13.始まりの記憶-残酷な救済者。
新しいキャラ?登場です。
小さな隣人の姿を見る事が出来ぬ己を、カイはこの時ほど情けなく感じた事は無い。
更に言うなら、ベルのように他者を治癒する力が自分にもあったならと、無い物ねだりを始める愚鈍極まりない思考回路には嫌悪さえ覚えつつある。
そして、やはりベルの提案を飲むべきではなかったと後悔した。
カイにとってベル以上に重きを置く存在等、人の世には存在しない。
懇意にしているミラやシェアトでさえ、比べられる存在にはなり得なかった。
こんな事を考える自分をベルは咎めるだろうが、それ程にカイにとってベルという存在は特別なのだ。
家へと辿り着きベッドにベルを横たわらせながら、自分が震えている事にカイは気付く。
「…くそっ…しっかりしろ!出来る事が無いか考えるんだっ!!」
ベルの体を寝具で覆い、保温しながら他に出来る事が無いか考えを巡らせる。
しかし、普段なら幾らでも思い付くはずの妙案がこんな時に限って浮かばない。
目を閉じ横たわるベルの手を握り、見守る事しかカイには出来なかった。
不甲斐ない自分に腹が立ち、同時にベルを最悪失うかもしれないという現実に恐怖が押し寄せる。
「お願いだ…ベル、僕を置いて行かないで…。」
消え入りそうな小さな声で呟き、ベルの手を両手で握りしめたままベッドに顔を埋める。
手を離せば、今にもベルの脈打つ命の流れが止まってしまうのでは無いかと不安が襲う。
目尻には、ジワリと涙が滲んでいた。
「スピカ、お願いだ……早くジークを……母さんをッ!……誰でも良い!ベルを助けて…何でもするからッ!!」
助けを求めた時、スピカが居たかどうかも確証は無い。
けれど、カイにとって縋れる存在はスピカしか考えられなかった。
目に見えぬ希望を信じて待つ、確証のない今という時間がこれ程までに不安を植え付けるという事を、カイは初めて思い知る。
無為に過ぎる時間が積もる程、不安と恐怖が浸透していく。
ベルの手から伝わる脈拍だけが、カイの平常心を辛うじて保つ術となっていた。
目を閉じ動かないベルの手を、ギュッと握りしめる。
「……誰か…ベルを……誰でもいいから……。」
静まり返った部屋に、カイの悲痛な願いが吐き出されて消える。
ジークや母が姿を見せる事は未だなく、日の落ちた室内には暗闇だけが満ちていた。
足元から、例える事の出来ない感覚が這い上がって来る。
恐怖や不安が齎す感覚なのかと、カイは思っていた。
しかし、そうではない。
実際に足の指から徐々に体は硬直し、ベルの手を握りしめたままカイは身動き出来なくなっている事に気付く。
唯でさえベルを失うかもしれないという時に、尋常ではない現象が起こっていた。
訳が分からず、思考が停止する。
その直後だった、背後から人の物とは思えない程冷たい両腕がカイを優しく抱きしめた。
「おやぁ~?おやおやおや~⁇呼ばれたから来てみれば、随分情けない姿だねぇ、カイィ~?」
唐突に、明るい声が直ぐ耳元で囁かれる。
けれど身動きの取れないカイには、声の主を振り返る事すら許されない。
「めそめそめそめそしちゃってさぁ~?何時もの冷静さは何処へ行っちゃったのかなぁ~?みっともないから止めておくれよぉ、涙まで浮かべちゃってぇ~。こっちが恥ずかしくなるじゃないかぁ~。」
姿が見えぬ状態であるにも関わらず、カイはその声に聞き覚えがある事に気付く。
確認するまでもなく、良く知っている声。
口調は全く違うが、カイがその声を間違えるはずが無い。
だが、思い当たる人物とは余りにもかけ離れた様子にカイの脳が想像する人物像を打ち消した。
絶対にそれはあり得ないと。
体温を感じさせない指先が、肯定と否定を繰り返すカイの心情を玩ぶかの様にそっと身動きの取れぬ顎を撫でる。
