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20.辛の願いと理不尽な条件。

あの人の登場です。

そして、視点は再びカイへ。

お時間御座いましたら、お付き合い頂ければ幸いです。

宜しくお願い致します。

遠ざかる三人の足音が聞こえなくなるまで、リビングは沈黙を貫いていた。

残った者の人選は、単にどんな内容の話にも冷静さを保てるかという事になるのだろう。

辛が少女達を連れて洋館を訪れた意味に、理由は尽きる。

シオンの警戒を招き兼ねない事を理解していても、彼女達は庚の元を離れた。

その行動の真意は、何であったのか。

レグルスの負傷の件で、辛とシスイ達の腹は決まっていたと彼女は言った。

それはつまり、残して来た庚に被害が及ぶ事があったとしても守り抜くというシスイ達の覚悟なのか。

それとも、もっと別の意味での覚悟なのか。

何れにせよ、純粋なトワ達やベルに聞かせるべき話ではないと判断した。

「二人の感の鋭さには、恐れ入るばかりだ……。あの子達の同席を避けてくれた事、礼を言う。ありがとう…。」

少し俯きながら、苦笑いを浮かべて辛が口を開いた。

あくまでも直感的な感覚でしか無かったが、辛の言葉でジークの誘導から判断した現状が正しかったと裏付けられる。

「礼を言われる事なんて、何もしていないよ。子供はこんな時間まで、本来起きていちゃいけないだろう?私は唯、カイに客人への早急な寝床の確保を促しただけさ。…最も…外見は兎も角、カイに関しては中身の事情が違ってくるから子供としてカウントしてないけどね。」

辛の言葉に対して、ジークは飄々とした話術で恍けて見せた。

その後ろで、カイは僅かにしかめっ面を見せる。

「そこは、肉体年齢を優先して判断するべきじゃないの…?」

仏頂面のカイを振り返り、ジークがニッコリ笑う。

まるで御愛嬌だと言わんばかりに、だ。

「……プッ……。あ…いや、失礼。どうにも肩に力が入り過ぎていたようだ、私は。お陰で少し、落ち着いて話が出来そうだ。」

一瞬笑いをこらえる様にして吹き出すのをグッと堪え、辛は話終えると深い息を吐いた。

ジークとカイを見ていて、良い意味で力が少し抜けたのだろう。

そんな辛を見遣り、一方でカイは小さな不安を抱く。

「……辛さん、以前屋敷の門前に砂鉄を撒いたのは貴方ですか?」

ずっと引っ掛かっていた疑問を、カイはこのタイミングで辛にぶつける。

見出す事が出来ない者が手当り次第にカイ達の存在を探していた、というには洋館の門前にしかある程度の質量を以て撒かれた砂鉄は存在しなかった。

まるで其処に見たい者が居ると断定して中を覗きたかった、と言っても過言では無い痕跡。

しかしそれにしては、砂鉄という痕跡を残したまま不審な者がいたという証拠は残されたままで隠そうとする意思が見当たらない。

有り体に言うなら、其処には自分達を探す者の存在を知って欲しいという意思を感じる。

その考えを決定的にしたのは、辛が自ら姿を現しスピカに存在を認識させた行動そのものだ。

まるで私がやりましたと言わんばかりの辛の動きは、カイの想像が正しかったと仮定するなら彼女の心の葛藤そのものだったのではないだろうか。

全容が見えて来た今なら、腑に落ちる部分が大いにある仮説だった。

辛は初めて出会った当時、カイ達の母に出会っている。

その時、母がシスイ達に言った言葉があった。

【無駄な期待は私に抱かないでくれ。私はそれを叶えない。それを、良しとは思わない。もし、母親の命を少しでも長く繋ぎたいなら…お前達が母親を内と外から助けてやるといい。だがその母親の自我は、もう目覚めない。それを許容出来るなら、だ。】

