12.始まりの記憶-嵐と黒い痣。
秋の収穫を終えた頃、村を含めた一帯の空を暗雲が覆い尽くし長雨が続いた。
十日程続いた雨は、やがて小さな嵐を連れて来る。
雷と強風、そして今までに降り注いだ雨量に加えての大雨。
川は増水し、ベルとカイの住む家の目前まで氾濫、収穫を終えていたとはいえ、田畑は酷い有様と成り果てた。
家の屋根等も所々吹き飛ばされ、村も同じ様な惨状となる。
何とか形を止めた家々を、皆が助け合って持ち直した状態だ。
二人の住む家に関して言えば、ミラの計らいで補修を補助して貰った。
そうして嵐が通り過ぎた後に、災いの源が家々で増殖し始める。
気付いたのは、シェアトと二人で家を訪ねて来るようになったミラと会話を交わした時だ。
「やっと嵐の惨状が落ち着いて来たけど、最近やたらとネズミを見かけるようになったのよね…。それに、村長さんが具合を悪くして寝込んでしまったから色々と問題が山積みで。」
少し疲れた様な、困った様な顔でミラは持参した菓子を頬張る。
カイはミラの言葉に、貰ったばかりの紅茶をそれぞれのカップに注ぐ手を止めた。
「取り纏め役が不在だと、領主も大変なんだな…。」
言い終えると、再び紅茶を注ぐ。
ベルが目の前に置かれた紅茶に口を付けるのを見て、ミラもカップを持った。
緩く波打つ栗色の長い髪を掻き上げ、紅茶を一口含む。
「…あれ?ミラ、首筋に黒い痣が…。」
ベルが、掻き上げた髪から覗くミラの首元を見つめながら呟いた。
指摘を受けて、少し驚いた表情でミラがシェアトに視線を送る。
「本当だ…姉ちゃん、そんな所に痣なんてあったっけ?」
シェアトが覗き込む様にしてミラの首筋を確認する。
そこには、親指の第一関節程の大きさの黒い痣が見て取れた。
「いいえ…そんなはずは無いのだけれど、おかしいわね?いつの間に出来たのかしら…。」
カイは紅茶を入れ終わり、暫く押し黙って何かを考え込む様に折り曲げた人差し指を唇に当てる。
ゆっくりと目を細めて、ミラと視線を合わせた。
「ミラ、ひょっとして具合を悪くしてから村長にも黒い痣を見かけたとか聞いた事は?」
キョトンとした顔をしてミラがカイを見つめ、すぐに思い出したように片手で口元を覆った。
その仕草を見て、カイの表情が曇る。
「そういえば、手足に以前は無かった黒い痣があったような…?」
ミラが言い終わると同時に、カイはテーブルに身を乗り出す。
真剣な顔をして、ミラの首筋を見つめた。
「…村長に、咳の症状は?ミラ自身にも倦怠感や、体が熱っぽかったりする感覚に覚えはある?」
あまりの真剣な眼差しに、ミラは上体を反らしてやや遠のきながら頷く。
カイはミラが戸惑う様子に気付いて、自らの体を引いた。
「あ…いや、すまない。不躾だった。けど、まずい事になっているかもしれない…。」
そのまま無言になるカイを不安気に見つめ、ミラはベルに視線を送る。
気付いたベルが、苦笑いしながらテーブルを指先でコンコンと叩いた。
「分かりやすく説明しないと、ミラも不安になるよ、カイ?」
そう言われたものの、カイの口は重かった。
暫く何かを言いあぐねる様子で押し黙った後、ようやく口を開く。
「…最初に断っておくけど、僕は医者じゃない。だからそれなりの知識しかないし、絶対だとは言えない。それを踏まえた上で、今から話す事を聞いて欲しい。」
改まった様子で、カイはミラとシェアトを見据える。
ミラもシェアトも同様に首を縦に動かすのを見届けて、カイはふぅと長い息を吐く。
「ミラは最近ネズミをよく見かける様になったと言っただろう?」
カイの言葉に、ミラがコクンと頷く。
それを見て、カイも小さく同様に頷いた。
「それから、村長に以前は無かった黒い痣。加えて、咳の症状。ミラにも同様に覚えのない黒い痣がいつの間にかできていた。倦怠感や発熱の自覚症状もある。」
