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作者: 星河雷雨



 昔から人ならざる者との縁があった。


 だが彼らは通学路や混雑しているお店の中や会社の狭い給湯室などに何の前触れもなく現れては、何をするでもなくその物悲しい姿を私に見せるだけだった。


 あるいは彼らはいつも私に対して何かを語り掛けそして望んでいたのかもしれないが、それを私が理解出来なかっただけなのかもしれない。


 私にはただ、彼らの魂の安寧を願うことしか出来ないのだ。



 そんな私が経験した、興味深く忘れ難いある一つの出来事をここに記そうと思う。









 ある時、珍しくも彼らは私の夢の中に現れた。彼ら――いや、彼女がはじめて私の夢の中に現れたのは、私が大学に入学した頃だった。




 ある日見た夢の中に、一人の女性が登場した。茶色がかった長い髪のその女性は、半袖の白いTシャツにジーンズというラフな格好をしていた。


 驚くべきことに、彼女は夢の中で私に話しかけてきた。

 

 ただ夢の中の登場人物に話しかけられたからと言ってなぜ私がそのことに驚いたのかといえば、前述したとおり彼女は人ならざる者であり、夢の中だというのに私はそのことをはっきりと認識出来ていたからだ。


 そして驚くと同時に普段物言わぬ彼らだが夢の中では話せるのだなと、その時妙に納得したことを覚えている。


 しかし夢は夢でしかないため、あるいは私の記憶力の悪さのせいであるのか、起きた時には彼女に何と話しかけられたかなど、私はすっかりと忘れてしまっていた。


 だが夢の中で彼女が私に見せたその親しみを持った態度から、はて、もしや彼女は私の知り合いだったろうかと思い首を捻っては見たものの、いくら考えても私が彼女のことを思い出すことはなかった。


 それから月日が経ち、次に彼女が私の夢に現れたのは、私が大学を卒業し、社会人になってからの事だった。


 夢の中の彼女は以前と同じように私に親しく話しかけ、笑顔を見せた。だが、その時はそれだけに終わらず、彼女は惑う私をじっと見つめて、何かもの言いたげに逡巡して見せた。

 しかし私ははやり彼女の言いたいことなど何一つ分からずに首を捻るばかり。私のそんな様子を見た彼女がどこか寂し気だったのが妙に印象に残った。




 そうして社会人になって見た夢を皮切りに、彼女は度々私の夢に現れるようになった。しばらくすると、私は彼女が夢に現れるときには、あるパターンがあることに気が付いた。彼女は私が落ち込んでいる時や、何か悲しいことがあった時、怒りに震えている時などにまるで私を慰め、励まし、宥めるように夢に現れるのだ。

 彼女の夢を見た朝は昨日までの悩みや怒り、悲しみなどは綺麗に消え失せていた。しかし精神の軽さと比例するように、身体が重く感じられることだけは唯一、不都合とも言えることだった。



 だんだんと彼女に対して親しみのようなものを感じるようになったある日、私は夢の中で彼女とした会話を、朝起きた時にもはっきりと覚えていた。


 彼女は夢の中で自分のことを知っているかと私に問うた。覚えているかではなく、知っているかと。

 彼女がそう聞くということは、私と彼女は面識がなく、かつ私は彼女の存在を知りうる立場にいるということだ。だが私には何ら彼女の存在について思い当たることはなかった。

 それを正直に伝えれば、やはり彼女はいつぞやのように寂し気に、そしてもの言いたげにこちらを見つめるだけだった。


 私はそんな彼女の様子に悪いことをした、悲しませてしまったという罪悪感を覚えた。そしてそんな罪悪感のせいで初めて真剣に彼女の存在を考えたせいか、彼女の顔がある人物に似ていることに気が付いた。


 白状してしまえば、私は彼女との会話だけではなく、夢の中でははっきりと認識しているはずの彼女の顔さえも夢から覚めた後にはまるで覚えてはいなかった。夢の中で彼女に会えば、ああこんな顔だったと思うというのに、現実の私は彼女の顔の特徴すら覚えていないのだ。


 しかしその時は夢の中であったため、しかも夢であるというのに私の意識はやけに明瞭であったため、彼女の顔が誰かに似ていることにはじめて気が付いたのだ。


 なんと彼女は私に似ていた。しかも私よりも少しだけ大人びた顔つきをしているではないか。思い返してみれば大学生の頃に初めて彼女が私の夢の中に現れた時から、彼女は私と同じように年を重ねてきた。

 常に当時の私より少しだけ大人びた、彼女が生きている者ではないため年を重ねるという表現は間違っているのだろうが、正しく初めて彼女に会ったときから今まで、彼女は生きているかの如くその顔に年輪を刻んできたのだ。


