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ヒロイン面やめてください、お義母様

「え、青のドレスを着るの?テレサさんにはピンクの方が似合うんじゃない?レースいっぱいついたやつとか!」

「全くその通りですね、お義母様」

「あ、また!ダメでしょ、ちゃんとリディちゃんって呼ばないと」

「全くその通りですね、お義母様」

「もうー!」


 いつ終わるのだろう、この茶番は。

 目の前にいるのは、少女だ。茶髪にそばかす、青緑色の丸い目を持った、素朴な印象を与える風貌の少女。

 そんな外見とは似つかわしくない華やかな微笑みを浮かべて、彼女は私を着せ替え人形にしている。


 私の名はテレサ・イヴェール。伯爵の娘だ。何の因果か王子セルジュと婚約をしているが、それ以外は取り立てて特徴もない、十六歳の学生である。

 王子と婚約とは言っても、彼は王太子というわけでも、長子というわけでも、王妃様の実子というわけでもない。むしろ兄弟の中では権力の低い方に位置し、将来的には下剋上を狙っているなんて野心もない。

 私が一人娘なので家の跡取りが必要なこと、私と彼が初めて出会った幼少時から親しいこと、あと…私が彼を慕っていること、などといった理由から婚約を結んでいる。


 セルジュとは、良好な関係を築いている自覚はある。気兼ねなく話せるし、私に何かあれば彼が助力してくれるだろう確信もある。


 しかし、この件については、絶対に頼るわけにはいかない。


 セルジュの母、リュシエンヌ。

 彼女は、貴族ではない。異国出身の歌姫であり、王に見初められて側女となった。

 その並外れた華やかな美貌と、人魚セイレーン妖精フェアリーかの生まれ変わりではないかと疑うほど魅惑的な歌声で多くの人々を虜にし、絶大な人気を誇ったという。

 しかし、彼女の求心力を恐れた貴族によって、飲み物に毒物を入れられ二度と歌えなくなり、王からの寵愛を失った。というのは噂話で、実際には「歌い過ぎて王様が私に飽きちゃっただけなのよ」とのこと。本人が言うからそうなのだろうが、やっぱりきな臭いと思うのは私が捻くれているからだろうか。


 そんなリュシエンヌは、学校に通ったことがない。生まれた時から歌劇団の者達に育てられ、芸を磨いて生きてきた。王の所有物となり、例の事件で寵愛から省かれてからは、静かに、平穏に、長閑に、生活していた。

 そんな折、こっそり遊びに出かけた彼女は自身の息子が学園に通っている姿を目撃する。友に囲まれ、笑顔で談笑する姿に、彼女はこう思った。


 退屈な隠遁生活はもう嫌だ。

 私もそこに行きたい、と。


 つまり、そういうことである。


 現在リュシエンヌは、懇意にしている貴族に頼み込み、学園長をたぶらかし、魔法で姿を変え、「リディ」という名の特待生として学生生活を送っているのだ。


 そして私はそのサポート役に任命された。学園長直々に。

 「他の皆にはバレないように、どうにか頼むよ〜」と、丸投げされた。


 セルジュはこのことを、知らない。

 自分の母親が地味な女学生に化けて一緒の空間にいることを、彼は微塵も知らない。

 気づかないように、私が頑張っていることも、彼は知らない。

 いや、私が何かを頑張っていることには勘付いていていつも「無理していないか」と声をかけて私の心を回復させてくれるけど、私が「ありがとう、でも気にしないで」と答えるから、必要以上に踏み込んでこないというのが正しい。


 彼に知られたくないと思う理由は一つ。

 リディ=リュシエンヌと知ったら、きっと彼は危なっかしげな母親につきっきりになるだろう。私の代わりにサポート役を買って出て、負担を減らそうとしてくれるに違いない。

 そしてその光景を、傍目からは「麗しき王子様が地味な女子生徒をその優しさで構い、導いてあげている」光景を、私はぜっっっったいに見たくない。

 理由は自分でも分からないが、とにかく見たくない。


 そのため、私は今日もリディの補佐に命を燃やしている。



「テレサさんは成績優秀で頭が良いのね。私はバカだから羨ましいわ」

「テレサさん、さっきセルジュがこっち見てたわ。もしかして私だってバレちゃったかな?」

「テレサさんはセルジュのどこが好きなの?私セルジュが小さい頃はあんまりそばにいてあげられなかったから、よく知らないんだけど、好き合って婚約したのよね?」

「テレサさんとセルジュ、最近あんまり仲良くないの?話しているところ、見ないわね」


 好奇心旺盛な彼女の疑問は尽きない。

 全てに真摯に答えると心が悲鳴を上げるので誤魔化せるところは適度に流しているが、「セルジュにテレサさんのどこがいいのか聞きたいわね」という台詞には流石に堪えて沈黙せざるを得なかった。

