79 遠き師の影
今川館を出たオレは、駿府の町へと繰り出す。
向かう先は、駿府一の豪商。今川家御用商人の友野屋である。
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「(なんだこれは……)」
商店の奥の間で向かい合った友野屋宗善は、まるで冷えた岩に寝転がり、体の熱を奪われるような寒気に襲われていた。
その理由は目の前にいる男だ。
知っている。何度も言葉を交わし、利益をともにしてきた男。
十英承豊。
だが違う。今、自分の目の前にいる男は、今まで会っていた男と違う。
駿府の座長として、今川家の御用商人として、大商人として多くの人と取引をしてきた。
自分は、彼の師からの付き合いだ。今川家の宰相として手腕をふるった傑物。その弟子をどうして無下に扱うことができよう。
そして、彼は非凡な男であった。こちらに利益を提供し、そこから己の利益を見つける才あふれる男。有望な取引相手だ。
そのはずだった。何も変わってはいない。姿かたちも。話し方も。
なのに違う。
それは目だ。
その目を覗き込んだ時、友野屋は目の前にいる存在に気がついた。
彼の師は厳しい人物であった。自分にも他人にも厳しい。巌の如き人物。まるで修行僧のように、すべてを律した人物であった。
彼にもその傾向はあった。さすがに弟子を名乗るだけの片鱗があるかと思っていた。
違う。
彼の師は厳しい中にも力があった。心があった。
しかし、これはなんだ。柔和な笑みを浮かべ、安らぎを与えるような光をたたえながら、そこに何もない。
まるで、彫り上げた彫像だ。物に心があるわけもなく、物に力があるわけがない。
人は、匠の作り上げた神仏の彫像に感動を覚え、そこに救いを見出す。
では、匠の作り上げる彫像は人を見て何を思うのか。
「売りたい物があります」
「売り……ですか?」
「はい。その価値は友野屋殿もよくご存知のはずです」
いつもの笑み。いつもの声。
友野屋宗善は理解した。巌の如き人と、人の如き物。それは似て非なるものなのだと。
もし、拝んでいた仏像が話しかけてきたら、自分はそれを喜ぶだろうか、それとも恐れるだろうか。
つばを飲み込みながら、友野屋はそんなことを考えた。
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まずは資金調達。といっても、物が物で額が額だ。すぐに支払われるとは思っていない。彼の持つツテも最大限利用して用意してもらうことにしよう。
友野屋を出て駿府の街を歩く。
いったん庵原館に戻り、次の準備だ。
そこで、ふと足を止めた。小京都と呼ばれる駿府の町は、京都に似せて碁盤のように縦横の小道で作られている。その道の先。
見慣れた山門が見えた、『臨済寺』。
オレの人生の大半を過ごした場所だ。懐かしく感じて道を進む。
数歩歩いたところで足が止まった。
「すがるに及ばず。ただ、墓前にて在ればよい」
床に伏す師の言葉。
その言葉に足を止めた。寺を出て、墓守でもない今のオレは何をもって墓前に在る事が出来るだろうか。
ここまで見越して、今際の際にオレに言い残したのなら、間違いなく人外の存在だ。坊主なのに調伏される側とか、変人もここに極まれりだ。
ほんとに、あんたの影は遠いよ。
オレは自分が弱気になっていることを改めて認識した。罪悪感で押しつぶされそうだ。そのくせ、愚痴を言う相手もいないどころか、飛車丸の愚痴を受け止める立場だ。
見慣れた山門を見る。
足を止めている暇などないのだ。
踵を返して歩き出す。進まねばならない。師の高みにたどり着く為には。
一応、主人公個人の目的。
今川氏真につくなら、ここまで行かないとどうしようもない。
愚痴りたくもなりますよぉ…