「ん~ぅ!いいね、いいねぇ~!その戸惑った表情!!ほらほらぁ、考えている事を言ってご覧よぉ~?ちゃ~んと答えてあげるからぁ~?」
悦に入った声音で囁きながら、細い指が顎からゆっくり移動してカイの唇をなぞった。
耳元に優しく吐息が掛かり、背後の人物の頬が首筋に密着する。
「さぁさぁ~?声は出せるだろぉ~?言ってご覧、言ってご覧よぉ~⁇」
明るく背後から届く声とは裏腹に、カイの思考は混濁を極め吐き気が込み上げてくる。
喉元まで胃液が逆流するのを、無理矢理力を込めて押し戻した。
何度聞いても、鮮明に思い浮かぶ人物像。
乾いた唇を僅かに開き、間違いであってくれと願いながら声を発する。
「……か……ぁ……さん……なの……?」
目に見えぬ接触した頬が吊り上がるのが、触れた首筋から伝わる。
声の主は、カイから離れてゆっくりと後ずさった。
闇が満ちた部屋に、ゆっくりと地平線から昇って来た月光が窓から入り視界が幾分か鮮明な物に変化する。
「…ふっ……あは……っ!あはははははは~っ!!残念でしたぁ~!お前の母さんではないよぉ~?」
心底面白そうに背後の人物は笑い、否定した。
カイはその異様で明るい否定の言葉を耳にして、胸を撫で下ろす。
一頻り声を上げて笑った後、背後の人物は再びカイの肩に手を置き顔を寄せた。
「けどねぇ~?半分は正解なんだなぁ~、これがぁ~!ばぁぁ~っ!」
おどけて見せながらカイの目の前に顔面を近付け、その人物は姿を見せた。
見慣れたアッシュゴールドの髪に、見慣れたエメラルドグリーンの瞳。
見間違いようのない知った顔。
「……ぅそ……だ……そんな…そんなはず無いッ!!」
目を見開き、カイの口から否定の言葉が発せられる。
目の前に姿を見せた母と瓜二つな容姿を持つ人物は、その言葉を受けてニタリと笑った。
そうして態とらしく悲しそうな顔を作り出し、ベッドに腰掛ける。
「酷いなぁ~。心外だよぉ、流石の僕も傷ついちゃうんだぞぉ~?呼んだのはお前の方じゃないかぁ~!だから僕は来てやったのに、その言い方はないじゃないかなぁ~?」
拗ねた様に、母に似た何者かは嘆いて見せた。
その仕草は幼稚で、カイの知る母とは似ても似つかない物である。
混乱と困惑で、受け入れがたい現実を呆然と見つめるしかない。
「……貴方は誰なんだ……?貴方を、呼んだ覚えはない……。僕がスピカに連れてきて欲しいと頼んだのは、ジークであり母さんだ!」
カイのその言葉を待っていたと言わんばかりに何者かは身震いし、恍惚としながら微笑んだ。
余りにも母とは掛け離れたその表情は、歪な笑顔に見えた。
「カロン、悪ふざけはそれくらいにしてやってくれないか?」
唐突に、もう一人の聞き慣れた声を耳にする。
最も求めていた人物の声であるにも関わらず、今のカイは困惑と動揺しか持ち合わせない。
「……ジーク?」
名前を口にしたものの、カロンと呼ばれた人物とジークがこの場に居合わせる状況が呑み込めなかった。
背後を振り返って確認しようにも、まだ体が言う事を聞いてくれない。
「ちょっとぉ~!ちょっとちょっとぉ~!謎々の途中なのに、名前を出すなんて無粋な真似しないでくれるぅ?折角のお楽しみの時間が台無しじゃないかぁ~!…………まぁでも早々にベルの方を何とかしないとまずいかぁ~……。しょ~がないなぁ~。」
ジークに指摘されて不貞腐れた様に頬を膨らませたかと思えば、カロンは渋々ベルの上に跨り胸に手を這わせた。
目を細め、「ふぅ~ん?」と一言声を漏らす。
徐にカイを見遣り、何かを思い出したかの様な表情を見せる。
「あぁ~、ごめんごめんよぉ?すっかり忘れてたぁ~!」
言いながら、白く細い指先をパチンと鳴らす。
その瞬間、カイの体を固定していた目に見えぬ何かが消失する。
「……!ベルから離れろッ!!」
体の自由を取り戻したと同時に、得体の知れないカロンをベルから遠ざけようとしてカイは掴みかかった。
