第18話 学園崩壊
競技場へ息を切らせながら急いで走っていく、少女達が居た。
神代由奈とエミリア=バーミントンだった。
「急がないと遅刻しちゃう~~!!」
「ごめんなさい…エミちゃん、私が間違って時間覚えてたから…」
「気にしないでいいよ、ユナタン。
確認しなかった私も悪いんだし…」
走りながら会話する二人が競技場へ到着した。
中から歓声が聞こえる。
「やっっばぁ~い、もう始まっちゃってるぅ~」
「急ごう!」
「そうだねぇ!」
エミリアの言葉が聞こえた瞬間、何かの気配を感じ由奈が振り返る。
「?!」
しかし、そこには誰も居なかった。
それに気づいたエミリアが由奈に声を掛ける。
「どうしたの、ユナタン?」
「…うん、なんか…嫌な気配がした気がしたんだけど、気のせいかなぁ…」
「君すごいねぇ?気配は完全に消してたつもりなんだけどなぁ。
やっぱり、この学園の生徒は侮れないな…それとも、君が特別なのかな?」
何の気配も無い背後から突然声が掛かり、二人共跳び上がる程に驚き、
振り変えるとフードを被った男が立っていた。
「だ、誰…?!」
「君にも興味が湧いたけど、今日はそっちのお嬢さんに用が在るんだぁ。
まぁ…他にも色々用事はあるんだけど…中に居るあの男に一番興味があるかなぁ。
もうソロソロ祭りが始まる頃かな?」
エミリアの方へ話し掛けるフードの男。
男から異常な気配が噴出し、由奈は我知らず身構えていた。
話を戻そう…
『刻の影憑き』となった出場選手達の相手を引き受けたレインとその場に残ったバルジモアの闘いはほぼ終わっていた。
最後の1体が、変則的な動きを取りながらレインへ襲い掛かろうとしていた。
ゆっくりとした動きの『刻の影憑き』の凶悪な右拳が、刹那…レインの目の前に迫っていた。
触れれば、朽ち果てる…その瞬間、レインが軽く動いた様に見えた。
そして、右手の修練用の剣は使わず、左手の漆黒の籠手で『刻の影憑き』のお腹を殴り飛ばしたのだ。
後方へ吹き飛んでいく『刻の影憑き』…殴り飛ばした姿勢のままのレインの突き上げられた左拳は…
朽ち果てる事も無く握り絞められたままだった。
「…お前のその腕はどうなってやがる…何で奴等の身体に触れて無傷でいられるんだ?
説明してもらおうか?」
そうレインへ話し掛けるバルジモアも無事だった様だ…傷一つできていなかった。
「…企業秘密だ。
それより手は抜いてくれたのか?」
「ふん、言われるまでも無い。
『刻の影憑き』になったとは言え、元は同じ学園の生徒だからな…殺しはしていないがな…
そんな事をして意味が在んのか?
一度憑かれた奴等は、元に戻らないと聞いているが…」
不貞腐れた物言いをするバルジモアに振り返らず、殴り飛ばした『刻の影憑き』の方へ歩いて行くレイン。
「彼等は『影』に憑かれたばかりで、まだ怪物へと変貌していない…
まだ完全に侵食されていない…この段階なら、影の中に潜む虫を潰せば…」
そう言って、レインが左手を倒れ伏している『刻の影憑き』の背中に当てる。
何かを掴むような仕草をするレイン…
その手には、見た事の無い『虫』が握られていた。
ジタバタ動いていたが、レインが握り潰すと白い煙に包まれ消えてしまった。
生徒が元の姿へ戻っていく…バルジモアの眉尻が少し動く。
「本当に…人に戻るのか?!
あれが…『刻虫』…か、確か…古の伝承に記されていた。
世界を混沌へと導く『災厄』が蘇る兆候の一つだったか…
封印の力が弱まり、災厄の波動が漏れ始めると…こいつ等が増え始める…」
「ああ、だが…それだけじゃ無い。」
レインが、小さく言葉を切る。
「そう、彼の言う通り…それだけじゃ無いんだよねぇ。」
貴賓席の方からレイン達に声を掛ける者がいた。
バルジモアが振り返るとフードを被った男が立っていた。
その身に纏う気配は、人のそれでは無かった…寒気を起こさせる異様な殺意を放っていた。
《やっぱり、現れたね…でも、流石にこれは君の手にも負えないよ…
多分…彼は、筆頭だろうね…》
頭の声が、緊張している。
「成る程、異様な気配を持っている…存在自体が異常だな…
噂に聞く『災厄』の使い…か。どうやら『不限の魔女』ではない様だが…
何の目的でこの騒ぎを起こした…?」
話しながらゆっくり貴賓席のフードの男に振り向く。
レインの言葉にバルジモアが食いついた。
「おいおい、何言ってやがる、レイン?このフードの男が『災厄の使い』だというのか?
