83 費やした歳月
徳川軍の奇襲により、遠江にある秋葉城が落城。
これにより、徳川軍は天竜川を越えた所に橋頭堡を得たことになる。
犬居城にいた今川家重臣岡部元信は、すぐさま対抗しようとしたが、戦力不足により秋葉城を攻める事はできず、守りを固めることしか出来なかった。
秋葉城は東に岡部家、南に朝比奈家にはさまれてはいたが、朝比奈家は天竜川を境に曳馬城の徳川軍を牽制しており、うかつには動けなかった。
逆に、徳川軍は天竜川を渡ったことにより、遠江北西部を今川から遮断。すかさず軍勢を差し向け勢力を拡大している。
北の武田家の動きを警戒しなければならない今川家と、全戦力を向けられる徳川家の差が如実に現れていた。
「おつかれ」
「おう……、はぁ~」
喧々囂々の軍議が終わったのか、疲れた顔をして帰ってきた飛車丸を、軽い感じで迎える。
他に誰も居なくなったところで、飛車丸は大の字になって身を横たえる。
いつもの、「楽だからだらける」という理由ではなく、本当に疲れたために横になった感じだ。
このまま休みたいであろう飛車丸には悪いが、これから残業である。ちなみにオレはシフト勤務なので元気いっぱいだ。
「徳川への対応は?」
「とれるもんか。ない袖は振れないよ」
「では、対応できるようにしよう」
オレの言葉に、飛車丸は身を起こす。用意しておいた遠江と駿河の地図を出して、近くにある将棋の駒を置いていく。
「武田が動くか?」
「間違いない。織田家が上洛のために西へ出た。美濃の東は信濃。武田家への対処は済んだということだ。そして、徳川が北部遠江に手を出している。北部遠江に隣接しているのはこれも信濃。当然、その先の武田家を無視できるわけがない」
「武田の準備は完了か」
「今川家の武田派閥への内通勧誘の手紙も来ている」
「手の早いことで」
何通かの手紙を飛車丸の前に投げる。武田家に好意的であり主君の内情に詳しいオレにも、武田信玄からの手紙が来ていた。直筆なので、これを保管しておけば後世で国宝とかになりそうだが、内通勧誘の手紙では格好がつかないだろう。
「ふ~ん。で、対処法は?」
手紙を開いてつまらなそうに中を見ながら、飛車丸が聞いてくる。
「武田と徳川の二面作戦を強いられていては今川家が不利だ。そこで、武田家にも二面作戦を取ってもらう」
「……北条家か」
飛車丸の言葉にうなずく。
「関東征伐の時に手に入れた利権を返す。その代償に、軍を出して牽制してもらう」
「甲斐には攻め込まなくても、兵を配するだけで武田は無視できぬか」
「三国同盟を破棄して駿河に攻め込む以上、武田は北条家の動きに対し神経質にならざるをえん」
越後の上杉家(当時長尾家)による関東征伐の際に、物資を融通する事で得た特権を返還する事で、北条家に軍を出してもらう。とはいえ、甲斐に攻め込んで被害を出すほどの重要な利権ではない。だから、あくまでも兵を配備するだけだ。これは同時に、三国同盟破棄に対する抗議として北条家の面目を保つことにもつながる。
友野屋経由で話を持っていき、寿桂尼様の後ろ盾を得ているので、北条家にもスムーズに話がすすむだろう。
「後は、今川家中の不穏分子の対処だ」
「お前か?」
武田信玄からの手紙をヒラヒラしながら、飛車丸が笑って聞く。
「よくもこれだけ恩賞を並べたものだ」
「要職に、地位に、寺領。すごいな、これだけあれば師匠に並べるぞ」
「そんなもんで師匠に並べるなら苦労はない」
寺の要職とか地位とかで、あの魔王みたいな師匠と同等になれるなら苦労はない。逆に、それで同等とかいわれても、それ以上の地位や要職の坊主がまだまだいるんだ。大魔王が列を成していることになる。勇者でも悲鳴を上げて逃げるだろう。
「遠江の内通者を潰せば、今川家は武田家の動向を察知したと思うだろう。それで武田は動く」
今川家の武田派閥については、先の遠江騒乱の後始末でとりなしたことで、大部分が判明している。武田家が敵対的な行動をする前から、彼らへの監視はつけており、武田信玄とやり取りをしている奴らのあぶり出しはほぼ済んでいた。
「駿河は?」
「東駿河は捨てて、近場の奴には釘を刺しておけばいい。すべて潰すと武田にいらぬ疑惑を生む。東駿河に内通する者がいると知れば、それを機と見るだろう。だが、遠江にいる対徳川の軍勢とのやり取りを遮断されるのは良くない。そちらのほうが重要だ」
「一応、吉原城に兵を入れておくか」
「どうせ、三日とかからずに終わる」
長引けば侵略される側の今川家にとって不利だ。武田や徳川との戦いは防衛戦であり、勝っても領地が増えるわけではない。
そんなオレの言葉に、飛車丸はおかしそうに笑みを浮かべて聞いてくる。
「あの天下の武田家を三日でか?」
「まあな、後は信玄が出てくるかどうか……」
嫡男を殺してまで進める駿河侵攻。武田家念願の海。情と欲。他人であるオレに誘導出来るのはここまでだ。
そんなオレの不安を吹き飛ばすように、飛車丸が「ククク」と笑う。
「なんだ、信じていないのか?」
「いいや。信じているよ。お前がこの時のために、五年も費やしたんだ。今のお前なら楠正成にだって勝てるさ」
そういって飛車丸が笑う。
「無茶を言うな。死んだ人間と戦うなんてまっぴらごめんだ」
そんな相手は、師匠だけでたくさんだ。




