78 整う舞台
永禄七年十月
ひとつの報告が今川館にもたらされる。
徳川元康に三河守の官位が与えられる。
その報告に、評定の間の家臣たちはぽかんと口をあける。いったい誰のことだと思ったのだろう。
「徳川?」
「松平の家名では、三河守の官位を与えられぬからであろう」
その困惑に、上座の今川氏真が答える。
松平家は三河の豪族の出自だ。それゆえに、三河の民から「オラが地元の殿様」と親しまれている。しかし、何事にも伝統と血筋を大事にする高貴な血筋の方々からすれば、いくら金を貢がれたとしても縁もゆかりもない人間には自分達と同類としての官位は与えられず、別途それを正当化する名分が必要だ。
そこで、先祖が公家の傍流であったとして、朝廷に認められる血筋として官位を与える。
そういう事なのか。史実と同じく徳川姓に変えた理由がわかって納得する。そして、その意味についても理解する。
ああ、ようやくか。
重要なのは、松平家に徳川姓が与えられたのではなく、松平元康に徳川姓が与えられたということだ。松平家の当主に与えられた名前なので、実質的な意味では同じことなのだが、当の本人である徳川元康からすれば、大きな意味がある。
つまり、松平姓と徳川姓の差別化。地元の英雄からの脱却。
三河守。つまり三河支配の正統性を持つのは松平家ではなく、徳川家であるという事。そして、松平姓に関しては松平の縁戚の力が重要になるが、徳川姓に関して言えば徳川元康本人のものとなる。
複雑に血筋と利権が絡み合い、身内に裏切られ続けた松平家の一族ではなく、三河を支配する正統性を持つのは、徳川姓を持つ元康の一族だけという事だ。
これが何よりも重要なのだ。
松平家当主として領土を治め、松平家の正当な当主であるがゆえに忠義を向けられている今の統治に価値などない。
オレが仮名目録に追加要項を加えたのと同じ理由。
本人のカリスマでしか組織体制を維持できない。
仲良しグループという同じ利益を持つ者がまとまっているだけの状態だ。だからこそ、その利益が損なわれるなら、別の誰かをトップにすえる。
三河松平家にはその程度の忠義、その程度の意義しかない。
だからこそ、自分達の義理と人情で一向一揆に参加するし、三河の統一を悲願としながら、三河の平定が終わっていないのに、自分達の都合で遠江侵攻を始めてしまう。
三河武士であるかれらは、いつだって自分達のために動いているだけだ。三河武士であって松平武士ではないのだ。
戦国時代にあって、戦国大名とは独裁者ではなく、まるで民主主義によって選ばれた知事のような者なのだ。ただ投票用紙が総合戦力であるというだけの差だ。
だからこその徳川姓。
つまり、三河を治める正当性を持つことで、三河武士の意向を聞くがゆえに支持される松平元康という『選ばれし者』から、三河武士を支配する徳川三河守元康という『支配者』になる。
おめでとう、徳川元康。そして、ありがとう。
オレの最後の懸念が、今ようやく解消した。
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空気が凍った。
評定の間で話を聞いていた重鎮岡部元信は、自分の心胆すら凍りつかせる力に、腹に力を入れて耐える。
そして、ゆっくりとその発生源に視線を向けた。
正直に言おう。自分はその男を侮っていた。あれだけ『雪斎の愛弟子』『臨済寺の天才』とほめそやし、一目も二目も置いていた自分だったが、致命的な勘違いをしていたのだ。
考えても見ろ。もし、相手が太原雪斎様だったら、自分はその程度で済ませたか?
否。断じて否である。
かの御仁が振るわれた手腕、披露された英知。今川家家臣一同が感嘆し尊敬していた御仁だ。
ゆえに誰もが思っただろう。
敬う心の奥底で、決して敵に回してはいけないという恐怖を。
そして今も同じ事を思う。われらを歯牙にもかけぬこの意思を、絶対に一身に受けたくないと。
その原因となる人間が、激昂し当り散らしているなら、まだ救いはあったのだろう。
違うのだ。
頬を持ち上げ、唇を開き、歯を見せて、声を上げずに嗤っているのだ。
それが岡部元信には、あの黒衣の宰相が激昂しているかのごとく恐ろしかった。
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「承豊。少し抑えろ」
上座にいる今川氏真から名前を呼ばれ、我に返る。
没頭していた思考の海から戻ってみれば、評定の間に沈黙が下りていた。
言われて周囲を見ると、重臣一同の注目がオレに集まっていた。気がつけば笑みを浮かべていたらしく、頬が持ち上がっている。
敵である徳川家の行動に笑っているとか、不審者以外の何者でもないな。
「失礼。不調法でした」
頬に両手を当てて、持ち上がった筋肉を戻すと、頭を下げて周囲の同僚上司達にわびる。
なぜか視線をそらされた。
「で、承豊。この徳川どうする?」
そんなオレを、面白そうに目を細めながら聞いてくる氏真。
これで、お膳立てはすべてそろった。
今まで、松平家との争いは、今川家側からはあくまでも内紛。義理の弟に当たる松平家との騒動としてきた。しかし、朝廷が三河守と認めた以上、徳川元康は今川家中の元康ではなく、三河守徳川元康だ。
「朝廷より官位を賜るなら、当家とは完全に手切れとなりましょう。次の公方様も定まらぬ今、誰にはばかる必要もありますまい」
「やりすぎたな元康は……岡部」
「ハッ」
重臣の岡部元信が名前を呼ばれて返事をする。
「駿河の兵3000をつれて、天野犬居城へ入れ。秋葉城の鵜殿兄弟を与力としてつかせる。朝比奈と協力して松……徳川を攻めよ」
「ハハッ」
形としては、北条家と武田家との同盟関係は継続している。士気があがっているとはいえ、徳川家は三河一国に遠江の一部。それに対し、今川家は駿河に遠江の大部分を支配する大大名だ。戦争続きの徳川家と、桶狭間以降は積極的な戦争を避けた今川家。国力はまだ今川家のほうが勝っている。
普通に正面から戦えば、今川家の勝ちは揺るがない。それを避けるために、内紛と処理されている間に、三河を統一し、遠江の侵攻を成功させ士気をあげたのだ。
同盟国織田家の美濃攻略をもっての三河守の授与。
分かってしまえば、対処は容易だ。次の行動の勢いを止める。それだけの勢力を今川家は保持している。
そして、後に引けない徳川元康は劣勢になれば助けを求める。
それは、敵か味方か。