そう、母が言った事を辛は聞いていた。

ベルが自らの命を削って、庚やトワ達の命を救った事を知った時も酷く動揺していた辛だ。

そんな辛が庚達を救ったベルの母であるアルテミスの思想を無視して、再び庚の延命に何の抵抗感なくシオンに手を貸したとは思えない。

葛藤があったのではないだろうか。

不可視化された以前の拠点に立ち入った事のある辛なら、砂鉄など無くともカイ達の存在に気付いた時点で屋敷内の様子を軽く窺う事くらい出来たはずだ。

もし辛が砂鉄を撒いた本人なら、考えられる理由は迷いや葛藤故にカイ達に助言を求めていたからではないだろうか。

だからこその砂鉄という痕跡だったと、カイには思えた。

「そうだ。あれは私が、弱さ故に起してしまった行動だ。余計な不安を与えて、すまなかった。」

真っ直ぐにカイを見つめて、辛は何度目かになる謝罪で頭を下げた。

そんな辛を、ジークがじっと見つめる。

「迷っていたのかい?シオンの提案を受け入れた後も。」

頭を下げたまま、辛は小さく頷く。

やはり、とカイは辛の取っていた行動の意味が腑に落ちた。

「何か害があった訳じゃない、多少不審に思ったくらいだから…。謝らないで下さい。辛さんは、僕らの母の言葉を覚えていたんじゃありませんか?だから、シオンの提案を受け入れた後も葛藤し続けた……本当はそれが正しい判断だったのか迷いがあったからこそ、僕らの存在を知った時に助言を請おうとした…。その痕跡があの砂鉄だった、違いますか?」

ジッと辛を見つめると、ゆっくりと面を上げた彼女の視線が真正面からそれを受け止める。

逸れる事なく、見返す眼力の強さに辛らしさを感じた。

「違わない。カイやベルの母上からの言葉は、忘れてはいない。それなのに、シオンの提案を受け入れてしまった。私はカイ達を再び見かけた時から、問いたかった。選択して出した答えは許される事だったのか…いや、諫めて欲しかったのかもしれない……。何にせよ、私の弱さの現れだった。今は選んだ選択が間違いだったと、悔やんでも悔やみきれない。」

双方が見つめ合ったまま、沈黙が生まれる。

辛は諫めて欲しかったと言ったが、例え辛の願望通り此方側が即座に気付いて話を聞けていたとしても諫める事などカイには出来なかっただろう。

そもそも、そんな資格はカイには無い。

カイ以外の誰かであっても、辛の選択を諫められる者など居ないだろう。

大切な者の命を少しでも永らえさせる事が出来るなら、誰だってその可能性に縋りたくなる。

結果として、それが不特定多数の命を奪う物であったというだけだ。

延命を願うその想いには、何の罪もない。

「……何の代償も無く他者を癒す力なんて物は、存在しない…。そんな物が存在してしまえば、世界の理は崩壊しかねないからね。だけど、大切な人に生き続けて欲しいと願う心自体は間違いでは無いと私は思うよ。辛君、君は誠実な人なのだろうね。恩人達の言葉を、心に留めていたというなら。もしかしたら君は、カイ達に止めて欲しかったんじゃないかな?」

沈黙に耐え兼ねたのか、ジークが静かに言葉を発した。

辛はチラリとジークを見遣って、視線を落とす。

「そう…かもしれない。何れにせよ、もうそんな甘えが許される段階ではない。」

若干、吐き捨てるように辛は応える。

そうして徐に瞼を伏せると、再び言葉を噤んだ。

リビングを満たす、静寂。

辛が次に言葉を発する内容に、カイは不安を覚える。

アルテミスの理念を心に留めてシオンの提案に迷いを感じていた彼女が、事の全容を知った今何を思うのか。

自分達に助言を求めたかった己の行動を、辛は甘えであり現段階で許されないと言い切った。

その誠実さ故に、彼女の思考を辿る事で不安が過る。

ジークとカイが見守る中、辛がゆっくりと瞼を開く。

真っ直ぐにカイを見つめ、小さく吐息を吐いた。

「私の命を以て、搾取した者達への生命力の返還を願いたい。無論、それでは足りないかもしれない事は承知している。それでも、どうか私だけの命で贖わせてくれないだろうか。」