ミラはシェアトと顔を見合わせ、再び二人が頷いた。
カイはそこで言葉を噤んで、暫く無言になる。
「……これらが偶然でないと考えるなら、黒死病の可能性がある。」
静かにカイは言葉を紡いだ。
ミラの表情が驚きのそれから徐々に蒼白した物に変化する。
「黒死病って…そんな…。」
一際目を細めて、カイがゆっくりと首を縦に動かす。
ミラは思わず両手で口元を覆った。
シェアトは訳が分からず、狼狽えた様子のミラとカイを交互に見遣る。
「さっきも言ったけど、僕は医者じゃないから確証はない。けど、長雨が続いて餌を求めてネズミが村に大量発生しているなら、媒介としての可能性はある。もしそうであるなら、早く手を打たないと事態が深刻化する可能性は否定できない。」
目に見えて不安がるミラに、カイは酷な事を告げている自覚はあった。
ミラの首筋のそれも、黒死病であるなら感染した証だ。
「…私…そんな…どうしたらっ⁉」
酷く混乱した様子で、ミラが悲痛な声で問い掛ける。
カイは再び人差し指を曲げ、口元に当て沈黙した。
重たい空気の中、シェアトは怯えた眼差しでベルに助けを求めて視線を送る。
何時に無く真剣な表情で、ベルはミラの首筋を見つめていた。
「…カイ、僕はミラ達を助けたい。」
静かにベルが、一言呟く。
カイは険しい表情を浮かべて、ベルをゆっくりと見下ろした。
「ベル、それはどういう意味か分かってる?カノープスの時とは訳が違う…ベルの事だから、ミラとその家族だけで事を終わらせる気はないんだろう?人が対象であり、しかも何人に及ぶかも不明なんだ…簡単に賛成は出来ない。」
淡々とした口調で、カイは意見を述べた。
しかし、賛成して貰えないであろう事を分かっていた様に、ベルは苦笑いして見せる。
徐に立ち上がり、ゆっくりとミラの隣に移動した。
不安そうな表情で、ミラはベルを見上げる。
「分かってる。でも、それでも僕はミラやミラの家族を守りたい。死なせたくないよ。」
口元を覆っていたミラの両手をそっと握り、ベルは微笑んだ。
カイはその様子を見て、大きく長い溜息を吐く。
恐らく、こうなってしまうとベルは考えを曲げない。
しかし、本来病気や怪我を治すのは医学の領分であり、医者の仕事だ。
自分達の関わるべき事では無い。
物理的な投薬等の治療ではなく、直接生命という根源を治癒するベルの能力は理を曲げている。
ベルのそれは、死を目前にした者を楽に逝かせ、命の源泉として大地に返す母の行いとは違い循環する事は無い。
あくまで一方通行の行為は、いつ果てるとも知れぬ時間を生きるベルやカイとはいえ何が起こるか予測出来ないのだ。
この村に移り住んで、ベルがどれ程お人好しで困っている誰かを放って置けない性格なのは理解している。
しかし、長い時間をこれからも共に生きるであろう血を分けた兄弟として、安易にベルのやろうとしている事は受け入れられるものではなかった。
関わりの深いミラ達家族を助けたい気持ちは、カイにも理解出来るし同感だ。
けれど、それ以上となれば慎重に見極めなければならない。
「…ベル?あの…これはどういう…?」
黒死病である可能性を示唆され動揺しながらも、ミラは両手をベルに握られて頬を染めながらしどろもどろになっている。
しかしシェアトはその様子を見て、小さく安堵した。
「姉ちゃん、大丈夫だよ。ベルお兄ちゃんが病気もきっと治してくれる。そうでしょ?」
シェアトの言葉に、ベルはゆっくり頷いた。
だが、そうは言われてもカノープスの一件を知らないミラには訳が分からない。
不安そうな表情のまま、ミラは首を傾げるばかりだった。
「信じて貰えなくても良い。でも、ミラ…君の体に触れる事を許して欲しい。」
サラッとミラにとっては爆弾発言を口にして、ベルは許しを請う。
何が何だか分からず、ミラは耳まで真っ赤になってカイに視線を向け、助けを求めた。
