09 岡崎城の会談
※指摘により主人公の名前(の読み)がかわりました。ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします。
針のむしろというのに座るのも初めての経験である。
視線に刃があったらオレは膾だな。食ったことないけど(お寺は生臭物禁止)。
「こちらが、駿府からの書状にございます」
今川家の使者ですが部屋の空気が最悪です。
三河岡崎城の評定の間で謁見するオレは、勝手な行動をする松平家を糾弾する書状を持ってきた使者である。当たり前だが、そんな事は相手も覚悟の上でなので友好的であろうはずがない。
そんな事は百も承知である。
「まあ、見る必要はありませんな」
なので、無礼を承知で差し出した書状を横に避け、そのまま平伏していた頭を上げる。
ああ、面影あるわ。上座でこちらを見るのが松平元康。後の徳川家康である。
三河は元々松平家の領土であったが、当主が暗殺されて、幼い跡継ぎの元康君(幼名:竹千代)は、今川家で養育されていた。
そう、養育したという事はお勉強を教えていたという事。
師匠の太原雪斎が。
当然、そこにはオレ達もセットいたわけで、師匠がいない時はオレが指導したりもした。
要するに、タケピーこと松平元康もオレにとっては学友の一人なんだ。
まあ、現在家ごと険悪な関係なんだけどな。
「なっ。無礼であろう」
「無用な事でございます。コレを読んで、心変わりするとは思っておりませんので」
家臣が横から口を挟んでくるが、さらっと笑顔で返す。
オレを囲むように左右に座る家臣達は殺気立つが、オレ自身は飄々としたものだ。なにせ、彼等がオレを斬る事は事実上不可能だからだ。今川家の使者を斬ったとなれば外交問題である。
今現在の三河は、西に尾張織田家。東に遠江駿河の今川家という状況だ。オレを斬れば、理由のいかんによらず今川家と敵対する。現在の糾弾するという険悪な関係から、明確な敵対行為に変わるわけだ。残念なことに、今川家が北条家武田家と結んだ三国同盟はまだ生きている。
さらに、オレ自身が坊主というのも加味しておこう。この時代、坊主を切るには相当の覚悟が要るのだ(ただし第六天魔王は除く)。オレの身分は名刹、臨済寺の坊主だ。その為に、わざわざ今川家家臣としてではなく、臨済寺僧侶と名乗ってきたからね。斬ろうと思うとためらいが出るのだ。
…出るよね?
ひきつりそうになる頬を意志の力で抑えこむ。
「やめい。であるのなら、何の用か。使者殿」
上座の元康が手を振って騒ぐ家臣達を抑える。非難していた家臣達はそれに素直に従い、潮が引くように黙る。ある意味、コレもパフォーマンスか。部下をきちんと掌握しているぞというポーズを見せることで、三河がまとまっていて脅威だと使者に見せる。さすが、師匠に鍛えられただけの事はあるよ。
まあ、三河独立が規定路線のオレ達からすればどうでもいい話なんだけどな。
ダメだよタケピー。相手の状況もきちんと認識しなきゃ。
「現在の今川家は難しい状況です。三河はもとより、遠江すらも今川家が掌握しているとは言いがたい。いや、遠江すら独立しかかっているといっても過言ではありません。そこで、いかがでしょう。遠江。取ってしまわれては?」
「「…は?」」
周囲で殺意の視線を向けていた家臣からも、疑惑の声が出てくる。「なに言っているんだこいつ?」というやつだろう。
さあ、殺意はぼやけた。脅しの矛先もそれた。
孫子にはこうある、「心を攻めるのが上策」。
コレは戦なんだよタケピー。君が攻め、オレが守った。じゃあ次はオレが攻める番だ。
「遠江を攻める為に、西の備えが必要になります。すでに話は通しておりますが、尾張織田家は三河松平家と同盟を結ぶ用意がございます。細かい内容は家同士で調整ください」
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「(化け物め)」
表情には出さずに、松平元康はひざに置いた手を静かに握った。
「決して表(情)に出すな」。師によって教えられたことを忠実に守りながら、しかし、その手を強く握る。
十英 承豊。
わが師である太原雪斎の愛弟子。
清見寺での日々を忘れたことはない。己の先を行く天才。理解できない高みを舞う飛影。
今川家からの使者として岡崎にやって来たと聞いた時、背筋に寒いものが走った。臨済寺で頑なに仕官を拒んだ男。それが今川家についた。それは、自分にとって亡き師である雪斎がついたに匹敵する衝撃だった。
すでに、コチラが用意したこの場は相手の独壇場だ。
当然だ。この場は「勝手な行動を取った松平家を糾弾」する場だ。「三河松平家として独立するための方策」を話す場ではない。
コチラで用意していたものすべてが、もはや役に立たなくなっている。