表情一つ変える事無く、辛はとんでもない提案を言ってのける。

そこに見える鞏固な覚悟に、絶句する他なかった。

誠実で潔い彼女らしいといえば、らしい。

けれど、それは余りにも極端な覚悟だ。

辛が全ての責任を負って事を収めたとして、残されたトワとクオンの事をどう考えているのか。

それは他ならぬ辛が一番熟知しているはずで、カイには発せられた言葉が信じられなかった。

しかし残される者の悲嘆を理解していても尚、己だけの犠牲に留めたかったのか。

答えが出るはずもない思考を巡らせ、カイは僅かに顔を顰めた。

「辛さん……僕にその提案は受け入れられない。この先庚さんだけでなく、貴方まで失ってしまえばトワとクオンの心が壊れてしまう。貴方だって、それは分かっているはずだ…なのに、どうしてそんな…。」

カイは恐る恐る言葉を紡ぐが、途中眼力の増す辛を見遣りそれも途切れてしまった。

彼女も、カイ同様に眉間に微かな皺を寄せて顔を顰めている。

「分かっている。そんな事は百も承知だ…それでも、分かっていても贖わなければならない。なら、そんな代償を払うのは私一人で十分だ。いや、私だけでなくてはならない。そうでなければ、私が私を許せない……これは、私の最後の我儘だ。無茶でも愚かと思われようとも聞き届けて貰えないか?私にとっても、庚にとってもあの子達の未来が続く事だけが願いなんだ……。」

ゆっくりと頭を垂れ、辛は深く深く低頭する。

それは願いを乞う様でいて、一歩も譲らないという彼女の意思にも思えた。

しかし、潔さを履き違えているとしか形容出来ない。

何故そんなにも頑なに自身だけが責任を負おうとするのか。

もっと狡賢く生きてもいいものではないのかと、思わずにいられない。

「辛君、その覚悟は理解したよ。でも、一つ忘れているんじゃないかな?その覚悟を背負うべきというなら、シオンもそうで在らねばならない。寧ろ、責任の重さで言うならシオンの方が辛君の何倍も重いと言える。」

ジークは低く頭を垂れた辛の後頭部を見つめながら、静かに言葉を紡ぐ。

その内容は至極当然で、カイとて同感だ。

「ジークの言う通りだ。責任どうこうと言うなら、シオンの方がその比重は重い。辛さんが一人で背負うべきものではないでしょう?もう少し落ち着いて考えた方が良い。」

カイが告げた言葉に、ゆっくりと辛が頭を上げる。

しかし、その表情は先程と変わらず顰められたままだ。

「ならば問う。今回起してしまった事態の責任、例えそれが私よりシオンに傾いていたとしてだ。どうやってその贖いを奴に取らせる?そんな事を受け入れると思うか⁇」

それは、至極当然な指摘だった。

そして最も難しい問題である事は、間違いない。

我が子の命を繋ぎ止める為、とんでもない仕掛けを作り上げたシオンだ。

起した事に責任を取れと強要した所で、それをすんなり受け入れるとも思えない。

それどころか、現状の仕掛けを壊す事さえ受け入れられない可能性の方が高いと思われる。

「………そ…れは……。」

カイは答えに詰まり、その先の言葉が続かない。

その様子を見つめて、辛は苦笑いを浮かべた。

「意地の悪い質問をした、すまない。そんな事が受け入れられるはずは無いと、私も分かっている。だからこそ、私の提案を受け入れて貰えれば有難い。もう他に手が思いつかないんだ…。」