「…疚しい気持ちでベルは言ってる訳じゃない。ミラ、君にはカノープスの一件で伝えていない事があるんだ…。本来ならこれからも伝える気は無かった。けれど、今となっては説明せずに事を成すのは失礼に当たるだろう。だから話す。あの日、カノープスを一緒に僕らが捜して連れ帰ったとシェアトからは聞いているだろう?でも本当は少し違う。カノープスをシェアトと共に探しに行ったのは本当だ。けど、カノープスは実際には僕らが発見した時は酷い傷を負って木の上に逃れていた。」
静かにカイは話し始め、真相を語る。
ミラにとっては寝耳に水な内容に、驚きを隠せないでいた。
「でも、あの日カノープスは傷一つ無く帰って来たけれど…?」
シェアトは理解に苦しむミラの服をツンツンと引っ張る。
ミラはそんなシェアトに向き直った。
「違うんだ、姉ちゃん。カイお兄ちゃんの言っている事は本当だよ。二人から秘密にして欲しいって言われて黙ってたんだ…ごめんよ。でもあの日、カノープスは本当にお腹や色んな所に傷を負ってて弱ってたんだ。それを、ベルお兄ちゃんが治してくれたんだよ。」
カイの言葉を引き継ぐ様に、シェアトは真っ直ぐミラを見つめて説明した。
ミラは二人の言葉を受けて驚くばかりで、俄には信じがたい様子である。
「自らの目で見ていない物を信じろと言っても無理なのは承知している。だから、実際に体験してみるのが一番手っ取り早い。ベルは掌で触れて治癒する。服はそのままで良いから、ベルが君の体に触れる事を許可してやってくれないか?恐らく黒死病かどうかも、幾らか触れれば大体分かるだろう…。」
呆然としながらカイの説明を受け、ミラは暫く沈黙する。
本来なら冗談だろうと笑い飛ばしてもおかしくない状況だが、それなりにベルの為人を感じて見て来たミラには嘘だと突っぱねる事は安易に出来なかった。
「……分かったわ。こんな唐突にベルが下心から私に触れたいと言ってるとも思えないし、皆が嘘を吐いているとも考えられないもの。その…ベルの良い様にして貰って構わないわ…。」
下心が無いと自分で推測しつつも、行われようとする行為を思うとミラの言葉尻は羞恥で小声になる。
しかし、ベルとシェアトはホッとした顔をして見せた。
「信じてくれてありがとう、ミラ。じっとしててくれるだけで良いから。」
そう言うと、ベルはミラの両手を一度離した。
ふぅと小さく吐息を吐くと、ミラの真後ろに移動して両手で頭に触れる。
「頭から、全身に触れるね。じゃ…行くよ。」
ミラがベルの言葉にコクンと頷いた。
それを合図に、ベルは掌を頭からゆっくりと体温を伝えるように這わせて行く。
カイは複雑な表情でその様子を見つめた。
カノープスの時とは違い、慎重にベルは掌を移動させる。
後頭部から顔、顔から首に掌が移動した時にベルの動きが止まった。
「…カイの推測は正しいかもしれない。正常な命の流れに遺物の感覚がある。何かに感染しているのは間違いなさそうだね…。でも、元気にしてみせるから安心して、ミラ。」
状況を伝えると共に、不安を和らげる様にベルはミラに優しく言葉を掛けた。
ミラは唯々頷いて見せる。
「ほぼ確定か…。だとすると、相当厄介な事になった。ネズミの繁殖状態からして、村全体が感染している可能性もある。既に発症している村長は勿論、村長に関わった人間も恐らく発症するのは時間の問題だ。体力のある者は耐えられるかもしれないけど、子供や老人は厳しいかもしれない…。」
治療を続けているベルの様子を見つつ、カイが見解を述べた。
ミラはカイを見遣り、困惑した表情を見せる。
「此処より南の方では、黒死病で多くの死者を出したと聞くわ。病気が広がる前に、何か打てる手はないかしら…。出来る事なら、皆を助けたいの…。」
縋る様にカイを見つめるミラだったが、カイは渋い表情を浮かべた。