 その気付きは新鮮な驚きとともに、恐れの感情を私にもたらした。だがその恐れは長くは続かず、すぐにまた私は別の気付きを得ることになる。



 私と似ている顔。私を励ますように、慰めるように現れる彼女。


 気付いた瞬間突然夢から目覚めた私には、彼女の示していた謎のすべての答えが理解出来ていた。


 ああ、彼女は私の姉なのだと、私は理解した。現実には私に姉はいない。けれど私は彼女のことを姉だと思ったのだ。


 布団の中でしばらく茫然としていた私の頭の中に、やがて遠い昔の記憶が蘇ってきた。




 冬。炬燵で温まる幼い私と、若かりし頃の母。私が懸命に蜜柑の皮を剥いていると、唐突に母が話しはじめた。


――あのね。あんたにはお姉ちゃんがいるんだよ。あんたが生まれる前、お腹の中にいる間に死んじゃったけどね。


――え。


 その後私と母がどのような会話をしたのかを、私はまるで覚えていない。けれど、確かに私には姉がいると、母が言っていた。


 何故、そんな大切なことを忘れていたのだろうと、私は自らの薄情さを責めた。母からその話を聞いた直後は、私はその事を覚えていたように思う。しかし推測してみるに、当時の私は道理もわからぬ子どもだったせいで、今はいない姉という存在が己と結びつかなかったのかもしれない。あるいは母の話は幼い私には抱えきれないほどの大事だったのだろう。


 現にそのことを思い出したすっかり大人となった今の私であっても、ある種の衝撃と悲しみと、信じられないという現実感のなさで大いに困惑しているのだから。


 私は布団の中でむせび泣いた。忘れていた申し訳なさ、忘れていた自分への怒り、急激に湧き上がって来た彼女への親愛の情。そのすべてがごちゃまぜになって私の胸を打ち、私の心は千々に乱れていた。





 彼女が私の姉だとわかってから、私は自室に彼女のための小さな祭壇を作った。偉そうに祭壇とは言ったが、水を注いだコップと、子どもが好むようなお菓子を数個置いただけのスペースだ。しかし私はそこを姉のための祭壇と定め、お香立てを購入し、日に一度そこで姉の成仏を祈り線香を焚いた。会えなくなるのは寂しかったが、この世に残ることはあまり良いことではないように思えたからだ。


 ただそこに在るだけの物言わぬ彼らを知っていた私だから、姉も彼らと同じようにはなって欲しくないと、そう思ったのだ。



 そしてそれ以降、彼女が私の夢の中に現れることはなくなった。彼女が現れなくなった理由、それが彼女の存在を思い出した私に彼女が満足したためなのかは分からない。ただ私はもう二度と彼女とは会えないのではないかと、漠然とではあるが感じていた。





 彼女が夢に現れなくなってから一年経ったその年の年末。私は久しぶりに実家へと帰った。姉のことを思い出したその年には、母に会うことへの気まずさを感じ実家には帰らなかったのだ。だが一年と言う期間が過ぎたことで、ようやく姉のことを母に聞こうという覚悟が出来た。


 実家に帰ったその夜、長風呂の父が鼻歌を歌いながら風呂へと向かい、都合よく母と二人だけになった私は、これ幸いにと姉の話を母へと切り出した。



――あのね、お母さん。お姉ちゃんのことなんだけど……。


――……お姉ちゃんて、誰の?


――私のお姉ちゃんだよ。お母さん、昔話してくれたでしょ? 私には私が生まれる前に亡くなったお姉ちゃんがいるんだよって。


――あんた、何言ってんのよ。私はそんなこと言ったことないわよ。


――ええ⁉ でも……私もう知っているんだよ……それに、もう子どもじゃないんだから。


――ちょっと。何言ってるの、あんた……。



 呆れ顔の母を前に私は混乱した。まさか私の記憶違いなのかと、思い出した幼い頃の母との会話を母に話して聞かせたが、やはり母にはそんなことを話した記憶はないという。それどころか、私に姉がいたという事実そのものがなかった。母は流産の経験などなかったのだ。


 混乱した私は、しばらくの間(長風呂の父が風呂から出てくるまでの間)ただただ茫然と炬燵に入り、母と共に年末のテレビ番組を見ていた。しかしテレビの内容など、一つも頭には入ってこなかった。





 翌朝になり私はようやく、彼女に騙されていたという事実に納得することが出来た。何故ならその日の夜、久々に彼女が私の夢の中に現れたからだ。



――ありがとう。



 と、彼女は私とは似ても似つかぬその顔で、少しだけ申し訳なさそうな顔をしたあと、悪戯の成功した子どもの様に屈託のない笑顔で私に礼を言った。


 そして私は気付いたのだ。


 ああ、そういうことか。私は彼女に騙されていたのだと。


 だが不思議と怒りは湧かなかった。してやられた、という不可思議な爽快感だけが残った。


 彼女と過ごした歳月、確かに私は彼女に助けられていた。彼女はまるで本当の私の姉のように、私を慰め、労わり、勇気づけた。なればこそ、彼女から貰ったものを思えば彼女が私を騙したことくらい些細な事だと、そう思えたのだろう。


 それからほどなくして私は彼女のための祭壇を片付けた。彼女は夢の中でありがとうと礼を言ったのだ。もうこの密やかな儀式は必要ないということだ。


 そしてその日以来、今日に至るまで彼女が私の夢に現れたことは一度もない。





 これは私が唯一。普段、物言わぬ彼らの役に立てた話である。


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