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追憶
私の家は昔から奉日本に仕える一族で、それは私も例外ではなく幼少期から寺本の家へ奉公に出ていた。仕える、と言ってもそんなに大した役職についていたわけではなく、祖父の代からの顔馴染みであったが故に一部の本家や分家の方々に顔を覚えられているだけのただの使用人に過ぎないのだが。それでもおかげでちょっぴり世間の一般家庭よりは良い暮らしが出来ていたのではないかと思う。
そんなわけで物心つく頃から寺本へ奉公に行かされていた私と鍬夫さんは立場は違えど、言わば幼なじみのようなものだった。奉公の時間が終われば暇を見て文字の読み書きなど教えてくれたおかげでそれなりのお仕事も貰えるようになって、家族の中では私が一番の出世頭だったんじゃなかろうか。
彼は善良な人だった。いつも活発で、明るくて、奉公人にも情けをかけてくれる太陽のように眩しい優しい人。そんな人が身近にいて惹かれないわけがなかった。私の初恋だった。
鍬夫さんには兄上がいらっしゃった。彼もとても賢い人で、活発だった鍬夫さんよりも物腰の柔らかで、鍬夫さんのように優しい人だったと記憶している。2人とも仲が良く、時折私も混ぜてもらって遊んでいたことをたまに思い出したりする。
鍬夫さんにはゆり子さんという許嫁がいた。奉日本家が少し傾き始めていた頃であり、資金集めのための手段でもあったのだろう。良家や資産家と縁組をすることも少なくはなかった。裏でそんな策略が張り巡らされた仕組まれた婚約であったにも関わらずゆり子さんは動じることなく受け入れていた。彼女はちょっと繊細すぎるところもあったけれど綺麗で、優しくて聡明で、きっと私の恋心にだって気がついていて、気を使ってくれていたんだと思う。そんな彼女になら鍬夫さんを任せられる.自分の初恋は散ることになるけれどそれでも後悔しないぐらいゆり子さんを信頼していた。懐妊の報告を受けた時、どれだけ嬉しかったことか。我が事のように泣いて喜んだ。
鍬夫さんとゆり子さんと過ごす時間は穏やかで、ふたりが幸せでいてくれるなら私はそれで良かった。
鍬夫さんが病気になった。
感染するものだから、と山の中に建てられた別荘へ隔離されることになった。
できるだけ使用人も最小限に、ゆり子さんに感染すると大変だから、と彼女は残るよう言い渡されていた。しかしゆり子さんはそれを受け入れなかった。「私も鍬夫さんに着いていく」の一点張りで、周囲が折れる形でゆり子さんも一緒に別荘へ移ることになった。
慣れない山の中の生活にも弱音を吐くことなく、ゆり子さんは気丈に鍬夫さんを看病していた。私もできる限りを尽くした。そんな私たちを嘲笑うかのごとく病魔は鍬夫さんの体を蝕んでいく。日に日に痩せていく鍬夫さん、やつれていくゆり子さんを見ているのが辛くて堪らなかった。
別荘に移ってから半年、鍬夫さんは静かに息を引き取った。
それからというものゆり子さんは塞ぎ込むようになってしまった。食事もとらず引きこもり、このまま鍬夫さんを追っていってしまうんじゃないか、そんなことを心配し始めた頃。鍬夫さんの兄である堀夫さんがやってきてゆり子さんを元気づけようと連れ出してくれた。
ゆり子さんは変わった。食事も摂るようになり、何より以前よりも明るくなり度々外へ出かけることが増えた。部屋の中に何やら仏様とは違う、何やら不思議な像を飾るようになった。お腹の子のこともある、元気になってくれたのならそれに越したことはない、のだが。どこか引っかかる違和感が拭えなかった。
私はこの時の違和感をそのままにしていたことを後で後悔することになる。