繁殖力の高いネズミも厄介だが、黒死病は感染した者の咳や飛沫により人から人へも感染する。
「ネズミの駆除は勿論だけど、発症者との接触を出来る限り避ける必要がある。それに、生活用水も感染源になり得る。ミラ、これは君が思っているより相当厄介で難問なんだ…。」
不本意そうにカイは視線を反らす。
正直な所、カイやベルの手には余る問題に思えた。
「…打つ手は無いの?私に出来る事は何も無い…?」
落胆したミラの声が届く。
ベルは二人のやり取りを治療しつつ聞いていた様で、少しの間手を止めてカイを見遣った。
「水に関して言うなら、専門家がいるじゃない?お礼は…そうだな、沢山の蜂蜜をミラに用意して貰うっていうのはどうかな?」
言いながら、ベルはチラリと斜め上の虚空を見た。
恐らくはスピカと交渉しているのだろう。
少しして、ベルは苦笑いしながらカイに頷いた。
「引き受けてくれるみたいだよ、カイ。」
ベルの言葉を聞いても、スピカの存在を知らないミラとシェアトには訳が分からずポカンとした表情を見せる。
後はカイ次第だと言わんばかりのベルの視線に、言葉を投げられた本人は片手で顔を覆い隠す。
そうして何度目になるか分からない長い吐息を吐いて、片手を軽く持ち上げた。
「分かった、分かったよ…ネズミの駆除は僕も手伝う。生き物相手にベルは気が咎めるだろうけど、それも止めろなんて言わないでくれよ?村の人と手分けして駆除に当たる。後は…そうだな。ミラ、出来るだけ肌理の細かい布を用意して欲しい。感染している者とそうで無い者を調べる必要がある。それを見極める時や駆除の時に布で口と鼻を出来る限り防御して感染のリスクを減らしたい。僕には見極める術がないから、そっちはベルに任せる。念のため、治療が終わったらシェアトとカノープスもベルが調べて。それから、ミラ。村の人との連絡役を頼みたい。余所者の僕やベルが直接事情を説明しても受け入れて貰えるとは思えない。頼める?」
外堀を一つ埋められて、致し方ない雰囲気を前面に押し出しながらカイは考え得る限りの指示を出した。
その指示を聞きながら、ベルはしてやったりという顔でミラの治療に戻る。
「ベル、同時進行で水の方の問題も解決させるんだ。これが可能なのであれば、僕も協力するよ…。」
無理難題を要求したらベルが諦める訳ではないだろうけれど、カイも素直に賛成出来ず条件を出す。
ベルは想像通り難なく笑顔で頷いて見せた。
その間ミラは先程の指示内容を頭で整理した様子で、カイに向き直る。
「肌理の細かい布に蜂蜜ね…分かったわ。それから、ネズミの駆除の方はエリス姉様に立ち会って貰えるよう頼んでみます。カイが居るなら、多分引き受けてくれるはず。」
ミラが一つ一つ順に確認を取る様にして方針を伝える。
その途中、エリスの下りでカイは少しばかり顔を引き攣らせて苦笑いした。
鋭くそれを察したミラが、同様に苦笑いを返す。
「私達に対する風当たりは別として、領主としての責務を拒否する様な姉様では無いわ。多少横柄な口調は気になるかもしれないけれど、そこは呑み込んで欲しいの。それから感染者の見極めには私がベルと対応するわ。父上と母上には、総合的な指揮を取って貰う為に屋敷に留まって貰うつもりよ。シェアト、貴方も父様達と居てね、お願いよ?」
流石は領主の娘といったところか、ミラはテキパキと条件を飲んで指示に応えた。
シェアトに関して言えば、屋敷に残る事を伝えたのは危ない橋を渡らせたくない姉の心情からだろう。
察しの良いシェアトだ、そこは食い下がる事無く頷いた。
暫くして、何度かミラの体全体に掌を這わせたベルが小さな吐息を吐いてその場を離れる。
ミラの首筋にあった痣は、跡形もなく綺麗に無くなっていた。
「何だか体が軽くなったみたい…?不思議だわ…ありがとう、ベル。」
立ち上がり、一礼してから自分の体を見渡し、ミラが呟いた。
ベルは微笑みながら、ミラに頷く。