辛にしても、安易な考えで先の提案を申し出た訳では無いのだろう。

この短時間に、幾度も事に対する責任の取り方を考えた上で出した結論に違いない。

しかしカイには、その結論がどうしても承諾出来るものでは無かった。

誰かの犠牲の上で成り立つ治癒や延命があってはならないと言うなら、それは辛の犠牲によって他者の生命の回復が成される事もあってはならないのが道理。

矛盾しているのだ、辛の提案は。

ジークの言うように、もし責任を取るというなら比重を鑑み公平にするのが筋というもの。

辛一人がその責任の全てを担う必要など、何処にもありはしない。

ふと、先に眠りに就いたであろう二人の少女の顔を思い浮かべる。

まだ幼く、現状として知らされた事実でさえ彼女達には重過ぎる出来事だろう。

その上、辛を失ってしまったらと思うと想像する事さえ拒みたくなる。

「……その覚悟はシオンと交渉をした後でも遅くないはずです。希望的意見であったとしても殆どは予測で、確定した事実もあればそうでない事も存在しているかもしれない。辛さん、貴方の覚悟を聞き入れるなら……全て手を尽くした後だ。」

しかめっ面で、カイは辛に向けて告げる。

実際、辛が言うように彼女の命を以て今回の贖いとする事は恐らく可能だ。

けれどその選択をするなら、あらゆる可能性を試した後でなければ到底承諾出来ない。

そして、カイだけではその贖いを実現する事は不可能と言える。

「それは…仮に最終手段としてでも、私の命を以て責任の贖いとする事は可能だという事だろうか?」

流石と言うべきか、痛い所を衝いてくる。

辛に責任の全てを負わせる事を避ける意味で伝えた言葉も、察しの良い彼女にとっては実現可能な可能性の示唆に聞こえてしまったようだ。

迂闊な己を内心叱責しながら、片手で軽く額を押さえる。

どう返答したものかと思考を巡らせる半面、複雑な感情が込み上げて来た。

何故なら辛の望む最終手段を取るには、とある人物の手を借りる事が必須となる。

それはカイにとって、どうしようもなく複雑な感情抜きには語れない相手。

「…………。」

心に満ちる例えようのない感情は、自然とカイを無言に導く。

そうして、ふとある事に気付いた。

足元から、例えようのない感覚が這い上って来る。

それは、覚えのある不快な感覚であった。

押さえた額から、指が一ミリも動かない。

まさかと思いつつも、その不可解な現象の心当たりは一つしか思い浮かばなかった。

「可能性の有無でいうならぁ~、答えはyesだねぇ~。」

独特の話口調で、女性の声がリビングに響く。

その声を耳にし、カイは蟀谷が酷く痛んだ。

「………カロン……どうして貴方が……。」

背後から人とは思えぬ冷たさの腕が、カイの首元に絡みつく。

あの時と同じ様に背後のカロンは、首筋にすり寄せた頬を釣り上げた。

「どうしてとは、つれない反応なんじゃないかなぁ~?それに、僕という存在が必要だったんじゃないのかい?お邪魔だったなら、今直ぐ退散してもかまわないんだよぉ~⁇」

拗ねたように言葉を紡いだと思えば、その後半の内容は愉快そうに弾む声音として耳に届く。

突然現れたかと思えば、その言動は何処まで現状を理解しているのか底が知れない。

「取り敢えず、この悪趣味な悪戯から今直ぐ開放して貰いたい。話はそれからだ。」

初めて出会ってから随分と時間が経ったが、二度目ともなればカイの態度も毅然としている。

訳が分からず恐怖さえ覚えた昔とは、もう違うのだと自身の中で解を得た。

例え指一本動かせない状況であろうと、それがカロンの質の悪い悪戯だとカイは知っている。

「なぁ~んだ、二度目ともなると反応がつまらなくて残念だねぇ~。おまけに立ち去ろうとしかねない、僕の袖さえ引いてくれないとは…ちょっと傷付いちゃうんだけどなぁ~。」

