72 永禄の変
時は加速する。
こっそり、三好長慶も早死にしています。
永禄七年
年が明けて一段落した一月末。
一つの事件が日本全土を駆け巡った。
京都御所にて、足利将軍足利義輝が三好家によって討たれる。後に「永禄の変」と呼ばれる事件である。
この事により重大な危機に直面した大名家があった。
駿河今川家である。
「三好を正々堂々と糾弾すればよい。大義はこちらにある!」
今川家家臣一同がそろった評定の間で、声を大にして朝比奈泰朝が主張する。
「明確に三好家と敵対するのは得策ではない。京都を実質支配する三好がこれだけの事をしたのだ。次の公方様をねじ込む事も考えているはず」
奏者の三浦様が眉間にしわを寄せた状態で、その言葉に反論する。しかし、朝比奈様は声を大にしてそれに異を唱えた。
「そんな挿げ替えただけの公方様にどんな価値がある!」
「征夷大将軍の認可を下すのは朝廷ですぞ!恐れ多くも、その裁定に異を唱えられるか!」
「その認可を下した公方様を襲ったのが三好なのだぞ。そう簡単に認めるものか」
「ですから、その朝廷のある京都を治めているのが三好家だといっているのです。もしその心得であったとしても、いつまでも跳ね除けられるものではありません」
前にも言ったが、名門今川家は清和源氏足利家の一門である。つまりは足利将軍家の連枝という立場だ。そして、今回の事件によって足利家の当主である将軍足利義輝が殺された。
つまりトップ不在という状況だ。
一般的に考えれば、一門の当主である足利義輝を倒した三好家とは敵対する立場になるのだが、怨敵三好家に軍勢を向けるにしても、駿河と京都の間には敵国である三河と尾張がある。
征夷大将軍という官位を与えるのは朝廷の仕事であり、その朝廷がある御所は三好家が支配する京都だ。仮に三好家と敵対しても、京まで攻め込めないうちに三好家が自分に都合が良い将軍を担ぎ上げれば、今川家は本家である将軍家と敵対する反逆者であるとすり替えられる可能性がある。
かといって三好家の行動に追従し友好関係を結ぼうとすれば、周辺諸国から今川家は本家殺しを認めたと見なされ、裏切り者とみなされるだろう。
さらに三好家に追従するには危険が伴う。今回の事件で、三好家自身も大きな失敗をしているのだ。
分家の今川家が本家の足利家の仇を討つのは正当なことだが、主君の仇を討つのも家臣にとっても正当なことだ。そして、武家の棟梁である将軍を弑逆した事で、その部下である日本中の武家は、仇討ちという三好家を攻撃する大義名分を手に入れている。
広大な領土を持つ三好家ではあるが、敵がいないわけではない。そして、今回の事件はその敵勢力が協力する理由を作り、さらには敵でなかった勢力まで敵に回る可能性が出てきているのだ。
少しは他の家の事を考えてくれよ三好家……、と思わなくもない。
「どうした方がいいと思う。承豊」
末席にいたオレに今川氏真が聞いてくる。視線がいっせいに向く。
最近気がついたんだけど、戦争や家中の事ではなく国の外に関する話になるとオレに話が振られている気がする。
今回の件に関してオレは無関係なんだけどネェ。
「情報が錯綜しており、なにが正しいかすら分からない状況です。そこでどうでしょう。三好家に対して詰問状を送り、今回の経緯や状況について問い質してみるのは?」
「しかし、それでは今川家の面子が……」
「それよりも、状況を解決しなければ今川家が動けない事の方が問題かと思います」
オレの提案する意見は文字通り時間稼ぎだ。明確に三好家と敵対しないが、弁明の機会を与えただけだ。三浦様もそれを理解して指摘するが、オレ達がそもそも問題としている事はそこではない。
トップの足利家がいないと、今川家が動けないという問題があるのだ。
戦国時代には二つの権威がある。朝廷と幕府だ。この両者の差が結構面倒くさい。「権威」というのが「権(能)」と「(武)威」に分かれているのだ。
朝廷が国の中枢なら、幕府は国の警察と自衛隊をかねている公的暴力機関だ。
まあ、この警察が検事と弁護士を兼任し、さらに裁判官をかねており、何より致命的なのは、裁判の基準となる法律が「悪いことはやめましょう(要約)」としか書かれていない『御成敗式目』な点だ。
今川氏真は室町幕府の重臣であり、幕府側の人間だ。名目上は幕府から許可されて駿河を支配している。
足利将軍は警察庁の長官で、今川家は駿河遠江の県警の本部長という立場。あくまでも本庁の意を汲んで、地方を取り締まっているのだ。
