75 動き出す策謀
駿河庵原郡にて六斎市が開かれる。毎月六日に開かれる楽市だ。
近隣の農家から人が来ており、農作物や手作り民芸品、古道具などが並べられている。初回なので店の数も客足もそこそこだが、続けていけば増えるだろう。
今川の兵による巡回もしており、大きな問題は起きていない。もっとも、倫理観なんてお粗末な戦国時代である。巡回する彼らが袖の下を受け取っていたとしても不思議ではないし、よほど悪質でないなら厳格に罰するつもりもない。
問題は市の外である。甲斐との国境をはさんだ場所での市であり、国境に用意された関所には、通常よりも多い数の兵が待機している。
残念なことに、オレの提案した二国同時開催市は失敗に終わったようだ。うまくいけば、関所を開放して両国の行き来の制限を限定的に解除させようと提案するつもりだったが、それ以前の話でおわったのだ。
それが何を意味するのか……
「十英様」
呼ばれて振り返ると、今川家の小姓が馬から下りたところだ。
「急ぎ今川館へ御登城下さい。殿がお呼びです」
小姓と共に駿府に戻り、今川館のいつもの部屋に行くと、しばらくしてから飛車丸が入ってくる。
「動いたぞ。豊」
言われて書状を渡される。差出人の名前は無く、正式な書状ではないようだ。中を開いてその理由がわかる。
甲斐からの手紙。同盟国でありながら正規の方法ではない連絡。当たり前だが、同盟国とはいえ情報収集の手を切るような事はない。
そしてそこからもたらされる情報。
甲斐武田家において、飯富虎昌の反乱と鎮圧。
飯富虎昌は武田家の重臣。武田晴信が父親信虎を追放する前から仕える譜代の家臣だ。
そして、武田義信の傅役だ。
傅役とは子供の頃の養育係にして後見人。当人にとっても幼い頃から接してくれる家族に近い存在だ。
それは元服してからも変わらない。というか、元服してからが本番とも言える。元服したての武将に助言を与え、諌め、褒め成長を促す。いきなり押し付けられた部下ではなく、小さい頃から親しかった者の方が、意思疎通は容易だ。
要するに学校の先生&社会人教育係&先輩という立場だ。もう人生スタートラインに付く前からの付き合いである。
そんな人間の反乱。
情の話をしたが、これは欲の方も大きな意味がある。
傅役を必要とする人間は、当然地位の高い子供だ。彼が元服し一人前になれば、部下が必要になる。そして、戦国時代の一族社会だ。信頼できる人間として傅役が自分の身内を売り込むのは当然の手段であるし、それを見越して幼い頃から身の回りの世話をさせれば、その縁は強くなる。
それは元服後にも影響する。教育した相手が偉くなればなるほど、売り込んだ身内と自分自身の重要度は増すのだ。
その為に、お家騒動などで熱心な賛同者としてたびたびこの立場の人間が出てくる。
逆に言えば、武田義信が次期武田家当主となるのなら、飯富虎昌が反乱を起こす必要などないのだ。当主の腹心として、自分と一族の栄達が約束されているのだから。
この時代の刑罰は一蓮托生。つまりは連座だ。罪を犯したものの身内まで罪に問われるのが普通である。
それなのに乱を起こした、その理由。
考えられる可能性は三つ。ひとつは、武田義信との関係が悪化しての暴発。もっとも、この可能性は低い。身内を引き入れての養育係で後見人だ。現在も将来も武田義信にとって重要な存在である。
そして、当の本人である飯富虎昌にとっても確定した明るい未来の保障だ。最後の最後まで義信の肩を持つはずである。
もう一つの、野心にかられての下克上というのも考えづらい。名門である甲斐武田家をのっとるのは、重臣とはいえ飯富家では不可能だ。武田義信を傀儡の主君にするにも、武田家は大きすぎる。さらに、現在の武田家の当主はあの武田信玄だ。どう見ても現実的ではない。
つまり、残る最後の可能性。
それは、最後の最後まで肩を持ったという事。飯富虎昌は己が身代わりとなってまでも、下克上を狙ってしまった若様の肩を持ってしまったという事だ。
それが、若様を諌めるためか、それとも主君から見逃してもらうためかはわからない。
「武田義信からの連絡は?」
「ない」
飛車丸の返事に、オレは一度大きく息を吸って吐く。
ああ、武田信玄よ。
お前は自分を理解していない。かつての自分を理解していない。
どれだけ今の自分を律していようとも意味は無い。
なぜなら、父親を追放したのは今のお前ではないからだ。武田家当主武田信玄ではない。武田家嫡男、武田信虎の子、武田晴信なのだ。父を追放したのが子であって、父が追放させたわけではないのだから。
父親であるお前がどれほど自分を律せようとも、当事者である子自身ではないのだ。
故に、捕らえたぞ。英雄。




