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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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暗くなければ輝けぬ

作者: KURA

天使と悪魔の戦いのお話。



 哲学的ゾンビ。

物理的には何も差異を確認することはできないが、意識というものが消失してしまい生命という尊いものから物となってしまった物の事。

意識のないことだけを除けば全くの同じ人間という事になる。

哲学的ゾンビと人間を見分ける方法は魂を視認出来なければ困難であろう。





 夕陽を視界の片隅にとらえながら男は学校からの帰り道を歩いていた。

男は決して明るい顔とは言えず暗い顔を夕方の闇に沈ませ陰気たっぷりに歩を進めている。

彼は天台 仁。満ち足りたとは口が裂けても言わないような人生を送っている男子学生だ。


「つれぇ」


誰に話しかけるということもなく彼はそう呟いた。

それは心の中の声がこぼれ落ちただけであり、その声に彼は何の意味も思考も持たせていない。

ただぼんやりと、そう呟いた。

彼は心が締め付けられているような日常をただ送っていた。

けれど心の疲れというものは簡単取れるものではない。

いつかの崩壊が日に日に近づいてきているのを感じながらも仁は何をするという事もなくその日常を享受していた。


「鈴の音……?」


 彼はそんな中不思議な音を聞いた。

軽やかな鈴の音。心が軽くなるようで聞いていたくなる、そんな不思議で蠱惑的な音。

それでいて奈落をのぞき込むように吸い込まれるような音色。

彼は思わずその鈴のほうを向きふらふらと向かって行ってしまった。

光に誘われる羽虫のように彼はぼんやりとしていた。


「哀れな子羊が、また一匹」


ふらふらと歩いた先には白い衣に身を包んだ人物が立っていた。

顔はベールのようなものに包まれ確認することが出来ない。

だが彼を視認したときにこの人物がつぶやいた声から女性だということが仁にはわかった。

彼は鈴の音は何だったのだろうと不思議に思っていると、彼女の杖の先に鈴のようなものが付いていることに彼は気付いた。

彼女は杖で地面をたたき、シャランと鈴を鳴らした。


「哲学的ゾンビというモノを知って、おいでで?」


「哲学的、ゾンビ」


「体は生きて、人生を全うします。ですが意識がなくなってしまっている状態の事を言います。誰の迷惑にもならず誰にも気づかれることがない自殺と言ったらわかりやすいのでしょうか」


「誰にも迷惑をかけず誰にも気づかれることのない自殺……」


 真綿で首を絞められるような人生を送っていた仁にとっては自殺というものは考えたことすらない突拍子もないものでは決してない。

彼が何回も考え、そして理性によって止めたものだ。


故に彼にとって哲学的ゾンビというものがとても甘美に聞こえた。

誰にも迷惑をかけることもなく誰にも気づかれることなく消えてしまいたい。

まさに彼が夜中に布団にくるまりながら考えたことであった。


「そんなことが、出来るんですか」


「主はその方法を私にお与えになられました。契約書にサインをしていただければ貴方の意識を誰にも気づかれることなく殺して差し上げましょう」


 あまりにも甘くとろけそうな誘いであった。

つらい日常を生きている人間はその手を取ってしまう。

そんなつらく甘い暗い誘惑。


それに彼は抗うことが出来なかった。

身体的ゾンビのように体に力の入っていない、ふらふらとした動きで彼女に近づくと彼はその契約書をとった。

そしてその契約書を見た。

そこには簡潔に私はその魂を放棄するということが書かれていた。

まともな人間であったらここで質問なり、疑念なりを抱くのだろうが彼はもはや疑うような体力すらも残っていない。

もはや何があっても受け入れるぼろぼろの布切れのような精神なのだ。

彼はその濁ってしまっている目で契約書を確認するとそのまま渡されたペンでサインをしてしまった。

そして契約は成った。


「それでは解放させていただきます」


 彼女は手のひらサイズの檻のようなものを懐から出した。

それをサインし、動かなくなった彼の体に押し当てるとその檻は何の抵抗もなく彼の体の中に消えていった。

そうして彼の魂は檻に囚われた。





 谷のように深い絶望、身の毛がよだつような根源的な恐怖、そして胃の中のものを吐き出してしまいそうになる激痛。

仁はその中にいた。

それは決して意識的なものではない。微睡んでいるように意識のない無意識のような思考の存在しない所だった。

地獄で微睡んでいるような不思議な状態、彼はそうとしか言えない気持ちの悪い状態になっていた。


だがそれは布団の中や胎児の感じる温かさの中でもなく冷たい暗闇の中であった。

そして彼は恐怖、激痛を延々と感じていた。

痛いという思考もなくただ泣くような、叫ぶような本能が吠えるままにその絶望を感じていた。


 だがその永遠は突如として消え去った。

己の中の大事な何かが砕け釣るような感覚と共に悍ましい暗闇は彼の周りからあまりにも簡単に消え去ったのだ。

消え去るとともに彼は光を見た。

光に吸い込まれる寝覚めの感覚。





 仁が気が付くと彼は湯船の中にいた。

自分の家の湯舟だ。温かい湯が悍ましく凍ってしまった背をゆっくりと溶かしてくれている。

見慣れた自分の家に彼はいた。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


それは言葉ですらなかった。そして声ですらないのだ。

ただ、叫び。ただ精いっぱい肺を使って暴れ狂っている己の感情を表現しただけなのだ。

魂に染み付いた恐怖、激痛の残響を吐き出した結果この叫びが出力されたのである。

気を違えたように叫び、のどに鋭い痛みを覚え始めたころ彼はやっとその恐怖の残響から逃れることが出来た。

痛みが恐怖をほんの少しだけ緩和したのだ。


やっと正気に戻れた彼は喉の激痛に顔をしかめ、喉の違和感を目の前の湯舟にたまった湯の中に吐き捨てた。

それは血であった。赤い血だった。

彼がその恐怖のままに叫んだ声に喉が耐えることが出来ずに裂けたのだ。


「な、何が起きた」


記憶の空白、そして記憶にない己の中にしみこんでいた激痛と恐怖が彼の思考を乱す。

わずかに赤くなっている湯船の中で彼は乱雑に描かれたメモ用紙のように混乱した思考を整理する。

だが幾ら必死に整理しようとも大きすぎる未知、大きすぎる感情に彼の精神は落ち着くことはない。


「契約書をかいた瞬間から、記憶が、ない、そしてこれは……」


思考の反芻とも言っていいその言葉を彼はうわごとのようにつぶやいた。

そうしてしばらく情報の確認とも言ってもいい無意味にも近い言葉を吐き捨て彼は立ち上がった。

彼はこのまま思考し嚙み続けることよりも、新しい情報を口に運ぶことを選んだのだ。


「今日は……何日だ」


記憶の空白を埋めるため彼は自室においてあるであろうスマートフォンを取りに動いた。

文明の英知である機械は正確に欲しい情報を与えてくれる。

それが背筋の凍る情報だとしても。





 仁は体を簡単に拭くと服を着ることも忘れスマートフォンを手にした。


「一か月……!?」


彼の最後の記憶にある日付とは約一か月間もの齟齬があった。

そして最初に彼が心配したことは己の単位だった。

大学に自堕落に通っていた彼は一か月も休んでしまっていたら単位に大打撃だ。


だが彼が調べてみるとなぜか自分が出席したことになっている。

書いた覚えのないノート、会話した覚えのない会話履歴など己の中の記憶を否定するかのような現実に彼は言葉を失っていた。

だが彼が痛む喉であるにもかかわらず叫ぶほどの恐怖を感じたのはその現実ではなかった。


「き、記憶がある……記憶がある!? こんなことをした覚えはない、こんなこと知った覚えはないッ! 俺は、おれは……俺は」


 仁は叫んだ。

そうでもしないと彼自身が砕けて消えてしまいそうだったから。

自分ではした覚えはないと主張している経験や知識がノートや履歴を見ると映画を見せられているように脳に流れ始めたのだ。

憶えのない記憶、それは彼のアイデンティティーをも壊しかねない情報であった。


いっそ記憶がなければ彼は精神の平穏を保つことが出来ただろう。

だがそうではなかった。己ではない己が人生を送り、見たことのない経験を感じているのだ。

だからこそ彼は恐ろしかったのだ。


彼は叫び、そして暴れた。

見た覚えのない番組をみたテレビ、書いた覚えのないカラフルなノートやそれに追随するように記憶が引っ張り出されてくる机、何もかも壊した。何もかもを叩き何もかもを投げた。壊れその形をなくしていくごとにほんの少し彼は持っていた恐怖が和らぐのを感じた。

