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21.クオンの決意。

このお話は題名の通りクオンが主体になっております。

20話の裏側的なお話です。

お時間御座いましたら、お目通し頂ければ幸いです。

宜しくお願い致します。

用意して貰った部屋は、とても居心地が良かった。

何故なら教会での生活拠点として使っていた部屋は、とても簡素な物だったから。

無機質なコンクリートの床に、ベッドが二つ。

私達用と、辛ママ用のそれが並んだだけの飾り気のない部屋。

今まで生活していた空間は、そういった最低限の不便を感じない程度の場所。

それに比べて、この部屋は調度品といい部屋の造りからして寛げる空間と言えた。

大き目の窓は、部屋の光源を取る意味の他に景色も楽しめる。

肌触りの良い絨毯や寝具の素材は、過ごしやすさを考慮された物だろう。

加えてベッド脇に備え付けられたサイドテーブルと、一人掛けのソファに付属したオットマン。

サイドテーブルの上には、読書用としてであろうランタンが置かれている。

他にもリビングより小さめになるが、L字型のソファーとそれに合わせて誂えられたテーブル。

ソファーは大人四人程度なら、十分過ぎるくらい寛げる大きさだ。

それらをグルリと見渡して、少なからず落ち着いた時間を過ごせていた。

隣には、部屋に入って直ぐに意識を手放したトワがスヤスヤと寝息を立てている。

その寝顔を見つめながら、部屋を使わせて貰う事への御礼を伝えていなかった事に思い至る。

「大変…私ったら、大事な事を忘れてしまっていましたわ……。」

思わず小声でボソボソと独り言を漏らし、トワを起さないようにそっとベッドを抜け出す。

柔らかな絨毯を踏みしめ、静かに部屋を後にした。

記憶を頼りに、案内された逆の順路を辿ってリビングを目指す。

道中の足裏から伝わる廊下の程良い冷たさが、とても心地良かった。

静かに目的地まで辿り着くと、会話の邪魔をしない事を考慮しつつ音を立てないようにゆっくりと扉を開く。

目論見は思いの他上手く行き、無音のまま僅かに開いた隙間からリビングの燈が漏れた。

その瞬間、辛ママの声が耳に届く。

「私の命を以て、搾取した者達への生命力の返還を願いたい。無論、それでは足りないかもしれない事は承知している。それでも、どうか私だけの命で贖わせてくれないだろうか。」

凛とした声で紡がれた言葉の内容は、音としては捉えられても瞬時に理解が及ばない。

けれど反射的に、今この扉を開けた事に気付かれてはいけないと判断した。

僅かに開いた扉を、極力気付かれないように更に引き戻す。

音だけは拾えるように、慎重に行動しながら息を潜めた。

そうして辛ママの言った言葉を、頭の中で反芻する。

一度と云わず、何度も言葉の意味を考えた。

考えて、考えて、考え抜いた後に絶望する。

辛ママは全ての責任を取る為に自らの命を差し出すつもりだと、そう理解した。

どうしてそんな話になっているのか、リビングを後にする以前の話を細部まで熟考していたなら気付けた筈だ。

誰かの命を貰って、ママは生かされていた。

なら、その命は何れ本来在るべき者の元へ返さなくてはならない。

けれど、返すべき命は誰から徴収しようというのか。

元凶であるシオンに頼んだ処で、受け入れては貰えないだろう。

残された選択肢は、私かトワか辛ママ。

それから、僅かな命の灯を灯すのみとなったママか。

最後の選択肢は、私の思考であっても在り得ない。

辛ママは、きっと私達を護る為に全ての責任を負うつもりだ。

少し考えれば気付けた筈なのに、どうして私はこんなにも思慮に欠けるのか。

優しく客間で眠るように促され、色んな事実を知って疲れ切った頭は素直にそれを受け入れてしまった。

ジークさんやカイ様は、多分気付いていたに違いない。

だからこそ、私達を客間へ移動させたのだ。

これ以上、辛い思いを私達にさせない為に。

だけどそんな気遣いは、必要ない。

辛ママの命を代償にして、私達だけが何も知らず全てが終わった後に伸う伸うと生きて行く未来なんて想像もしたくないから。

そんな事になるくらいなら、私の命を差し出した方がマシだ。

「辛さん……僕にその提案は受け入れられない。この先庚さんだけでなく、貴方まで失ってしまえばトワとクオンの心が壊れてしまう。貴方だって、それは分かっているはずだ…なのに、どうしてそんな…。」

