1.遠い昔のお話。
この作品の主人公であるカイとベルに繋がる遠い昔のお話です。
人里離れた深い深い森の奥。
獣と不思議な生き物だけが存在する、特別な世界への入り口があった。
月の満ち欠けにより、時折その入り口は人の生きる世界へと繋がる。
満月のある晩。
この世ならざる者の世界から、彼女は人の住む世界へと訪れた。
小さな湖の一部が、薄らと光を放ち彼女が姿を現す。
その姿は、二十歳前後。
髪は長く、色素の薄いアッシュゴールド。
透き通る様に白い肌と、赤い唇。
瞳の色は春の若草を連想させる、エメラルドグリーン。
素肌に白いロングのワンピースの様な、衣を纏っている。
時折、彼女は世界が交わる場所を訪れていた。
いつもは人の気配など、全くない森の奥。
静寂と森に生きる様々な動物の息吹だけが存在する場所。
しかし、その日は違った。
人が分け入ることのないはずの深い森の奥に、生きる糧を求めて一人の狩人が迷い込んでいた。
狩人の名はリンク。
背は高く、黒髪にゴールドブラウンの瞳を持ち狩人にはそぐわない優しい面立ちをしている。
本来の狩場である森では獲物に出会えず、いつもは決して立ち入らない迷いの森へ深く深く入り込んでしまっていた。
しかし、リンクはそこで出逢う。
この世の者とは思えぬ美しい彼女に。
大木の影から、リンクは暫く彼女を見つめる。
湖のほとりに腰掛け、彼女は一匹の青い小鳥を肩に乗せていた。
小鳥が話し掛ける様に少しの間囀ると、彼女は暫くその小鳥を見つめ口付ける。
すると、小鳥はゆっくりと目を閉じて湖へと落下した。
彼女は湖に浮かぶ小鳥を、両手で愛しそうに拾い上げる。
掌の中で、小鳥は淡く金色に光る液体へと変化した。
彼女は掌に溜まったそれを、湖へと流し込む。
淡く光る液体はゆるゆると湖に溶けて、その光もやがて消滅した。
一連の様子を見て、リンクは悟る。
彼女は人では無いのだと。
まるで命を吸い取り、そして命を与えるかの行為を目にしてリンクはとても彼女を畏れた。
大木の影に身を潜め、両手で口を覆う。
目を閉じて天を仰ぐが、直ぐに彼女の事が気になった。
リンクは畏れ以上に、彼女に魅入られてしまっていた。
再び湖の彼女を見ると、視線がかち合う。
向こうもリンクに気付いていた。
意を決して、リンクは彼女へと近付く。
「…君は、人では無いね?」
リンクが問い掛けると、彼女は顔を背けて湖を見つめた。
「…てっきり、逃げたんだと思った。」
透き通る様な、美しい声で彼女は答える。
「僕が居る事に…気付いていたの?最初から??」
自分が居る事に気付いていた上で、全てを見せたというのだろうか?
人では無い事を知らしめる為に。
暫く、沈黙が続く。
湖面を見つめる彼女は、近くで見るとその美しさを際立たせた。
線は細く華奢な体つきだが、満月を浴びて髪や瞳はキラキラと光を放ち衣から伸びた透き通る様な白い肌はしなやかで赤い唇はある種の妖艶さを感じさせた。
「綺麗だ…。」
リンクの唇から、息をする様に思った言葉が漏れた。
彼女がリンクに向き直る。
「面白いな、お前。さっきのを見て畏怖では無く、私を美しいと思うのか?」
悪戯っぽく、彼女が笑う。
「…自分でもおかしいと思うよ。でも君は今まで見て来たどんな物や人より、とても綺麗だ。
…僕も…さっきの小鳥の様に、湖に溶かされるのかい?」
畏れが無いと言えば、嘘になる。
けれど感じた事をそのままに、リンクは彼女に伝えた。
すると、一拍置いて彼女はクスクスと笑い出した。
「まさか!そんな訳無いだろう?小鳥は寿命を悟って訪れたお客さんだよ。私は客人の望み通り、
苦しまない様に生命の輪の中に返しただけさ。」
事も無げに、さらりと人知を超えた事を彼女は言い放つ。
其れはつまり、『彼女が命を循環させている』という事だろうか?
