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第5章  テーブルの向こうの母③

 結局、そのようなことから、奈都芽は夕食の後にもう一度進路の報告を母にすることになった。

 テーブルの向こうの母は淡々と食事を口に運んでいた。


 さっき陽ちゃんに言われて、奈都芽はハッとした。

 母を上手く説得しようとするあまり、(もちろん悪気はなかったのだが)ウソをついてしまっていた。ウソをついたのは、『海の上』のあの街で父について以来のことだった。それは素直に反省をした。やはり、ウソはよくない、と。


「でも」


 とも、奈都芽は思った。

 陽ちゃんの言った言葉にはどうも納得できないところがある。


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 これには素直に賛成できなかった。

 さらに陽ちゃんは弁護士になることに反対はしない、と言っていた。

 もちろん、これにも奈都芽は賛成できなかった。

 陽ちゃんは母に忠実すぎる。少し、母を美化しすぎているところがある。母の本当の姿は実の娘である自分の方がよくわかっている。


「だから、あんな風に言って上手くやり過ごそうとしたのに——」


 食事をしながら、奈都芽はそんなことを考えていた。


 どのタイミングで言えばいいのか、と母を観察していると、そのすぐうしろに立っている陽ちゃんが目くばせをしてきた。

「早く! 早く!」

 その目は奈都芽にそう語りかけていた。

 陽ちゃんに背中を押されるようにして、奈都芽は母に話しかけた。


「あ、あ、あのお昼に話をした、し、進路のことなんですけど——」

 奈都芽がそう言うと、母は箸の動きを止めた。

 奈都芽は母と目を合わせた。そして、このとき、昼間ウソをついたことを後悔した。それでなくても話しかけにくい相手なのに、ウソをついてしまったことを謝罪し、その上で弁護士になりたいと伝えることの難しさを痛感したからだった。

 だが、奈都芽は勇気を振り絞った。

「実は、わ、私、昼……ウソをついてしまいました……ゴメンなさい」

 そう言うと、奈都芽は席を立ち、頭を深々と下げた。テーブルの向こうの母は何も言わず、じっとその様子を見ていた。それから、奈都芽は顔を上げ、話をはじめた。

「でも、——に行きたいと思っているのはウソじゃないです……ただ……学びたいことが、に、に、『日本の和』ではなくて……」

 奈都芽がそこまで言うと、母はゆっくりと箸を置いた。そこでようやく口を開いた。

「それで、何を?」

 そう聞かれた奈都芽はすぐに答えることができなかった。呼吸が浅く、喉が渇き、頭がぼーっとしていた。母のうしろに立っている陽ちゃんが「ファイト」と口を動かしていた。

「べ、べ、弁護士です」

 どうにか奈都芽はそう答えたが、あまりに小さな声で母には聞こえなかった。

「え? 何?」

「べ、弁護士です」

 今度は先ほどより声が大きかった。ようやく奈都芽の声が母の耳に届いた。

「弁護士……」と、母は繰り返した。

 いつもより、一層、母の目つきが鋭いものとなった。そして、奈都芽を指さしながらこうつづけた。

「そんなものになって、何を——」

 だが、そこまで言うと、母は奈都芽から視線を外し、箸を手にした。そして、奈都芽に鋭い視線を向けながらこう言った。


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 あっという間に食事をすませた母は、いつものように自分の部屋に戻っていった。



「陽ちゃんのウソつき!」

 食事をすませ、陽ちゃんの部屋に戻ると、奈都芽はそう叫んだ。

「なにが弁護士になることを反対しないよ。あの目つき見た? アレが現実なのよ」

 陽ちゃんのアドバイスに従い、本当のことを言った奈都芽は怒りがおさまらなかった。

 だが、陽ちゃんは謝る様子はなかった。

「いいえ、おじょうさん。あたしは確信しました。やはり、家元さまはおじょうさんのことを愛しています」

「え? ちょっと、陽ちゃん大丈夫? さっきのどこを見て、そんなことが言えるのよ!」

「おじょうさんのほうこそ、さっきのどこを見ていたんですか?」

「どこを? 弁護士になるって言った時のこと覚えてないの? 『そんなものになって、何を』って、言ってたじゃない」

「いいえ、おじょうさん。あたしが言ってるのは、そこではありません」

「……」

「ほら、好きにしなさい、っておっしゃっていたでしょ?」

「あれは『もう勝手にしろ!』ってことじゃない」

「いいえ、あれこそ家元さまの愛なのです。好きにしろ、ということは自由にしろということです。自由にさせるということは、愛しているということなのです」

「はぁ」

 奈都芽は大きくため息をついた。

 家元さま、家元さま。陽ちゃんは少し母を神のように崇めすぎている。母の言った言葉は陽ちゃんというフィルターを通すと、まるで慈悲深い聖人の言葉のようになってしまう。

 夜食の用意を始めた陽ちゃんを見ながら、奈都芽は先ほどの母のことを思い出していた。


 弁護士になるという夢を口にした時、母は冷たい視線を向けてきた。

 奈都芽はあの時の冷めきった目を思い出し、ある結論に至った。

「そうか……母は成績がさっぱりの私が弁護士になんてそもそもなれるわけがないと思っているんだ。それなのにチヤホヤしてくれている周りの人たちに『娘が弁護士を目指してる』と言わなくてはいけないのが嫌なのよ。どうせ受かるはずがない、って思っているんだから当然よ。つまり、これ以上私のことで恥をかきたくないってことなんじゃない?」

 そこまで考えると、奈都芽の心の中にある反発心のような強い思いがおこった。

「絶対、私が弁護士になって、お父さんを救い出してみせる」



 そう強く決意した奈都芽は、夏休みから猛烈に受験勉強を開始した。

 大好きな読書もしないほどだった。寝る間も惜しんで学習をする姿に、

「あまりムリをしないでください」

 と、陽ちゃんが心配するほどだった。


 予定通り、——にある大学を受験した。すべて法学部で、有名なところからそうじゃないところまでかなりの数を受験した。

「これほど、がんばってきたんですから。大丈夫です」

 そう陽ちゃんが励ましてくれたが、残念ながら、結果は目も当てられないものとなった。


「全校、不合格」


 浪人確定。あれほど勉強したのに。

 目の前が真っ暗で、さらには部屋も真っ暗にして落ち込んでいた奈都芽だったが、幸運なことに一校から補欠合格の通知がやってきた。

 弁護士になるという奈都芽の夢がどうにか動き出そうとしていた。




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