つむじ風でも発生したかのようにボロボロになってしまった部屋で彼はそのまま倒れた。

暴れたことにより体力、恐怖により気力を使い果たしたのだ。

部屋にあったものの破片が体に刺さっていたが彼には全く気にすることですらなかった。


「いみわかんねぇ」


久々に覚醒した彼の意識はそうしてまた暗闇に落ちていった。

永遠に閉ざされるはずの彼の意識が覚醒した、その不具合は彼にあまりにも大きい傷を与えていた。





 インターホンがなっている。

彼は微睡みながらそう知覚した。

だが心の疲れ切った彼の眠りを覚ますには足りないようで彼はすぐに眠りにつこうとした。

けれどインターホンがしつこく押される。

異常なほどに。


「誰だよ……夜じゃねぇか……誰だよ。俺の家に来る奴なんて……香澄か……?」


 彼はそのインターホンに呼ばれて重い体を動かそうとした。

だが彼は裸だ。風呂上がりにそのまま暴れ倒れた彼は服を着る余裕などは無かった。

玄関へ行く途中で気が付き、服を着ようと引き返す。

だがインターホンはその間にも頻度を増していき、何なら扉をたたいてくるのではないかというほどにインターホンを連打している。

インターホンという日常を構成する因子が非日常を感じさせる異物へと変わっていく。


「はーい! チッ誰だよ。NHKか……?」


あまりにもしつこく、そしてうるさい訪問者に彼は激しく不機嫌になった。

もういっそ居留守するかなんて考えもよぎるが彼は返事をしてしまったことに気付き、更に顔を険しくした。

もはや恐ろしいまでに煩くなった玄関に彼は近づいていった。


 その時であった。

玄関の扉がはじけ飛んだのは。

彼のすぐ横をサッカーボールのように玄関の扉であったものが吹き飛んでいく。

背筋が冷たくなるような光景を見た彼は腰を抜かしかけた。

玄関の扉は金属製である。そんな扉がへしゃげ、ぐちゃぐちゃになってボールのように飛んでいく、それを為したものが恐ろしいというのは人間として当たり前の感情である。


「は、はぁッ!? ド、ドアが」


「貴方……どちらでしょう?」


そこには彼が見覚えのある女性が立っていた。

あの契約書を差し出した奇妙な女性だ。

そして彼を見つめて質問を投げかけた。

だが彼にはその質問の意図すらわからない。

故に彼は首をかしげることしかできない。


「……そうねぇ。反応は悪魔……なら、粛清しましょう。守護天使たち、任せましたよ」


彼女が杖の鈴を鳴らすと周りになにかが現れた。

白く大きい翼をもち素体は人間のようだが何故か数体に一体が中途半端に人間ではない動物の体を持っている。

その他の動物の要素がキメラのような違和感を掻き立て異物感のようなものを彼に与えた。


 そして仁はその何かの中に人が見えた。人とは言うものの人型というわけではない。

それを見て彼は直観的に吐き気を催すほどの違和感を覚えた。

茨のようなものが埋め込まれた炎のような何か、そしてその茨をもって己を締め付けているようなそんないびつなものを彼は見た。


炎のようでそしてその炎の揺らめきが人のようにも見える何か。

そしてなぜか彼はそれが人であると確信する何か。

彼の知識ではこれが何なのかわからない。

だがその檻に囚われ、檻と一体化したような人を思い起こさせる何かを見て胃の中のものがせり出てくるような感覚を覚えた。


「な、なんなんだよお前ら」


 この天使のような謎の生物は手に無骨で骨を切り出したかのような純白の武具を持っていた。

芸術性などはなくただ敵を傷つけるのみを目的とするかのような武器を持ち、殺意一色の空虚な眼を持つ彼らは仁をまっすぐに見つめている。


仁は恐怖を感じた。何かギロチン台を思い起こすような明確で冷たい死の恐怖。

彼は動いた。蛇に睨まれたカエルのように固まってしまうのではなく死を視認しても彼は動けた。

人間に直面したときに動ける人間と動けない人間がいる。

ただ仁が動ける人間だった、ただそれだけというには早すぎる判断と行動であった。


「クソッたれ!」


そして彼がやった咄嗟の回避行動は、己の家の窓をぶち破り外に出ることだった。

これは彼が無意識の状態で恐怖を与えられていたことが関係している。

彼の思考のリミッターが外れているのだ。

普通窓ガラスを割って逃げるなどのことは映画ではよく見るが現実でやるものはそう多くはない。

怪我をしたら、修理しなければ、着地できるのか、などの不安が人間を止める。

だが彼にとってそんなことは些細なことでしかなかった。怪我をするよりも修理代よりも着地に失敗して足が折れたとしても彼は許容できた。

死というモノを明確に視認し、理解し、恐れる。

死を正しく恐れることをできる人間は多くはいない。


「つ……三階から飛び降りるのはさすがにやばいか。だがまだ走れる」


窓をぶち破った先は道であったが彼の部屋は三階にある。

転がりながら着地するが仁は背中を電柱に打ち付けた。

だが行動不能になるほどの負傷ではない、彼はすぐに駆け出した。


「は、はは。そりゃ翼がありゃ飛べるわな。クソッたれめ」


走りながら仁が己の部屋のことを見ると背中についた翼を用いて天使が飛び出してきていた。

その純白の翼をもって空を飛び彼のことを視認すると彼の命を散らそうと追ってきた。

仁はその姿を見て全力で走り始めた。


 だが飛べる生物と地を這う生物。地を這う仁が天をかける天使から逃げきれる筈もない。

数十分ほどたった頃彼は目の前に天使が降り立ち、走ることを止めた。

息を切らしながら彼は目の前に降りた天使を睨んでいる。


「……もうちょい運動しとくんだったぜ」


彼が疲れからか、それとも失意からか膝から崩れ落ちた。

だがその時に彼の顔の横を高速で横切るものがあった。

そしてほんの少し遅れて破裂するような音がした。

それは天使たちの持っていた槍や剣のようなものではなくそして弓のようなものでもない。

明らかに新しい時代の武器であった。


「まーにあったよ。危ない危ない」


 胸を飛来物に貫かれ倒れた天使の向こう側に二人の人物がいた。

一人はリボルバーを手に持ちこちらを見ている女性。

もう一人は刀を持ち天使の動きを警戒している男。

そして彼女は仁に気付くと手を振り話しかけてきた。


「ん? どっちだ? ……まぁでも天使に追われてるなら悪魔かな。仲間だよ、神崎クン」


「妙に数が多いな。上のは任せた」


「あいよ」


彼らは仁のことを悪魔だといった、そして仲間だとも。

それは彼には理解できない。だが何かの専門用語のようなものだということに気付く。

つまりは彼らは仁の知らないこの不可思議な状況の情報を持っているということだ。

だが仁はその単語について聞くよりも先に彼らの行動を見て言葉を失った。


変換(コンバート)