え?今川家と朝廷の付き合い? そりゃ、県警のTOPなら地方に来た政治家とも挨拶をするだろう。そういう付き合いだ。ゴルフが蹴鞠で、政治資金パーティーが季節の歌会というわけだ。歌集はパー券だな。
ただ、それも幕府の要職で『相伴衆』という立場だからだ。
その幕府のトップである足利将軍が誰になり、どのような方針を示すかによって、幕臣である今川家の行動も変わるのだ。勝手に行動して、ついうっかり新将軍の味方を攻撃していたら、時間差による自爆である。
「勝手に動き、滅ぼした者の中に次の公方様の縁者がいないとも限りません。それが三好家の傀儡であるならまだしも、時至り三好を下した公方様の関係者であったなら、今川家は三好の騒動を利用した不埒者という悪評を受ける事になります」
まあ、そうなったとしても即処断というわけではない。
こちらから積極的に殺しにかかるわけではなく、攻撃してきた敵を返り討ちにする程度なら正当性を主張できる。
亡くなった足利義輝の時代から将軍家の力は衰退の一途をたどっている。京都から逃げ出すほどに将軍家の力は弱っていた。
多少のやんちゃ(意訳)なら、便宜をはかってもらうことが出来るのだ。
良識ある(ここ重要)人なら、不快感は持つかもしれないが公平に扱ってくれるだろう。
まあ、積極的に反感を買いたいわけではないので、状況が明確になるまでおとなしくする必要はあるのだ。
オレの意見を聞くと、氏真は持っていた扇子でひざを叩く。
「ここで明確に三好と敵対しようとも、京へ向かい雌雄を決する事はできん。が、今川家は三好家の行動を支持する事はない。その旨を三好家に伝える。あとは天朝様の判断に従う。それまで、皆は軽率な行動を控えるように」
「「ハハッ」」
氏真の決断に、家臣一同頭を下げる。
妥協案としては十分だろう。朝比奈様の主張する三好家との敵対を視野に入れながら、三浦様の言う責任問題を朝廷に丸投げしている。その上で、どうするかの明言を避けることで、判断する選択権は今川家で保持したままだ。
三好家が早急に対応できるなら、消極的賛成で関係を維持できるし、不測の事態となれば、三好家を切り捨てる事も可能だ。
「待たせたな」
日も暮れかけるころ、飛車丸が自室に戻ってくる。大まかな方針を決めたとはいえ、今川家の立場からすれば、将軍職の不在は大事件だ。ましてや、飛車丸の幕臣としての役目は「相判衆」という重職。その肩書きで領内の勢力を抑えていた事もあり、それら勢力への連絡や対応もあったのだろう。
オレ? オレは相変わらず暇をしているよ。なにせ、御伽衆だからな。
相変わらず名家の大名らしからぬだらしない姿で寝そべる飛車丸に確認する。
「次の将軍が決まるのはいつ頃だと思う?」
「そうだな……、年内は無理だろう」
オレの質問に、飛車丸が答える。オレには中央の格式だとか公家の行事作法に関しての知識が決定的に足りないので、こういった話は飛車丸が頼りだ。
「昨年末に三好家の当主が病没し、その跡継ぎに関してごたごたしていると思った矢先に、今回の事件だ。このまま、穏便に次の公方が決まるとは思えない」
「……なんで、三好家は将軍を殺したんだ?」
「何でだろうな。ここ数年で、三好家は当主をはじめ、跡継ぎも亡くなっている。三好家も混乱しているのだろう」
継承問題で混乱している余波で殺される将軍っていったい……。
まあ、三好家には三好家の言い分があるのだろうけど。
「まあいい。一年は動けないという事がわかっただけで十分だ」
「ほう」
「三河が遠江を攻めるには絶好の機会だ」
オレの言葉に、飛車丸が視線を向ける。
「元康が三河を安定化させたという情報は入っていないが」
「背中を押してやるのは、いつもの事さ」
「いつもの事なら、蹴りを入れる方じゃないのか?」
「それはお前の場合さ、飛車丸。オレはいつだってタケピーの背中を押してやっているんだ」
「どこに押しているかは言わないんだな」
「それは、言わぬが花ってな」
そう言って席を立つ。また駿府を離れる事になるが、コレがすめば当分は対武田に集中できる。
「豊。また三河へ行くのか?」
「いや、三河へは入らん。前の事もあるし、そろそろタケピーもオレの思惑に気が付くだろう」
「本当にどこに押してやっているのやら……」
呆れるようにいう飛車丸の言葉に背中を押されて、オレは私室を出て行った。