躊躇いがちに、カイ様の声が耳に届く。

その言葉を聞いて、思わず両手で口元を覆う。

私達を案じてくれるその優しさに、今は余計に胸が苦しくなった。

きっと辛ママは、そんな事は理解している。

それでも私達を護る事を優先するなら、自分の命で贖うしか方法を見つけられなかったに違いない。

「分かっている。そんな事は百も承知だ…それでも、分かっていても贖わなければならない。なら、そんな代償を払うのは私一人で十分だ。いや、私だけでなくてはならない。そうでなければ、私が私を許せない……これは、私の最後の我儘だ。無茶でも愚かと思われようとも聞き届けて貰えないか?私にとっても、庚にとってもあの子達の未来が続く事だけが願いなんだ……。」

ほらね、やっぱりだ。

優しい優しい辛ママ、でもそう考えるのは私だって同じ。

私だけじゃない、この事を知ればトワも同じ事を恐らく言うだろう。

「辛君、その覚悟は理解したよ。でも、一つ忘れているんじゃないかな?その覚悟を背負うべきというなら、シオンもそうで在らねばならない。寧ろ、責任の重さで言うならシオンの方が辛君の何倍も重いと言える。」

扉の向こうから聞こえたジークさんの最もな言葉に、思考を巡らせる。

確かに、今回の事で責任を問うならシオンが一番それを背負うべなのかもしれない。

けれど、それをあの人に問うた処で容認するとは思えなかった。

「ジークの言う通りだ。責任どうこうと言うなら、シオンの方がその比重は重い。辛さんが一人で背負うべきものではないでしょう?もう少し落ち着いて考えた方が良い。」

辛ママはきっと、何度も限られた時間で答えを出している。

シオンが責任の一旦を背負ってくれるなら、そう提言しただろう。

「ならば問う。今回起してしまった事態の責任、例えそれが私よりシオンに傾いていたとしてだ。どうやってその贖いを奴に取らせる?そんな事を受け入れると思うか⁇」

凛とした声が、想像通りの言葉で疑問を投げかけた。

案の定、カイ様は返答に困っている。

「意地の悪い質問をした、すまない。そんな事が受け入れられるはずは無いと、私も分かっている。だからこそ、私の提案を受け入れて貰えれば有難い。もう他に手が思いつかないんだ…。」

そう、考え抜いたからこそ出した答えだ。

本来責任の比重が最も重いシオンの存在を当てにしないなら、残された選択肢は当初の提言に戻る。

「……その覚悟はシオンと交渉をした後でも遅くないはずです。希望的意見であったとしても殆どは予測で、確定した事実もあればそうでない事も存在しているかもしれない。辛さん、貴方の覚悟を聞き入れるなら……全て手を尽くした後だ。」