「なっ……!」


 彼らはその手に持っていた凶器をあろうことか己自身に向けたのだ。

リボルバーを己のこめかみに当てる、刀身を己の頸に当てる。

そして変換といい引いた。


銃弾が、刀身が人体を破壊する。だが明らかに奇怪であるのは溢れ出るはずの血が一滴も出ていないということ。

頸の断面やこめかみに空いた穴からあふれ出ているのは赤い血のようなものではなくどろりと流れ輝く水銀のようなものであった。

その水銀のようなものが溢れ世界の色がおかしくなる。

明度が下がり、色の薄れた世界で銀の光が輝いた。


 その輝く液体を被った彼らはその姿を変えた。

女性はその眼の数を減らし単眼となった。

そして特に目を引くのが彼女が手に持っていたリボルバーがその姿を変えていることだ。

短く無骨だったその銃は長く木と鉄が組み合わされた単発式の銃へとその姿を変えていた。


男は腕が増えそして持っていた刀も手と同じように増えていた。

そして頭が完全に異形となっていた。

髪はなく頭と顔の境目はなくなっていた。

目がツボの模様のように全方位についている。


「おい、じっとしてろ」


男は走り、いくつもの腕を操り天使たちへと刀を振った。

天使たちも手に持っていた純白の武具をもって刀を防ぐ。だがたった一つの武具ではいくつもの刀を防ぐことはできない。迅速にその命を男によって散らされた。

地面には六体もの天使がいたのだがその数では彼の手数を上回ることが出来ずすぐさま全滅した。


「すっ……げぇ。なにもんだよ」


「悪魔。お前と同じだ」


最後の天使を斬り光に包まれた男が仁の呟いた声にこたえた。

その光が収まり彼がその姿を現すとその姿は全方位を見渡していた多くの眼も、怒涛の攻めで天使たちを切り捨てて見せた幾つもの腕もなくなっていた。

そして明度がゆっくりと戻り月の光がその美しさを取り戻す。


「もー神崎クン。そんなんじゃ伝わらないでしょ」


そして彼女が神崎と呼ばれた男に話しかけ発言をたしなめた。

その姿は神崎と同様にその身を異形から人間の姿へと戻していた。


「説明するのはお前の仕事だろう。帰るぞ」


「はいはい。んじゃついてきてくれる? 多分君もそっちの方が良いと思うけど……どうする?」


未だに尻餅をついている仁に彼女は手を差し伸べた。

彼は考える。このままついていってもよいのかと。

だが彼はすぐに己に選択肢がないのだと気づいた。

彼が選ぶことのできるほかの選択肢は自分の家に帰るかホームレスにでもなるかだ。

自分の家に帰るのはあの女がまだいるかもしれないし、何ならまた来るかもしれない。

そしてホームレスになることだが、己に起こった変化を何も知らずに生きていくことなど本当にできるのだろうか、仁はそう感じていた。

つまりは極めて怪しいともいえるこの二人組についていくしかないのだ。


彼は彼女の手を取った。





 仁がその二人についていく途中名前を聞くと別に隠しているということもないようで彼に教えてくれた。


「神崎。好きに呼べ」


「僕はカスパル。呼び捨てでいいよ。神崎クンはいつもこうだから気にしないで。君はー」


「天台仁です。えっと、どこに向かってるんですかね」


「僕たちの秘密基地。アイツらに襲撃されないための、ね。お、話してたらもうすぐ着くよ」


そうして彼女が仁に示した場所は喫茶店だった。

彼はその姿に疑問を持つが、アニメや特撮などを見ていた彼は表の顔があった方が見つかりにくいのだろうとその疑問を自己完結させた。

そしてその考えは当たっていた。廃墟などに居つけば警察にばれ、普通に暮らすのだったら天使たちの商法網に引っ掛かり見つかる可能性が高い。

故にこうやって何かの陰に潜んでいるのだ。


 仁は彼らに連れられるままに喫茶店の地下にやってきていた、

そこはいろいろな本やメモがいくつも貼られたホワイトボードなどがあった。

仁がそれを観察していると奥から男性が出てきた。

その男は決して若くなく髪を白に染めていた。


「ああ、おかえりなさい。その子は……悪魔ですか」


「そう。紹介するね仁君。この人は神鳥さん。僕たちに地下を貸してくれてる人だよ。そして僕たちが所属しているコミュニティの人でもあるよ」


「コミュニティ?」


「そうだよ。僕たちみたいな若い人間があいつらについての情報を簡単に集められてるわけないじゃん? 教えてもらってたんだよ。そんなに大きい規模じゃないんだけどね」


「なるほど。筋は通ってます」


仁はその言葉を聞いて少し嬉しかった。

殺されかけた後に手を差し伸べてくれる人がいてそしてその人が同類と言う。

そしてその人が所属できているコミュニティがあるというのだ。

何が何だかわからない中で居場所を見つけたような気持になったのだ。


「組織については僕たちもそこまで知らないんだけどね。僕たちになにか要求しているわけでもないし。僕たちに味方らしきもののことを調べる暇はなくてね」


「……あの天使達」


「そう。勝手に僕たちが天使教って呼んでるんだけど、あいつらは僕たちの存在が許せないみたいでね。奴らは僕たちを見つけた瞬間に殺そうとしてくる」


 それはわかっていたことだった。仁にとっては経験として記憶されており彼らは敵なのだと認識していたつもりだった。

だが仁は開いた口が塞がらないほどまでに衝撃を受けていた。

何故か。それは天敵とすら言ってもいい敵の出現が現代社会を生きる人間にとっては突拍子もなくそして衝撃を受けるには十分であるからだ。

彼らが己を殺しに来る。

そんなはっきりと輪郭が見えるほどの明確な殺意を向けられることは現代社会ではありえない。


「ま、そんな反応にもなるよね。でも安心して、僕たちには立派な牙がある。そう簡単にはやられないさ」


「牙……さっきの変身の事ですか」


「そ。あれを僕たちは変換(コンバート)って呼んでる。まぁ名前の通りに体を変換するからなんだけどさ、どう? 教わりたい? あれのやり方を」


「はい」


それは考えるまでもなかった。

彼にとってそれは明日殺人鬼が来るかもしれない時の拳銃にも近い、無くては安心して眠ることも出来ない物。

そんなものを教えてくれるのならばそれはたとえ何かの対価があったとしても教えを請わなくてはならないものだと彼は思っていた。

そしてそれは事実であり、悲しい現実でもあった。


「即答、か。ま、そうなるよねぇ~。じゃあ理屈をある程度説明する面倒な説明と理屈はさっぱりだけど手順はわかる簡潔な説明。どっちがいいかな」


「……参考までに聞いておきたいんですけど、先輩二人はどっちを選んだんですか」


「先輩!? 先輩なんて初めて呼ばれたな~。おっと僕たちがどっちを選んだかだったね。僕はもちろん簡潔な説明。小難しい話なんて大っ嫌い。神崎クンは?」


「俺は理屈まで説明してもらった。お前もそっちがいいなら俺が説明してやるよ」


「ええっと……とりあえず手順だけ聞いてあとから理屈を知りたいな~……なんて」


「やーいふられてやんの」


「い、いやそういうわけでは……」


「わかってる。合理的な説明をされて不服に思うほど俺はガキじゃない」


カスパルの揶揄うような発言に仁は言い訳をしようとするが神崎は狼狽える仁を見て微笑んだ。

先ほどから寡黙でどのような人物か推し量れなかった仁はその笑みを見て少しばかり己の持っていた疎外感が減るのを感じた。

黙っている男というのは威圧感を与えるものだがその男が笑うというのはギャップもあり緊張感を和らがせる。


「ならさっさと説明をしてやれ」


「はいはーい。君さこれ何に見える?」


カスパルは持っていたリボルバーを指さした。

その銃は擦り切れていることから使い古されていることがわかる。

そして鈍くそして強く光っていることから手入れがよく施されていることがわかる。


「リボルバー……ですかね」


「そうだね。もっと大雑把に言うなら銃。銃って何をするものかわかる?」


「……人を殺すもの」


「good。つまりこれは『死』といっても過言ではない。勿論死は銃ではないけどね」


「おい、簡潔に説明するんじゃなかったのか」


「これ説明するの難しくない? さて仁クン。僕たち悪魔はこの死のヴィジョンを物質化することが出来る。それがこの『死』だ。そしてこれを僕たちは魂具と呼んでいる。魂に道具の具って書いて魂具さ」