 相手は将来の義母である。これから長い付き合いになる。失態は見せたくないが…。



「リディさん、あんまりテレサさんに頼り切りなのも良くないのではなくて?将来性を買われて特別な待遇を受けたとお聞きしますが、その割には勉学に励みが…」

「あらごめんなさい、私難しいことには疎いから、やる気がわかなくて…」

「は?」

「失礼、実はリディさんは異国の出身でして、共通語を習得したばかりなのです」


 風紀に厳しいご令嬢から声をかけられた際に疑われないよう立ち回るのも私の役目だ。そもそも最初から「世俗に無知な留学生」として組み込めば良かったのに、何故「優秀な特待生」にしてしまったのか分からない。



「おや、こんなところに泥棒のお嬢さんがいるね?君の瞳の中で夜空から盗まれた星が輝いているよ。今夜、僕と一緒にもっとたくさんの星を攫いに行かない?」

「ええー?どうしましょ、テレサさん」


 困ったような声を出しつつも、リディは笑顔が抑えきれていない。削られる精神力を繋ぎ止めつつ、気障ったらしい男には「失せろ」という文言をできる限り丁寧に伸ばした文章で断って差し上げた。



 彼女は今地味な姿をしているが、妙に人目を集める。トラブルを防ぐにはまず他者と関わらせないのが一番だ。

 私は持ち前の警戒心をありったけかき集めて、彼女といる間は不用意に他人と出会さないよう注意を払い、人がやって来る気配を事前に察して避けるようになった。そのおかげか今のところ大きな騒動は起きていない。

 自慢ではないが危機管理能力に自信はある。

 しかしそうしていたら「テレサさんって、臆病な性格なの?なんか、いつもキョロキョロしてるわね。悩み事でもあるの?」と至極心配そうにリディに言われて泣きたくなった。



 まだ任務を開始してから三ヶ月でこの疲弊だと、いつまで保つか恐ろしくなる。というかこの人何をしたら満足して帰るんだろう。

 いずれにせよ、私は達成を目指す。

 授業中に話しかけてくる彼女を制するのも、他の生徒との会話中ボロが出ないよう見張るのも、地味だがどこか魅力のある特待生に誘き寄せられる男子生徒を牽制するのも、全ては何事もないままお帰りいただくためなのである。





「楽しみねえ、パーティー。テレサさんはセルジュにエスコートされるんでしょ?」

「そうですね」

「いいなあー」


 どういう意味だ。

 戦慄する私をよそに、リュシエンヌ改めリディは廊下を歩きながらニコニコとドレスの予約書を眺めている。

 パーティーと言っても全校生徒が参加するとかそんな大掛かりなものではなく、同学年の一部生徒が交流のために開くだけの会合なのだが。

 しかし彼女は祝典では常に演者側にいたから、こういうのは初めてなのかもしれない。

 ちなみに今回の会の主催者は公爵令嬢である。


「あっ、セルジュ!」

「お待ちくださいリディさん。王子に対しては適切な距離感を持ってお願いします」

「分かってるわ。おーい!セルジュ様ー!」


 分かってない。敬称をつければいいってもんじゃないんだぞ。

 確かに彼は気さくで大体の生徒からも軋轢なく接されているけど、特待生という名の平民が大声で、仮にも王子を呼び止める様を周りはどう思うか、想像してみてほしい。


「ああ、テレサと…ごきげんようリディ嬢」

「うん、ごきげんよう、うふふふ」


 挨拶が面白いのかリディはくすくすと笑いを漏らす。魔法によってどこにでもいる女の子の姿に変えられているのに、どこかその笑顔には蠱惑的な印象が漂っている。

 実際、セルジュの側近兼親友のルシアンは惚けたようにリディを見つめている。

 セルジュもこうなったら嫌だなあ、と思って恐る恐る目線を上げれば、彼はじっと私を見ていた。恐ろしいほど端正な顔がすぐそこにある。


「…な、なにか?」


 沈黙に耐えかねて口を開くと、彼は「いや」と首を振る。


「何かあれば言って欲しいと思っただけだよ。私では頼りないかもしれないが」


 端然な表情は変わらないけど視線にも仕草にも、私を心配する色が溢れている。じんわり心が温まる。これだから諦められないのだ、私は。


「そんなことはありませんが…ありがとうございます。本当に困ったら頼りますから」

「そうしてくれると嬉しい。テレサは一人で抱え込む傾向があるから」


 全て明かしてすっきりしたい気持ちは山々だが、私にも意地がある。無事に事態を終えて、いくらか時間が経ってから「実はあんなことがあって」と笑い話に変えるのが一番理想的だ。