そう言うや否や、白く細い指先をカロンはパチンと鳴らす。

途端にカイの体を拘束していた何かが消え去り、先程の状況が嘘のように自由になった。

額を押さえた指先はそのままに、掌全体で顔を覆う。

そうする事で、本当の意味で可能になってしまった辛の提案に対する説明を模索した。

後ろからカイに回された冷ややかな腕は、そういう意味で冷静に物を考えるには役立ったと言える。

完結に言うなら最早振りほどくのも、それを促すのも面倒と思えた。

それをした所で、カロンが自分の意思以外に腕を離す道理が見つからない。

「呼んだ覚えはない。けど、貴方に頼るかもしれない案件があるのは事実だ。」

振り返る事なく、駄々を捏ね続けるカロンに向けて言葉を投げた。

緩々と額を覆った掌を下ろし、辛の居る方向を見遣る。

その途中で、何とも言えない苦笑いのような表情を浮かべるジークが見えた。

「なになになにぃ~?天邪鬼なのぉ~?でも素直に僕が必要だったって認めちゃうんだぁ~⁇なんなのさぁ~、可愛いなぁ~!もぉ~!!」

首筋に頬をすり寄せながら、テンションを上げるカロンにうんざりしながら顔を顰める。

未だ以て彼女の思考は、カイの理解の範疇を超えていると断言出来た。

構わず、呆気にとられているという心情が在り在りと表出した顔の辛を見つめる。

「出来れば貴方に頼らずに事が終われば良いと、心から願っている。」

キャァキャァと騒いでいたカロンだったが、カイの一言でその楽し気な声は途切れる。

ゆっくりとカイの首筋から頬を離し、小首が傾げられた。

「……そんな甘ったれた願いが叶うなんて、本気で言ってるのかなぁ~?」

絡みついた腕が一旦緩み、代わりに冷ややかな指先がカイの顎を撫でる。

ゾワゾワと表皮を覆う体毛を逆撫でするかの如く、本能的な恐怖のような感覚が背後から這い寄って来た。

カイはその瞬間、嗚呼と思う。

何が昔とは違うというのか。

カロンが自身をカイ達のもう一人の母の様な存在だと宣うなら、自分達に危害を加える事はないのだろうと盲目的に信じていた。

けれどカロンがそう宣言しただけであって、彼女という存在自体がそもそも得体が知れず常識の範疇の外にある。

カイが恐怖を覚える根源は、その未知の塊であるカロン自体に在ると言えた。

ならば幾ら時を経ようと、カロンという存在に未知から来る畏怖を感じなくなる事など現状は無いと言える。

この難解な存在は、例え彼女自身の口から全てを語られようと理解出来ない気がした。

そして、カロンが問い掛けた事は直視しなければならない現実だ。

「命を搾取したなら、その代償は命を以てしか贖う事は出来ないのは分かっているだろぉ~?そこの娘の方が、お前より余程肝が据わっていると言わざるを得ないなぁ~。」

言いながら、カロンは体ごとカイの視界に入る様に乗り出した。

表情は無く、ただ見開かれた瞳が真っ直ぐにカイを見つめている。

「アレが見逃す訳がないって、分かっているよねぇ~?ん~⁇」

立て続けに責め立てられ、喉の奥が詰まったように言葉が出て来ない。

今は体の自由を得ているはずなのに、声帯さえも彼女の見えない力で再び動きを止めたか。

否、単純にカロンが言葉と共に発している威圧に硬直したのだ。

カロンの言うアレとは、アルテミスの事だろう。

無論、生を全うする事とは無関係な命の搾取などアルテミスが説いた理からは完全に外れている。

増してその対象が一人や二人ではないと知れば、見逃すはずがない。

放置すれば、いずれ母が動く事態となるだろう。

カロンの言っている事は、脅しでも何でもない。

それどころか、核心を突いていると言えた。

「まぁ~?とは言えだ、僕にはそんな事知ったこっちゃないけどねぇ~。」

不意にカロンは、ニヤリと笑って見せた。

かと思えば、先程とは打って変わって心底どうでも良さそうに辛に視線を移す。

「要は、帳尻さえ合えば良いのさぁ~。その代償を誰が払おうと、言ってしまえば大きな問題にはならないからねぇ~。アレに見つかる前に、チャチャっと片づけてしまえば良いだけの事だろぉ~?」

