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82 都合よき者

永禄八年四月


武田家との関係が致命的なまでに悪化してきたことが窺えるようになった。国境線を兵が巡回し、駿河遠江から甲斐信濃に入ろうとする人間を追い返す。

それに対して、今川家は有効な手を打てないでいた。西より攻め込む徳川軍の行動が活発化し、その対応に回っているのだ。武田家を警戒するが故に、全軍を徳川家に向けられない状況を利用された形になる。

尾張織田家においては、上洛のための軍勢が出陣。浅井家と共に六角家との戦端を開こうとしていた。




「なぜここにいる?」


そんなオレの前には意外な客がいる。庵原家に居候するオレが、客を呼ぶようなあつかましいまねが出来るはずもない。そもそも客として呼べるような知人がいない。

なにせ、「オレが呼ぶ」よりも「オレを呼びつける」ような位の高い知人しか、名門名家の今川家にはいないのである。


そんな意外な客というのは、当然招いてもいない客である。オレの前で頭を下げるのは、私的には教え子であるが、公的には今川家一門としてはるかな高みにいる若武者。

鵜殿氏長と鵜殿氏次の兄弟である。


「実は、うっかり秋葉城を徳川軍に奪われまして」


城ってうっかり奪われるような物だったかな?

そういえば、美濃一色家の当主が数年前にうっかり居城を奪われたような気もするけど、身近に同じ事をする奴がいるとは想像もしなかったよ。

オレの眉間に皺がよる。


「当家は、家臣の多くに井伊家の縁者を抱えており、徳川方についた井伊家と内通され、城を奪われました」


そんな朗らかに自分の城を奪われた事を分析説明する城主なんて前代未聞だろうな。分かりやすい鵜殿兄弟のこの反応は、間違いなく意図的なものだが、その意図が読めない。


「直姫は?」

「ご安心ください。身重だった為に生家の方で面倒を見てもらっています。前線にいるよりもそのほうが直にも都合がよいでしょう」


貴様も地獄に落ちた方が都合がよろしいかと思われる。

身重って、いつの間にそんな事に。オレは知らないぞ……ってまあ、そもそも身内でもないから報告する義務もないか。

ただ、言うまでもないことだが、鵜殿氏長の正室直姫様は、西遠江の井伊家の娘である。当然、生まれ育った場所は現在徳川家の支配下となっている井伊谷だ。

本当に言う必要はまったくないのだが、井伊本家は現在今川家を裏切って徳川家でブイブイ今川領地を侵略している、つまりは敵側だ。


「なにがあった?」


うれしそうに報告する氏長に、腹の探りあいをやめて単刀直入に聞くことにする。


「こちらの状況はこれだけ。問題は、そうなる前に駿河の友野屋宗善から連絡がありました」

「……」


つながっていたのか。確かに、兄弟が庵原館でオレの弟子をしていた時に、駿府の町をつれまわし御用商人友野屋にも紹介した。その後元服し秋葉城城主となった後も、友野屋との縁を保っていたのだろう。確かに、秋葉城は天竜川に近く、川を下れば遠州灘。海運商人である友野屋との連絡も容易。あるいは、友野屋宗善がオレの要求に対して縁のある鵜殿兄弟を巻き込んだのか…

そんなオレの考えを読んだのか、誰を真似たのか氏長がにやりと笑う。


「最近、大きな買い物をしたそうですね。それを取り扱う人手が足りぬと思い馳せ参じました」


オレの意図を読み取った。それはいい。

だが、その為に自分の城を敵に明け渡し、身重の妻を人質に差し出し、その上で主君の叱咤覚悟で帰還とか。それが間違っていたらどうする気だ。


「それは、庵原家から手を借りようと思っていたところだ」

「ならばなおのこと。庵原家は此度の戦の要。それに対し、鵜殿家は腹心五十名を伴っての参上でございます」

「残りの部下は?」

「秋葉城で徳川方に寝返ってございます」


腹心という事は、部隊長や側近といった上級士官に当たる者達だ。一般兵であるそれ以外の足軽は徳川方に丸投げしているわけだ。徳川家だって、裏切り者の兵をそのまま使うような事はできない。それも数百の小勢となれば、後方において放置するだろう。ああ、だから井伊谷に直姫か。つまるところ、鵜殿家は城を奪われただけで、何も失ってはいない。

大きくひとつため息を吐く。

優秀な弟子を持った師の苦悩という事か。まったくもって完璧に都合のよい部下として、オレの元にやってきやがった。

そういえば、最初にこの兄弟を養育した時には、オレの都合のよい手駒として育てるためだったんだが。なんだろう、歩兵でいいところを金将と銀将に来られたような、やるせなさを感じる。


「殿への報告は?」

「これから参ります」

「殿への口添えはする。罷免や叱責は免れんが、命まではとられん」

「この戦が終わるまで、役目もなく駿府の館でおとなしくしておきます」


ようするに、これでオレがこっそり鵜殿兄弟を使ったところで、何処にも誰にも影響が出ないという事だ。新参の一門である鵜殿家で、元服後にすぐ遠江の城主に。その生まれも三河豪族という駿河の家臣達との関係が薄く、しかも今回君主から強く叱責を受けた人間。

敵にも味方にも無視される存在だ。

優秀すぎるだろ、この弟子。


「で、なにを望む?」


意地悪を言うように、いやらしく笑みを作って聞いてみる。なにを隠そう、正真正銘意地悪だ。


「人質と居城の返還を」


本当に都合が良すぎるだろ。小憎らしいほどだ。弟子の生意気な反応に口をへの字に曲げる。


「その程度ですむと思うな。……任せておけ」


憎まれ口のように叩いてみたが、なんだかオレのほうが子供のような気がしてきた。


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