 故に私は安心させるべく微笑んで礼を述べた。

 微妙に納得していないのかセルジュはまだ目を逸らさない。

 歌姫リュシエンヌと同じ、深い海のような碧の瞳が、瞬きもせず私を映している。


 彼の容姿は、母親のものを受け継いでいる。遠目からでも鮮やかに視界に入る深紅の髪と、静謐な碧眼。声は低く囁かれれば身震いするほど凄艶で、本当に人のものか疑わしい。

 これに加えすらりとした手足と天性の音楽性も兼ね備えているのだから、やっていられない。

 けれど、彼の最大の美点は、賞賛される容姿や能力より、それにあぐらをかいて高慢にならず、対等な目線で人を気遣ってくれるところ。単純に言えば優しいところだと私は思う。異端扱いされるのが怖くて人前では明言出来ないけれど。


「なになにー、二人で見つめ合っちゃったりなんかして、お熱いわねえ、ヒューヒュー」


 そういうの本気でいらないですお義母様。

 やっとセルジュの視線が外れた。無表情でリディを見やる。


「……」


 セルジュは何も言わない。絶世の歌姫と、そばかすの女の子。結びつけるものは何もない、バレることはないはずだが…。

 やっぱり何か勘付いたのだろうか、これ以上ここにいたら危ない気がする。

 私は見えないようにリディの袖を軽く引っ張り、頭を下げる。


「用件もないですし。それでは失礼致します。参りましょうリディさん」

「はあい」

「テレサ」

「…何でしょう、セルジュ様」


 立ち去ろうとして呼び止められ、ギギギと擬音が付きそうな速度で私は振り返る。

 顎に手を当て、一つ瞬きをしてからセルジュは真顔で告げた。


「今度のベルナデット嬢主催の会で、リディ嬢をエスコートしたいのだが、どうだろうか」

「えっ」

「えっ!だ、ダメでしょそんな」


 喜色が漏れていますよお義母様。


「テ、テレサさんを一人にするなんて絶対ダメ!セルジュ、様はテレサさんの婚約者なんだから」

「必ずしも婚約者同士で出なければならない規定はない。私の代理にルシアンを付ける。無論テレサが否と言うなら撤回しよう」


 規定はないけど暗黙の了解はあると思う…が、セルジュの真剣な態度に、私は思わず肯定していた。


「分かりました。貴方がそうしたいのであれば構いません」

「ええっ」

「すまない」


 そこでようやくセルジュの表情が崩れた。昔、体調不良で私の誕生会に来られず後日花束を渡してきた時と同じ顔だ。柳眉を下げ、目を伏せて謝罪の言葉を口にする。

 次いで、まだぼんやりしているルシアンの鳩尾に肘を入れた。


「ぐおおッ」

「そういうことだ。頼むぞ」

「え、なに?なんだって?俺とテレサさんがペア?なんでそんなことに!?まあ決まったことなら仕方ねえか、よろしくな!」


 そういうわけで、私はルシアンにエスコートされる運びになった。





「なんで受け入れちゃったのよテレサさん!セルジュとパーティー楽しみにしてたんじゃないの?」


 セルジュとルシアンと別れてから、リディは私に食ってかかった。私も正直こんなことになるとは思っていなかったが、彼がそれを望むのであれば仕方ない。

 私が完全に了承しているのを悟ってか、彼女は「困るわよ」と眉を八の字にする。


「だ、だってどうするの?もしセルジュが私のこと好きになったら大変なことになるわよ!?」


 セルジュが。

 リディを。

 好きに。

 そ…その発想はなかった。

 なるほど、確かに…その可能性もあったのか。というか、あるのか、現在進行形で。

 リディは外見こそ地味だが、人好きするオーラと、たまに神秘的な雰囲気のようなものを纏っている。事実ルシアンは彼女に見惚れていた。

 私とセルジュは不仲ではないけれど、熱烈に愛し合っているかと問われれば明らかに違う。

 セルジュが、リディを中身が母親とも知らず惚れる可能性。

 あるのか!?


