駄作
何も出来ない自分を変える為、今までを思い出し、書きました。つまらない作文だと思って見てあげて下さい。
人を裏切り、家族を裏切り、友達も裏切り、何もかも無くした。たった1人、悔やみきれない言葉の山を吐き出す術はあるのだろうか。
無くすべくして無くした人との繋がりを、また拾い集めることは出来るのだろうか。毎晩考え、毎朝悔やみ、それでも少しの可能性を追いかけてまた無意味な1日が通り過ぎて行く。自分に語りかけながら書こうと思う。
産まれは茨城県、まだ村と呼ばれる田舎で、片親だがじいさん、ばあさん、おじさんと5人家族の賑やかな家族だった。猫と犬もいたかな、とにかく賑やかな家だった。
じいさんは街の佃煮屋をやっていて、経営状況はわからなかったがお客さんが多かった覚えはある。母ちゃんは、昼はデパートの店員、夜はスナックと、俺に不憫な思いはさせまいと寝ずに働いてくれていたんだと思う。
親父のことは知らないが、まだ小さい俺を虐待していたらしい。
記憶にもないし、顔も全く覚えてない。ただ、それを聞いた時、母ちゃんが泣いてたのだけは覚えてる。
なにか言ってたけど、母親の泣き顔初めて見たからちょっと動揺して何も覚えてない。多分、あんたはこうなるなよって言ってたんだと思う。
小学生の時は絶えず友達と一緒にいたかな、バスケが好きでミニバスもやった。スラムダンクが好きでミニバスの時間と被るから良くサボったんだ。母親への手紙って作文で地元の新聞にも載ったっけ、新聞記者に写真撮られて、照れくさそうに2人で笑ったっけ。母ちゃんと写真とったのはそれが最後かな。
高学年になる頃には、じぃさんが酒に溺れて実家の佃煮屋潰してたっけ、借金取り毎日家に来てたっけな、結婚決まってたおじさんも、婚約破棄されて可哀想だった。飯もろくに食えなくて、悪態ばかりつく俺の面倒をばあさん優しく見てくれてたの覚えてる。
中学の頃には、テスト中通った救急車窓から見て、あぁじーさん死んだんかなってふと思ったら、本当にじぃさんだったのきつかったな。先生から、おいユウタ、じぃさん倒れたぞって聞かされて、あ、やっぱり?って返事したっけ。
貧乏だから墓も木でさ、周りは立派な墓石なのに、いつか立派にしてやるからなって、大好きなビール墓にかけながら言ったんだった。やってあげられなかったな。
貧乏は理由にならないけど、悪いことはいっぱいした、全ては金の為。小遣いもらえなかったのもあるけど、家に帰らない為には金が必要だから。盗んだバイク売ったり、カツアゲしたり、他にもいろいろ。
それでも高校は行けたんだ、母ちゃんが家庭教師つけてくれて、先生もずいぶん良くしてくれて。
でも一年で辞めた。卒業してたら、何か変わってたかなって今でも思う。
16歳、初めて働いたっけ。日給1万円の建築の鉄骨鳶の仕事、その時年上の彼女出来て同棲したんだ、確か24歳だったかな、名前は覚えてない。3日働いて3万円前借りして一緒にディズニーランド行ったのが唯一の思い出かな。後は浮気されて、相手の男と喧嘩して、別れて出てって、社長の息子と吐くまで飲んだ。そこもいい会社だったのに理不尽な事言われただけで2年働いて辞めたんだ。
もし続けてれば何か変わってたかな。
辞めてからは少し遊んで、他県に1人で行って、出会い系で知り合った女捕まえまくって、キノコってあだ名のボブの女とデリヘルみたいな真似事してた。一年で相当稼いだけど。ヤクザに捕まってすぐ終わっちゃった。稼いだ金もほとんど取られたっけ。
今思うとこの時もう時限爆弾の導火線に火ついてたんだろうな。
20歳の頃、栃木の女と知り合って、子供出来て結婚したっけ。その時足場鳶の会社で働いて、みんな歳近くて仲良しな会社だった。少しだけまともに生きてる気がしたな。
アイミって名前の背の高い女だった。一緒に住んだけどほとんど家に帰らなかった。パチンコ行ったり、キャバクラ行ったり、遊んで暮らしてた頃の気持ちが抜けなかったのかな。借金まで作って最低だった。