嗚呼、カイ様。

貴方は可能性の低さを理解していても、辛ママが代償を払わない道を探そうとするんですね。

そうして全ての可能性を潰した最後の最後でなければ、納得出来ないと。

ふと、そこまで考えて疑問が浮かぶ。

そもそも、辛ママや私の命を代償にして本来在るべき場所へそれを返す事など可能なのか。

けれど、今カイ様は何と言っただろう。

全て手を尽くした後だと、そう言わなかっただろうか。

「それは…仮に最終手段としてでも、私の命を以て責任の贖いとする事は可能だという事だろうか?」

どうやら同じ疑問を、辛ママが持ったらしい。

けれど、カイ様からの返答は直ぐには聞こえなかった。

心の中で、その答えが不可能だと告げられる事を無意識に願う。

その願いが叶った処で、私達の取れる解決方法が絶望的に無くなるだけだというのに。

ギュッと瞼を閉じ、答えを待つ。

けれど、返答は聞こえてこなかった。

瞼を閉じていると、不安が増大していく。

私は緩々と、その不安に負けて瞼を開いた。

そうして、目の前に見慣れぬ女性が佇んでいる事に気付く。

「………⁉」

驚いて思わず声が漏れそうになったが、両手で口元を押さえていた事が功を成した。

お陰で音としては、少しも伝わらずに事無きを得る。

必死の私を見つめて、女性は片手の人差し指を立てて口元に当てた。

その意図は、他言無用という事だろうか。

心配せずともこの状況で声を発する事など、私には出来はしない。

押し黙ったままの私を見下ろしながら、女性はニヤリと笑った。

そして瞬き一つの間に、忽然とその姿は消えている。

今度は驚きはしたが、大きく目を見開くだけに止まった。

けれど、目の前で起きた事に理解が追い付いてくれない。

混乱した頭で必死に状況を整理していると、扉の向こうから声がした。

「………カロン……どうして貴方が……。」

カロンとは、誰の事だろうか。

リビングには辛ママとカイ様、それにジークさんしか居ないはずだ。

見知らぬ名前を呼んだのは、カイ様だった。

「どうしてとは、つれない反応なんじゃないかなぁ~?それに、僕という存在が必要だったんじゃないのかい?お邪魔だったなら、今直ぐ退散してもかまわないんだよぉ~⁇」

聞き覚えの無い女性と思われる声が、耳に届く。

拗ねたような、しかし後半は愉悦を含んだ声音。

それが何故か、先程ニヤリと笑った女性に重なる。

なんてしっくり来るのだろうか、耳に届いた声とあの表情は。

この声の主が、恐らくカロンという人物なのだろう。

「取り敢えず、この悪趣味な悪戯から今直ぐ開放して貰いたい。話はそれからだ。」

温度の感じられない、冷ややかなカイ様の声が聞こえる。

リビングに残った三人の他に、いつの間にかカロンという人物が居るのは間違いなさそうだ。

それにしてもカロンさんとカイ様は、あまり良好な関係ではないのだろうか。

しかも悪戯とは、一体何の事だろう。

「なぁ~んだ、二度目ともなると反応がつまらなくて残念だねぇ~。おまけに立ち去ろうとしかねない、僕の袖さえ引いてくれないとは…ちょっと傷付いちゃうんだけどなぁ~。」

リビングの様子が気になっても、今扉を開ける事は躊躇われた。

そんなジレンマを覚えた頃にカロンさんの、如何にも残念そうな声が響く。

カイ様の態度とは対照的に、この人の態度は一種の粘着質な好意の様な物が籠っている気がする。

兎にも角にも二人の関係性が分からず、目まぐるしい状況の変化に困惑せざるを得ない。

「呼んだ覚えはない。けど、貴方に頼るかもしれない案件があるのは事実だ。」

先程よりも更に冷ややかな、カイ様の言葉が聞こえた。

最早、その言葉からは嫌悪感の様な物を感じ取ってしまう。

一体、カロンさんとは何者なのだろうか。

「なになになにぃ~?天邪鬼なのぉ~?でも素直に僕が必要だったって認めちゃうんだぁ~⁇なんなのさぁ~、可愛いなぁ~!もぉ~!!」

どうしようもなく興味を持ってしまった矢先、嬉々とした声を耳にした。

高揚した声音、さも愛おしくて堪らないという言い回し。

まるで恋人のようだと、私は思った。

その瞬間驚くべきは、僅かな嫌悪感を私自身が覚えていると気付いた事だ。

「出来れば貴方に頼らずに事が終われば良いと、心から願っている。」

カイ様のこの言葉を聞いて、何故か幾分安堵した。

どうして私は、カイ様の言葉に一喜一憂しているのだろう。

辛ママが大変な決断を提言している時なのに、その事だけに集中出来ない。

「……そんな甘ったれた願いが叶うなんて、本気で言ってるのかなぁ~?」

更なる混乱に陥る中、先程とは打って変わって叱責するかのようなカロンさんの声。

その言葉が示すのは、現実から目を逸らすなという事だろうか。

「命を搾取したなら、その代償は命を以てしか贖う事は出来ないのは分かっているだろぉ~?そこの娘の方が、お前より余程肝が据わっていると言わざるを得ないなぁ~。」

淡々と声は続く、代償を払わずして事の収束は在り得ないと。

辛ママを引き合いに、カイ様の覚悟の在り様を責めて立てる。

「アレが見逃す訳がないって、分かっているよねぇ~?ん~⁇」

誰が何を見逃さないというのだろうか、謎が増すばかりで思考が回り切らない。

気付けば、カロンさんの言葉に小さな苛立ちを覚え始めていた。

「まぁ~?とは言えだ、僕にはそんな事知ったこっちゃないけどねぇ~。」

風船の空気が抜けるかのように、カロンさんの声は和らいだ。

けれどあれだけカイ様を責め立てた口で、心底どうでもよさそうに終局的には我関せずと言葉を吐く。

その思考回路が、最早私には理解出来なかった。

「要は、帳尻さえ合えば良いのさぁ~。その代償を誰が払おうと、言ってしまえば大きな問題にはならないからねぇ~。アレに見つかる前に、チャチャっと片づけてしまえば良いだけの事だろぉ~?」