 彼女はそう言った。

仁にはそれが理解できない。それは科学の世界に生きる人間に魔力の概念を理解させるのに等しい難題。

だが彼にはそれが事実であり己にもできることなのだと確信していた。

彼はこの感覚を不思議な感覚だと思っていた。


何故か。

それは彼が悪魔だからだ。

彼はもはや人間という生命体ではない。悪魔というモノになってしまった。

だからこそ悪魔というモノに備わっている魂具という機能をなすことが出来るという確信を持つことが出来たのだ。

この死のヴィジョンの物質化は悪魔というモノにとって呼吸のための肺の動かし方、食物を食すためのあごの動かし方のようなものなのだ。


「死を物質化する。それが出来なきゃ戦うことはできないよ」


「これには個人差がある。すぐ物質化できる奴もいれば、殺されかけて初めて物質化ができる奴……も……お前、なんだそれは」


神崎はカスパルの説明していなかったことを捕捉しようと声をかけた。

だが彼はその言葉を失った。

彼が見た仁の姿はそれほどまでに衝撃を与えた。


 仁はその首に鎖をまかれていた。

否、首だけではない。彼の手首、彼の足首、にも罪人であるかのように厳重に鎖が巻き付けられていた。

そして彼の眼。神崎は彼の眼を見て固まった。

人のものとは思えない。どこか他の次元を見ているかのような、それとも神崎自身がほかの次元を彼の眼を通してみているような、不思議な感覚が彼の脳の処理を超え彼の思考は完全に止まってしまった。


「……うお!? なんだこの鎖」


「どうやら君のヴィジョンはソレのようだね」


「…………」


「あれ、神崎さんどうしました。なんか……ぼんやりしてますけど」


「……気にするな」


神崎は話しかけられたのを契機として水を振り払うように顔を振り、その疑問の声にこたえた。

彼は仁に不安を与えたくないようで彼が見た光景についての言葉は今のところは飲み込むことにしたようだ。

彼は混乱を起こさないために己の心を飲み込める人間だった。


「それは……鎖かぁ。神崎クンは見たことある?」


「無いな。よく見るのは俺の刀やお前の銃のような武器だ」


「そっかぁ。神鳥さんは?」


「私も長くこのような仕事をしていますが……あまり見ませんね。何年か前に一人だけいたような気がしますが……すみません、仕事上多くの場所や多くの人と出会うため詳しくは記憶していません。ほかの隠れ家の人間も多くは見ていないでしょう」


「珍しいこともあるんだねぇ。ま、戦いの訓練なんかは悪魔にはできないし良いか」


 仁は己の死のヴィジョンが鎖であるということを知れた。

そしてそれが珍しいということも。

だが彼はそれを不思議に思うことも、そのこと自体に疑問を思うこともなかった。

それはきっと彼が己の死のヴィジョンが鎖という事を無意識的に確信していたからだ。

彼が哲学的ゾンビになることを了承したきっかけというのがその鎖という事であり、彼の魂に刻み込まれたことだからだ。


「鎖って……武器なんですかね」


「鉄だから当たったら痛いよ? それに縄みたいに絞めることだってできるよ。窒息は生命全てに効く万能の殺し方だヨ」


現代での武器代表のような銃を持っているカスパルにはあまりにも慰めることのできない嘆きであった。

人を殺すために作られた銃と兵器としては作られていない鎖とでは全くその殺傷力が違うのだ。


「銃とか刀みたいに殺意の塊みたいなのかと思ってたので意外でした。んでさっきから気になってたんですけど訓練が出来ないってどういうことですか」


「あー、ややこしい話になるからあんまり詳しい話はしないけど。僕たち悪魔はね、変換を終えるのに魂を掴まなきゃいけない。だから敵のいる場じゃないと使えない技なんだよね」


「でもあの時何体も倒してませんでした?」


「僕は全て一発で倒した。神崎クンは魂を引きずり出す刀とただの刀があって彼は最後にその刀を使っただけ」


 仁があの時のことを思い起こしてみると確かに神崎の持つ刀の中で一本だけ色の違うものがあったように思えた。

そして発砲音が一回しか聞こえていなかったという事に気が付いた。

故に彼はカスパルの言っていることが事実だという事がわかった。


「ま、とにかく変換の方法だ。僕たちが変換するときにしていたことは覚えているかな」


「…………自殺?」


「素晴らしい。詳しく言うなら僕たちは自分の魂を掴んで引っ張ろうとした」


「……え、そんなことできるんですか」


当然そんなことはできない。

仁の疑問はとても的を得ている。

己の魂を引っ張るという事は自分を持ち上げようとしているに等しい。

つまりそんなことは不可能だ。不可能だからこそ、意味がある。


「そう、無理だ。そんなことは不可能だ。それ以前にあり得ない。だからこそ世界がバグる」


バグるなどという素っ頓狂な言葉に仁は思わず神崎の顔を見た。

だが神崎は苦笑いをしているだけで、カスパルがふざけて言葉遊びをしているなどという風には見えない。

つまり世界がバグるという表現が正しい、またはそうとしか言い表せないのだと悟った。

確かに仁が彼らに助けられた時の光景は確かに世界の色が彩度が落ちていて、彼らが異形と化していたというところからその世界がバグるというのも納得できない言葉ではない。


「……シミュレーテッドリアリティ」


「意外と博識だね君」


「意外とって。そんな詳しくは知りませんけど」


「でも僕たちはそれを肯定も否定も出来ない。分からないからね。麻酔みたいなものさ。分からないけど使わないわけにはいかないから使ってる。だからバグってるなんて表現しか使えないのさ」


「……こんなみょうちきりんな奴だが言ってることは本当だ。まぁ疑問に思うなら俺のところに聞きに来い。あんまりしゃべるのは得意……っておい、大丈夫か」


 仁はその瞼が重くなってきていた。

天使教の襲撃が夜遅いものであったこと、新しい概念を理解しようと頭を働かせたこと、それが彼の脳を疲れさせ眠気を誘った。


「ちょっと……眠くなってきました」


「無理もない。今日は寝ろ。そんな脳では理解も出来ないだろう」


「あ、ベッドまだないから買うまでソファになっちゃうけど良いかな」


「全然大丈夫です……」


「では寝るとしよう。カスパル、お前も夜更かしするなよ」


「ソレ、いつも言うよね。お母さんじゃないんだから」


そんなことを言いながら彼らは去っていった。

恐らく自室に戻るのだろう。

仁はそれを見届けてソファに寝転んだ。





 仁は何か己の中で鐘が鳴らされたような感覚がした。

それは心臓が激しくなるような危険を感じた生命が鳴らすような鐘の音ではなく、何かを呼び出すような、学校のチャイムのような鐘の音だった。

その感覚はとても奇妙で、彼の生きていた人生の中をひっくり返しても出てこないような未知の感覚であった。


「おや、起きたかい。おはよう」


「この……鐘?」


「そう。天使教共の使う信号さ。僕たち悪魔はアイツらの使う檻のハーフ、だからあいつらの使う信号が僕たちにも来るのさ」


檻と人間の魂が混じり悪魔はできる。

よって檻に送られる信号を悪魔たちが受信できる道理はあるだろう。


「この信号は護衛。多分僕たちが君を逃がしたから近くにいる檻に囚われた人間に守護天使をつかせてるんだろうね。さて、仁クン。君には二つの選択肢がある。僕たちはこれからこの人間を解放しに行く。ついてくるもよし、ついてこないもよし。どうする?」