まるで造作も無い事のように、カロンは言い捨てる。

しかし、その帳尻の合わせ方が問題なのだと噛み付きそうになる己をカイは制した。

シオンが責任を放棄した場合、辛は提案通り自身がその全てを背負う事を決断するだろう。

それだけはトワ達の為にも、絶対に避けたかった。

シオンに謀の代償を何としても払わせるには、現状希望的観測を捨てれば強硬手段しか残されていない。

「簡単に言ってくれる……貴方に命のやり取りを行う、重圧や呵責は分からない。」

凡そ、その年齢とは掛け離れた低い声音でカイは吐き捨てる。

例え死を目前にした者の命で、それが安楽という選択を容認していたとしても他者の命を奪う行為への罪悪感も己に対する嫌悪感も知らない相手に軽々しくそれを説いて欲しくは無かった。

最も、そんな事を言おうともカロンにとってカイの言葉など微塵も心に響きはしないだろう。

一を生かす為に十を殺す覚悟をしろと、カイに示唆した彼女だ。

分かっていても、未だ過去の重責を背負い続ける者としては愚痴の一つも零したくなるというもの。

「吠えるねぇ~!まだ引きずっているのかなぁ~⁇じゃぁ聞くけどさぁ?僕に責任を転嫁するのは構わないけど、その選択はカイ自身が決めた事じゃないのかなぁ~⁇」

カロンは視線をカイへと戻し、覗き込むようにして視界に入り込む。

そのまま放って置けば、過去の出来事の全てを話し兼ねない。

「言われなくとも分かっている。決めたのは自分で、全ては僕の背負うべき責任だ。」

眉根を寄せて、カイは視線を合わす事無く言い捨てた。

これ以上、過去の話をカロンにさせまいと。

「ふっ…あははははっ!!やっぱりお前は最高だねぇ~!その不器用な生き様に免じて、覚悟があるなら手を貸してあげるよぉ~。」

見なくとも分かる。

カロンは今、この上ない愉悦に満ちた表情を浮かべている事だろう。

とは言え、理不尽であっても強硬手段をこれで得た事になる。

「但し、二人の娘の内から一人がカイの目になる事が条件だけどねぇ~。」

最終的な解決策の算段が出来たと、少し安堵した処に降って来た言葉だった。

愉快そうに笑う、カロンの言葉に耳を疑う。

二人の娘とは、一体誰の事を指しているのか直ぐに理解が追い付かない。

しかし、カロンの言葉に瞬時に反応した人物が居た。

「不躾ながら、問う事をお許し願いたい。」

口を開いたのは、カロンの登場以降口を閉ざしていた辛だ。

彼女の言葉に対して、カロンが気だるげに視線を遣る。

「いいよぉ~、何が聞きたいのかなぁ~?」

その表情からは愉悦こそ消えていたが、何かを楽しんでいる節がある。

緩々とそんなカロンに、漸くカイは視線を合わせた。

「二人の娘とは、トワとクオンの事を仰っているのだろうか?もしそうなら、その役目を私が担う事は許されないだろうか。」

辛の言葉に、カイはカロンを見つめたまま大きく目を見開く。

そうしている間、カロンは値踏みするように辛を見つめている。

「それは出来ない相談だなぁ~。第一に、君は命を差し出す側だよねぇ~?そんな相手が対価に成ろうとするのは強欲以外の何物でもないだろぉ~?第二に、君だけの犠牲で解決すると思っているなら虫が良過ぎる話だと思わないのかなぁ~⁇」