『使徒』ってのは、世界を滅ぼす『災厄』の執行者…俺達『封印の民』の最強の仇敵だぞ。
それがこんなちんけな男だとは到底思えんな…こいつは、ただの不審者じゃねぇのか?」
バルジモアが、フードの男をコケ降ろす。
「ふ~ん、下等な生物の分際で、崇高なる『御方様』の使徒たる俺を愚弄するのかい?
…少し気分が悪いな…君は、この世界から消えた方が良さそうだ。」
フードの男が、右手をバルジモアへ向ける…ただそれだけだった。
「なんだそりゃ?馬鹿にしてんのか…」
次の瞬間、バルジモアが跡形もなく消えていた。
「?!」
「いらないモノは、直ぐに消さないとね。」
フードの男の口元が吊り上がるのをレインは見た。
「…過去の刻に干渉した…と言った処か。
存在自体を消した…バルジモアは、存在していなかった事になったという事か。」
眉一つ動かさず、冷静なレインの言葉にフードの男が少し驚いていた。
「ふ~ん、やっぱり君は面白いね。
…そう僕は、『刻』に干渉し彼の過去を書き換えた…これがどういうことか解るかい?
過去の刻を消された彼は、元々存在して居なかったという事になる…
だから、彼が存在したという証も…人々の記憶にすら存在していない…筈なんだけどねぇ…
なのに何で君は覚えていられるんだい?」
フードの男が、レインへ質問をするが、
「…」
レインは答えなかった。
「ふ~ん、やっぱり君…とても面白いね…
『刻の影憑き』もかなり強いんだけどなぁ…君の前だと力を発揮できないみたいだ…
その…左腕が原因なのかな?」
レインの左腕を指さし、フードの男が質問するが、
「…」
レインは、応えない。
フードの男が左腕をじっと見つめながら…
「その左腕…相当ヤバそうだね?
対峙してても解るよ、その異様な気配…それ…まるで…」
「口の軽い男だな、そんなに喋りたいのか?」
「ああ、ごめんごめん。
君が、とても面白いからついついしゃべり過ぎちゃったよ。
…まぁ、本来の目的は果たせたからねぇ、それに君にも挨拶できたしね。
そろそろ終わりにして…帰るよ。」
フードの男が、ゆっくりと浮かび上がっていく。
「それにしても良い大会だねぇ。全世界が注目してるしねぇ…
まぁ、有名な学園の主催にしては、少し地味だよね…もっと盛大にしてあげなくちゃねぇ…」
フードの男から発する気配が膨大に膨れ上がっていく。
《あれは…不減の力…
大気を圧し潰し何処までも膨張していく…そして、耐えきれなくなった大気が大爆発を起こす…》
レインの姿が地上から消えた…瞬間、フードの男の目の前に現れた。
「おや…もしかして、邪魔するつもりなのかい?」
レインは、左腕の剣を袈裟斬りに振り下ろしたが、フードの男に当たる寸前何かの障壁に弾かれた。
体勢を崩すレインの腹をフードの男が蹴りつけ、後方へ吹き飛んでいく。
「無駄な事はしないで黙ってみてなよ?
君の力では、僕に傷を付ける事すら出来ないよ。
僕の周りには、一切の事象を受け付けない絶対障壁が、常に張ってあるからね…」
フードの男が、言葉を止めた。
レインが、切りつけた空間部分にひびが入っていることに気付いたのだ。
「この障壁にひびが入るなんて…あり得ないんだけど?
異空間障壁は、理の中に生きる君等には絶対破壊不可能の筈なんだけどね…それを可能とするなんて…
君は…一体何者なんだい?」
フードの男の声が上ずっていた、レインへの興味が増したようだった。
体勢を立て直しつつ、床に着地したレインがゆっくり立ち上がる。
「俺は、この世界じゃ…ただの隠居者だ…と言っても信じられないだろうが…」
「隠居者…?よく意味が分からないけど…この世界に来た『転生者』って事で良いのかな?
