71 織田家の躍進
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永禄六年十月
今川家から手紙が回されてくる。友野屋経由でやってきた尾張の状況報告の手紙だ。
書かれているのは二つ。一つは尾張織田家と近江浅井家との婚姻。誰が行くかはわからないが、婚姻の対象によっては将来の同盟も見据えているのだろう。
近江は美濃の西側に隣接しており、織田家としても美濃を攻める際の援護が期待でき、最悪でも一色家に救援を出さないように中立を貫いてくれれば、美濃攻略の懸念が減る。
で、もう一つ。
稲葉山城の乗っ取り。稲葉山城は美濃一色家の居城である。どうも内部犯の犯行で、美濃の豪族による反乱のようだ。とはいえ、一色家を滅ぼすつもりはなく、当主の一色龍興は城から追い出されただけですんだそうだ。
手紙では豪族2000の奇襲と、内部に潜ませていた50人に満たない精鋭によって城を奪取したらしい。まあ、正面からの攻城戦ではなく、身内の奇襲となればこの程度でも可能なのだろう。
これで織田信長も一色龍興と美濃豪族との間の確執を確信したはずだ。もしかしたら信長がこの策略の裏で糸を引いていたのかもしれない。
もしそうなら反乱の首謀者は、よっぽどの知恵者という事だ。
この場合に考えられる展開は、城を一色龍興に返して穏便に退去する事だろう。
ここで一色家を滅ぼして美濃の当主を名乗ったり、自分の手柄として信長に城を明け渡したら、他の豪族達との壮絶な内紛騒ぎに発展する。昨日まで同列だった同僚が、たいした理由もないのに騙まし討ちの様に主家を乗っ取ったのだ。大義名分のない今回の行動になど賛同する意味がない。
しかし、無難に城を返却できれば、あくまでも諫言という事にすれば、追い出された一色龍興の無様さだけが強調され、得るもののなかった首謀者への疑惑は霧散する。しかも、一色家との確執を決定づけるという当初の目的は達成した上でだ。
それと同時に、戦国大名的な力による支配を求めていた一色龍興の展望は、力なき大名と認識され根底から崩れる事になる。
あとは、織田家と裏取引で内通していれば領地の安堵は確実だ。合理的かつ合法的に落ち目の主君から離れる事が出来るし、新しい主君にも高く評価される。
美濃豪族の中では同格でも、尾張織田家の中での順位は別だ。織田家中で重用されたからといって、他の豪族から集中攻撃を受ける事はない。それをすれば織田信長から粛清されるだけだ。
ここまで先が見えていれば、今回の事件が無謀なものではないと分かるだろう。
そして、近江浅井家との婚姻による外交的閉鎖。
内外ともに完封という事だ。
さすが織田信長である。美濃攻略の手を打っている。オレの言った事だけをやっているようでは、先はないのだ。元康も少しずつでいいから見習おうな。
と、心の中で学友にエールを送る。
とりあえず、美濃攻略は詰めの段階に入ったという事だ。あと2年もしないうちに信長は美濃を手に入れるだろう。そこからどうなるかは様子見だ。想定どおりに動こうとも動かなくとも、オレの行動に変わりはない。
オレ達にとって最も悪い状況は、織田家が三河松平家に協力して遠江侵攻に全力を差し向け、武田家が今川家を滅ぼそうと決定するより早く遠江が落ちてしまう事だ。だが、その可能性は低い。
織田家と松平家の同盟関係は今のところ五分だ。織田家にとって、他国をはさんでの飛び地となる遠江を手に入れるメリットは低い。松平家に関しても、他国の領土にはさまれている状況をよしとはしないだろう。
それなら、織田家は湾の西側である伊勢の国を手に入れ、海運による経済掌握を目指すほうが利にかなう。
まあその場合、名門の北畠家をどうするかという問題が出てくるが、こっちには関係ない。とりあえず、尾張に関しては注意するだけでいい。