この難解な相手は、何を言っているのか。

気付けば怒りを通り越した己が、あまりの不可解さに呆気に取られている。

顔色一つ変える事無く、カロンは平然とした様子を保っていた。

どれだけ人道に外れた事を言っているのか、気にも留めていない。

「…な……にを………言っている…んだ?」

余りの所業に、切れ切れになった言葉がカイの唇から零れる。

そんなカイを、ゆっくりとカロンが見遣った。

「僕がお前に手を貸す条件さぁ~。」

心の底から楽しそうに、悦に入った表情でカロンは答える。

何がそんなにも楽しいのか、どうしてそんなにも非道な条件を突きつけられるのか。

今度こそ、カイは腹の底から怒りを覚えた。

「いい加減にしてくれ!!!貴方が僕を玩具として、僕の苦しむ姿で楽しむのは構わない!だけど、僕以外に手を出すな!!その姿で、これ以上理不尽な事を犯さないでくれ!!」

畏怖の念もこの時ばかりは忘れ去り、唯々怒りという感情のままに叫んでいた。

己だけに止まらず、辛やトワ達まで苦しめる発言に理性など吹き飛んでいる。

「落ち着きなさい、カイ。カロンも悪戯にカイを刺激する言い方は、しないでやってくれないかい?何か考えがあるんだろう?」

ともすれば、カロンに掴みかかる勢いのカイをジークが諫めた。

それによって見事にカロンの思惑に嵌ったであろう事に気付いても、未だ怒りは冷めない。

「…構わない、筋は通っている。ただ、私としては代われる物なら役目を担いたかっただけだ。だから続けて問う事を、お許し願いたい。目になるというのは、トワ達は何を求められるのだろうか?もしそれが痛みを伴う物であったり命に係わることならば、失礼ながら私も受け入れられないと申し上げる。」

辛の言葉はカロンの提示した内容を容認した様に見えて、その実肝心な処は許容していない。

トワ達の未来を護るという一点において、一切ブレを見せていなかった。

筋は通っていようと、カロンの協力が不可欠であろうと関係ないと言わんばかりだ。

その言葉を耳にして、カイの振り切れた感情も僅かに鎮火し始める。

カロンはそんなカイの僅かな心の動きを感じ取ったのか、つまらなそうな顔をして見せた。

「…安心しなよぉ~。目になるには、何方かの娘がカイと契約すればいいだけの話さぁ~。別に取って食おうって話じゃぁない、簡単だろぉ~?まぁ、ある意味命には関わるかもしれないけどねぇ~。」

転んでもただでは起きぬとばかりに、言い終えたカロンが小さく笑う。

レグルスのような存在と契約する事とは、訳が違って来る。

カロンが示唆するのは、人と契約を成せと言っているのだ。

その本質は、とある別の意味をも含む。

「待ってくれ…それはつまり……トワとクオンの何方かの命の在り方が、僕と同等になってしまうという事じゃ……?」

カイの問い掛けを聞き終わると、カロンは静かに絡んだ腕を解いてテーブルに腰掛けた。

そうして小首を傾げて、カイと正面から視線を合わせる。

「ご名答~!瞬きの間だけ、カイの見える世界が変わっても意味はないからねぇ。これでも、お前の唯一の欠点を案じているのを理解して欲しいねぇ~。血と魂の契約を成す事によって、何方かの娘は事実上の不死を得るのさぁ~。そこの娘が危惧したような事態には成らないから、安心すると良いよぉ~。」

淡々と言葉を紡ぐカロンに、彼女以外この場の全ての人物が絶句した。

不死になるから問題ないなどと、事はそんな安易なものではない。

聞こえ様によっては利点のみが主張して取れるが、それはトワとクオンの共に生き抜くという摂理を奪うという事だ。

生きる時間のズレは、やがて孤独や後悔を生む。

「……何が安心するといいだ………やっぱり貴方は何も分かっていない。不死だから安心だなんて、どうして言い切れる?何故貴方は当たり前に生き抜く権利を奪おうとするんだ⁇何が僕の欠点を案じているだ?そんな事は、一度たりとも頼んだ覚えはないッ!!」