リンクの疑問は、見透かされた様に彼女が付け加えた。
「全てでは無いよ。私は乞われた時に、そうしてるだけさ。」
思わぬ解答を得て、少し胸を撫で下ろす。
また沈黙が訪れた。
乞われなければそうしないと言うなら、湖の一部に自分がなる事は無くなった様だ。
しかし、ならばやはり人ではあり得ない。
この世ならざる者。
なのに、何故こんなにも心惹かれるのか。
「君の名前を、教えて貰えないかな?」
もっと彼女を知りたいと、リンクは思ったままを再び口にした。
すると、彼女はじっと此方を見つめる。
「名を問うなら、問うた者が先に教えるべきだろう?」
威圧感は無く、柔らかな口調で彼女が言う。
リンクは最もだと思い、片膝を付いて一礼した。
「非礼を詫びるよ。どうか気を悪くしないでくれると嬉しい。僕の名前はリンクだ。」
まるで騎士が姫にする様に、リンクは彼女の前で更に片手の拳を地に付け俯いて見せた。
そんなリンクに小首を傾げて、彼女は小さく微笑む。
「簡単に真名を言うものではないよ。特に私の様な者達にはね…。虜にされて、彼方へ連れて行かれても文句は言えないよ?」
言われて、リンクは彼女を見上げた。
「…残念な事に、名を明かす前から既に君の虜だ。」
苦笑いして答えると、彼女は目を丸くして口元に手をやる。
何事かを思案した後、ふわりと笑った。
「口説かれたと、思って良いのかな?…リンク、私の名は誰にも言ってはならない。約束出来る?もし約束出来るなら教えるよ。」
リンクは両手を付いて、大きく頷く。
「それが君の望みなら、僕は必ず守り続ける。」
だから聞かせて欲しいと、言わんばかりに身を乗り出した。
「…私の名は、ルナだよ。けれど此方で私を、そう呼んではいけない。だからもし私の名を呼びたいのなら、リンク…お前が新たに名を付けると良い。」
ルナからは、意外な言葉が返された。
何かの理なのだろうか?
真名は明かすが、呼んではいけない。
誰かに聞かれる恐れを避ける為だろうか?
いずれにしても、自分がルナに新たな名を与える。
まるで契約の様だと、リンクは思う。
「名を呼びたいのは確かだよ。けれど僕が君に名を与える事で、君が不便を被る事は無いのかい?」
リンクの言葉に、ルナがニヤリと笑う。
「お前は鋭いな。そうだ、新たに名を貰うと言う事はお前が私を此方に縛ると言う事。これは契約でもあるからね。けれど、気にする事はないよ。私もまた、リンクの瞳を覗いた時からお前の虜になったようだ。」
言いながら、両の手でリンクの頬を包み込み、ルナは瞳を覗き込んだ。
「さぁ…私の新たな名を教えて、リンク。」
愛しい者を愛でる様に、ルナが優しく囁く。
途端に、リンクの鼓動が速度を上げた。
頭の奥が痺れる感覚を覚えながら、名を考える。
暫し押し黙り、そうして呟いた。
「アルテミス。」
その名を聞いて一つ微笑むと、肯定代わりに彼女はリンクに口付けた。
後に、アルテミスは人の住む世界に留まりリンクとの間に二人の子を成した。
新月の夜、光と闇を象徴する様な髪色の双子を産み落とす。
ブロンドの髪に、ゴールドブラウンの瞳のカイ。
紅蓮の様な赤髪に、エメラルドグリーンの瞳のベル。
リンクの命が尽きる迄、四人はひっそりと森深くで暮らしたという。
そうして、リンクは最後にアルテミスに乞うた。
循環する生命の輪に、自分も帰して欲しいと。
アルテミスはリンクの願いを叶えたが、その後三人がどうなったかは分からない。
これは、遠い昔のお話。
誰も知らない、秘密のお話。
次回より、カイとベルのお話が始まります。