 カスパルは仁に問うた。

今すぐに戦いに出るか、それともこのまま安らぎの時間を過ごすか。

次の鐘の音でもよい。それは事実である。

その次の鐘の音でもよい。それも事実である。

もはや戦いに出ない。それも当然許されてしかるべきである。


だが彼に、仁にそんなものは思考の果てにさえも無かった。

故にカスパルの言葉に彼は驚いた。

彼はもはや行く気満々であり、止められるならば仕方ないとまで思っていた。


「……あぁ、行きます。行きたいです」


「うん、良し! いいよね神崎クン!」


「……行きたがってるんだ。そんな人材を遊ばせておくほどウチに余裕はない」


 二人に簡単な装備が付いている。恐らく仁が起きるよりも早く起きていて準備をしていたのだろう。

関節部などを守るために着けているささやかな防具をつけている。

仁も二人の付けているような簡単な防具をもらい、準備は終わった。


「もう一度確認する。良いんだな」


「覚悟の上です」


「……そうか」


二人は走り出し、それを追いかけるように仁も駆け出した。




 二人が足を止める。

朝日がその光を少しづつ現していき、未だ社会は動き始めていないが、夜の世界は眠る時間だ。

彼らが見つめているものは朝方のランニングをしている一人の女だった。

仁のことを見ると知り合いである様で話しかけた。

仁は驚きに満ちた顔でその女性を見つめていた。


「……あ、仁君。どうしたの? うちの学校じゃ見たことない人だけど……知り合い? それに最近学校でも見ないけど……」


「香澄……?」


 それは仁が長い間交流のある友人であった。

俗にいう幼馴染という人間に対し仁が抱いた感想というのは何故という疑問であった。

嫌な予感というモノが足首を握っているかのような感覚を仁は覚えた。


「おっと、仁クンの知り合い? ……まずったな」


 カスパルは小さな声で己の失態を反省する。

心というモノが重要な悪魔というものに知り合いの死というのはあまり良いといえるものでない。

だからこそ彼女は驚きに満ちた顔をしている仁を見て顔を歪ませた。


「仁、見方を変えろ。鏡の向こうを見るように」


 仁はその視界を変えることが出来た。

人間の見ることのできる光の反射を用いる物質的な視界ではなく、檻の持つ現代の地球では説明することが出来ない魂の世界。

人間の視界から、悪魔の視界に。


彼が見たランニングをしていた女、幼馴染の香澄の中を見て、まず檻が見えた。

その檻は天使教の女が彼自身の体に入れた檻と同じものである事を彼は直感的に推察した。

つまり彼女があの天使教の女と己と同じ契約を交わしたのだと彼にはわかった。


そして悪魔である彼はその檻の中も見通すことが出来る。

ひどく悍ましい檻の実態を除くことが出来るのだ。


檻の中に輝く光が見えた、それに茨のような、有刺鉄線のような痛ましいものが巻き付いている。

そして彼はそれを見て激しい嫌悪感を覚える。コレは人間としての、というよりかは魂を持っていた生命としての感覚だ。


 その時彼は音ではない声を聴いた。

怨嗟のように恐ろしく燃えているようなものではなく、ただただ悲しい声。

なにかを恨むものでも、怒るものでもない。

ただ暗闇に向かって手を伸ばし、助けを求めているような、そんな悲しい声。


『助けて、痛い。いたい、怖い。だれか、だれか』


彼は知る由もないがそれは檻に囚われている魂の叫びだ。

檻からエネルギーをとるために延々と苦しめ続けている魂が出している物理的な音ではない声。

言うなれば寝言のようなもの、そして一切の思考すらない純度百パーセントの魂からの本音である。


その声を聴いて涙が彼の目からこぼれ落ちる。

同情というのか、憐憫というのか、それとも怒りか。

彼には己の涙の色がわからなかった。


「初めてにしてはちょっと刺激が強すぎるな……動けたら動いて。行くよ、神崎クン」


「無理はするな。足手まといだ」


変換(コンバート)


 世界の色が落ちていく。

二人はその体を変化させた。

そしてそれを感じ取ったのか天使たちが姿を現した。

透明化を解除したかのように現れたものや地面や壁から現れたものがいる。

そこから天使たちに物理法則が通用しないことがうかがえる。

護衛の信号を受けてきていた天使達であろう。


香澄にあてがわれた天使たちは戦闘に慣れた個体であるのか二人と応戦している。

その間檻に囚われた魂を持つ香澄は逃げようとした。

普通の(・・・)人間は天使たちは見る事すら出来ないため、武器を持った不審者が襲い掛かってきたように見えるのだから、逃げるというのは当然の行動であろう。

そして幼馴染のことを心配そうに見ているのも幼馴染として、人間として妥当な行動ともいえるだろう。


そして仁は涙を流し、己の中に生じた声を聴いていた。

声を聴きただ泣いていた。

悲しいというわけではない。ただ彼の中の感情が暴れ狂っているため漏れ出た感情が涙として漏れ出たのだ。


「ああ、そうか。そう、だよなぁ。この、絶望は……この鎖は……」


変換(コンバート)


 彼はその腕に絡みついている鎖を地面から引き千切った。

彼を縛る鎖は砕け、その鎖をもって彼はその首を締め付け始める。

そしてその彼の顔はひどくゆがんだ笑みに満ち溢れていた。

みちみちと肉に力は加えられ歪んでいく音が彼の耳に入る。

そして骨が砕けた。


 世界の色が消える。白と黒のみが存在を許される単一の世界へと。

仁の頭がもげる。そしてそこから噴水のように水銀のような重く輝かしい液体があふれ出た。

彼の背中に鍾乳洞が作られる様を早送りするかのように水銀が形を成していく。

数秒の間、その時間で彼の変換は完了した。


「はは、こりゃさすがの僕でも初めて見るカナー? 神崎クンは?」


「…………俺もだ。あれが凶兆か吉兆か。見極めなくては」


彼の背中には翼が付いていた。

それは黒い、どす黒い。

深淵のようなそれを宿した彼はそれ以外人間から逸脱した特徴はない。

そして残りの変換後の差異は彼の手に握られている鎖は金色へとその姿を変えていることのみであった。

白と黒しかない世界にたった一つ輝いているのが彼の金の鎖であった。


「逃がさない」


彼がその鎖を鞭のように逃げ出そうとしている香澄へと伸ばす。

その行動を天使たちが見逃すはずもなく鎖の軌道上に体を投げ出す。

出来損ないの天使たちはその身を捧げて檻を助けるのだ。

だが奇妙なことにその鎖は天使たちの存在を否定するかのように真っすぐに女の方へと延びていった。

幾ら天使たちがその間に体を入れようとも、鎖を掴もうとしてもまるで幻覚であるかのように天使たちの手や体はその鎖の存在を知覚することはない。


「貫いてる……訳じゃ、なさそうだね」


「後にしろ。お前みたいに暇じゃ、ない」


弾が飛び回っているため本体にすることのないカスパルは持っている銃を回して遊びながら、仁の動きを見ていた。

そして神崎に質問を投げかけるが彼は彼自身が刀で天使たちと戦っているため、カスパルほど余裕のあるわけではない。


「捕まえた」


鎖が逃げようとしていた香澄の胸に突き刺さる。

香澄は信じられないような顔をして仁の顔を見ている。

幼馴染から鎖を胸に刺されるというのは衝撃なことなのだろう。

だがその衝撃を感じる意識などこの肉体には宿っていないのだが。


「逃がさない」


仁がその鎖を引っ張る。

香澄がその鎖に引っ張られる。

天使たちがその鎖に干渉することをあきらめて、仁自体に攻撃を仕掛け始めた。

触ることのできない鎖をどうにかするよりかは本体に攻撃を仕掛けた方が良いというのは合理的である。

だが攻撃できればの話である。


「援護は必要?」


「要らない」


「おっけー」

 