『大いなる意思』に役目を背負わされた者…だとすれば、僕等にとっては天敵って事になるね。」
「…不本意だがな。」
「そうかい…それじゃあ、また逢う事になるだろうね。
君が生き残ればの話だけど…」
フードの男が両腕を天空に突き上げる。
大気が振動し始め…息苦しくなる程の重圧感が襲う。
「さぁ…盛大なショーの始まりだよ。」
大気の振動が激しくなっていく…雲が消し飛び、青空が赤く染まる。
「そうはさせん…」
倒した筈の『刻虫』に憑かれた生徒達が、レインを羽交い絞めにし身動きが取れない様に纏わり付く。
「くっ?!」
「君には、そこで静かに観戦していてもらうよ。
此れは世界の崩壊の始まり…『御方様』復活の為の挨拶だからね。」
その瞬間、大気が弾けた…
全てを破壊する強大な爆発が、四方数キロに渡って起こる…生ける者など…居るはずも無い…
全世界に激震が走った。
世界有数の傭兵学園で起こった大惨事…
数キロにも及ぶ筈だった被害は、学園の防御機構が作動中であったことが幸いし、近隣への影響は殆ど皆無だった。
しかし、事実上…学園は崩壊した…
それを引き起こした者は『災厄』の復活の予兆である『使徒』…
学園の崩壊とともに姿を消した『使徒』の追跡が始まったが、一向に姿を見つける事が出来なかった。
そして…時を経ずして、世界各地で異変が起こり始めていた…
街一つ丸ごと住人が姿を消すという怪奇現象…一夜にして老朽化した村…凶悪なモンスターが、跋扈しはじめ…世界が混沌に落ち始めていた…
各国の首脳陣は、事の重大さを認識する事となった…『災厄』が復活するその予兆…全てが伝承の通りだったのである。
各国首脳による緊急会談が行われ。
大陸中央にある不可侵領域…『聖域』における封印の弱体化が指摘された。
そして、異例の決議が出される…数十年後に執り行われる筈の『封印の儀式』を早めるという措置だった。
しかし、準備には数か月を要し…封印の儀式を行うためのクリアしなければならない課題も多い。
各国が協力しつつ、来るべき最悪の事態に備える事となった。
学園崩壊から数日後…
不可解な事が起こっていた…
瓦礫と化した学園の爆心地である競技場に…観客席に居た者達や学園内に居た全ての者達が、生存していたのだ。
フードの男に消されたはずのバルジモアの姿があった。
「…?なんだ…どうなってやがる…?」
自分の置かれている状況が理解できていない様だった。
それは、その場に居る全員が同じだった…ただ一人を除いて…
「…レイン」
フェリスだけがこの状況を飲み込めていた。
(『破綻者』の力を使った…のね…
でも、いつもと違う…普通なら全て元通りになっているのに…)
フェリスが、レインの姿を見つけ駆け寄っていく。
「レイン…これは…」
「フェリスか…」
「『能力』を使ったのね…?でもいつもと違う…」
「…ああ、あのフードの男は『因果律』に干渉させられない存在の様だ。
俺の『能力』は、永劫に流れる因果律を歪め、本来あるべき姿では無い事象へと改変してしまう…
だから『能力』を解除すれば、元の因果律に戻ろうとする…あるべき本来の姿にな。
だが…あの男には…別の因果律が流れている様だ…」
「それって…」
「今は良く判らないが…解っていることは、完全に元に戻る事は無いという事だ。
生徒達の記憶は、俺が競技場で『刻の影憑き』と対峙した時点まで戻っている筈だ…
だから、学園が突然崩壊したように見えるだろう…」
レインの元へサーシャ達が走り寄って来た。
後ろからは、観客席で闘っていたダグラス達もやって来る。
「レイン様ぁ~!」
「どうやら…無事だった様だな…」
そう言って、レインが意識を失いフェリスの胸の中に崩れ落ちた。
薄れていく意識の中、頭の中の聲が聞こえた。
《まったく…無茶しすぎだよ、こんな事ばかりしてたら体がいくつあっても足りないよ?
もう、こっちの世界に順応し始めてるのに無理やり元の身体を使うなんて…》
(…ああ、そうだな…だが、あの状況で他に手は無かった筈だ…)
《…まぁね、でも…元々無茶な考え方だったんだ。
『使徒』とは言っても『災厄』の力の一端を持ってる者を相手に全員を救おうなんて…》
(…)
そのままレインは意識を失ってしまった。