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15/21

15.白銀の出会い。

今年は星空が綺麗に見られますように…。

今回は夏とかけ離れた真冬のお話です。

カイの夢渡にもう少しお付き合い下さると、幸いです。

眠りに就いたまま、未だカイは過去の夢を渡る。

意識は目覚めを求めているのに、持ち得る情報が波の様に押し寄せて覚醒する事を阻む。

本当は、思い出したくない記憶を心の奥底に沈めて時間が風化してくれるのを願っていた。

けれど、カイの性質上それも叶わない。

数十年数百年と時が経とうとも、カイの中で過去の記憶は昨日の事の様に鮮明だからだ。

カイには、母の胎内の記憶から始まる全ての記憶がある。

それら全部を細部に至るまで覚えていて、消える事も薄れる事もない。

所謂、完全なる記憶と言う奴だ。

凡そ百年毎の生を何度か繰り返したが、その記憶が途切れる事は無かった。

故に、忘れたくとも忘れる事を許されない。

まるで自らが選択した事により起こった事実を忘れるなと、過去に戒められているかの様だ。

そんな風に、カイはこの記憶を思う。


黒死病が発症した村で、結局カイはカロンの示した選択を取った。

ベルが癒し切れなかった人々の家を巡り、耳心地の良い言葉で丸め込んだ。

安楽死を望んだ者に、安らかに死を迎えられる薬だと称して唯の水を与えた。

その一方で、自らは彼等の命を取り込んだのだ。

そうして何人もの命を奪い、カロンが後にそれを金色の淡く光る液体へと変換する。

自分の指先からポタポタとそれが零れ落ちる様は、カイにとって複雑な思いを伴う物だった。

皆の命であり、カイの命となる物。

罪悪感は何時までも消えず、覚悟して挑んだにも関わらずその重圧は想像を遥かに絶した。

唯一の救いは、ベルが無事に回復してくれた事。

カイにはそれだけで、自身の中に渦巻く良心の呵責にも耐えられる気がした。

人とは違う自分達の生きる道を、ベルと二人で歩めるだけで蟠りを飲み込める。

身勝手な選択であったとしても、ベルが隣に居てくれるだけでカイには十分だった。


「……大丈夫かい?。…カイ……その…ベルが大切なのは分かる、それは私も同じだからね。だけどそんなに辛い選択までして、ベルと共に生きる道を選んだのはどうしてなんだい?」

カロンが去った後、眠るベルに付き添うカイに向けてジークは静かに問い掛ける。

ベルは回復したとはいえ、無茶をした事もあって暫くは起きないだろうとカロンは言い残した。

大丈夫なのだろうと分かっていてもカイはベルが目覚める時まで、その手を握り離すことが出来ない。

カイは微笑みながら、苦し気に眉間を寄せて涙を零していた。

何とも複雑なその顔を見て、ジークは聞かずには居られなかったのだろう。

「……ごめん、ジーク。背負うって決めたのに……この有様で……。」

零れた涙を片手で拭いながら、カイが口を開く。

もう片方の手は、未だしっかりとベルの手を握ったままだ。

「いや…それはいいんだ。カイの選択を責めるつもりも私にはないからね。吐き出せる時に、少しでも苦しい気持ちを吐き出すといい。」

そう言って、ジークは優しくカイの肩をポンポンと叩いた。

まるで子供を落ち着かせる様な行為に、カイは苦笑いを返す。

シンと静まり返った部屋に、柔らかな月明りが差し込んでベルの寝顔を照らしている。

その顔を見ながら、カイは大きく息を吸い込んでそれを吐き出した。

長く深く息を吐いて、そうして一度目を閉じる。

暫く沈黙した後、ゆっくりと腹を括ったかの様に瞼を開く。

「僕にとって、ベルはただ血を分けただけの兄弟じゃない。ベルが居たから、僕が今居る。僕には、他の誰よりもベルが特別なんだ……。だから、ベルが生きる道があるなら僕はその道を選ぶ。僕にとって、それがどんなに理不尽な道だったとしてもね。」