「どどどどどどどどうしましょう」

「だ、だから言ったのに!ダメって言ったのに!」


 浮き足立つ私たちを無情に嘲笑うように、会の日程は刻々と近づいていた。





 公爵令嬢ベルナデットの挨拶を終え、パーティーが始まっている。

 既に注目はセルジュと、この日のために用意した緑のドレスを着たリディに集まっている。しかし参加しているのは治安の良い面子が大多数のため、表立って指摘するような声はない。


「なーに考えてんだろうなあ、セルジュなあ。テレサさんは分かる?」

「いえ、私にも…」


 隣のルシアンが首を捻りつつ遠巻きに二人を眺める。開始時こそハラハラしたが、セルジュのフォローもあってかリディは特に問題なく他の人たちと交流しているようだ。


 セルジュが何を考えているかなんて、私にも想像できない。

 しかし、会の直前、彼は私の前に現れると素早く囁いた。

「私はこれから君の努力を無下にしようとしている。すまない。だが、これ以上見ていられない」と。

 何かしようとしているのは間違いないだろうが…。

 まさか本当に、リディに出会って恋をしてしまったのだろうか。


 私は異彩な気配を放つ二人の姿を眺める。


 こうして離れた位置から彼女を見るのは初めてかもしれない。時に子供のように無邪気に、時に大人の女のように艶やかに。やはり立ち振る舞いに華がある。王の心を射止めた素質は本物だ。

 セルジュと並ぶと、今の外見じゃ不釣り合いなはずなのに、まるで元から深い仲であるかのように馴染んで見える。

 いや、まあ、母子なのだから馴染むのは当然ではあるのだが。


 私が絶対に見たくないと思っていた「麗しき王子様が地味な女子生徒をその優しさで構い、導いてあげている」光景の想像と、目の前のそれとでは、明らかに違った。

 しかし、何故、そうまでして見たくなかったのか。私は理解する。


 麗しき王子様セルジュが、地味な女子生徒テレサを、相手している光景。

 この学園の生徒が見慣れている、不相応で不釣り合いなさま。


 臆病で、警戒心が強くて、努力しないと愛想良くできない。色褪せたベージュの髪に黒の三白眼、中肉中背で華やかさのかけらもないテレサ

 そんな女が華美な彼の隣に並んでいる、一目見て歪と分かる形を、私は突きつけられたくなかったのだ。


 薄々分かっていたことで、いつも無意識下で思っていたことだった。

 でも直視したくなかった。


 気を紛らわせようと、別の話題を口にする。


「…ルシアン様は、相手が私でよろしかったのですか?」

「え?いや、俺そもそも婚約者いねえし、本来ならセルジュからちょっと離れたところで一人寂しく壁のシミやってるとこだし、むしろ役得?」

「それなら良いのですが…」


 役得、とは言ってくれるが、私は見目も良くないし、一緒にいても退屈だろう。

 そんな暗い感情を読み取られてしまったのか、ルシアンが飄々とした態度で言い募る。

 

「おや?なんか浮かない顔してるね。どうしたの?ひょっとして俺のこと好きになっちゃった?」

「…いえ…それは…ルシアン様は素敵な方だとは思いますが…」

「冗談だからね?本気に受け止めないでね!?セルジュに殺されるからね俺!?」


 大袈裟な。

 彼が誰かに憎悪を向けるところなど見たことがない。

 彼は幼い頃からいつも人に囲まれていた。誰も彼に悪意を持つこと叶わず、彼も誰も毛嫌いすることなかった。

 婚約者も、彼にとっては必ずしも私でなければならない理由はなかった。


 ルシアンとの会話中、ふと目線を向けると無表情のセルジュがこちらを見ているのが視界に入る。

 どうかしたのだろうか。

 ルシアンに聞いてみようとしたところで、横槍が入る。


「失礼致します、テレサさん」

「ベルナデット様」


 公爵令嬢ベルナデット。規律を重んじ、これまで何度かリディに注意していた方だが、今はどこか浮き足立っているように見える。会の始めで既に主催者への挨拶は済ませ、何事もなく終えたと思っていたが、勘違いだったのか。まさか。

 警戒する私に彼女は「セルジュ様よりお話は聞いております」と告げた。

 お話。一体何のことだ。

 返事のできない私を気にせず、いささか興奮して彼女は喋り始める。


「前々からおかしいとは思っていましたが、まさかそんな事情があるとは思いもせず…貴女に敬意を表します。お一人で抱えて、さぞ大変だったことでしょう。私だったら絶対誰かに喋りたくなったでしょうから…貴女の鉄の意志は素晴らしいですわ」

