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断章
ベッタリと頬まで飛び散った血液を拭う。生温くて拭いても拭いてもまとわりついてるようで気持ちが悪い。
静かだ。無機質な機械の音だけが耳に残る。周りをよく見ると布のようなもので囲われているだけの簡易的な空間のようだ。あの天井には見覚えがあった、ここは自分の家の客室だ。叔父たちはこの実験器具を持ち込み屋敷の中で勝手に実験室を作り上げたのだろう。人の家に勝手に実験室を作り出すなんて、一体この人たちはどこまで非常識なんだろうかなどと。足元に転がるかつて叔父だったものを踏み潰し、真っ赤に濡れたカーテンを開ける。
外には怯えた女中が2人座り込んでいた。
「…なんだ、お前たちいたのか」
「ひっ」
青い顔で後ずさる女中を壁に追い込むように詰め寄る。
「お前たちも知ってたのか、俺には本当の母さんがいたこと」
「い、いえ…っ私たちは……!」
「あの人が母さんを監禁してたこと」
「そ、それは……」
「母さんから血を奪って俺に飲ませてたこと」
「…ぁ、あ…っ私たちはただ、梢さんの言うことを聞いていただけで…!」
─────あぁやはり、知らなかったのは俺だけだったのか。こいつらも俺を欺いていたのか。
寺本、いや本家の奉日本までも俺を、母さんを利用しようとしているんじゃないか。この世界はどこまでも俺を嘲笑えば気が済むのか。
凶暴な感情がふつふつと止めどなく溢れて止まらない。もう全てめちゃくちゃにしたい。
己の感情に呼応するように女中の体が引っ張られるように天井まで浮き上がる。
「ひ…っな、なにこれ、いや……っ」
「同罪だ、お前らみんな許さない」
見えない手で引きずり回されるように床に勢いよく女中は打ち付けられる。何度も、何度も、何度も、彼女たちの顔が変形し肺が潰れるまで気が済むまで何度でも。それでもまだ足りない、この胸の中に湧き上がり続ける泥を抑え込むには、満足させるにはまだ足りなかった。
あの女はどこに行ったのだろう。俺の母を騙り、俺だけに留まらず母を閉じ込め、血液を奪い悪逆を尽くした魔女。自由を奪われ続けた17年間全てが嘘だったのだ。もう何も信じられない。それも全部、全部、全部あの女のせいだ。
アイツを殺さなければ。
魔女を探して屋敷を駆けずり回る。俺の世話役だった男も、外に出ようとする度に俺を阻んだ庭師も、書籍を仕入れていた本家の使用人も、見つけ次第喉を潰して切り刻んだ。
人を握り潰すのはこうも容易いのか。脳が真っ黒な泥で溶かされていくような、奥から何かが這い上がってくる吐き気のような高揚感、あぁ俺は今笑っているのか。
「鎌実」
玄関に1人女が立っている。魔女だ、魔女が帰ってきた。
「…あなた、もう手遅れね」
俺の姿を見ると女は1つ大きなため息をついた。ガラガラと俺の中の最後の理性が崩れ落ちた。
「…お前が!!全部お前のせいだ!!!」
感情のままに力を振るう。割れた窓ガラスの破片を一斉に女へ向けて肉を割く。逃げる女の足を潰すように本棚を落とした。女は痛みで苦悶の表情を見せる。お前は、お前だけは楽に逝かせてなんかやるものか。
「…っ、ダメ、鎌実!話を聞きなさい!」
「うるさい!!お前は俺を騙していた…!俺はお前を母親だとも思わない…!許さない、殺してやる…!!」
血まみれになった魔女を追うようにガラス片を降らせる。大きな姿見のガラス片が魔女の腕を貫いた。
「く、ぁ…っ」
「…死ね、薄汚い魔女め…!」
大きく手を振りかぶる。これでお前の肉体を捻り潰して────
ズン、と身体に大きな衝撃が走る。
胸元から全身に走る振動、一気に体が冷えていく。胸の辺りに触れるとべっとりと血がついていた。これは誰の血だ、俺の…?
床に這い蹲る魔女は拳銃を構え、銃口を俺へ向けていた。硝煙が白く視界を霞ませる。魔女の顔が歪んで見えない。
「…か、は…っ?なん、で…だよ」
体の力が抜けていく。手を伸ばしても抗っても先程のような凶暴な力は消え、ただもがき苦しむだけだった。足元に血溜まりが広がり倒れ込む。
苦しい、痛い、寒い、怖いそれにこれは……寂しい?
何も聞こえなくなっていく。何も見えなくなっていく。何も感じない、俺の全部が消えていく。
遠くで誰かの声が聞こえた気がした。
それが最期、俺はそのまま静かに呼吸を止めた。