その後はカイの指示通り、シェアトとカノープスも同様に調べたが、感染していたのは幸いミラのみと判明する。
休息を取る間もなくベルは立ち上がり、カイと共にミラの屋敷へまず赴いた。
ミラの屋敷は村を抜けて小麦畑を越えた小高い丘の上にある。
広大な敷地は石垣に囲まれており、門から更に数十メートルを歩いた先に屋敷があった。
舗装されたレンガ道を進み屋敷に辿り着くと、まずミラが率先して両親に事情を説明する。
話を受けてミラの両親は相当驚いたが、カイの指示を受け入れてくれた。
そうしてエリスが呼ばれ、彼女もまた事態の深刻さに文句無く役割を快諾。
カイ自身は以前の様子から、ミラの言う通りエリスが指示に従う事は半信半疑だったが、成程と納得せざるを得なかった。
「初めまして、お会い出来て光栄です。僕はカイ、もう一人はベルと申します。突然の事であるにも関わらず、快諾して下さり感謝致します。そして申し訳ありませんが念のため、屋敷の関係者もベルの診察を受けて下さい。俄には信じがたいかとは思いますが、何事も無く終わればそれで良しとして頂ければ助かります。仮に黒死病に感染した方がいれば、その場でベルが治療を行います。それと、感染の有無が確認出来て必要に応じ治療を終えた後、用意が出来次第口と鼻を指示した布で覆い屋敷に存在するネズミの駆除の手伝いをお願い出来ますか?黒死病の感染源の主な原因はネズミ等の動物を介した物に多く見られ、まず間違い無く今回もそれに当てはまると考えられます。」
髭を蓄えた端正な面立ちのミラ達の父親は、人の好さが表情に現れた様に優しい笑顔で大きく頷いた。
ミラの父だと言われれば納得もするが、エリスの父だと言われても教えられなければ気付かないかもしれない。
母が違えど、同じ父からこうも似ていない子供が育つのかと、ある意味不思議な感覚をカイは覚えた。
「ミラやシェアトから君達の誠実な行いは兼ね兼ね聞いているよ。通常なら容易に信じる事は難しい内容だが、聞き及んだ限り嘘を吐く様な人柄では無い事も理解している。疑うつもりは毛頭無い。何より、領民の危機を救おうと行動してくれているんだ。此方も誠意をもって応えるつもりだ。」
この子にしてこの父ありといったところか。
ミラの根幹たる思想は、父譲りであったらしい。
ともあれ話はスムーズに進み、ベルが見極めている間に他の者が手分けして指示した布を用意し、エリスや両親に使用人を加えた十人程度の感染有無の確認が終わる頃には準備が整っていた。
ミラの家族に黒死病の感染は見られなかったが、使用人の若い男性一人が感染しており、ベルはその治療に少々時間を要した。
その後は予定通り屋敷のネズミを総出で駆除し、目的を果たしに向かう。
「水の問題は、もう頼んであるから時間の問題だと思うよ。」
ベルはにっこり笑ってカイにそう告げた。
カイは片手を上げてベルに応え、四人は村長の家へと向かう。
「カイ様…本来領主である私達が解決すべき問題にも関わらず、ご助力を賜り感謝致します。私に出来る事は、可能な限りさせて頂きます。」
村長の家へと向かう道すがら、エリスはカイへと話し掛けた。
その口調はしっかりとしており、カイに対してしどろもどろだった印象も今は鳴りを潜めている。
「いえ、この地域に住む以上は他人事ではありませんので。微力ながらお力になれればと思っただけです。ミラの情報と目視で痣を確認しなければ、気付くのがもっと遅れていたかもしれません。それに殆どはベルの力無くしては成せない事なので、礼なら其方に。協力を快諾して下さり此方こそ感謝致します。」
カイは歩き続けながら隣を歩くエリスに応える。
エリスは先頭を行くベルとミラをチラリと見遣った。
「確かに…ミラが役に立ったと認める以外ありませんわ。しかし、主で尽力頂くのはベル様かもしれませんが、ご自身の持てる知識を活用して迅速に指示を出されたのはカイ様でしょう?十分称賛に値する事ではありませんか。」
