98 小京都駿府
今川家当主今川氏真が上洛し、第十四代将軍足利義昭に拝謁。そのまま、京都で朝廷への挨拶(および寄付)などをしているらしい。蹴鞠や歌会などの接待コースだろう。
織田家と徳川家と同盟関係となり、駿府から京都までの安全なルートが開通したことで、京都の人間が今のうちに一族を駿府に避難させようという動きがあるらしい。
駿河まで今川家当主と一緒に移動すれば、リーズナブルで安全という思惑だ。
世間一般的に言えば、それってタカリっていいませんかね?
そんな京都から来る人で、異彩を放っている職種の者もいる。
今川家の当主として新当流という剣術を学んだ今川氏真は、将軍家の兵法指南役の吉岡流の剣客と手合わせして親交を結んだらしい。高弟だか子息だかを駿府に連れて行くから道場を建てておいてくれと書いてあったので、そのまま岡部様にスルーパスしておいた。
たしかに、駿府にこれといった剣術道場ってないもんな。
ちなみに、この時代の主だった訓練方法は、自主練習および実戦訓練である。実戦訓練とは、実戦のような訓練ではなく本物の実戦だ。
基本的には強い人に直接教えてもらうスタイルだ。
専門学校できちんとしたカリキュラムとして学ぶのではなく、現場の職人の仕事を実地で学ぶような方法だ。
実地で技術を学ぶから、「師匠はこうした」「師匠はこうやった」という技術を学び、それを自分流に落とし込む必要がある。
結果、教えられる側に適性がなければ落ちこぼれる。適正があるなら十分以上に技術が身につくだろう。
言い換えれば、適正のある弟子がいなかったら一代限りの流派「我流」で消えるという事だ。
なお、才能のほうがありすぎると自分流に落とし込んだ末に、元の流派と違う理論となって自己流を立ち上げるケースなんかもある。
組織として流派を継続させるなら、この辺を何とかする必要があるだろうな。
「別にオレが心配することでもないか」
「太観殿?」
「なんでもありません」
オレの独白が聞こえたらしい今川家宿老の岡部様に返事をしつつ、雑務をこなしていく。
まあ、特殊なケースはともかく、京都からやってくる人々に対処しなければならない。落ち延びてきたとはいえ、相手は身分ある人間である。あだやおろそかにはできない。
「京からの貴人たちへの対処は?」
「すでに、今川館での保護は限界にきています。駿府の町中で暮らしてもらいましょう。家屋の建設を急がせます」
「費用がかさみますな」
「なに、すぐに取り返せますよ。駿府に来た公家衆を今川家は保護しますが、その生活のすべてを今川家で賄うわけにはいきません。彼ら自身で生活の糧を得てもらう必要があります」
先代の今川義元の時代にも、京都からの貴族を駿府で保護していた。彼らは今川館で賓客として暮らしていたのだが、京都までの勢力と同盟を結んだ結果、その数が飛躍的に増加する事になった。
当然、駿府に来る人すべてを客人待遇でもてなせるほどの余裕は今川家にはない。それでも駿府に来たいという人がいるのだから、京都周辺の状況がどんな状況か想像するのは難しくない。この前も、岐阜に帰った織田信長の隙をついて三好家が京都を襲い、公方の屋敷を包囲している。
そういった視点で見れば、駿府の都は平和だ。あの武田信玄を退け、さらには近隣大名と同盟関係を結び領土の安全を確保している。
さらに、名門今川家という家格と、今まで貴人を保護していたという実績。格好の避難先というわけだ。
「そうなると、問題が二つあります。一つは、京都の伝統と格式を持った品が駿河に出回るという事。それは、駿河に住む領民たちを豊かにすることにもなるし、同業者の生活を奪う可能性もあります」
この時代の貴族というのは、現代でいう官僚や公務員だ。問題は、その公務というのに博物館や図書館の職員も含まれているということ。彼らは国の運営、時代の記録、文化知識の継承を連綿と連ねてきた専門家の一族。つまりは、一子相伝の伝統と格式のスペシャリストという事だ。
彼らの技術力は高い。連綿とその分野の知識や技術を研鑽し、受け継いでいるのだ。それも当然といえる。
そんな彼らがやってくるという事は、どういうことになるか。
補助が出るとはいえ十分な額ではない。自分たちの生活を自分たちで賄う必要が出る。本家からの仕送りで悠々自適に生活できる者もいるかもしれないが、それが出来ない者は自分たちの技術の切り売りをする必要が出てくるだろう。
京都文化のカルチャースクールや、美術品の目利き、要するに娯楽の増加だ。
当然、その顧客というのは駿河の領民が対象となり、その娯楽を楽しむには費用が掛かる。
海に面した東日本の海洋交易の中継地点であり豊かな国ではあるものの、国民すべてが豊かというわけではない。
さらに、駿河で同じような娯楽を提供する者たちからすれば、田舎に出来たスタバや大型モールのごとく脅威となるのだ。
この両者の問題を解決させる方法は領民を増やすことではなく、領民を富ませる事。遊興費を使えるだけの収入を持つ人間を増やす必要が出てくる。
パイの数を増やすのではなく、食べ応えのあるパイを増やす。
ちなみに、駿河に残った今川家中から出た案が、他国に侵攻して物資を奪い取って豊かになろうという素敵なアイデアだった。名門今川家の実態は山賊かな?
まあ、隣に落ち目の敵国である甲斐の国があるので、狙いやすい獲物と思ったのだろうが、奪いつくした後はどうする気なのだろうか。
そんなわけで、領内の特産品の奨励とか、交易の拡充などで当てる予定なのだが、具体的な方針はまだない。
とりあえず京都に連絡だけして、帰って来てから対応しよう。
「そして、もう一つ。彼らの参入は、駿河の繁栄に寄与するとはいえ、今川家の武力には大した影響がない点です」
今川家の兵力とは、領地である駿河遠江に住む農民であり足軽だ。ここに「やんごとなき高貴な身分」は加算されない。白粉顔のお歯黒&公家眉で刀振り回しながら「キエー」とかやられても正直困る。
『今川白備え』とか組織するつもりはない。
織田家のように金銭で兵を賄うなら、文化の発展による経済効果を軍事力に直結できるのだが、残念なことに今川家の兵は領民が兵士となる足軽だ。文化と経済の発展は、領民の装備を充足させ忠誠心と満足度を上げる事にはなるが、人口を増やすことには寄与しない。
豊かだからと人がやって来ても、それはただ流民であって領民ではないのだ。バイトがどれだけ増えても正社員としてカウントされないように、足軽の人数増には彼らが領民になる必要があるのだ。
これが今回、パイの数を増やす方策を取らなかった理由だ。
駿河今川家は、公家文化への理解はあるものの、駿河遠江の治安維持こそが本分である。その治安を守る武力は、京都の高貴な血筋ではなく、今川家に従う領民なのだ。
これが分かっていないと、京都で京文化に毒されて、国を衰退させる要因になるのだが、さすがにうちの殿様はそこまで馬鹿じゃないよな。
「彼らへの支援は?」
「まずは駿府へ来た一家族毎に当座の支援を、あとは地位に合わせましょう。殿と一緒に京へ上った者の中から、事情に詳しいものに管理を任せます」
ぶっちゃけると、京都の貴人の血筋や上下関係なんて、オレにはわからん。
……とはいえ、知らないから全部よろしくとは、言えないんだよな。
オレもこれから学ばねばならないものが多いらしい。