しかし、後ろから両肩を押さえて引き戻され目論見は失敗に終わる。
「落ち着くんだ、カイ。カロンは君からの知らせを受けてベルを助けに来た。悪いようにはしない。」
振り返ると、そこには見知った顔があった。
言いたい事も聞きたい事も山程あったが、己の知る人物像と寸分違わない様子のジークに一先ず安堵が込み上げる。
「僕の知ってるジークで、間違いない……?」
それでもカロンの異様さが際立ち、カイは確認せざるを得なかった。
カイの心中を察してか、ジークは苦笑いしながら掴んだ肩を離す代わりにポンポンと軽く叩いてみせる。
「私の知らない生き別れた兄弟でも居ない限りは、私はこの世界に一人しかいないはずだ。」
ジークの言葉に、カイは徐にカロンへと視線を遣る。
そうは言われても受け入れ難い現実が、目の前にあるぞと言わんばかりに。
「……あー…、あれはー…うん、何と言うか。例外中の例外?のような感じでね。」
カイの態度を見て、コホンと咳払いしつつジークは言葉を濁した。
じっとその様子を見ていたカロンが、心外だと言いたげに剥れる。
「ちょっとぉ~!人を珍獣みたいに言うの止めてくれないかなぁ?心の広ぉ~い僕だって、へそを曲げちゃうよぉ~?」
カロンはベルに跨ったまま、両腕を組んでそっぽを向いてしまう。
その幼稚な態度が、益々カイに混乱を与える。
容姿は母なのに、中身は全くの別物。
そんな違和感がカイには歪な物でしかなく、思わず顔を顰めてしまう。
「そういう顔ぉ~!止めてくれないかなぁ?僕だってお前達の母親みたいな物なんだよぉ~?さっき言ったじゃないか!半分正解だってぇ~!!じゃなきゃ、態々こんな所まで出向いたりしないよぉ⁉呼ばれたから助けに来たのにぃぃ~!まったく心外だよぉ~!!」
ブツブツと文句を声高に唱えるカロンをよそに、カイは理解に苦しんでいた。
先程から耳にする、半分正解とはどういう事なのかと。
カロンの言葉が真実ならば、母なのかと問うたカイに半分正解と答えたという事は半分は母で間違いないという事だ。
しかし、半分とはどういう意図なのかが理解出来なかった。
「……貴方は、母さんでもあるの?」
信じがたいが、話を信じるならそういう事になるのかと思わず疑問が口をついて出た。
カロンは膨れっ面のまま、カイへと顔を向けると大きく頷く。
「だからさぁ~!さっきからそう言ってるじゃないかぁ~!僕はもう一人のお前達の母でもあるんだよぉ~!」
もう一人の母だと言い張る意図が知りたいカイだが、全く汲み取れずジークへ視線を送る。
唯々ジークは苦笑いするばかりで、望む答えは与えられそうに無かった。
「ジークに聞こうとしても無駄無駄ぁ~!僕が自ら話すしか、答えは見つからないのさぁ~。……所で、ベルだけど……非常にマズイなぁ~。」
唐突に、カロンはベルを見つめながら真面目な表情を見せた。
ベルの頬から胸へと、撫でる様に掌を這わせる。
その仕草だけは、カイにも見覚えがあった。
父が母へ、自らの命を大地へ返して欲しいと乞うた時に見た光景が重なる。
だからだろうか、カイは言い知れぬ不安を覚えた。
カロンがそのままベルの命を奪ってしまうのではないかと。
「……助けて、くれるんだろう?」
焦燥と疑念が雑ざり合う中、カイはカロンに問い掛ける。
半分は母であると言い張るのなら、助けに来たという事も嘘ではないのだと信じる為に。
「勿論だともぉ~!その為に僕は来たんだからねぇ~。でも、生命力がかなり消耗しているんだよねぇ~…。言ってみれば、首の皮一枚で切断された体が繋がっている感じぃ~?どうやったら自分がここまで衰弱する程人助け出来るんだか教えて欲しい限りだよぉ。お人好しにも程があるよねぇ~?」
言いながらカロンはベルの上から移動して、ベッドに腰掛けた。
