようだった。梨沙子のゼミは合宿などしないらしい。だけど、私のゼミは「地域創生」もテーマにしているから、授業時間以外での活動も多いのだ。

「現地に行くからこそ、分かることがあんの!フィールドワークよ、フィールドワーク」

「ふうん。私は都会でショッピングして、スマホいじって、友達とダラダラしてるほうが好きだけど」

「そうやって軟弱な現代人が出来上がるんだ」

「あ、現代人の底力をなめんなよ」

梨沙子が私に舌を出したところで、ポケットに入れていたスマホが振動した。取り出して見てみると、ゼミ長から電話がかかってきていた。出てみると、どうやら今教授の研究室にいるらしい。要件は明日のゼミ合宿のことで研究室に来てほしいということで、手短に電話は切れた。

「研究室に行かなきゃなんなくなった」

「いいじゃん。どうせ今帰ったって、バスは混んでるよ」

「まあそうだね」

大学から大学の最寄駅までシャトルバスが出ているのだが、授業終わり直後はいつも長打の列が出来ていたし、この四限終わりは特に混んでいるのだ。

三階にあった講義室から階段を下り、建物から出ると、目が眩むほどの日差しが降り注いでいた。わりと田舎のほうに建てられている私のキャンパスは敷地だけは広い。講義室を出たときに感じた蒸し暑さとは比にならない。日に当たる肌が痛いぐらいだ。青空を見上げると、鳥が数羽横切った。

「知ってる?さあちゃんと由紀君付き合ったんだって」

歩きだすと、梨沙子が私に耳打ちするように話し出した。「さあちゃん」と「由紀君」というのは私と梨沙子のクラスメイトだった。入学時に振り分けられたクラスで私と梨沙子は仲良くなった。一回生から一年間、大学に慣れるまで上回生がサポートしてくれるという名目のクラスだったが、そこでカップルが誕生することも珍しくなかった。

「ふうん」

「反応薄っす」

まあそんな反応だとは思ってたけどさあ、と梨沙子が笑った。梨沙子は自分のそばかすを気にしていたが、私は梨沙子の笑顔にそばかすは合っている気がした。むしろ私はそれがチャームポイントだと思っているが、梨沙子はそう思わないらしい。

梨沙子はクラスの誰とでも話すタイプで、人当たりも良い。この二人ともそれなりに仲が良かったからビックニュースなのかもしれないが、私からしてみれば驚くほど二人を知らない。廊下で会ったら、愛想笑いで「おー、久しぶり」と三回に一回言うか言わないかぐらいの仲だ。

「かをりはどんな人がタイプなの?由紀君だってそれなりにカッコいいのに、見向きもしなかったじゃん」

「見た目が良い人ってなんか信用出来なくない?遊んでそうっていうか」

「偏見だよ、それ」

「そうかなあ」

結構信憑性があるデータだと思うが、梨沙子は全く信じていないようだった。そもそも梨沙子とは仲が良いものの、きっと大学で出会ったから、私たちは話すようになったけど、もしも中学や高校で同じクラスになっても、同じグループにはならなかっただろう。梨沙子の他の友達はいかにも文化祭や体育祭など学生行事をエンジョイしていたであろう人たちばかりだった。

「まあ良かったじゃない。その恩恵を授かりたいもんだね」

梨沙子はまだ何か言いたげだったけど、サークルの集まりがある号棟がすぐそこだったので話もそこそこに別れ、私は教授の研究室を目指してまた歩き出した。

 研究室は図書館と同じ棟にある。棟に入ると、クーラーが効いていて、汗がひんやりしてきて、鳥肌が立った。エレベーターに乗り込んだ。エレベーターの中に設置されている鏡を見ると、おでこに赤い跡がついていた。きっと授業でうたた寝していた時についたものだ。何とかこすってマシにならないか試してみたが、余計に赤くなるだけだった。

教授のネームプレートがかけられている扉を開くと、ぎゅうぎゅう詰めの部屋にもうゼミ生は揃っていて、私が最後だった。

「ここ空いてる?」

「うん。なんか今、合宿でどんなことするか決めてるところ。フィールドワークでどこに視察行くかって」

私はみやりんの隣に座った。みやりんは机の下でちゃっかり携帯をいじっているようで、画面には芸能人のブログが映し出されている。

みやりんこと斎藤美弥はゼミ生のなかでも、仲が良い。髪はボブでインナーカラーとしてオレンジ色を入れているというイマドキ女子だ。ゼミ生同士が初めて会う顔合わせの場で話して仲良くなった。見た目は派手だが、話してみると案外話しやすい。