ベルの手を握ったまま、カイはジークに向かって微笑んだ。

その顔に、もう涙は見当たらない。

何処か吹っ切れた様なその表情を見て、暫くしてジークも微笑み返した。

「……そうか。元々カイが決断した事だ、これ以上私も何も言わないし聞かないよ。」

ジークはそれだけ言うと、暫くして静かに部屋から去って行く。

恐らくカロンの元へ向かうのだろう。

カイは去り行く背中に、「有難う」と一言だけ伝えた。

そんなカイの言葉に、ジークは振り向かず片手を上げて答える。

カイは静まり返った空間で、ずっとベルの手を握り続けた。

ベルがその瞼を開くまで、ずっと……。



嗚呼と、カイは思う。

それが最初だと。

思い返して、意識は別の時へと移り変わる。

森の中、その姉妹と出会ったのは幾度目かの生が終わろうとしていた時だった。



不可視化された拠点の一つで、カイとベルは残りの時間を静かに過ごしていた。

ベルが少し外へ出たいと言い出したのは、吹雪が去って晴れ間が訪れたある日の事だ。

白い、白い世界でそれは突然聞こえたのだという。


屋敷を離れて近くの沢伝いに、少し山を下った処で点々と続く二つの足跡を見つけた。

二人が拠点とする周辺には滅多に人が近づく事は無く、それを見たカイは己の目を疑う。

しかも、季節は真冬。

余程の物好きでもなければ、雪の積もる山奥になど訪れはしない。

けれど、確かにそれは人が居た痕跡だった。

加えて沢から続いた足跡近くの雪が、所々紅く染まっている。

「……これは……。」

予想外の事態に、カイは言葉が続かない。

どう見ても、ただ事ではなかった。

妙な胸騒ぎを覚えつつ隣を見遣ると、ベルは遠く続く足跡の先を見つめていた。

「カイ、行こう。」

短い言葉で促し、取るべき選択肢に悩むカイが答えを出すより早くベルは歩き始める。

そんなベルを追って、カイも無言で歩き出した。

真新しい二つの足跡を、不安な気持ちを抱えながら辿る。

それは、沢を離れて多少遠回りしながら屋敷近くの森へと続いていた。

歩を進めながら、カイは思考を巡らせる。

そもそも、何故こんな真冬に人が訪れたのかも理解に苦しむ。

その上、見つけた足跡はまるで山へ入った痕跡を消すように突如として沢から出現していた。

この極寒の中、凍てつく様な沢の水を敢て進んで来たという事になる。

余程山へ入った事を知られたくなかったとしか、カイには思えない。

もしかすると足跡の主は誰かにでも追われているのだろうかと、思い始めた時だった。

森から少し入った所で、ベルが立ち止まる。

ベルの居た場所から十数メートル先に、樹木の幹の根本にもたれ掛かる様に座る女性が居た。

更にそのすぐ隣に、もう一人に寄り添う様に膝を突く女性。

二人共ある程度の防寒着は身に着けているものの、雪の積もる山に入る様な服装ではない。

取る物取り敢えずといった様子が、一見しただけで窺えた。

「……あの人達なの?……うん、分かった。今は時期が悪いから、絶対とは言えないけど努力してみるね。」

見つけた女性達とは別の方向へ向けて、ベルは小声で話しかける。

聞こえた声というのは、カイの目には映らぬ隣人のものだったのだろう。

それから、ベルはゆっくりと女性達の元へと向かった。

カイも再び無言でそれを追う。

女性達との距離が数メートルという所まで静かに近付くと、ベルは立ち止まった。

付き添う様子を見せていた女性が、そこでベルとカイに気付く。

「驚かせてしまってすみません、僕達はこの近くに住んでいる者です。雪に刻まれた人の足跡を見つけて……この辺りは滅多に人が来ないものですから、つい興味を引かれて足跡を辿って来ました。拝見した様子だと、具合が悪い様ですが大丈夫ですか?」