両手を逆手にしてベッドに手を突き、肩越しにベルを見遣る。
「ベルがお人好しにも程があると思うのは、同感だよ。けど、そんなベルが僕は好きなんだ。誇りに思う。例え首の皮一枚で繋がった命でも、母さんなら…いや、カロン。貴方なら助ける算段があるんだろう?」
そうであって欲しいと願いながら、カイは出来るだけ落ち着いた様子で声を発した。
助けてくれるというなら、信じようと腹を括った心の現れであったのかもしれない。
「……美しい兄弟愛だねぇ~。まぁ、嫌いじゃないよぉ?けど、助けるには命の補給が必要なんだなぁ、これがぁ~。」
涼しい顔をして、カロンは恐ろしい言葉を口にする。
命の補給とは、つまり何処かから若しくはカイからの命の補給が必要と言いたいのであろう。
カイはそれでも驚きはしなかった。
以前母が教えてくれた事がある。
一個体の生命力の量は決まっており、その全てが寿命を終えるまで減る事はあっても増える事はないと。
そうして母は命の循環を手伝うために、誰かの願いにより寿命を早めて大地に返す事はあっても永らえらせる事はない。
何故なら、それは理を外れた行為であり全てのバランスを壊す為だと話してくれた。
もしも減った寿命を戻せるとしたら、別の命を奪う事になるとも教わっている。
だから決して母が何者かの寿命を永らえらせる事は無かった。
最愛の父であっても。
ベルを助けるというのなら、当然補給が必要になるという事を頭の隅で理解していたのかもしれない。
「僕の命で足りるなら、使ってくれて構わない。」
躊躇なくカイは決断を口にした。
真っ直ぐにベルを見つめる視線は、強い決意を感じさせる。
「足りないとは言わないんだけどねぇ~。それだとカイ、お前もベルも大して生きられないんだぁ~。お前達は年を取らなくなったせいで寿命がとても長い物なのだと思っていたかもしれないが、そうではないんだよぉ~。僕とお前達の母は例外中の例外でねぇ、それと違ってお前達の寿命は精々百年程度といった処で普通の人間と大差無いのさぁ。お前が了承してベルを助けた処で、カイの寿命を全てベルに与えても元の寿命には届かない。そうまでしてカイから命を分け与えられても、ベルは喜ばないだろぉ?」
予想外な言葉が返って来て、カイは驚いた表情を見せる。
カロンの言う通り、母がそうであるように自分達の命も終わりが無いのかもしれないと思い込んでいたカイには、目から鱗の話だ。
「……あと五十年程度の命……そう…だったのか…。」
思わぬ真実を突きつけられて、それ以上の言葉が暫く出て来ない。
仮に、その真実をベルが知っていたとして同じ様に村の人間を助けようとしただろうかと、思考を巡らせる。
答えは考えるまでも無かった。
恐らく、残り数年の命であったとしてもベルはきっと助けただろう。
大切な人を救う為ならまだしも、他人の命を己を犠牲にして救う事が自分には出来ただろうかと想像して、思考は袋小路に陥るだけだった。
終わりが見えないと思っていた命の終わりが、予期せぬ所で解を得ても困惑しかない。
それが人としては当然なのだと理解しても、気持ちが追い付かなかった。
けれど、例えそうであったとしてもベルの為に分かち合う命であるなら自らを捧げたい。
そう思い始めた時だった。
「意気消沈している所悪いんだけどさぁ?カイが命を差し出さなくても、あるじゃないかぁ~!ベルによって救われるはずだった命がさぁ?」
表情一つ変えず、寧ろ僅かな笑みを浮かべながらカロンが告げる。
その言葉に、カイは勿論だがジークさえも顔を顰めた。
「……貴方は、救いを求める病人達の命を奪えと……そう言っているのか…?」
カイの返答は驚きよりも嫌悪感が先に立ち、どうしても厳しい言い方になる。
ジークは目を細め、無言を貫いていた。
