4.月光と共に。
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洋館の道を挟んで目前を流れる川は、元来真水と海水が混ざっている。
しかし今日に限っては、海水を生息地にする生き物が多く川を上って来ていた。
今夜は大潮だ。
何時もより潮の香は濃く、水嵩も増していた。
人々が寝静まった頃、揺れる水面の一部がボゥっと淡く光を放つ。
遠い昔の何時かの様に、光る湖面から美しい女性が姿を現した。
満月の光に照らされた、アッシュゴールドの長い髪。
春の若草を想わせる、エメラルドグリーンの瞳。
透き通る様な白い素肌は水滴一つ付着しておらず、けれど唇は妖艶な艶を帯びて赤い。
水面を蹴ってふわりと飛躍すると、彼女は洋館へと突き進む。
入り口の門にある木製の柵は、彼女の来訪を待ちわびた様に開け放たれていた。
歩を進めると、庭の草木がザワザワと揺れる。
その様に呼応するように、洋館の窓に明かりが灯った。
玄関の扉が静かに開き、双子が姿を見せる。
それを見て、彼女は優しく微笑む。
「この国では、何と言ったかな…ああ、そうだ。望月以来だな…少し背が伸びたか?」
開口一番、同じ様な事を言う母を、双子は満面の笑みで迎えた。
「どうかな?そうだといいけど。」
母の右手を取りながら、カイが悪戯っぽく笑い掛けた。
「お帰り、母さん。待ってたんだよ。」
母の左手を取りながら、ベルが甘えるように屈託ない笑顔を向ける。
そうして三人は、洋館内へと移動した。
背後で、独りでに木の柵が緩々と閉じる。
玄関の扉も同様にして閉まった。
庭では、桜の花びらが無風の中楽し気に舞い踊っていた。
洋館の二階、突き当り一番奥の寝室が三人の過ごす場所。
キングサイズのベッドに、母を中心にして左右にカイとベル。
これが何時もの、母との過ごし方だ。
ベッドの上で半身を起こし、優しく双子の頭を母が撫でてくれる。
「傍にいてやれなくて、すまないな。」
囁く様に、二人の頭上に言葉が降り注ぐ。
カイもベルも、小さく首を横に振った。
「以前の様に人の居ない森に、皆で住んでも良かったんだが…」
苦笑いしながら言う母を、カイが柔らかな表情で見上げる。
「僕らの事を考えてくれて、そうしてるって分かってる。」
ベルも穏やかに微笑みながら、母を見上げた。
「大丈夫、カイが居るから寂しくないよ。時々はこうやって、母さんに会えるしね。」
二人の言葉を聞いて、母はクシャっと笑う。
「物分かりの良い息子を持つと、自分がどうにも不出来に思えるよ。でもまぁ、楽しく暮らせているなら何よりだ。」
囁く母の姿が二人には少し寂しそうに映ったのか、ほぼ同じタイミングで彼女にギュッと抱きついた。
「「母さんは僕達の自慢の母さんだよ。」」
ステレオ放送の様に、左右から同じ言葉が発せられる。
それを聞いて、彼女は目を丸くした。
直後に声高く笑う。
「あははははっ!…まったく、お前達には敵わないな。ありがとう。私にとっても、カイとベルは愛して止まない自慢の息子だよ。」
言いながら、そっと二人の頭上に手を乗せた。
愛しい気持ちが伝わるように、温もりがカイとベルに浸透する。
静かに双子は目を閉じる。
安堵するように、満たされたように。
暫くそうやって、会えなかった時間を埋め合った。
やがて、ベルが先に眠りに落ちる。
「…カイ、何か変わった事は無かった?」
ベルとは違い、しっかりと覚醒状態のカイを声の主が見つめる。
「今日、珍しく人間の子供が、此処へ来たみたい。ベルが女の子と少し話したって。」
毎回訪れる度、繰り返される質問の答えが今日は違っていた。
静かに目を細めて、母は『ほぅ』と呟いた。
「…もう少し、不可視化させる必要があるか。屋敷の外で認識される分には、大いに構わないんだが…。」
洋館自体が認識されるのは、様々な危険を孕んでいる。
カイとベルが安全に暮らす為にも、各地にある生活の場となる住処は可能な限り他者に認識されてはならない。
「他には何も無かった?」
確認する母に、カイが首を縦に振る。
それを見て、小さく母は頷いた。
傍らで眠るベルの頭を優しく撫で、カイにも同様に動作でもって愛しさを伝えた。
「…カイにだけ、何時も負担が大きくてすまない。けれどベルの事を、これからも頼むよ。自由にさせるには、この子は危うすぎる…。」
視線をベルへと移しながら、母は複雑な表情を見せた。
カイもゆっくりと、ベルを見やった。
「大丈夫、ちゃんと僕がついてる。
放っておくとベルは何時だって、無意識に与え続けてしまうから…。」
しっかりとした物言いだが、カイの声音や表情は愁いな心の動きを表していた。
そんなカイの頬に手を添えて、母が苦し気に囁いた。
「すまない…お前達を理から外れた存在にしてしまったのは、この私なのに。一歩も動けない…。
全部私のエゴだと理解してるんだ。けれど、二人にはどんな形で在っても、生きていて欲しい。愛しい子達…今ある命の営みにも、幸多き事を願うよ。どうか身勝手な母を、許してくれ…。」
溢れんばかりの涙を湛え、母は声を絞り出す。
カイは頬に添えられた華奢な手を取る。
そうしてふわりと笑った。
「エゴだなんて思った事ないよ。母さんが僕らを愛してくれてるって、分かってる…例え僕達の存在が歪であっても、ベルも一緒なら生きて行ける。大丈夫、そんな悲しい顔をしないで母さん。」
自らを許容してくれるカイの言葉は、母を再び穏やかな表情へと変化させた。
微笑みながらキラキラとダイヤと見紛うばかりの雫が、一筋母の頬を伝う。
「優しい子、ありがとうカイ。…さぁ、もうお眠り。そろそろ私は行くよ。」
二人の額に交互に口付け、母はそっとベッドを抜け出した。
寝室の扉が閉まる前に、彼女は小さく振り返る。
「また、次の望月に。」
その言葉に、カイが手を上げて無言で答える。
彼もまた、ベルの隣で静かに眠りに就いた。
蜂蜜色の夜空の燈は、西側の山へと姿を潜めつつある。
やがて水平線に、朝を知らせる光が届くだろう。
目覚めれば、再びカイとベル二人だけの日々に戻る。
母は世界の繋ぎ目で子供達の穏やかな日常を願い、洋館を振り返って淡い光の中へと消えた。