なるべく不審に思われない様に、落ち着いてゆっくりとベルが語りかけた。

直ぐ近くまで行かなかったのも、警戒心を持たせないようにする配慮だろう。

けれど、突然現れた男二人に警戒心を抱かないはずがない。

案の定、付き添う様子の女性は怪訝そうな表情でカイとベルの動向を窺っている。

「……。」

肩越しに振り返っていた女性だったが、無言の返答のまま幹にもたれる女性をかばう様に体の向きを変えると出来得る限り背後に隠した。

その表情は冷静を装っているが、警戒して緊迫している様子が手に取る様に分かる。

「困ったな……それはそうですよね、突然現れて大丈夫かなんて聞かれても不審にしか思わないですよね……。」

ベルも出来る限り警戒させない様にしているのだろうが、それでもこの状況は警戒心を解くには難しい。

街中で人の往来が盛んな場所であったなら、或いは警戒心も薄れた可能性もある。

しかし、真冬の山で態々興味を引かれたからと近付く男二人に誰が素直に心開くというのか。

ベルはどうにかして目の前の女性達を介抱したい様だが、カイにはそれが至極難しい事に思えた。

「カイ……この状況で誤解を生まずに彼女達を助けるのは、恐らく難しいと……。」

遠慮がちに、ベルの背後からカイは小声で話し掛けた。

そんな時だ、幹にもたれていた女性が閉じていた瞼を開いたのは。

「…辛、大丈夫よ。この方達は、シスイが連れて来てくれた方。きっと信用しても大丈夫。」

少し苦しそうに言葉を発した女性は、辛と呼ばれた女性の片手をそっと握った。

背後からの言葉や握られた手の感触に、戸惑いながらも辛が後ろの女性を見遣る。

「…庚…でも……。」

小声で何かを言いかけた辛だったが、庚と呼ばれた幹に寄りかかる女性の表情を見て言葉を発する事を諦めた様だった。

辛は、やれやれというかの様に小さく左右に首を振る。

「大丈夫…信じて、辛。」

庚が重ねてそう言うと、彼女を隠すように膝をついていた辛がゆっくりと移動した。

庚と話しやすい様にする為だろう。

背後の庚は、苦しそうな表情を必死に押し殺して微笑んでいた。

よく見れば庚の腹部は、その細身の体には不釣り合いに膨らんでいる。

「疑うような態度を取って、申し訳ありません。何分私達にも事情がありまして…お気遣い感謝致します。…それで…あの、つかぬ事をお聞きしますが…もしかして、お二方は…この子がお見えになっていませんか?」

丁寧な言葉で語りかけながら、庚は辛の居る方向と真逆の虚空をそっと指さした。

無論、カイの目にその場所は何も映らない。

しかし、その指示された何もない虚空を見た時にカイは理解する。

目の前に居たベルが、同じ場所を見つめて何かを核心したかの様に頷いたのだ。

「…その子は、シスイと言うんですね。余計な警戒心を生じさせない為に便宜上足跡に興味を引かれたとは言いましたが、仰る通りです。僕にはその子が見えています。僕を此処へ連れて来たのも、シスイです。」