先程から耳にするアレとは何か、私にはまったく分からない。

代償を誰が払おうと問題無いと言い切れる冷たさに、ゾッとする。

嗚呼、この人はまるで猫だ。

気紛れにコロコロと態度を変える、私が不得意とする存在によく似ている。

「簡単に言ってくれる……貴方に命のやり取りを行う、重圧や呵責は分からない。」

今まで聞いたカイ様の声音からは考えられない程の、低く冷たい声。

そこから窺える感情は、軽蔑と拒絶を含んでいるように聞こえる。

けれど何処か苦しそうでもあると、そう思った。

「吠えるねぇ~!まだ引きずっているのかなぁ~⁇じゃぁ聞くけどさぁ?僕に責任を転嫁するのは構わないけど、その選択はカイ自身が決めた事じゃないのかなぁ~⁇」

今度は、何を言い出すのか。

引きずるとはどういう意味で、何を責任転嫁するというのだろう。

その言い様では、まるでカイ様が命のやり取りを行った事があるように聞こえる。

重圧や呵責と言うからには、ベル様のように命を救った意味では無い筈。

けれどそんな事実があったのだとしても、俄には信じられない。

「言われなくとも分かっている。決めたのは自分で、全ては僕の背負うべき責任だ。」

そんな筈はないと必死で否定していた私を、カイ様自身の言葉が制した。

肯定を耳にしても、何処かで正当性のある理由が存在したのではないかと模索しそうになる。

「ふっ…あははははっ!!やっぱりお前は最高だねぇ~!その不器用な生き様に免じて、覚悟があるなら手を貸してあげるよぉ~。」

納得の行かない私をも嘲笑うかのように、高らかに声が響く。

何がそんなに最高だというのか、その声音に少なからず憤りを覚えた。

それでも、もうこれ以上聞きたくないと耳を塞ぐ事さえ出来ない。

口元を覆うこの手を離してしまえば、昂った感情が言葉にならない声として恐らく溢れ出てしまう。

「但し、二人の娘の内から一人がカイの目になる事が条件だけどねぇ~。」

必死で声を殺す余り、耳にした言葉は上手く理解が出来ない。

今、何と言ったのだろうか。

「不躾ながら、問う事をお許し願いたい。」

先程の言葉の意味を理解しようとするより先に、辛ママが問い掛けた。

聴き慣れた声に、昂った気持ちが僅かに落ち着く。

「いいよぉ~、何が聞きたいのかなぁ~?」

そこへまたも、気の抜けたような軽い返事。

この人物が何を考えているのか、既に思考する事を脳が放棄し始めていた。

「二人の娘とは、トワとクオンの事を仰っているのだろうか?もしそうなら、その役目を私が担う事は許されないだろうか。」

疲れ切った頭が、一瞬で刺激を受けてクリアになる。

私とトワの名前、それに辛ママが何かの役目を引き受けようとしていた。

役目、役目とは何か。

先程、カロンさんは何と言ったのかを必死で思い返す。

そうだ、確か二人の娘の内から一人がカイの目になる事が条件だと言っていなかったか。

だとすれば、辛ママが引き受けようとしている役目とはその事だ。

「それは出来ない相談だなぁ~。第一に、君は命を差し出す側だよねぇ~?そんな相手が対価に成ろうとするのは強欲以外の何物でもないだろぉ~?第二に、君だけの犠牲で解決すると思っているなら虫が良過ぎる話だと思わないのかなぁ~⁇」

声は続く、辛ママが命を差し出す側でありカイ様の目にはなれないと。

そして、考え抜いて出した辛ママの命という代償では足りないと言ったのか。

思わず、両手で覆った口元を強く強く抑え込んだ。

「…な……にを………言っている…んだ?」

カイ様と同様の疑問が、頭を過る。

頭の中は、色んな感情が混濁してしまっていた。

「僕がお前に手を貸す条件さぁ~。」

一つだけ確かなのは、今この瞬間に紛れもなく怒りを覚えているという事。

神経を逆なでするような惚けた返答が、最終的な切っ掛けとなった。

怒りで体を震わせた経験など、これが初めてだ。

「いい加減にしてくれ!!!貴方が僕を玩具として、僕の苦しむ姿で楽しむのは構わない!だけど、僕以外に手を出すな!!その姿で、これ以上理不尽な事を犯さないでくれ!!」

