終わりについての一考察
「ひとつ、真の終わりという概念は実は存在しない。始まりも同様だ。それらは全て人が身勝手に名付けた一時刻に過ぎない」
「ひとつ、ある一時刻を終わりと名付けたならそれは必ず始まりでもある。止められない流れを、あくまで切り分けただけなのだから」
「ひとつ、人は死を終わりと考えている。では、一体何が始まるのだろう」
「ひとつ、死の定義はとても曖昧だ。呼吸が止まるその瞬間?脳が壊死したとき?君のように綺麗な灰になったとき?きっとそれは正規分布のように広がっているんだ。」
「ひとつ、今この瞬間を僕の死の定義としたら、わかってるよ、それはとんでもなく外れ値に当たるのかもしれないけどそうしたら、今から僕は死体を自称してもいいのだろうか」
「ひとつ、死体には意識がない…かはわからない。確かなのは、過去全ての人がその答えを誰かに伝えようとはしなかったってこと」
「ひとつ、伝えるという行為はそれ自身が欲求なんだ。人は伝えたいから何かを伝える。寝たいから寝る。食べたいから食べる。これらとなんら変わるものではない。…君が聞いたら また難しいこと考えてるね なんて言って笑うのかな」
「ひとつ、全ての欲求を忘れさせてしまうものがある。圧倒的快楽だ」
「ひとつ、圧倒的快楽もまた定義がとても曖昧だ。人によっては美味しいものを食べただけで感じるだろうし、この世の全てを手に入れても達成できない人もいる。そうだな、あるいは、失われた誰かに会うことでそれを感じる人もいるだろう。…そういうことか。試す価値はある」
「ひとつ、終わりの挨拶としては”さよなら”が一般的だ。でも、述べたとおり、終わりは始まりだ。つまり、終わりに際し、始まりの挨拶を述べても別におかしなことではない。いや、むしろ前向きでいいことかもしれない。例えば、”初めまして”とか。」
「ひとつ、初めて会うわけではない人に対する始まりの挨拶として、”初めまして”は適当でない。そうだな、きっとこの言葉が一番しっくりくる」
4月17日、一人の青年が自宅で死亡しているのが発見された。死体に外傷はなく、死因は現在のところ不明。
青年の近くに、青年が書いたと思われる1枚の紙が落ちていた。状況的には遺書かと思われたが、それはさらに警察の頭を悩ませた。
そこに書かれていたのはたった一言だった。
「ひさしぶり」




