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93 武田の勝利

永禄八年十一月十九日


武田信玄の本隊が遠江に入る。今回は駿河侵攻のような奇襲ではなく、先遣隊を派遣し、支城を落としてから本隊を進める、奇襲も伏兵も許さない盤石の体制だ。

仲裁に動こうとしている将軍足利義昭や織田信長には、遠江から徳川家を追い出せば、手打ちにして和議を結ぶと伝えている。信長あたりはおためごかしと思うだろうが、手を出せる状況ではない事は分かっている。

そして、未熟な新将軍の顔を立てて和議を結べば、将軍家との縁も取り持てる。

将軍は、徳川元康の命と三河を守ったと満足するだろうし、自分にしてみれば念願の海を手に入れられる。あとは駿府を目指すもよし、三河を目指すもよし。



永禄八年十一月二十日


「あの若造がぁ!」


一通の手紙に武田信玄は怒声を上げて、怒りのままに手紙を握りつぶす。

その手紙は、駿河の今川氏真からの手紙である。そこにはこう書かれていた。


『甲斐武田家の貴種を尊び、捕囚の返還と休戦協定を当家は結んだ。さりながら、時を置かずに今川家領土遠江・・・・・・・を侵略するなど言語道断。清和源氏の風上にも置けぬ恥知らずに、同門公方様に成り代わり推参いたし候』


今川家の領土である遠江に侵攻した武田家を攻撃すると言い放ったのだ。公的には遠江は今川家の領土であるが、徳川家に侵略されている事実を無視しての宣言である。徳川の手に落ちた西遠江だが、正当な領主である今川家が奪われていないと主張すれば、そこは今川家領土と言えなくもない。

とんだおためごかしである。

はらわたが煮えくり返る思いに、手紙を地面に叩きつける。


「たった一度の勝利で甘く見るなよ、氏真!」


さらに、今川氏真は軍令を発し、駿河で兵を集めた事も同時に報じられる。『仮名目録』による兵の数は侮れない。

その理由は分かっている。漁夫の利を狙う為だ。武田と徳川が戦うことで、双方が疲弊する。疲弊した両軍であれば、兵をそろえた今川家なら容易に勝てると見越しているのだろう。武田軍が腰を据えた進軍をしたことで、この戦いが長期戦になると読んだ故の決断だ。徳川が勝ったとしても、疲弊した徳川軍を遠江から追い出すことが出来る。武田軍が徳川に勝利しようとも、遠江豪族の慰撫もできていない状態で今川軍との連戦は厳しい。

しかし、勝つ方法はある。甲斐の南に配した重臣穴山信君(あなやまのぶただ)に、駿河を脅かすように動いてもらう。また、徳川と今川の双方と戦うことは避ける。遠江北部の豪族達への調略はすすんでおり、既に北部の豪族達は武田側についている。断った豪族は高坂昌信によって荒らされており、逆らう力はない。

まずは徳川に勝利を収め、遠江の豪族達にこちらの力を見せ付ける。そして断腸の思いだが、今回の戦いは遠江の海を諦め北遠江の掌握のみに努める。今川家の目的はあくまでも遠江の奪還だ。今川軍がやってくる前に徳川軍に勝利を収めた上で遠江から退けば、今川軍は遠江に残る徳川軍を狙うだろう。後は、逆に徳川家との戦いで疲弊した今川軍を攻めればいい。

徳川軍を討つ事で得られる明確な勝利だけが、武田信玄には必要なのだ。



永禄八年十一月二十三日


遠江に侵攻した武田軍と、それを阻止しようとする徳川軍。

天竜川を下り、遠江に入った武田軍はそのまま、遠江の支城を順調に落として進軍していた。それに対し、徳川軍は曳馬城に籠り出てくる様子はなかった。

武田家にとって、今川軍に横やりを入れられる前に、徳川軍に勝利する必要があった。その為には、攻城戦のような悠長な長期戦は望ましくない。

徳川家も今川家が動き出したことを察しているはずだ。そういう意味では、武田家以上に窮地ともいえる。だが、遠江を占領している以上、一戦も交えず退けば遠江はもとより、地元三河の民にすら見限られる可能性がある。それ故に武田家と戦い、一定の戦果を上げて三河に退く。あるいは今川家を迎え撃つつもりだ。その為に、被害を抑えられる籠城戦をして時間を稼ぐつもりなのだろう。今川軍が来る以上、武田家とて長期戦は出来ないと見越しての策だ。

だが、武田信玄はそのために手を打っていた。遠江の遠州平野の北に位置する浜北に入った武田軍は、そこで徳川元康のいる南の曳馬城ではなく、西に進路を取ったのである。

すなわち徳川家の本拠地である三河への進路だ。

遠江がどうあろうと、本拠地三河を捨てる事が出来ない徳川家は、これで城から出て来ざるをえなくなる。遠江で武田軍を見逃して三河が蹂躙されれば、遠江以上に大事な三河を失う事になるのだ。


武田軍のこの動きに、徳川軍は曳馬城から急遽出陣。浜北西ヶ崎にて、武田軍と徳川軍が対陣した。


「ほう。我等の動きを察知したか。もうここまで来るとは」

「なるほど、徳川元康。なかなかの器量よ」


感心する家臣の言葉に、武田信玄が徳川元康を褒める。

不利になるとわかっていながら、それでも目的の為にその不利を飲み込める器量。劣勢に立ち向かう決断力。それを実行できる行動力。困難を覚悟して戦える優れた将という事だ。

だが、若い。

不利を覆せぬ以上、それは覚悟した敗北でしかない。それを覆すための力が足りない。かつての自分のように未熟だ。

武田信玄は軍配を振るう。


「風林火山の旗を以て蹂躙せよ」


教えてやろう。不利を覆す力というものを。

戦国最強とも謳われる武田軍を前に、弱者の考えなど手に取るように分かる。

劣勢になれば城に逃げ込み篭城する。その目論見を含んでの采配。平野において機動力に優れた武田の騎馬隊を前に、翻弄されるしかない敵だ。

故に、士気は低く、および腰だ。

そして、城に戻るならほうっておけばよい。敵を敗走させたという明確な勝利が、遠江の地にあって強者が誰か、勝者が誰かを知らしめてくれる。

その勝利を以て、遠江に武田の名を刻みつけよう。



同年同日

徳川軍浜北にて敗北。曳馬城まで敗走。


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― 新着の感想 ―
[一言] 史実より早い三方ヶ原の戦いか タケピーご苦労様です まだ信玄は病死しないよな?
[一言] 負けは負けとしてどれくらいの負けなのか。  双方今川を意識して損耗を抑える戦い方をしていそうです。
[良い点] 武田側:勝って武威を証明した。(謀叛、寝返りに釘を刺した) タケピー側:一戦して意地を見せた(三河脳筋主義的に最重要)、あと三河への侵入の阻止に成功したと言えなくも無い。 絵に描いたよう…
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