弾丸が一体の天使を貫きカスパルの姿が元も人間の姿に戻る。

目標の女は仁に捕まっていることからこれ以上の加勢もいらないと判断したのだろう。

その姿を見て神崎も目の前の天使を切り捨て元も姿に戻った。

そして残りの天使は仁の前にいる天使達のみとなった。


「いいのか」


「彼が言ったんだよ? それに彼のことを観察しなきゃね」


「……そうか」




「邪魔をするな」


 彼の腕に地面や壁から生じた鎖が巻き付く。

その鎖は彼がその腕を動かすと簡単に千切れ、彼の動かす腕の一つとなる。


その鎖は転換に使った鎖のように金色ではなく銀色のもので、彼の意に反応するかのように彼が投げると天使たちに向かっていった。

そして天使たちのことを捕まえた。

まるで伸びるかのようにその長さを変えて天使たちのことをがんじがらめにしていく。

その鎖たちは蛇のように天使たちを捕まえて絞め殺していった。


「逃がさない」


彼はそう言って鎖をどんどん手繰り寄せていく。

ずりずりと香澄は引きずられ仁に近づいていく。

彼女は藻掻き、命を乞う。


「た、助けて。仁君、なんで」


彼女は叫ぶ。明朝であるため人どおりは少ない。

だがその少ない可能性に賭ける。


仁はその命乞いを気にもしない。

意識を持たぬ機械が命を乞いても心を動かすことはない。

それがわかるのは悪魔のみなのだが。


「檻如きがふざけたことを言うじゃないか、ええ? 疾く死に曝せ」


漆黒の翼をもち、悪魔のように低い声でこのようなことをいう男が己の胸から出ている鎖を引っ張っている姿は恐ろしいものだろう。

だが香澄にそのような恐怖を感じることはない。

なぜならば彼女にその恐怖を感じる意識はもはやないのだから。

今の香澄はただ脳を動かす傀儡にすぎない。

傀儡の動力に悍ましいまでの恐怖と激痛を与えられているのが彼女の本当の魂なのだから。


「な、なにをしているんだ!」


 不運にもこの道を通りがかってしまった普通の人間である男が声を上げる。

だが仁はほんの数秒目をそちらに向けただけで気にもせずに男を手繰り寄せている。

その数秒視線があっただけで男は動けなくなってしまった。

殺気という言葉はこの現代において陳腐な言葉となってしまったが、本当に己の頸を千切られるような視線を受けたものは多くない。


そしてとうとう仁と香澄の長かった距離は手が届くほどに近づいてしまっていた。


「や、やめてよ! 仁君、どうしたの、なやみでもあるの」


「……」


仁はその言葉を聞きもしなかった。聞きたくもなかった。

彼はその鎖を根元から掴むと力いっぱいに引っ張り始めた。

だがその鎖は抜けない。


「……カスパル、これって、殺さないといけないのか」


「檻から解放するには殺すしかない。どっちみち魂と体のつながりは絶たれてる。魂が体に戻ることは無いよ」


「……そう、か」


 仁はその鎖を引っこ抜いた。

その鎖が縛っていたものは香澄の心臓だった。


香澄の心臓が引き抜かれ、彼女はその口から苦悶の声を吐き出した。

肋骨は心臓によって割られ、内臓が見えている。

そしてこの瞬間、彼がずっと聞いていた彼女の魂の苦悶の声は止んだ。


「ああああーッ!」


「ひぃっ……!」


 仁に止める様に促していた不運なる通行人はその口から風のような音を出して走り去っていった。

仁はその心臓に巻き付いている鎖を見て怪訝な顔をしている。


「魂を掴んだはずなんだが……」


「んー? あ、ホントだ。檻に傷がついてない。心臓に魂は宿るからじゃない?」


「そう、なんですね。これからどうすれば?」


「離したらいいよ。魂奪ったから君の翼も消えてるでしょ?」


「……ほんとだ」


 仁の翼はもう影も形もなかった。ふと周りを見れば少しずつ色が戻ってきていた。

そして彼の鎖にからめとられていた香澄の魂は彼がその鎖から解放すると風船のように上がっていった。

その姿はまさに成仏という言葉がふさわしい姿であった。


「どこに、行ってるんだろう」


「しーらない。僕たちは死んでもわからないことさ」


「……え? どういうこ」


「人殺しぃ!」


そう人がカスパルに質問を投げかけようとした瞬間怒声が響いた。

その声の主は先ほど心臓ごと魂を抜き取られた香澄だった。

激痛に涙を流し、己の命の終焉の足音を聞いて怒りを持っている、そんな人間の動き。

コレに魂はもはやないのだが檻が残っているため内臓を腹からこぼれさせながら仁のことを睨んでいる。


「……」


 仁はその姿を何も言わず見ていた。

動揺するでも、憐れむでも無くただ見ていた。

何年も見続けた顔が己を睨み、恨みのまま動かなくなるのを、ただ見ていた。

この動きに何の感情も無い空虚な人形遊びであったとしても彼はそれを見なければならないような気がしていた。


「帰るぞ」


「あ」


 神崎がその首を刎ねた。

何の感情も無く撥ねるその姿は怨嗟の声に慣れたのかそれとも魂を見ることのできる悪魔特有なのか。

それとも優しさか。


「人殺しってのは合ってるんだからな」


「ま、そうねぇ。さ、帰ろうか。仁クンもシャワー浴びないとね」


「あーそっすね。少し不快」


目の前で心臓を引っこ抜いた仁はもろに香澄の血を浴びた。

故にその姿は血みどろであり見た目もそうではあるが当人からしても良いといえるものではない。

血の匂い、脂の感触、その全てが不快といえるだろう。

仁は知人の血を浴びて喜ぶような変態ではないのだから。


幼馴染の頸が転がるのを見て彼は、ほんの少し哀愁を感じた。

だが彼に後悔はなかった。





「観察?」


 シャワーを浴びた彼は頭を洗いながらカスパルの話を聞いていた。

少しずつではあるが彼はこの空間に慣れようとしていた。


「別に疑ってるわけじゃないんだぜ? ちょっと君が特殊だから念のためさ」


「はー。そんな特殊なんすか」


「……僕は翼をもっている人型をあの天使どもしか見たことがない。神鳥さんもそう言ってた」


「でも黒っすよ?」


「でも翼だからねぇ。一応要観察なのさ。白だったらスパイかもしれないって攻撃できるんだけどね?」


「こわ……」


「ま、あの容赦ない解放からスパイの線はなさそうだし、安心していいぜ?」


そして仁はふと思ったことを聞いてみた。


「そういえば神鳥さんってどういう立ち位置なんすか」


「あー神鳥さん? あの人は人間だよ。コミュニティにはある程度いるんだけど、契約を断ったり、契約の瞬間を目撃して怖くなっちゃったりしてコミュニティに参加した人がいるんだよ」