前を向き話を続けるエリスに視線を投げ、カイは少しばかり驚く。
至極真っ当な意見も驚きだが、ミラを認めると言葉にしたエリスの変わりようにも目を見張ったのだ。
もしかするとエリスは本来、根は真面目なのかもしれない。
「…お言葉有難く受け取って置きます。」
カイは不思議な感覚で、簡素な一言だけを返した。
エリスも小さくそれに頷く。
やがて村長の家に辿り着くと、エリスは率先して話を通してくれた。
そして驚いた事に村の村長だと紹介された人物は、以前ミラとピクニックに出掛けた折に広場で出会ったあの老人であったと判明する。
ミラの両親と同じ様に、すんなりと話を受け入れてくれた訳ではないが、他でもない領主の頼みに村長も了承せざるを得なかったのだろう。
渋々とまでは言わないが、半信半疑のままベルの治療を受ける事となった。
カイとエリスはその間に害獣駆除に当たる算段を、未感染であった村長の息子であるケレスと話し合う。
暫くして、ミラの屋敷から使いが訪れ、大量の上質な布が届いた。
既にカイ達は感染防御で布を着用していたが、これで駆除に当たる人員にも配布の用意が整ったと言える。
ケレスは痣や咳の皆無な村の人間に声を掛け、総出で害獣駆除が開始された。
半数は家屋を担当し、半数は村の周囲の農地を浄化させる為に慎重に燃やす作業に当たる。
夜を徹して駆除は続き、作業は丸一日半を要した。
駆除が完了し、一か所に集められたネズミの死骸は焼却され、粗方の作業が終わった頃だった。
ミラが血相を変えて、カイの元を訪れる。
髪も衣服も乱れる事を厭わず息せき切って走って来たミラは、悲痛な声でカイに呼び掛けた。
「カイ!…ベルが…ベルの様子がおかしいのっ!村長を治療した後も、大勢の治療に当たってくれてたんだけど…治療する人数が増す毎に、ベルの顔色がどんどん悪くなって来て…!私、これ以上は無理をしなくていいって言ったんだけど、ベルは大丈夫だって言うばかりでずっと治療し続けてて…ぁ…え?カイ⁉ま、待って!ベルの所に行くなら案内するからっ!」
ミラが話し終わらない内に、カイは駆け出していた。
「申し訳ありませんが、後を頼みます!エリスさん!!」
走り出すと同時に、視線を交える事無くカイが言い放つ。
驚いたミラが、直ぐに追いかけてカイをベルの元へと先導した。
「すまないミラ、出来るだけ早くベルの所まで案内を頼む!」
声を掛けられたミラは頷き、西方向へと駆けて行く。
ミラの速度に合わせ、カイはピッタリと後を着いて行った。
辿り着いた先は広場を通り越し、立ち並ぶ民家の最奥の家。
ノックもそこそこにミラは扉を開け、入って直ぐのキッチンを通り過ぎた部屋へカイを案内した。
そこには、床に座り込みベッドに寄りかかるベルの姿が。
「ベル!!」
名前を叫ぶと、カイはベルに駆け寄りそっと抱き起こした。
青白い顔をして、ベルは力なく笑う。
「…ぁあ…カイだ…。ミラには大丈夫だって、言ったはずなの…に…。」
声を出すのも辛そうな状態で、それだけ話すとベルは意識を手放した。
カイの表情は一瞬で険しくなり、そのままベルを背中に担ぎ歩き出す。
「ミラ、悪いけど治療はこれで打ち止めだ。ベルは連れて帰る。」
来た時同様に、ミラには視線を向ける事無くカイは民家を出る。
後ろでミラが同意する声が微かに聞こえた。
力の抜けきったベルは普通に考えれば重いはずだが、カイの脳内は一刻も早く家に戻りジークに連絡を取る事ばかりを考えていたおかげで苦にもならない。
村の民家を離れて暫くした辺りで、カイは誰も居ない虚空に小さく声を発する。
「スピカ、近くに居るんだろう?頼む。ジークを今すぐ呼んでくれ…お願いだ、ベルを助けて…。」
藁にも縋る思いで、カイは声を絞り出した。




