新・私のエッセイ~ 第19弾 ~ 『廃墟』の世界 ~ 滅びの美学の究極形
・・・「究極のわびさび」
そして、「もののあはれ」とは、いかなるものなのでしょうか。
ぼくはですね、
それを端的に、そして究極的にさりげなく具現化して見せているのが、
お題目にも挙げた、『廃墟』だと思うのです。
昔からある、「心霊・オカルトブーム」のあとに登場し、
現在まで静かに続く・・・
「廃墟ブーム」
「廃墟巡り・ツアー」。
最近では、書籍・写真集もけっこう出ておりますね。
もう、朽ち果てて、だーれも住むことも使用することもないはずの廃墟・廃屋が、なぜ、静かなブームになって続いているのか・・・。
そこにはやはり、人が心の奥に抱いている、
「栄枯盛衰」
「諸行無常」
といった、この宇宙のいかなるものも逃れられない、いわば「宿命」ともいうべき、
「わが命の果て」
「必ずいずれは行き着く姿」
といったものを、崩れゆき、滅びゆく廃墟の向こう側に見ているからなのかもしれませんよね。
かつて、炭鉱の島として栄えた・・・
あの長崎の『端島』・・・『軍艦島』も、
たまに上陸するひとはいるものの、
かつてのにぎわいからはほど遠い静けさに包まれ、
年を追うごとに、土に、大地に、少しずつ還っています。
もう、当時の炭鉱夫一家の、子供たちの楽しくにぎやかな笑い声も、響くことはありません。
『摩耶観光ホテル』だって、
『明野ストリップ劇場』だって、
『足尾銅山』だって・・・。
『廃線』となった無人駅や線路だって・・・。
ぼくたちだって、
いつかは滅び、いなくなってしまうのです。
そこがまた、
人の心をつかんで離さない、
『滅びの美学』
『限りある命の美しさ』
ともいえるのではないでしょうか・・・?
m(_ _)m