ふと視線を前のホワイトボードに移すと、ゼミ長の原田と目が合った。

「かをり、何か案ある?」

「え、うーんと」

いきなり指名され、戸惑っていると、横からみやりんがクスクス笑っていた。ホワイトボードの横には原田が立っていて、眼鏡のレンズ越しに私を見ている。レンズに光が反射して、レンズがブルーに光っていた。ブルーライトカット用のレンズなのかもしれない。ブルーという色味が原田の人柄を際立たせているようにも見えた。

原田智也はゼミ長で、大学の広報誌を作るサークルの部長も勤めているというしっかり者だ。私はこんな立派にはなれまい、と尊敬していると同時に少し苦手でもあった。

「この合宿の目的って、地域創生でしょ。だから、その―――うーんと、まずは住民の人に話を聞いて、住民の人が地域に持っている印象と、外部の私たちの印象を比較してみるのはどうかな。ただ場所見るだけじゃ分かんないことも多いし」

私はなんとか答えをひねり出した。ありがちな意見を苦しまぎれに出したが、それでゼミ長は納得したらしい。丁寧にホワイトボードにかきだした。

「やるう」みやりんがボブカットの髪を揺らしながら、笑った。

「やめてよ」

 原田は他の子に話を振った。一通り全員に話を聞くと、ホワイトボードを整理し、一番手前の子に「ホワイトボード写真撮っておいて」と頼んだ。

「じゃあ、明日は八時半に駅前のハナクチの駐車場集合で」

ゼミ長がそう締めくくり、案外すんなりと研究室での話し合いは終わった。ハナクチというのは駅のすぐそばにあるスーパーで、いつも下宿生で賑わっている。私も何度か利用したことがあるが、ものの十分もしないうちに、下宿生の友達に必ず出会うことが出来る。

さらにその周辺ときたら、ほぼ何も無いのでハナクチが閉まる深夜一時時頃はハナクチの明かりだけが真っ暗な中で煌々と輝いている。そしてその明かりに不真面目な下宿生がフラフラと蛾のごとく寄ってくるので、ハナクチの閉店時間ギリギリに買い出しへ行くことをハナクチホイホイ、略してハナホイと学生の間では言われている。どちらかというと、下宿生ホイホイなのだが、語呂が良いからか、ハナホイが定着している。

研究室にかけられている傾いた時計を見ると、ちょうど五時を回ったぐらいだった。まだ大学の図書館は開いている。本を借りて帰ろう。確か新しく本を仕入れたと図書館入口のお知らせ看板にプリントが貼られていたはずだ。

「それにしても明日早すぎない?起きられるかな」遅刻常習犯のみやりんはため息をついた。「寝坊しないようにオールしよっかな」

「その前に早く寝たら?」

「そりゃそうだけどう。早く寝れないもん」

「明日寝坊したら、きっと置いてかれるよ。ゼミ長が運転らしいから」

「だよねえ。死ぬ気で起きよう」

みやりんはスマホのアラームを五分ごとに設定し始めたので、確かにみやりんの「死ぬ気」が伝わってきた。

「じゃあ私、図書館寄って帰るから」

私が立ち上がると、みやりんも慌てて立ち上がった。どうやら一緒に図書館へ行きたいらしい。借りていた本の延滞がものすごいことになっている、と思い出したようだ。幸い、本は研究室に置きっ放しだったらしく、上から積み上げられている教授の本を退かし、自分の本を引っ張り出した。

「ねえ、また運動始めないの?」

研究室を出ると、みやりんは唐突にそう切り出した。みやりんの言う、運動とはきっと陸上のことだろう。

私は大学に入学するまで、部活で陸上をしていた。中学、高校と六年間やっていたわけだが、特別速いわけでも、遅いわけでもなく、高校卒業時に自然と辞めてしまった。二週間ほど前にたまたまみやりんに私が走っている動画を見せたら、私の走る姿が意外に良かったのか、こういうことをたまに言うようになった。

「私は運動とかよく分かんないけどさ、すごい速かったじゃん。かをりは走ってる時が一番輝いてるんだって。なんか生きてるって感じ!」

「つまり今は死んでいる、と」

「そうは言ってないけどさあ」

「冗談だよ。運動っていうか、陸上ね。何度も言ってるけど、陸上してる人の中じゃ、全然速くないんだよ」

「一位だったのに?」

「あの動画の組は私より少し遅い人が多かったの。だから、たまたまなんだよ」

 まだ話を続けようとするみやりんを振り切るように、私は若干歩調を速めた。


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