「は、はあ…」

「ですが苦しいのもここまで。あとは一緒に楽しみましょうね」

「え、ええ…」


 彼女は最後に笑顔を向けると、優雅に一礼して去っていってしまった。

 話の流れが全く分からなかった。


 もやもやが晴れないまま、会は終わりに近づいていく。

 何らかの事情を把握しているらしいベルナデットが前に出て皆の注目を集め、声を上げる。


「お集まりいただいた皆様に、ここで一つ嬉しいプレゼントがございます。セルジュ様、こちらへ」

「貴重な時間を割いてもらって申し訳ない。しかし、ご満足いただけるはずだ」


 セルジュが、動揺するリディを置いてベルナデットの隣に立つ。朗朗とした声に聞き惚れないものはいない。誰もが彼を見ている。見ずにはいられない。


「貴君らは、気になっていることと思う。何故私が、特待生リディ嬢と共に参加していたか。これを聞いていただければ、その疑問が晴れると約束しよう」


 セルジュが大きく息を吸った。


『理に抗い真を拒絶するものよ、無に還るがいい』


 呪文?

 魔法使いでもないセルジュが?


 しかし、ほんの瞬きの後に「ちょっ」という慌て声が響き、光が満ち満ちる。それが消えた時、明らかに異質な人物が会場内に姿を現していた。


「…だ…誰…?」


 そんな戸惑いの声を漏らしたのは、ベルナデットだった。


「え、な、ええ…?」


 リディがいた場所に唐突に現れた人物。それは、鮮烈で豪奢な赤髪に、海を思わせる輝かしい瞳を宿した美しい歌姫―――ではなく。

 くすんだ赤茶色のざんばら髪を持ち、紺碧のギョロギョロした目を泳がせ、骨のような痩身を竦ませた女性だった。


 目の前で起きたことが信じられない。

 あれは…誰だ?


 静まり返る会場でいち早く立ち直ったベルナデットが隣の彼に食ってかかる。


「あ、あの、セルジュ様…お話が違うような…」

「違わないとも。彼女こそ正真正銘、歌姫リュシエンヌ。私の母だ」

「…そ、そんな…」


 嘘だろ?あれが?本物?というざわめきが会場を満たす。

 セルジュは一体何を言っているのか。だってここにいる皆、絶世の歌姫の評判を一度は耳にしたことがある。目の前の侘しい女性とは当てはまらない。


「…ええと…本当なら、歌を披露していただく予定だったんですけれど…その、実は彼女は前々から姿を変えて学園に来てくださっていて、私たちの日常風景を元に新たな曲を書き上げ、それを今日、この場で発表していただくという、サプライズだったのですが…その…」


