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77 決別

曳馬城落城の後、松平軍は天竜川を渡らなかった。天竜川の河口をはさんで陣を敷き、その後ろで曳馬城の改修と修理を行う。遠江侵攻の橋頭堡として使うためだろう。

今川軍も、用意の出来た駿河の兵と合流してはいるが、川を渡って城を取り返すだけの決定的な数にはまだまだ足りず、手をこまねいている。

唯一、鵜殿氏長の軍が果敢に天竜川上流で井伊軍を攻撃しているが、どちらも寡兵で決定打を与える事はできていない。

ようするに、今川家松平家双方は膠着状態となった。



永禄七年六月


織田信長が美濃一色家居城稲葉山城を攻め落とす。美濃尾張を手に入れた信長は、稲葉山城を改修。

同時に、当面の敵がいなくなった事で、同盟国の松平家に加勢し遠江侵攻が激しくなる事が懸念されていた。

ないと思っていても、やらないわけにはいかないのが国防というものだ。

天竜川をはさんで松平家は動かない。まあ、織田家が加勢するなら、ここで無理して動くより合流して一気に攻めるほうが有利だろう。

今川家としては、美濃尾張の二国を手に入れた織田家をけん制するために、美濃に隣接する信濃を治める同盟国武田家に協力を仰ぐのが定石なのだが、それがうまくいっていなかった。

武田との国交が細くなっているのだ。三国同盟を盾に北条家経由で連絡もしているが、好意的な返事は返ってきていない。




「どうみる?」

「後見人ともいえる飯富の粛清と、武田家との関係の悪化。今川家とつながりのあった武田義信の失脚と見るべきだろう」

「……」


いつもの調子の飛車丸の返事はなかった。

当たり前だが、武田家嫡男武田義信と今川家で最も仲の良い人間というのは、立場でも家柄においても近い今川氏真だ。

氏真の生まれた時代より、甲斐武田家と駿河今川家は良好な関係を続けてきた。それは、現在の武田家当主武田信玄と、先代の今川家当主今川義元とで築いた関係だ。

その今川義元の息子である氏真本人と武田信玄との関係は、あくまでも今川家と武田家との関係でしかない。

仲の良い武田義信との連絡が断たれれば、武田家との関係は希薄になる。

そして、すべてではないものの、そうなった理由の一端を本人が担っていたのだ。

不幸な事に、その罪悪感を軽くしてやる方法はなかった。


「和解はない」


故に、その事実をオレは容赦なく突きつける。

息子が自分を追い落とせる存在であると認識させて武田信玄の危機感を煽り、継承出来ない政治的理由があるのにわざと義信に功績を与えて、武田信玄から和解の時間を奪った。

時間は武田信玄の敵だ。功績を挙げ、武田家家中で武田義信の力が増せば、武田信玄でも手を出せなくなる。後継者という正当性を持つのは武田義信なのだ。

その正当性を与えたのが自分である以上、その正当性を奪うという強権を発動させれば、もう後戻りは出来ない。

地獄の選択である以上、選んだ地獄を進むしかないのだ。

そして、その決断をした武田信玄の進む道が決まる。武田義信を切り捨てることで手に入れてしまった選択肢。困難な上杉との決着に固執する理由も消える。

断腸の思いで息子を切り捨てた武田信玄は、富みながら弱体化していく敵という容易な獲物を狙うことで、己の行動の正当性を示そうとする。


「信玄はいつ来る?」

「松平の動きを見れば察知できる。侵す事を決めた信玄は無策に攻める事はないよ」


『風林火山』を旗印にする武田信玄は、それが書かれた『孫子』の教えを軽んずることは無い。調略と外交を駆使してくるだろう。

すなわち、今川家の武田派閥を調略し裏切らせる事と、同じ今川家の敵である松平元康と手を組むこと。松平家と歩調を合わせることで、武田家に有利となるようにしてから攻め込んでくる。

遠江に侵攻されたといっても、遠江の一部で松平家の足は止まっている。駿河遠江を支配する東海一の弓取りの力は、まだ目に見えて衰えたとはいえない。

武田信玄に油断は無い。最強の戦国大名が戦で手を抜くことは無い。

だからこそ、オレ達はそれに備えてきたのだ。

松平家を操り遠江侵攻を画策したことも、信虎事件で今川領内の武田派閥をあぶりだした事もだ。


「せめて、妹だけは無事に返してもらいたいな」

「……努力はしよう」


こちらを向かず、沈んだ声をわざと軽くした口調でつぶやく飛車丸に、オレは曖昧に答える。武田義信に嫁いだ飛車丸の妹は、今川家に好意的な義信との関係もあり仲が良かった。オレは基本的に「地獄に落ちろ」としか返さなかったが、妹から兄への手紙も来ていたし、それを飛車丸本人も喜んでいた。

しかし、夫である武田義信が粛清されるということは、その一族にまで累が及ぶ。それは、義信との間に出来た子供に関してもだ。

飛車丸の言葉には妹のことしか含まれていなかったし、オレはその意を汲む。


「俺は甲斐への連絡を続ける。信玄の意図に気がついていない事を印象づける」

「わかった。オレはその先の準備をする」

「豊。頼む」


それが何に対してであるかは、聞き返さなかった。

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