65 策謀の始まり
5月25日(土)に『復興名家の仮名目録 ~戦国転生異伝~ 1』が発売になります。
登場人物がカッコよすぎてヤバイ。
永禄六年三月
「ちょっとそこまで」程度の予定で三河に行ったら、尾張まで行く事になり拘束軟禁無理難題と面倒なコンボをくらった挙句、一月以上も留守にしてしまった。
駿府に戻り、居候先の庵原館でささやかながら無事帰還のお祝いをしてもらい休息を得る。
ようやく落ち着いて休めるというものだ。
え?満喫していた?そんな事はない。オレの繊細な神経は磨り減っていたのだ。
さて、想定外の事態により捕囚の身となり、外部の情報を得られなかったオレは、駿府に戻ってから改めて捕まっていた間の状況を確認する。
本来の目的であった三河についてだが、留守にしていた間に一向一揆の問題は進展していた。
二月のはじめに松平家と一向宗が激突。ただ、周囲の予想に反して、松平家も一向宗にも大きな被害はなかった。一応は松平家の勝利という事で終わったそうだ。多分、一向宗側は自分達の勝利だと主張するのだろう。その程度の被害という事だ。
丁寧に準備をすると、望まぬ戦はこんなにあっさり終わるという事だ。裏で調整をしていた助さん(石川数正)もやるもんだ。
その後、松平家と一向宗は和議(終戦協定)を結び、今回の騒動は決着となった。
……と、思うのは一向宗だけだと思われる。松平家は一向宗に付いた元松平家家臣達を懐柔し、再発防止と三河統一後の対応に向けて動くだろう。その後、どのような制裁が一向宗に下るかは、後のお楽しみだ。
とりあえずは、三河の問題は収束に向かっているわけだ。
三河の情報はさておき、オレにはやらねばならないことがある。
お礼状を書くことだ。宛先は三河の善住寺の住職。
松平家に捕縛される際に、最後まで味方になってくれた徳の高い人である。捕虜となったオレの安否を気遣っている事だろう。無事に駿府に帰還できた事と、心配をかけた事をわびつつ、足利幕府の重役『相判衆』の肩書きを持つ飛車丸こと今川氏真からの添え状も添える。
寄進は友野屋を経由して第三者から出してもらおう。三河にあるお寺なので、これ以上迷惑をかけるのはよくない。
というわけで、礼状の移送依頼と謝礼について東海の海運商店友野屋へ行く。
わざわざ出向く理由はわかるな。
手紙を送るだけが目的ではないのだ。
「……塩でございますか?」
今川家の御用商『友野屋』の主人である友野宗善に目的を告げたところ、困惑した返事が返ってきた。
「左様。甲斐武田家は内陸にあり、海がありません。その為に海に面した駿河で作られた塩を運んでおります」
「それは、当商店でも商いをしております」
「そう。商人同士の商店同士の商いです。しかし、塩とは生きるために必要な物。これを失うことは死を意味します。それを他者の手にゆだねているというのは、その土地の守護者にとって、いささかの懸念がありましょう」
「……それは今川家が塩の商いに手を出すという事でしょうか?」
オレの言葉を聞いても友野屋はいぶかしげに聞いてくる。塩は生活必需品である事から、需要は安定している。その為に塩の取引を基幹事業にしている商人も多い。同時に、その価格や取引量の調整は慎重にならざるをえない。
駿河でその役目を担うのは卸組織『座』の総括である座長友野宗善の仕事であった。
そこに大名が手を出すという事態を、当然看過できるものではなかった。
大名の方が立場が高い為に、座長の調整を跳ね除ける事が出来るからだ。
「いいえ。そうではありません」
なので、その疑念を晴らす。
「甲斐武田家とは同盟関係です。しかし、昨今の今川家の状況を見れば、その関係も盤石ではありません。そこで、一定量の塩の取引を保証する条約を武田家と結びます。こうする事で、武田家との同盟関係を強化できるのです」
一定量の塩の売買を大名家同士が保証して提供させる。それだけなら、友野屋にとって損な話である。
しかし、商人同士の利益を基準にした取引ではなく、大名同士の条約に合わせたやり取りである点なら、これらの取引内容は変わる。つまりは、利益準拠ではなく最低取引量の保証という意味での取引だ。
条約には価格も盛り込まれており、友野屋にしてみれば、固定の価格での取引となるので、塩の利益が減る。だが、元々価格の乱高下を避けるべき生活必需品であり、商店の基幹事業の一つであるから、価格と供給の安定は歓迎するべき話でもある。それも、すべてではなく一部である。利益が消えるわけではなく、一部が保証はされるという事だ。