 私の知らない計画を暴露してベルナデットが言い淀む。リュシエンヌは黙ったまま動かない。セルジュが片手を挙げた。


「…残念ながら母は気分が優れない様子だ。僭越ながら、彼女の子である私が代理を務めさせていただこう」


 深く息を吸う音。


 続けざまに発せられる声。


 一音で世界が変わった。


 彼が歌い、そして終わったのだと気づいたのは数分経ってからのこと。


 ちゃんと聞いていたはずなのに、どんな曲調かまるで思い出せず、けれども心には恐悦が刻み込まれている。


 拍手喝采で会場が揺れる。かつてのリュシエンヌの歌唱の後と全く同じ終局だ。


『ご静聴感謝する。期待外れですまないが、以上で我々からのサプライズは終了だ。母のことは、他言無用で頼みたい。できれば数日の後に忘れていただこう』


 誰もが感嘆の中で頷く。彼の言葉に従うのは、考えるまでもないことだった。

 冷めやらぬ興奮の中で、パーティーは終わった。

 同時に、リュシエンヌの学園生活も終わりを告げていた。





「ひどいことするわね、セルジュ。せっかく変身してたのに、皆の前で無理やりこんな姿に戻すなんて…」

「貴女が勝手なことをするからでしょう、母上。息子と同年代の見かけに変身して学園生活を送るなんて常識を疑う。自業自得ですよ」

「悪い言葉使わないの、めっ。…あーあ。無茶振りは慣れてたはずなのに、土壇場で怖くなっちゃった。さっきあそこで歌っていれば、何か変わったかもしれないのに…」

「変わりませんよ。貴女が成り上がったのはこの魔力がこもった声のおかげだ。それがない貴女の歌など誰の心にも残らない」

「生意気なこと言って。全盛期の私の歌を聞いたら、そんなこと言えなくなるんだから」

「聞けるわけないでしょう。生まれた瞬間に、私が貴女の声を奪ったのだから」


 パーティーの後。夢見心地で撤収する生徒たちを脇目に、母親と息子が会話している。

 私も歌の余韻で頭がふわふわしていたけれど、セルジュの自嘲気味な表情に、心が揺り動かされる。


ご先祖様セイレーンが人間と交わってから、代々魔法の声は親から子へ受け継がれてきた。親は子を産むと魔力を失い、外見すら醜く衰えて、結婚相手から愛想を尽かされ。魔力を過信し自惚れた子供は成長してそれを繰り返す。一体いつになったら終わるのでしょうね。子を成さず一人で死ねばいいものを…人を愛さずにはいられない」


 リュシエンヌが無言で見つめる先で、セルジュは呪うように吐き捨てる。そんな態度を見るのは初めてだったから、私はふらふらと彼の元へ向かう。


「魔法の声といえば聞こえはいいが、洗脳と何が違う?これがある限り誰も信用できない。所詮魔力に魅入られ見せかけに誘き寄せられただけで…本当の私を愛するものなどいない」

「セルジュ、それは違うわ。あなたは魔力の制御ができているし、少なくともあなたを愛する人は確かにここにいる。ね、そうでしょう」


 リュシエンヌが彼の手に触れる。その直前で、私の体がセルジュの肩にぶつかった。

 おかしいな、ぶつかるつもりはなかったのだけれど。距離感がうまく測れていない。まだ夢の中にいるような気がする。


「…テレサ」


 驚いたように見下ろした後、セルジュは苦く笑って私に向き直った。


「すまない。君には本当に迷惑をかけた…後日、はっきり意識が戻ってから正式に謝罪しよう。だから今は」


 セルジュが深く息を吸った。


『自分の部屋に戻って、ゆっくり休むといい』


 その言葉を、私は…聞かなかった。

 耳を塞いでいた。

 初めて会った時と同じように。


「テレ、サ…」

「この子、どうしたの?」

「…はは、あの時と何も変わっていないな」


 セルジュが、今度はおかしそうに、懐かしむように、あるいは泣いているように笑う。


「私と初めて会った時。まだ私が魔力を制御できず、誰彼構わず人の心を操って愛させていた時期に…テレサは、私の声を聞く寸前で耳を塞いで言ったんだ」


 あなたの声、怖い。と。


「そんなことを言われたのは初めてだったから…私は、それが異常だと自覚できたんだ」


 噛み締めるように呟いて、セルジュが俯いたから、私は彼が涙を流しているのかと思って背中に手を伸ばす。

 その手を捉えて、彼は私の体を引き、抱き寄せた。


「だから、彼女を怖がらせないために、私は…」

「セルジュさま…?」

「…魔力を失って何もかもなくなれば、君も私から離れるだろう。だからどうかその時までは…」


 微かに震えている彼をどうにか安心させたくて、私はそっと抱きしめ返す。

 リュシエンヌはそれを見て「…あなたたちなら大丈夫よ」と寂しそうにこぼし、「テレサさん、色々ごめんなさいね。セルジュをお願いね」と言い残して姿を消した。
















+++++


 三年後。

 イヴェール伯爵家の一人娘とその夫の間に跡取りが誕生する。

 息子は母親譲りの亜麻色の髪と、父親譲りの碧眼を持ち、歌が好きな利発な子供だった。

 彼は平凡な父親に「特別な声に頼ってはいけない」と何度も言い聞かせられ、生涯その言いつけを守った。

 そして彼の両親は、いつまでも仲良く、幸せに暮らしていたという。

設定

リュシエンヌ並びに歴代の継承者が子を産んだ(魔力を失った)後に醜く衰えてしまった理由は、それまでの人生での魔力の使い過ぎによる反動です

セルジュはテレサに出会って以降なるべく魔力を使わないようにしていたので、生来の容姿と能力に戻る以上の変化をせずに済みました

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― 新着の感想 ―
[気になる点] なんだかお母さんが可哀想。 容姿が醜くなるわ、それを息子に大勢の前で晒し者にされるなんて。 話の流れ的にも、「歌に魔力があるから他人を信じられない」で十分だったと思う。 お母さんが王に…
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