「はー、悪魔だけじゃないんすねー」


仁には知らないことは沢山ある。

彼はゆっくり知っていこうとしていた。

知識は武器であり、無知は欠点足りうる。

だがそれは遅すぎる。特殊体質である彼にとってゆっくり知る暇などはないのだから。


「……まだ起きてたのか。早く寝ろ。寝不足で死ぬなんぞ許さんぞ」


シャワーから上がった神崎が二人に寝る様に促す。

彼は合理的であり、心配性であった。


「はいはーい。何時もああなのさ。少しくらいの夜更かしくらい良いじゃんねぇ」


「聞こえてるぞ」


「はは……」


 神崎に頭を掴まれ青い顔をしているカスパルをみて彼は軽く笑いカスパルの助けを求める目から顔をそらすしかなかった。

彼らの生活を血に塗れ死臭に慣れていく日々だ。

だが彼らは修羅ではない。

彼らは日常を生きているのだ。


故に仁の肩に入っていた力も少しずつ抜けていった。





 鐘の音が鳴り響く。

人には決して聞けぬその音が彼らの運命を提示する。

日が沈むとともに死が彼らのもとへと赴こうとしていた。


仁はコミュニティから提供されたという悪魔や天使たちのことを書かれた本を読んでいた。

その言葉鐘の音を聞いて彼の体は緊張状態へと移行した。


「アレ、聞こえた?」


「……はい。恐らく攻撃命令」


「素晴らしい。僕たちにとって君は福音になりうるかもね。ほら、準備して。ぼっとしてる暇ないよ」


仁は固まってしまった体を伸ばし、簡単なプロテクターをつける。

襲撃という事もあり、詰めたような空気が部屋に立ち込める。


この建物の持ち主である神鳥が扉を開けて飛び込んできた。

その表情は悲壮感と焦燥感で満たされている。

その顔は死を覚悟した人間の顔だ。


「伏せてーッ」


音のように驚きが部屋に響いていく。

一番早く動いたのは神崎だった。

神崎は仁の頭を掴むとそのまま地面に倒した。

仁が彼の行動に驚いていると、恐ろしい衝撃が彼らを襲った。


土煙が晴れ仁が視界を確保できるようになった時には彼が一晩過ごした彼らの秘密基地は壁は崩れ、天井が落ちている廃墟のような有様へと変わってしまっていた。

衝撃、基地の有様から爆発物でも使われたのだろうと彼は予想した。


「ごほっ……クソッあいつら無茶苦茶しやがって」


カスパルが口に入ったほこりを咳によって排出しながら立ち上がった。

彼女に柔らかな雰囲気はなく怒りを抱いていることがわかる。


「二人とも無事?」


彼女は二人と言った。

何故なら彼女が見ている先で無残にもばらばらになっている神鳥だったものが転がっているからである。彼の死は確実であろう。

だが彼らに同胞の死を悼む余裕はない。


仁は煙を吸い込んでしまい、せき込む。そして気付いた。

己の頭を掴んでいた神崎の手が離れてしまっていることに。

周りを見渡すとそばに神崎は倒れていた。

なぜ彼が気付くことが出来なかったかというと神崎が動いていなかったこと、そして土煙に塗れていたことが影響している。

ズタボロになり、煙に塗れた彼はピクリとも動かない。


「か、神崎さん!」


仁が神崎に話しかけると、ほんの少し動いて仁のことを見た。

気絶していたようだ。だが体のダメージは大きいように見える。


「……あぁ、すまない。気絶、していた。仁は……無事か」


「な、ぜ」


「人を助けるのに理由がいるのか」


 彼らに命を使ってまで助けるほどの関係性はない。

己の命の身を重要視して三人の内誰かが死んだとしても彼らは文句は言わない。

入ってきて日の浅い仁は猶更である。

だが神崎はその命を危険にさらしてまでも仁の命を救った。

仁に覆いかぶさっていた神崎が致命傷を受けていることから神崎が庇わなかったら仁の命が危なかったことがわかる。


「……本当のことを言うなら、わからない。あぁ、でも……」


神崎は大きくせき込んだ。

血が喉にからんで空気と血が混ざる音が彼から発せられる。

彼から吐き出された真っ赤な血が死の匂いを感じさせる。


「もう、しゃべらない方が良いと思うよ。息するだけできついでしょ、それ」


煙に塗れたカスパルが神崎に忠告した。

彼女の言う通り神崎は息をするのも激痛が走るほどの重傷だ。

衝撃で折れた肋骨が肺に突き刺さり、息を吸うたびに水気のある咳をしている。


「最期なんだ、喋らなくてどうする」


「……そう。僕は外見張っておくよ。邪魔させないから」


『変換』


カスパルは変換し、外にかけていった。

神崎はその姿を見て柔らかに笑った。


「伝え……忘れゲホッ……いた。俺らは……悪魔は死ぬと何も残らん。魂を……覚えているか」


「香澄の……?」


「そう、だ……あの状態なら、どこかに行く。でも俺らや、あの天使たちは、もう駄目らしい。消えるんだ」


「消え……」


 悪魔や天使たちは魂が砕け、檻と混ざり産まれる。

故に悪魔や天使はその不完全な魂では魂としての最期を迎えることが出来ない。

魂が解放されたときに悪魔の眼にはどこかに行くように見える。

だが悪魔の魂、天使の魂は上ることはない。

ただ砕け、焔が翳り消えるのみ。


「頑張れ。お前は人を救えるんだ」


仁は目を見張る。

神崎は仁の持っている本質にも近いものを言った。


「行け。救えない悪魔より、人を、救え」


もう神崎は喋れていなかった。

彼はもはや気力でしゃべっているに過ぎない。かすれ、小さい声は近くにいる仁にしか聞こえないだろう。

激痛と恐怖に耐えながら、それでも彼は話したいのだ。


「行きます。行ってきます」


仁は目をぬぐった。

前を向くために。


神崎が笑う。

その時仁が見た笑みは少ない彼らが過ごした日々の中で一番柔らかい笑みであった。

その笑みを見て仁は駆け出した。

この爆発の代償を払わせるために、この死を空虚なものにしない為に。


「死にたくねぇなぁ……」





 世界の色が消えうせる。

鎖の音が聞こえ始める。

そして彼が見る景色は空を埋め尽くす天使だった。


「話はできた?」


「うん」


「そりゃよかった。戦おうか。神崎クンに怒られないように」


「でも、悪魔って消えるんじゃ」


「ほら、何かの間違いでできた僕たちなんだ。何かの間違いで先があるかもしれないじゃん?」


「はは、そりゃあ良い」


神崎の言葉を聞いて過剰に入っていた仁の肩の力がすっと抜けた。

カスパルと笑いあい、空を覆いつくすモノを見据えた。


「見るに堪えない」


 檻の機能を使う内に仁の魂は檻となじんでいった。

それは悪魔が誰しも味わう感覚、そしてその結果感覚の鋭敏化が起こる。

悲鳴すら上げられないようになった檻に侵食されている哀れな魂を持つ天使達、檻に苦しめられ続けている人間たち、それが彼は見ることのできるようになった。


彼は天使たちの持つ魂の不完全さ、町に潜む檻に囚われた魂たちの哀れな悲鳴を聞き涙を流していた。

色の失った世界ではその涙が透明な人の涙であるのか、赤い悪魔の涙なのか判別することはできない。


「哀れなる神子よ。主のもとへ」


 杖を持った女が彼に呼びかける。

仁に契約書を渡し、彼の家を襲撃した女だ。

彼女は仁のことを神子と呼んだ。


「お前……何を言っている」


「主は貴方をご所望です。こちらに」


「はは、絞め殺してやる」


 鎖の音が響く。

仁の体が鎖に覆われていく。そして彼はその鎖を千切っていく。

彼にとって鎖はもはや己を縛るものではなくなった。

鎖は彼を縛るものから彼の操る手になった。

彼は解放され、あまたの腕を手に入れた。


「僕の銃について説明はいる?」


「いや、大体想像ついてる」


「good!」


 彼は金色の鎖を女へと伸ばした。

だが彼女が二回、杖で地面をたたき鈴を鳴らすと鎖が何もない空間に弾かれた。

そして彼女が一回鳴らす。

すると叩いた地面から光る線が伸び、三角となりて彼女を囲んだ。


「ならばその四肢を千切り、連れていきましょうか」


『招来』


白と黒しかなかった世界に闇色の煙があふれ出した。

仁がその煙を見て己の危機感というモノが恐ろしく警鐘を鳴らしているのを感じた。


「飛ぶ、暴れないでもらうと助かる」


「はいはーい」


仁は視界の確保、攻撃の警戒のためにカスパルを抱えその黒い翼をもって飛翔した。

そしてビルの屋上に降り立ち、カスパルをおろす。

先ほどまで彼らがいた場所を見下ろすと煙に呑まれている。


「……嫌な臭いだ。あの煙には触らない方が良い」


「これは……上しか撃てそうにないね」


煙は少しずつ拡散していく。

地を這うように侵略するように広がっていく。