「おやぁ~?おやおやおやぁ~?偽善者気取りなのかなぁ?僕は唯、命を有効活用出来るのに使わない手は無いと提案しているだけじゃないかぁ。だってそうだろう?ベルがこんな状況で、最早この村の体力の無い黒死病患者は生き残る術を持たないんだよぉ?それを苦しまずに逝かせて、尚且つ有効活用して何が悪いっていうのかなぁ~?」
平然とした顔で、手遅れの病人を殺せとカロンは言い放つ。
偽善者などと、そんな問題では無い。
真っ当な精神を持ち合わせていたなら、そんな発想には至らないだろう。
第一、村の助からなかった命を自分に与えられたとベルが知ったなら、それこそベルが壊れかねない。
「貴方はッ!!他人から奪った命で生き延びたベルが、真面で居られると思うのか⁉自らの命を削ってまで他人を助けようとするお人好しがッ!そんな事実を知って平然として居られると思っているのかッ!!…貴方だって言ったじゃないか……僕の命でさえ削って助けたと知ったら、ベルは喜ばないだろうと……なのに……どうしてそんなッ……。」
噛み付きそうな勢いで、カイはカロンに反論して見せた。
しかしカロンは表情を変えぬまま、つまらなそうに肩越しにベルを見遣る。
見かねたジークが落ち着けと言いたげに、カイの肩を軽く叩いた。
落ち着くべきなのはカイにも理解出来ている。
ベルを助ける為にはカロンの力をどうしても頼る必要があるのだ。
けれど母と同じ顔で、母と同じ声で、そんな残酷な言葉を吐いて欲しくなかった。
カイの知りえる母ならば、決してそんな事は口にしないのだから。
嫌悪感と怒りにも似た感情が込み上げ、カイはグッとそれを呑み込んだ。
長い沈黙が部屋を満たす。
「……僕を悪者にしたけりゃすれば良いけどさぁ~?」
ゆっくりとした動きで、暫くしてカロンはベルから視線をカイへと移す。
そうして冷たい指先で、優しくカイの頬に触れた。
「カイ、お前が話さなければ良いだけの話なんだよぉ?村の人間の消えかけた命をベルに与えた所で、その事実さえ伝えなければベルは真面で居られるだろぉ~?だってそうじゃないか、放って置いても消える命だよぉ?ベルに与えようが与えまいが、現状では村の人間には死が待っているのさぁ。それをベルに与えた所で、お前が黙ってさえいれば、ベルの苦しみは村人を助けられなかったという罪悪感のみに軽減されるだけじゃないのかなぁ~?」
カイは目を見開く。
初めてカロンという存在と遭遇した瞬間に感じた、例えようの無い感覚が足元から這い上がって来る。
それは、恐怖とも不安とも違う。
お誂え向きの言葉があるとするならば、幼さ故の無垢が成せる残酷さ。
血の通わぬ言葉に、カイは絶句するしかなかった。
「今ベルを助けるのに必要なのは、その偽善者じみた高潔な心ではないはずだろぉ?お前がしなければならないのは唯、一を生かす為に十を殺す覚悟だよぉ!そして、その真実を永遠に自らの腹に抱えて生きるという強固な決意なんじゃないかなぁ~?」
カイの頬に触れた指先が、ゆっくりと顎までなぞり離れて行く。
同時に背中を嫌悪感に似た何かが這って行くかの如く感覚。
首筋を冷たい汗が流れた。
「……ッ……一を生かす為に…十を殺す……覚悟…?」
口にした言葉に、吐き気を催しながら無理矢理押し止める。
そんなカイの姿に、カロンは再び恍惚としながら微笑んだ。
ジークは片手で顔を覆い、唇を真一文字にしながら何かを堪えている。
「そうそうそうぅ!そうだよぉ?必要なのは、唯それだけなのさぁ。」
カロンの嬉々とした声音に耐え兼ねて、カイは胃液を足元に嘔吐した。
正常な思考回路を搔き回されて、眩暈が襲い掛かる。
吐き気に上下する背中を目にしてカイを案じたのか、ジークがそっと撫でながら何かを言っているのが分かっても理解が出来ない。
意識が暗闇に落ちる寸前、カロンの愉悦に満ちた表情が一瞬見えた気がした。