しかも、話す内容がまずい。将来的に独立は視野に入っていた。そのための方策を重臣と日々交わしていた。それを前倒しにさせられている。
話を止める事は出来る。松平家の支配者は自分だ。だが、それをしてどうなる。すでに話し始めたこの内容。切って捨てたところで、これ以上の代案がない限り、家臣達は納得しない。
その瞬間、自分は松平家独立を妨げたという皺だけが入る。
そして彼は何も失わない。実現可能な話をすればするほど、それが最良の方法であると認識されるだろう。敵陣営であるはずの相手の言葉を……
ああ、そうか。そこまで計算ずくか。今のお前は、まだ今川家の陣営ではない。実情はともかく、外聞はそうだ。今川家当主の友人であり。そして、松平家当主の友人でもある。臨済寺の僧侶と名乗り訪れたのも、すべてこの為か。
すでに、家臣達は話についていけていない。事実を事実とだけ受け入れてしまっている。あとは保証を示すだけ……
「さて、この話ですが、なんら証明できるものはありません。そこで・・・」
ああ、そうだろう。
ここに来た時点で、すべて整っているのだろう。
幼少の頃以来、何度目かになる敗北感を感じながら、元康は黒衣の男の言葉を待った。
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「地獄に落ちろ」
「は?」
「いや、失敬。間違えました」
心に思ったことを口から出てきてしまった。未熟未熟。自分よりリアルで充実しているヤツに悪態をぶつけないですませられるほど、オレはまだ悟りは開けていないようだ。
「人質交換などいかがですか?」
松平元康は幼い頃に今川家で養育されていた。言ってしまえば人質だ。そして、三河松平家を取り込む為に、政略結婚までさせている。
松平元康の正室は今川義元の娘(養女)で、しかも子供も生まれているのだ。その家族は現在駿府で人質生活を続けている。
今川家から独立する為に三河に来た松平家にとって、駿府にいる人質は、最後の憂慮といえるだろう。もっとも、当人である今川氏真はそこら辺を綺麗に忘れており、人質一家は駿府でつつがなく暮らしている。まあ、飛車丸にしてみれば人質とはいえ義理の妹と甥だ。
「これから争う事になれば、多くの戦果を得られましょう。捕虜の交換という形で、駿府にいる三河の質(人質)をお連れする用意があります」
「「竹千代様を!?」」
騒ぎ出す松平家家臣達。まあ、彼等にとっても三河松平家の後継者である。タケピーにとっても、まだ2歳になる嫡男だ。かわいい盛りだろう。
また、人質は松平家当主の家族だけではない。松平家の重鎮の家族も含まれている。
そのための人質交換に、誰を用意するかは知った事ではない、ちょうどいい相手を選んで、今川家と松平家で交渉してくれ。
「その言葉を信じる保証は」
「ありません」
「ならば……」
「故に、言葉で信じてもらいましょう。先ほども申しました尾張織田家のと盟約に向けて、便宜を要求するというのはどうでしょう。たとえば、織田家との盟約の保証に賄い兵(傭兵)を仲介してもらえば余力が出来ましょう。織田家の仲介により駿府の質が取り戻せるとなれば、家中でも織田家との同盟に好意的になるのではありませんか?」
桶狭間より前から、松平家と織田家は争い続けた関係だ。利益があるから同盟結びましょうでは、頭ではわかっていても心の中にわだかまりが出来る。だが、織田家が支援する事で、駿府にいる人質を連れ戻せるとなれば、家臣達の織田家に対する反感も薄まる。
それは同盟を結びたい織田家にとっても有益であり、向こうが断る理由がない。
「織田家がそれを断れば、盟約はそもそも成りはしません。よしんば、今川家が人質交換を断れば、松平家が今川家を攻めるのに容赦はいりません。織田家が松平様を騙し、三河に攻め込むというのなら、松平様は織田家に対抗する為に三河に残ったと名分が立ちます。今川家と松平家の絆を深める意味もかねて、質を戻すという交渉なら悪い話にはならないでしょう」
オレの言葉に、松平元康は上座で無表情だ。だが、変わりに周囲でザワザワと騒ぐ松平家家臣。
独立が規定路線であるなら、オレの意見は好意的に受け入れられる。その独立を早める為の方策として利益があるからだ。これ以上の方法があって準備を進めているなら無意味だけど、今川家にそんな情報は来ていない。
攻めるも結ぶも、織田家か今川家しかないのに、その片方にアプローチがない時点で、手がないという事だ。まあ、松平家だって桶狭間以降、三河を掌握するのに苦労しているのだろう。
生真面目だからねタケピー。もう少し柔軟にならなきゃ。
後は、松平家当主の真意を探るとしよう。学友だし。個人的な話でもある。
ただ、この場合に憂慮すべき事がある。
タケピーがオレの想定どおりに行動するという事は、
オレの悟りが遠ざかるだろうという事だ。
彼が憂慮する内容は次話で発覚。伏線は張ってる。