「ご無沙汰しております。師匠」
そう言って今川館の一室でオレに挨拶をするのは、今川家一門の末席にいる鵜殿氏長。かつての教え子である新七郎だ。遠江の秋葉城城主として一年。城主としても若武者としてもがんばっているようだ。
「うむ。息災か。遠江は大事無いか?」
「はい。家臣達も助けてくれますし、掛川の朝比奈様も気にかけてくれます。何度か相談にも乗っていただきました」
笑顔でそう答える氏長。元気そうで何よりだ。
遠江の城主である鵜殿家当主と、駿府の館で話をしているのだが、もちろんそれには理由がある。
今川館で鵜殿氏長の弟である藤三郎が元服するのだ。もちろん、烏帽子親は今川氏真。あの元気な藤三郎が、かっちんこっちんで緊張しているので、ほほえましく軽くほぐしてやった。
ちなみに、藤三郎を庵原元政がえらく気に入っており、今回の元服の祝いにわざわざ大鎧一領と名工の槍を送っている。
どうでもいいが、その祝いの品を見繕うのにオレを連れて行く理由が分からなかった。オレに武具の目利きなんて出来ないのだが、もしかしたら元政自身がオレに気を使ったのかもしれない。
え?オレ個人の祝い?
……一応、兄弟の元服祝いには、自分が写本した書物(兵法書)を数冊送っている。師匠としての手間賃はプライスレスだ。
「師匠。三河はどうでしたか?」
「三河か……」
氏長は西遠江にある秋葉城を預かる身である。敵となる三河松平家の動向からは目を放せないだろう。その為に、この機会にオレから三河の状況を聞きだそうと話をふっているのだ。
「面倒ではあったぞ。牢につながれるなどなかなか経験できないからな」
「師匠なら、その程度難なく切り抜けられるでしょう」
さらりと返す氏長。君は師をなんだと思っているんだ?まあ、実際には一晩とかからず軟禁に変わったけど。一歩間違えれば大変だったんだぞ。
「三河の一向一揆は沈静化しました。豪族達の予想に反して」
氏長はそう言うと、出されているお茶に口をつける。元がいいのかなかなかの所作だ。やっぱり尾張の菊千代君に通じるものがある。
「その時期に、師匠は三河にいた。つまりは、そういう事なのでしょう」
そして、こちらを見てにこりと笑う。誰を真似たのかね、不肖の弟子よ。相手と同じように口の両端を持ち上げる。
「三河武士の加担しない一向宗に力はない。今の問題は東三河だ」
三河のタケピーこと、松平元康も大変だ。一向宗との問題はとりあえずは沈静化したものの、三河統一直後に大規模な一揆が起こった事で、せっかく手に入れた東三河が不安定化。まだ爆発こそしていないが、早急に対応が必要な状況だ。
「東三河が事を起こせば、その討伐と後の領地問題で時間を取られる。が、そうなる前に元康は動くだろう」
「それは遠江を攻める為にですか?遠江の豪族達の中には、三河支配の後に今川家との手打ちに動くと見る者もいますが?」
「…させぬよ」
口の両端を持ち上げたまま、氏長の言葉を否定する。もし、松平元康に遠江侵攻の野心がなかったとしても、オレ達の目的のためには遠江を攻めてもらわねばならない。
その時は動かすだけだ。
松平元康が戦国大名であるなら、部下に力を示さねばならないのだ。三河統一で安心するのはいいが、もしそうならもっと危機感を持ちたまえタケピー。三河一向一揆だけでは理解できなかったか?オレが与えた助言の意味を理解しているか?信長は理解し、そしてその為に動いている。
戦国大名なんかで満足する気か。
「朝比奈様との連絡は密にしておきます」
「井伊谷ともな」
「……ははっ」
※本作の「稲葉山城の乗取り」は、主人公達は正確な情報を得たわけではありません。
あくまでも尾張津島港を使用する商人による尾張領内での伝聞です。不確定な要素や誤情報を含んでおり、そこから主人公は分析しているないようです。