鎮火しかけた感情が、燻り始める。

どれもこれも人道から外れた言葉に、辟易とした顔でカロンに対峙した。

「なら娘二人共と契約すればいいだけだろぉ~?お前が言っているのは、共に生きる均衡を崩した別れの危惧だよねぇ?違うかなぁ~?そんなものは、娘達を支えて来た者の付加価値でも付けて契約を二重に結べば価値としては何の問題もなくなるんだよぉ~!そうだろぉ~⁇この条件が飲めなければ現状見えない相手も存在する事態に、どうやって対応するのさぁ~?教えておくれよぉ~⁇」

一人が不都合なら、契約する価値を付与してでも二人にすれば良いと更なる理不尽を示す。

自身が協力する条件として、あくまでもトワ達がカイと契約する事は譲らないとカロンは言い張る。

しかもその理由として最もらしく、カイが見えぬ世界を見せる為だと宣う。

何処までも自分本位で、手前勝手な条件に反吐が出そうになった。

確かにカイ自身が見えぬ世界に焦がれて、その手段を持つ者に羨望の眼差しを淡くも向けた事はある。

実際、今回の事態で見えない事でリスクが在るのも理解は出来た。

それでも、唯当たり前に生きて生を終えるというトワ達の権利を奪うくらいならリスクなんてものを差し引いてもカイの中で契約を成す事に等価の価値を見出せない。

そこまでして見える世界を広げたいなどと、到底カイには思えないのだ。

感情のままに吠えた通り、そんな事を一度たりとも誰かに頼んだ事も求めた事も在りはしないのだから。

カイは睨み付けるように、カロンを見遣る。

どうしようもない怒りと理不尽さをぶつけるかのように、その視線には強烈な非難の感情が籠っていた。

「……辛君、君はどう思うかな?今カロンが言った事を。」

一触即発といった雰囲気に糸口を見出す為だろう、ジークは辛に意見を求めた。

結果、カイにはやんわりと睨まれる事となる。

突き刺さるその視線を受けながらも、ジークは辛の答えを待つ。

「………契約の意味も、必要性も理解はした。けれど、トワとクオン本人の了承を得ずして私が答えを出す事は出来ない。カロン殿の提示条件で在ろうと、決定するのはあの子達自身だ。無論、私個人としてもその契約には了承し兼ねる。」

その答えを聞いて、カイの心は幾分か落ち着きを取り戻したと言える。

幾らカロンが理不尽な要求を突き付けようと、当事者側が受け入れる事を拒むなら事態は動かない。

そう思えた時だった、僅かに軋む音を立ててリビングの扉が開いたのは。

「…………ッ!」

姿を現した人物に、リビングに居たカロン以外の全員の視線が降り注ぐ。

辛の目は動揺により見開かれ、カイに至ってはタイミングの悪さもあってか絶句している。

ジークだけが、その姿を視界に映した事で難しい表情を浮かべるに止まった。

三者の視線が扉のある方向に集まる中、唯一人カロンはほくそ笑む。

そこに居たのは、疾うに眠ったはずのクオンだ。

「そのお役目、どうか私に担わせて下さい。」

小さな体を震わせながら、彼女は一言そう言い放った。

久し振りの彼女の登場でした。

お付き合い頂けた方、いらっしゃいましたらお礼申し上げます。

有難うございました。


追伸。

7月頭のイレギュラー以降纏まった時間がとれていない所為もあり、更新は一旦この辺りでまた止まると思われます。

書き溜めていたストックも遂に尽きてしまいましたので…。

お時間割いて下さっていた方には、お待たせする事になり申し訳ありません。

のんびりこの後は更新出来ればと思います。

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