叫び出しそうになる感情を必死で堪える私に、怒りを剝き出しにしたカイ様の怒声が届く。

ビクリと肩が揺れたが、驚きの余り私自身の怒りが息を潜める。

「落ち着きなさい、カイ。カロンも悪戯にカイを刺激する言い方は、しないでやってくれないかい?何か考えがあるんだろう?」

静かに諭すようなジークさんの声が聞こえるが、とてもその意見には同意出来ない。

例えカロンさんに何か考えがあったとしても、このアプローチは歪過ぎだ。

「…構わない、筋は通っている。ただ、私としては代われる物なら役目を担いたかっただけだ。だから続けて問う事を、お許し願いたい。目になるというのは、トワ達は何を求められるのだろうか?もしそれが痛みを伴う物であったり命に係わることならば、失礼ながら私も受け入れられないと申し上げる。」

私達を護るという意思を、何処までも曲げるつもりのない言葉。

辛ママのその言葉に、喉の奥でくぐもった微かな呻きとなった。

幸い、ここでも口元を押さえた掌のお陰で扉の向こうまでは伝わらなかったようだ。

「…安心しなよぉ~。目になるには、何方かの娘がカイと契約すればいいだけの話さぁ~。別に取って食おうって話じゃぁない、簡単だろぉ~?まぁ、ある意味命には関わるかもしれないけどねぇ~。」

押さえた掌はそのままに、ゆっくりと静かに息を吸い込む。

様々な感情を落ち着かせる為、何度か呼吸を整えた。

そうして、思考を巡らせる。

私かトワの何方かがカイ様の目になる為にする事が、契約。

それは一体どんな事をするのだろうか、一般的な書面による契約とは違う気がする。

「待ってくれ…それはつまり……トワとクオンの何方かの命の在り方が、僕と同等になってしまうという事じゃ……?」

恐々とした、声音が耳に届く。

命の在り方がカイ様と同等になるとは、つまりどういう事だろう。

「ご名答~!瞬きの間だけ、カイの見える世界が変わっても意味はないからねぇ。これでも、お前の唯一の欠点を案じているのを理解して欲しいねぇ~。血と魂の契約を成す事によって、何方かの娘は事実上の不死を得るのさぁ~。そこの娘が危惧したような事態には成らないから、安心すると良いよぉ~。」

今何と言ったのか、聞き間違いでなければ不死という言葉を耳にしなかったか。

血と魂の契約、それを交わせば私かトワのどちらかに事実上の死は存在しなくなると。

そんな事が可能なのか、見聞の乏しい私には疑問符しか浮かばない。

例えそれが可能だったとして、私とトワの成長速度や時間の捉え方等はどうなるのだろう。

同じ様に年を取り、互いの年齢に応じた共感や感動を覚える事は出来なくなるのではないか。

「……何が安心するといいだ………やっぱり貴方は何も分かっていない。不死だから安心だなんて、どうして言い切れる?何故貴方は当たり前に生き抜く権利を奪おうとするんだ⁇何が僕の欠点を案じているだ?そんな事は、一度たりとも頼んだ覚えはないッ!!」

自然の摂理に従い死ねない体を得る、それは私には想像もつかない弊害もあるのだろう。

肉体の年齢を遥かに超えた精神を宿す苦悩が、そこにはきっと待っている。

カイ様は、恐らくその苦しみを唯一人で抱えていたに違いない。

この洋館に招き入れられる直前の話では、カイ様だけが過去の記憶を持っているという話だったから。

私達の事を、自身の経験から気遣ってくれているからこその怒声なのだろう。

「なら娘二人共と契約すればいいだけだろぉ~?お前が言っているのは、共に生きる均衡を崩した別れの危惧だよねぇ?違うかなぁ~?そんなものは、娘達を支えて来た者の付加価値でも付けて契約を二重に結べば価値としては何の問題もなくなるんだよぉ~!そうだろぉ~⁇この条件が飲めなければ現状見えない相手も存在する事態に、どうやって対応するのさぁ~?教えておくれよぉ~⁇」