庚の問い掛けに答えるベルの背後で、カイは片手で額を押さえながら小さく溜息を吐く。

慎重に行動すべきと思っていたが、素直過ぎるベルの行動がその思考を見事に打ち砕いてくれた。

話の流れから察するに、庚という女性もベル同様に隣人が見える事は間違いないだろう。

今まで時折そういう人物にも出会ったが、見えるからといってその人物が善良であるとは限らない。

寧ろ、見えない輩よりも見える輩の方が時として事は厄介だと言えた。

女性二人を助けようと動くベルとは裏腹に、カイは内心でより警戒心を深める。

「…やっぱりそうだったんですね。シスイ、有難う。助けを呼んで来てくれて。」

言葉の前半は、恐らくベルに向けて。

そうして後半の言葉は隣人へ向けながら指示した手を下ろし、庚はクシャりと笑った。

ベルは庚の笑顔を見るなり、ほぅと小さく息を吐く。

漸く取っ掛かりが出来たと、胸を撫で下ろしたのだろう。

「もし…僕達を信用して頂けるなら、傍に行く事を許して下さると助かります…構いませんか?…貴方達の負傷具合が気に掛かるんです。」

早速とばかりに、ベルが庚に問い掛けた。

すると、辛が僅かに前へ出ようとする。

「構いません、寧ろご助力願えると此方も助かります。…恥ずかしながら、もう私は独りで歩く事もままならないので…。お願い…出来ますか?」

辛の行動を制する様に、庚は即座にベルに答えた。

おかげで、出鼻を挫かれた辛は何が出来るでも無くその場に留まる。

庚とは違い、辛はまだカイとベルを警戒している様だ。

それも理解した上でベルは静かに頷くと、ゆっくりと庚達に近付いた。

一拍遅れて、カイも後に続く。

直ぐ傍まで行って分かった事だが、庚も辛も何処かしら負傷して出血していた。

取分け庚の方が重症で、こめかみや腕の他にも下半身周辺に広がる出血痕を見るに恐らくは下腹部からの出血が窺える。

それを確認した時点で、まずいとカイは核心した。

此処へ来る前にシスイと呼ばれる隣人とベルも会話していたが、今は時期が悪いのだ。

カイとベルに残された時間は、恐らく後数週間も無い。

故に、ベルの治癒力もどれ程持つか分からなかった。

その上誰かを治癒するという事は、ベルが命を削るという事だ。

今となっては、恐らく次があると分かっていてもベルの残り少ない命を削る事への不安感がどうしても拭い切れない。

しかも治癒が不完全に終わってしまえば、生まれ変わって直ぐのベルには何も出来ない。

右も左も分からぬ赤子でしかないのだから。

どう転んでも後悔が残るだろうと、カイには思えた。

思考を巡らせるカイを他所に、ベルは庚の傍らに膝を突く。

「……失礼ですが、庚さんと呼ばせて頂いても?」

素早く負傷した箇所を目で追いながら、ベルは庚に確認を取る。

答える様に頷いて、庚は少しだけ微笑んだ。

「構いません、私の事は庚とお呼び下さい。隣に居るのは、双子の妹で辛と申します。妹も辛と呼んで構わないと思います。…ね?辛。」

話ながら傍らの辛を見遣り、庚が返事を促す。

辛は一瞬驚いた様な表情を見せたが、直ぐに諦めた様に小さく頷いた。

「分かりました。僕はベル、後ろに居るのがカイです。此方も名前で呼んで頂いて構いませんので。それで…庚さん、不躾で申し訳ありませんがお腹の中にはお子さんがいらっしゃいますね?」

名前で呼ぶ事への承諾を得て、即座にベルは庚に問う。

それは興味本位な物でも何でも無く、治癒の限界を理解しているからこそ必要な情報だった。

「…はい。ご指摘の通り、私は身重の体です。そんな体で無茶をしているのも、重々承知しております…。」

声のトーンを僅かに落としながら、庚は自らの腹部にそっと手を置き小さく撫でた。

庚の何処か悲しそうな表情に、事情がある事が殊更窺える。

「あ…いえ、申し訳ありません。責めるつもりは無いんです。何があったかもお聞きしません。只、この後の方針を決める為にも必要な情報でしたので…。そうですね、お話するより見せた方が早いかもしれません。庚さん、腕に触れても宜しいですか?」

ベルの突然の問い掛けに、庚は先程とは打って変わってキョトンとした表情を見せる。

その隣で辛がギョッとした表情で、ベルを見た。

しかし庚は、ベルのやや後方を見遣ると不思議そうな顔をしながらコクリと小さく頷く。

「シスイ、有難う。まずは知って貰わないと、この先に進めなかった。助かるよ。」

ベルも自らの後方を見遣り、微笑んだ。

カイはそのやり取りで、何となくの状況を理解した。

そうして負傷した庚の腕に、そっとベルが自身の掌を添える。

ベルと庚の様子を何か物言いたげに辛が見つめるが、取り敢えずは見守る事にした様だ。

「…どうしてかしら……?とても触れられた部分が温かい。伝わって来る温かさもあるけど、何かこう…内側から温かい何かが巡る様な…?」

暫くベルが掌を添えていると、庚がふいにそんな事を呟いた。

それから程なくして、ベルが庚の腕から掌を離す。

そうして目にした自らの腕を見て、庚は驚いた顔を見せた。

「……ぇ……傷跡が…消えているわ……。」

ベルが掌で触れる前までは、そこには掌の半分程の裂傷があった。

それが綺麗さっぱり消えて、傷が完治している事に庚は驚きを隠せなかったようだ。

隣で見守っていた辛も、庚の腕を覗き込んで同様に驚いた。

「……ベルは傷付いた者を見過ごせないんです。何を置いても、傷付いていると知ってしまえば助けようとする。ベルが持っている治癒の力で……でもそれは…。」

今まで黙っていたカイが、静かに口を開く。

そして全てを言い終わる前に、振り返ったベルの視線がそれを阻止した。

ベルは無言で、それ以上語る事を拒んでいる。

それが理解出来たからこそ、カイは言葉を噤んだ。

こうなってしまえば、最早何を言ってもベルは庚と辛を助けようとするだろう。

カイは複雑な気持ちを抱えながら、ベルのしようとする行動を見守る他ない。

「…何を置いても……?……治癒の…力……?そんな事が……。でも、確かに傷が癒えているわ…俄には信じ難いけれど、現実…なんですよね?」

不思議な物を見る様に、庚は言いながら自らの腕をまじまじと見つめる。

動揺しているのか、庚は思考が上手く纏まっていないようだ。

そんな庚に向き直り、ベルは苦笑いを浮かべた。

「実際に見ても、直ぐには信じられないですよね…目の前で実践してこれですから、ご説明しても到底受け入れられなかったと思うんです。僕が見せた方が早いかもしれないと言った理由はそこにあります。突然の突拍子もない申し出を受けて下さって有難う御座いました。今、庚さんが目にした事は紛れもない現実です。そして、このままでは庚さんのみならずお腹の子も危険です。もし、僕を信じて下さるなら家にお連れして治療させて下さい。現状が続けば、低体温や出血で母子共々手遅れになります。辛さん、貴方も大きな傷は無くとも休める場所で休息をちゃんと取った方が良い。それに、最低限お二人の足を治さないと歩く事もこの先ままならないでしょう。その凍傷で、長く歩き続けるのは不可能と言わざるを得ません。どうか、この申し出を断らないで頂けると嬉しいです。決して危害を加えたりしません、お約束します。」