「氏真様がそのような条約を武田家と?」
「まだ確定ではありません。しかし、武田義信様と話を進めており、拙僧がこうしてお話する程度には現実化しているという事です」
「武田……義信様と?」
「左様。先の同盟のおり妹君が嫁ぎ、義兄弟となりました武田義信様です」
意外な人物の名前が出てきたことで、友野屋が困惑したように聞き返す。
信虎事件後、信虎の今回の騒動と甲斐武田家とは無関係となったものの、今川家だって何もしなかったわけではない。同盟とはいえ隣国の大名だ。
そこで、両家の友好関係を強化するべく、飛車丸は親密な関係を結ぼうと武田義信とやり取りをしていた。
塩の安定供給というこの話は、甲斐武田家にとって安心できる要素だ。利益準拠の商人ではなく、支配者である大名同士の保証という形で、価格高騰を狙った塩不足を抑止する事にもつながる。
「なぜ、信玄公ではなく、義信様と?」
「信用の問題です。末永くお付き合いをするなら次期当主である義信様の方が好ましいでしょう。氏真様も信を置くならば義兄弟にと考えておられます」
実質的な支配者である武田信玄は、波乱万丈な人生の中で少なからず非道な行いをしている。その中には条約に関する不義理も多く、そういう意味での信用度は低い。
逆に、次期当主である武田義信であるなら、父親の悪名はあるものの、その信用度は未知数だ。
さらに、武田家内外に次期当主と認識されている立場から、現当主武田信玄に統治者としての話を提案する役目にも不足はない。
「正式に決まれば、殿よりお話があるでしょう。しかし、準備をしておくことは悪い話ではありますまい。動くのはあくまで、殿より話がきてからですよ」
そういって、笑顔で話を終わらせる。
オレの立場は今川家の御伽衆。今回友野屋に話を提供するのも、あくまでも密告……ではなく助言を与えたに過ぎない。
飛車丸が今川家重臣達とやり取りをして、武田義信と連絡を取り合っていたとしても、決定した事をオレに告げられたわけではない。オレの話した内容を、飛車丸が「お、それいいね」と乗り気で返事をした。そこから実現するかもしれないという話を、友野屋に雑談として提供しただけである。
もしかしたら、他にも類似の話によって同盟関係の強化をはかるかもしれないけれど、そこはオレの知らない話だ。
「ああ、そうだ。先ほど話した善住寺の件もよろしくおねがいしますね」
帰り際に友野屋にお願いしておく。利益を提供したので便宜をはかってほしいなんて、一言も漏らしていない。ただ、相手が善意で行ってくれるなら、僧職に身を置くオレとしては功徳を喜んで受け入れるだけである。
徳の高い寄進を得られて善住寺の住職も喜ぶことだろう。
庵原館に戻ると、留守の間に今川館から送られた文箱を開けて、中の手紙を検めた。用意はすんでいたので、必要な手紙を纏め人を呼ぶ。
「誰かあるか。これを甲斐へ届けてくれ」
文箱の中は先の武田信虎による遠江騒乱で、今川家側で押収された手紙の数々だ。ようするに、将軍家のお墨付き等の証拠品である。
遠州騒乱から半年が経過し、遠江の問題も解決した事で「公表しないなら好きにしていいよ」と飛車丸から渡されたのだ。もちろん使い道について相談し、許可ももらっている。
つまり、この手紙を武田信玄へ提供する許可だ。
今川家当主今川氏真からではなく、武田家に友好的な今川家家臣十英承豊からの提供という形で、武田信玄へ手紙を提供する。
当たり前だが、武田家がこれを公表するなんて事はできない。武田信虎は、追放したとはいえ武田家の一族であり、現在当人は将軍家の家臣として京都にいる。これを公表しようものなら、今回の事件について将軍家から武田家に飛び火する壮絶な自爆だ。
だからこそ、武田信玄はこれを握りつぶす。
それは想定の内。
送る手紙は一つではない。先の騒動の後始末の際、手元に置いた手紙のいくつかを同封して送る。それ自体は武田家に対して問題にはならない。
だが、武田信玄。お前には違う。
何度も言っているように、武田信虎は甲斐武田家の味方だが、武田信玄の敵だ。
そしてそれは武田信玄にも言える。武田信玄は甲斐武田家の味方であるが、武田信虎の敵である。
武田信玄個人の敵が武田信虎であり、武田信玄も武田信虎も甲斐武田の敵ではない。
ゆえに……
英雄よ。神すら逃れる事の出来なかった因縁を、断ち切る事が出来るかな。