爆発の音によって近寄ってきていた野次馬がその煙に包まれた。


その煙に包まれた野次馬たちが倒れていく。

それは毒ガスを吸ったというよりは恐ろしいものにすべてを吸われたようにミイラのようになっていた。


「予想的中、か。ろくでもねぇもんばら撒きやがる」


「……翼のない僕は、降りない方がよさそうだね」


「二人で戦う方が、勝率は上がると思いマすkど」


「……はっバケモンになりやがった」


 泡のような何かが彼女の体を包んでいた。

否、それは包むなどという生易しいものではない。

彼女の体が泡なのだ。そしてそこから獣の爪や、昆虫の足、そして蛸や烏賊などのぬるぬるとした皮膚の触手、それが彼女の体の大部分を構成している泡から頭を覗かせていた。


彼女が彼女足りうる部分は顔の一部分、そして少しの四肢のかけらだけだった。

そして彼女はその泡になった腕から延ばした蛸の足を使いビルを上ってきていた。


「今私と主は一つとなりました。ひれ伏しなさい」


「薄汚い排水溝の滓が。引き千切ってやるよ。カスパル、任せます」


「あいよ。一発で一切合切打ち抜くよ」


 数多の鎖が女のことを捕まえようと蠢き走る。

だが彼女は絡みつく鎖を泡から腕を出し引き千切る。

その鎖は仁の作り出した鎖であるため普通の鎖よりも頑丈なのであるが彼女は容易に砕いた。


「脆い。にんげnの作るものは脆い。こんなもので主を縛れるはずがないでしょうに」


「ならこれはどうだ?」


金の鎖が彼女を捕まえる。だが魂を捕まえたわけではなくただ彼女に絡みついただけだ。

その鎖は触れるものを選ぶ鎖、彼女がいくら泡から腕を出そうと触れることはできない。

触れることが出来なければ対処することはできない。


「どれだけお前の力が強かろうと、触れない鎖は砕けないだろう?」


「なら、遊びは終わりにしましょう。一気にあなたごと砕いてあげます」


 足が変化し、虫のものとなる。

低く、早い虫の足になった彼女が素早く仁に近づく。


仁は慌てることもせず腕に幾つもの鎖をまとわせた。

何重にも重なった鎖は巨大になった。そしてその鎖の塊はかなりの重さを持っている。だが彼は鎖自体を動かすことが出来るため軽々振り回すことが出来ている。

重く硬い鎖の塊の腕だ。


「気持ち悪ぃ。何か一つに決めやがれ。キメラ女」


「貴方の鎖には負けますよ。重くないんですか」


「これは俺の体の一部だ。潰してやるよ」


大きな腕を仁が振り下ろす。

それを泡から生えた幾つもの腕が防ぐ。

防ぐことはできたが、巨大な腕の重さにより彼女は動くことが出来ない。


「さぁ、心臓抉り取ってやるよ」


彼女の胸に金色の鎖が刺さった。

仁がこの鎖を引けば、彼女の心臓ごと魂を引き摺り出されるだろう。

だがそのまま魂を引き摺り出されるような相手でもない。


「なら、こうしましょう。いくら貴方と言えど主の瘴気は防げないでしょう?」


彼女の体から先ほどの夜色の煙があふれ出す。

これに触ってしまうとその全てを吸い尽くされ消え去ることになる。

それは悪魔である仁も例外ではない。


「チッ……己の重さで死ね」


仁が翼を動かし、周囲の瘴気を払い飛び上がる。

金の鎖は依然彼女の胸にあり、彼女の魂が重力により引っ張られている。


だが彼女は泡から幾つもの翼を出し、不格好ではあるものの彼についていった。

それを見て流石の仁も驚き口を開ける。


「バケモンすぎんだろお前」


「アアアアaaaaあああ……それではもっと化け物らしくなってみました。かじられたくなかったら早く捕まりなさい」


泡から肉食獣の顎、生命を捕まえようとしている蔓、蛸の触手、そして悍ましい地球では見ることのないであろう何かが這い出てきた。

それらが仁を捕まえその肉体に傷を与えようとうごめいている。

子供の落書きのように統一性のないキメラのように彼女はいろいろな生き物の因子を体に宿している。


「ぶち殺して便所に流してやるよ未確認糞女」


「共に主のもとへ行きましょう」


 仁は鎖帷子のように体に鎖をまとわせ、彼女に殴り掛かる。

彼女は仁を捕まえ死なない程度に内臓を抉り、四肢を千切ろうと彼を捕まえる。


彼らは飛行することが出来ず、二人が一塊になって落ちていく。

鎖が、蔓が、顎が彼ら同士を捕まえ、離さない。





「ゴホッ……翼を手に入れたのに落ちるとは思わなかったぞクソ泡女。消えろ、虚無の彼方まで」


 心臓が抜き取られ、穴が開いた胸から宇宙のように多くの色が混じったどぶのようなものがあふれ出ている。そして泡が少しづつ消えていっている。

仁はその翼をなくし、色をなくした鎖を片手に首を摩っている。


「主は、諦めませんよ」


「上等だ。いつか絞め殺すって言っとけ」


「ふふ……とても不遜……それでこそ、明けの明星」


 そう言い彼女は事切れた。

泡は消え去り、ほんの少しの彼女の破片が転がっている。

彼女は主にその体のほとんどを捧げたため、残るものはほんの残りかすでしかなかった。


彼女が死に瘴気も消えうせた。

それを見て空にいた天使たちの処理を終えたカスパルが降りてきた。


「終わったようだね」


「ああ。面倒なことが始まりそうだが」


 仁が空を見るとヘリコプターが巡回していた。

爆発事件、殺人事件、毒ガス散布のバイオテロ。

ここまでの騒動があれば人は嗅ぎつけてくる。

カメラ、やじ馬が集まってきている。

そして彼はこの事件の当事者で最後のに残った二人だ。

二人は警察に拘束されるわけにはいかない。なぜなら二人は人殺しだからだ。


「あーこれは拙いね。しばらく潜らないといけないかも」


「はは、ふざけてるな」







「○○市に天台仁容疑者が潜伏しているとの情報が入りました。外出を避けてください。天台仁容疑者らしきものを見かけた方は速やかに警察に連絡を。決して捕まえようとはしないでください。容疑者は凶悪な毒ガスを所持している可能性があります」


 テレビにニュースが流れている。

ニュースはテロリストが潜伏しているという情報を伝えている。

そして注意を促している。


「すっかりテロリストになっちゃったねぇ。どうする? これから」


「カスパルは普通見えない天使共を処理してたからな。ま、遅かれ早かれこうなってたさ」


そうめんをすする仁とカスパル。

仁はあの夜から指名手配される殺人鬼となってしまっていたがカスパルは未だされていないため彼女と悪魔が作っているコミュニティを使い未だ警察の手から逃げ続けている。


「人のすることとは思えない。仁! これを見ていたら早く自首しなさい」


テレビから仁に向けた声が発せられる。

悪魔の事情は悪魔にしかわからない。


「……だってよ?」


「あいつや警察が檻に囚われてんならすぐにでも会いに行ってやるよ」


「今度調べに行ってみようか」


「ああ」


 そうめんの入っていた器が空になる。

仁は箸をおくと、右手を下ろした。

そのだらんと力の抜けている右腕に鎖が巻き付いた。


 そして天井が砕けた。

砕いた犯人は純白の翼をもった二体の天使。

この天使達には特異なことがある。片方は人間の体が変質しており、手が黒く大きく黒ずんだ鉄のようになっている。

そしてもう片方は耳が乾燥帯の獣のように耳が大きくなっている。


「もう嗅ぎつけてきやがったか。……あん? こりゃ酷い。檻になにか細工してあんな」


「そうなの? ま、どっちみち敵って事には変わりはないな。ここ気に入ってたんだけどなぁ。隣のお婆ちゃんも優しいし」


「ま、あの婆ちゃんの為にもさっさと逃げようぜ」


変換(コンバート)

























初めにこの作品の後書きにまで目を通してくださることに感謝を。

そして私の作品を読んでいただいたことに感謝を。


私は未だ若輩者であるため、この作品の出来の良さというモノはわかりませんがお読みいただいて、良いと思われたのだったら感想にてお教えいただくと励みになります。


今回の作品は悲しく暗く、けれど輝きのある作品を目指し筆を執りました。

そして人を救う、というよりも人殺しと糾弾されることを芯として置いておりますので主人公がもてはやされるという事はない、日を浴びることのない彼でございます。

ですがその彼の生き方に輝きを感じていただけたなら、私は彼を正しく描けたのだと思います。


これにて後書きを締めくくらせていただきます。

最後に再び私の作品をお読みいただいた貴方に感謝を申し上げます。

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