普段そこまで押しが強い方ではないが、ベルは傷付いた者を助けようとする時だけは多少強引な行動を取る傾向がある。

本人がそれを自覚しているとは思えないが、少なくとも共に生きるカイにはそう思えた。

何が何でも助けると決めたなら、それを決して諦めない。

結果として、それが自らの死を早める行為だと分かっていてもだ。

カイは、初めて自分達が辿り着いた村を思い出す。

思い出して、そうして見ない振りをしていた過去が自分を責め立てる。

あの時も、己がベルを止めていれば黒死病を患ったとはいえ治癒出来なかった人達の家族との別れを先延ばしにする事だって出来たはずだとカイは思う。

一方でベルのお陰で完治出来た事実があったとしても。

結果的に自分の行いが、短く苦しくとも最愛の者と生きる選択を発症患者から奪ったのだと。

何が正解だったのか、未だに答えは出ない。

けれどカイが選択して奪った命がある事と、それによってベルが命を繋ぎ止めたのは紛れもない事実だ。

ベルは知らない、その過去を。

知らないままでいい、知らないからこそベルがベルらしく生きてくれるならそれでいいとカイは思っている。

なのに何故今、その事を思い出すのか。

カイには予感があった。

恐らく、全員を治癒する事は不可能だと。

命尽きるまでベルが身を挺して彼女たちを治癒したとしても、全てを元通りに治せないという確信めいた予感。

比較的軽傷の辛の治療を最小限としても、庚の方は母体か子供の命かの二択が容易に想像出来た。

それでも、ベルは治癒を施すだろう。

自分の命が尽きたその先に、救うべき命の選択が必要な事態が起きたとしてもベルは知らずにいられる。

「…それでいいじゃないか。」

つい、ボソリとカイは小声で呟いていた。

声にしてしまった事にハッとして、それが誰の耳にも幸い届いていないと分かると胸を撫で下ろす。

我に返って庚を見遣ると、彼女は何とも表現しずらい顔をして笑っていた。

「どうしてそこまで私達を……。」

一言零すと、庚がポロリと涙を零す。

それは嬉し涙の様で、何かの後悔を押し流しているかの様な涙にも思えた。

「……庚、彼等と行こう。庚が信じられると思った人達なら、私も信じる。庚もお腹の子も助けて貰おう?」

庚の涙をそっと指先で拭いながら、意外にも決断したのは辛だった。

小首を傾げ、覗き込む辛を瞳に映して庚がコクリと頷く。

「そうね、辛も助けて貰いましょう。皆でね。」

その言葉は、カイに小さな棘を打ち込んだ。

恐らくはベルにも同様に。

けれど、気付かない振りをする。

ベルはきっと厳しい現実が待っていようとも、それでも全力を尽くすと心に決めただろう。

カイもまた想像し得る予感が現実になろうと、それを再び腹に収める覚悟を決めた。

「お申し出、有難くお受けします。どうぞ、宜しくお願い致します。」

視線の先で、庚と辛の二人が、深々とそれぞれ頭を下げていた。

カイはそれを見届けて、無言で庚を横抱きに両手で抱え上げて歩き出す。

屋敷へ向けて、新しい足跡が雪に刻まれて行く。

大人が独りで歩くにも、雪に足が取られて進むのも困難な道程。

それをもう一人大人を抱えて、ましてや抱えた重みが身重の体となれば更に道は険しくなる。

けれど、カイは迷わず庚を連れて行く事を選んだ。

ベルの体力が少しでも温存出来るようにと。

足元を確かめるように踏みしめながら、一歩一歩屋敷を目指した。

「カイ、有難う。」

先を行くカイの背中に、その優しさへの礼をベルが伝える。

短く、けれど心からの感謝を込めて。

後ろ向きのまま、カイは小さく頷いた。

それを見て、ベルもまた歩き出す。

辛の足を労わって、彼女の腕を自らの肩で支えながら。

カイが残してくれた足跡を辿る様に、目印にして。

お時間を頂き目を通して下さった方がいらっしゃいましたら、お礼申し上げます。

暑い日が続きますので、どうぞ皆さまも御体ご自愛下さい。

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