68 武田への備え
2019年5月25日に『復興名家の仮名目録 ~戦国転生異聞』の第一巻が発売になります。
今川家の今後の行動が決まる。
すでに飛車丸は動いているし、オレが先に友野屋で話したように、今川家は武田家と北条家の両家との同盟関係の強化を図る事を第一とする。
しかし、ここに一つの落とし穴がある。
オレが、将軍家へのお墨付きなどの手紙を送ったのは、甲斐武田家の当主武田信玄である。別にこれはおかしな話ではない。
そして、今川家当主今川氏真が、同盟相手として関係を強化し友好関係を結ぶのは、親しい義兄弟に対してである。
つまり、北条家当主北条氏政と武田家嫡男武田義信だ。
義兄弟の中でただ一人の当主の肩書を持たない男。三人のうち二人が大名家の家名を背負う中で、それを持たない男はどう思うか。
継承に意欲を燃やすその男に、塩の安定供給という功績を与え、その手腕を振るわせる。
しかし、武田信玄には武田家の安定という未来が見えないかぎり、駿河を攻める事でそれを達成しようとする可能性が残っている限り、敵を内包する嫡男にすべてを任せる事が出来ない。
そして信玄の選択する時間を奪う。
すなわち、駿河今川家の弱体化。信玄が三国同盟を破棄してでも駿河に攻め込み、自国を安定化させようと求める戦国大名の本能を刺激する。
当初の目的通りに。
それだけで、武田家の現在と未来に軋轢が生まれるのだ。
今川館にある飛車丸の私室で待っていると、いつものように飛車丸がやって来る。
「こいつを頼む」
そういって差し出すのは、手紙の束だ。
「多いな」
手紙の束を見て笑う飛車丸。
この手紙は今川家で武田派閥の家臣達から出されたものである。
武田信虎の事件以降、今川家の中での武田派は壊滅状態となっていた。派閥の筆頭である武田信虎が反乱を企てたので当然でもあった。
問題は、どこまでが関係者であるか曖昧な点である。状況によれば、同じ派閥というだけで粛清される可能性があるという事だ。
それゆえに事件以降、当主の今川氏真にとりなしを頼む手紙が来ていた。オレは当主の個人的な友人であり、さらに事件後に武田信虎の館で後始末をしていた人間だ。
信虎の事件の後始末において、少なくない影響力を持っていると見られている。
まあ飛車丸もそれを見越して、オレを信虎の館に派遣していたのである。
「今回の事はオレも想定外。おかげで手紙がこの有様さ。悪いが早急に頼む」
「かまわんさ。想定の内だからな」
そんな大事な時期に三河に捕まった為に、何人かには見捨てられたが、それでも大半には損はしない縁として頼られている。
おかげで当初の想定どおり、主君今川氏真にとりなし判断を仰ぐ事で、彼らの不安を払拭していった。
そう、オレが飛車丸にとりなすのだ。
つまり、オレ達は自由に武田派閥に影響を行使する事が出来るという事。
重臣の一族なら諍いにならないように、主家として間を取り持ち、家臣一族の騒動を鎮静化させ、さらに家臣当人の忠誠を得る。
家臣本人なら、望み通り今川家当主の取りなしで主君への忠誠を新たにする。
実際問題、武田信虎の陰謀は遠江の豪族達を取り込むことで勢力を確立しようとする事だった。つまりは、駿河の今川家家臣達とはあまり関係がないのだ。
しかし、今回の目的はそこではない。
「家中の統制は任せるぞ」
オレの言葉に軽く肩をすくめると、飛車丸は手紙の束を受け取り中身を確認し始める。そして、手紙に視線を向けたまま口を開いた。
「おまえはどうする?」
「敵方に捕まった愚か者だ。当分は大人しくするさ」
「影に潜むか。それもいいだろう」
当面の対応は、武田家が攻め込む際の手を封じる事だ。
百戦錬磨の武田信玄だ。今川家が弱体化したからといって、ただ力で駿河に侵攻するような愚を犯しはしない。
外交に調略と、今川家をゆさぶりにかかるだろう。当然、今川家から内通する者は、今川家中にいる武田派閥の者達だ。
その候補者名簿が、こうやって手に入った。
さらに、今川氏真のとりなした武田派閥が誼を通じるのは、今川氏真個人の付き合いが深い義兄弟の武田義信。
そして、信虎捕縛の後の武田派閥をとりなした今川氏真の友人十英承豊ことオレがつながっているのが武田信玄。そこに、オレと武田義信をつなぐ線は存在しない。
これが、大事な事なのだ。
武田義信に駿河を攻めさせるのではない。
武田信玄に駿河を攻めさせる事が必要なのだ。
『上兵は謀を伐つ』
ただ伐つのではない。謀をもって謀を伐つ。己の謀が伐たれている事を知られぬ事もまた『謀』なのだ。
それ故に、その謀を伐つ事こそ至上なのである。
「ああ、適当な仕事は割り振るぞ。奏者の三浦が仮名目録の解釈で力を借りたいと言っていたぞ」
「おう…」
大人しくするという名目で、食って寝るだけの居候生活はできないようだ。
捕囚生活からのリハビリかなぁ…