どこまでも理不尽で、現状を見据えながらの歪んだ正論が披露されている。

私とトワの生きる上での様々な均衡が崩れるなら、両方と契約しろという。

あくまでもカイ様の見る世界を広げる為に、と。

この条件を満たさないなら、カロンさんの協力を得られない。

しかし、協力を得た所で誰かの命が代償になる。

現状その代償を担うと申し出ているのは、辛ママだ。

「……辛君、君はどう思うかな?今カロンが言った事を。」

何れを選択しても、私達に優しい条件など存在しない。

辛ママは、どう答えるだろうか。

例え私かトワがカイ様と契約を交わしたとしても、案じていた命の危機はなくなる。

逆にカロンさんの条件を拒むなら、無作為に搾取された人達の生命力は戻らない。

カイ様の言う処の、重責や呵責に私達は死ぬまで苦しむだろう。

辛ママは、先の会話を踏まえるなら私達が契約する選択をするだろうか。

現状、それが最も適切な答えのように思えた。

不死になる事で別の苦悩があったとしても、多くの人達の命を削ったという呵責を負わずにすむのなら。

静かに、辛ママの答えを待つ。

「………契約の意味も、必要性も理解はした。けれど、トワとクオン本人の了承を得ずして私が答えを出す事は出来ない。カロン殿の提示条件で在ろうと、決定するのはあの子達自身だ。無論、私個人としてもその契約には了承し兼ねる。」

紡がれた言葉は、予想外のものだった。

てっきり私は辛ママが、理不尽でも現時点での最善の選択をするものだと思っていたから。

何時もの冷静な辛ママなら、実際そうしていたに違いない。

なのに私達の何れかの了承を得たとしても、即出の選択自体を選ばないという選択をした。

これでは支離滅裂だと、気付いているのだろうか。

自らの命を代償にして責任を取らせてくれと、確かに辛ママは言い切った。

けれど私達に話が飛び火するなら、それを覆してでも拒む。

辛ママをそう選択させた根底にある思いは、きっと私達への強い親としての感情だ。

何て滅茶苦茶で、ブレない守護意識。

思わず、お腹の底から驚きを通り越して笑いが込み上げそうになる。

そもそも、私の考えが甘かった。

最善である事など、辛ママには関係ないのだろう。

きっと辛ママなら、あらゆる事象を敵に回しても私達を最優先させてしまうに違いない。

けれどそれではダメだ、選択をしない事によって重責と呵責を背負ってしまう。

借りた物は、本来の持ち主に返さなければならない。

それが命という重大な価値を持つなら、尚の事。

辛ママが選べないというなら、私が選ぼう。

トワには、不死故の苦悩など味わって欲しくない。

そう決意したと同時に、とある考えが過る。

私が不死になれば、辛ママが提言した命の代償を私自身が払えばいいのではないだろうか。

カロンさんは、確か契約により事実上の不死を得ると言っていた。

不死とは本来死なない者の事を指すのだろうが、事実上と言うからには多少その在り方が違うのかもしれない。

しかしどんな形であれ生き続けるという意味であるなら、私の命を代償として搾取した人達に払戻す事への恐怖も少しは和らぐ気がした。

この考え方はひょっとすると、浅はかで間違いがあるのかもしれないとは思う。

けれど、迷ってる場合ではない。

何も決断しなければ、後悔だけが残る気がする。

それによくよく考えれば、もしかするとこの契約を交わす事でカイ様達への恩返しが出来るのかもしれない。

カイ様からすれば頼んでいないと否定するかもしれないけれど、同じ物を同じように見られるという事はベル様とカイ様にとって多くの事を得る手段にもなる筈。

そう考えると、カロンさんの理不尽な条件も案外思いやりからの思慮が含まれているのだろうか。

とはいえアプローチの表現が歪な事は、やはり否めないが。

見方を変えれば、悪い事だけでは無いと思えて来た。

やはり、私が決断する事が最善だ。

覚悟が決まると、自然と無意識に口元を覆った掌は重力に従いゆっくりと降下する。

リビングの扉を、今度こそ音を立てる事を気にせず開いた。

しかし腹積りが出来ていても、体は正直だ。

私は視線の集まる中、払拭し切れなかった未知の決断への恐怖に震えながら姿を晒した。

「…………ッ!」

一人を除いた、三人の驚愕した表情が視界に映る。

カイ様、私達を気遣って下さって有難う。

だけど、どうかその優しい心遣いを無駄にしてしまう事を許して下さい。

そしてやはり、カロンさんは扉を隔てた向こう側で目にした女性だった。

「そのお役目、どうか私に担わせて下さい。」

震える体はどうにもならないけれど、せめて声だけは凛として伝えよう。

私は精一杯の虚勢と覚悟で、願い出た。

叶うなら、この決断が今出来得る最良となりますように。

主観がクオンのお話なのもありますが、文体もそれに合わせて違った物になっております。

何時もの表現方法と多少違いがある事、ご容赦頂ければ有難いです。

お目通し下さった方がいらっしゃいましたら、今回も心よりお礼申し上げます。

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