子供産まれる前に、会社の先輩とトラブル起こして俺は蒸発した。産まれた子の顔は見ていない。今でもふと思い出す。そして祈る。その人の人生大きく変えて、片親にしてしまった娘がいて、せめて良い旦那さんと巡り合ってくれって。
手に入れたものを捨てて、手放して、こんな、人生もう、嫌だと思った。しばらくは後悔と、罪悪感とでホームレスしてたっけ。
金もないから歩いてたら、栃木から茨城まで無意識にたどりついたっけ。地元にのうのうと帰り母ちゃんに頭下げた時、その時のみすぼらしい姿見て泣いてたっけな
母ちゃんの涙見たのこれで2回目だ。その時優しくしてくれた母ちゃんの男もいたんだ、その人はその先ずっと助けてくれた。
地元に帰ってからは、また足場屋で働いた。これしか出来ることがなかった。一心不乱に働いてそこでは職長の真似事までできるようになった。仕事でだけは信頼を得られた。
ただ、ほったらかしにした借金が膨らみ上がってるのは若い自分にはわからなかった。
23歳、地元のキャバクラで、その後10年以上添い遂げる嫁さんと出会った。
エミって名前の、自分で言うのもなんだけど、綺麗なとても可愛い女だ。知り合ってすぐ子供が出来て結婚した。
順風満帆とは行かないけど、食べていけるくらいの生活はしていた。ちょっとした喧嘩で出ていき、散財して帰る俺を優しく迎えてくれたよね。こいつがいなければきっと俺は死んでいたと思う。感謝しても仕切れない、そんな女だった。
いろいろあった、浮気されてその男から100万取ったり、会社の後輩にヤられてそいつボコボコにしたり、いっぱい喧嘩もしたし、その分いっぱい笑った。俺はエミと一緒になってからは浮気もしていない。なぜかできなかった。
そんな俺とエミとの間には、シオン、コウメイ、キイネって可愛い子宝にも恵まれて幸せだった。
もうシオンが産まれて12年、中学生になって、身長もエミを抜いて立派になった。人を笑わせることが好きな三兄弟にはいっぱい笑わせてもらったっけ。
そんな家族を幸せにする為に、金持ちになる為に、俺は独立した。最初は順調だった。
一年が立つころ、無視していた借金の督促と、トラブルが一気にきて会社は傾いた。
それでも強がり、金を作った。家族は何も知らない。
取引先から何からあたりかまわず借りて会社を回した。必死だった。何も見えてなかった。ただ、家族を手放すのが怖かった。
そして、時限爆弾は爆発した。つまらないプライドで何もかも、取り返しがつかなくなった。借金にまみれて、信用も無くし、もう地元で仕事は受けようが無くなって俺は飛んだ。
最愛の家族を捨てて、携帯を捨てて、何も持たずに飛んだ。
なんだ家族に相談出来なかった。なんで…
死のうと思った。でも何もかも中途半端な俺が死ねるわけがない。わずかな現金しかなく、今は支援センターを頼り、ワンルームのアパートで自己破産の申請をしている。
数日前家族と笑い合っていたのに。
毎日悔やむ。毎晩、毎朝祈る。家族の幸せを。生き甲斐を見つけたのにまた手放して
ずっと手放し続けて、俺は何がしたいのか。人生あと半分。死んだように、惰性で生きる日常を、駄作と言わず何といおうか、ガキの頃泣きながら母に言われた言葉覚えてる。あんたは家族大切にね
できなかったよ、母ちゃん、駄作でごめん。
酒に溺れる毎日で、たった1人何もないワンルームで、家族の幸せを祈る日々。
人を踏み台に生きてきた俺でも一生懸命生きれば、1人じゃ駄作の人生だって、家族さえいれば…
そう思える日常が今となってはもう手に入らないんだろうな。
俺の人生、たったこれだけの行数で、見返すと失敗しか無くて、こんな失敗作、駄作の俺だけど、最後はこの言葉で終わらせて下さい。子供達へ、パパはずっと幸せを祈っています。
読んでくれた方へ、1時間で泣きながら書きました。誤字脱字、作文みたいですいません。いつ死ぬかわからないので、何かを残したくて書きました。胸糞悪くなった方すいません。
気分を悪くされた方、申し訳ありません。
これから辛いこともあるかとは思います。でも守れるものを守るべくある日常を噛み締めて頂けたらと思います。誰かの為に何かを出来るうちが、幸せなんだと思います。