64 団欒と安堵の息
「だぁ~だぁ~」
今川館の奥にある部屋に飛車丸と共に入ると、そこには幸せそのものという雰囲気が形成されていた。
飛車丸は当たり前のようにその輪の中に入る。
輪の中心にいるのは一人の赤ん坊だ。
「十英様。このたびは災難でしたね」
そういって、声をかけるのは飛車丸こと今川氏真の正室早川殿(一児の母)である。
その手にあるのは、飛車丸との子である霞姫。だらけきった顔で赤ん坊の顔を覗き込む飛車丸の顔は、どう見ても名門の当主ではない。
まあ、ここで見て見ぬふりをしてやる程度の配慮はある。
「いえいえ。そこまで心配される様な事ではありませんよ」
今川家当主約一名を無視して、早川殿に答える。
「でも、三河どころか尾張までいかれたとか」
「左様。確かに今川家の敵ではあります。なに、拙僧には御仏の功徳がありますからな」
「あら」
少し自慢げに言うオレの言葉に、早川殿が顔をほころばせる。
「織田家の当主など、根性の捻じ曲がった男でございましてな。いろいろいじわるを言われましたが、なに最後にはやり込めておきましたよ」
「あら、どんな事を言われたんです」
「「自分の身柄代くらい自分で賄って見せよ」などと無理難題を言うのですよ」
「まあ、ひどい」
……嘘は言っていないよな。うん。
飛車丸の配慮のおかげか、こうやって当主の一家団欒の中に入れた事には意味がある。
まあ、一つ目はこうやって当主の覚えめでたく、不信感をもたれていないというポーズを示す事だ。
次に、オレが正直(誇張は除く)に話している内容が、そのまま今川家中に流れる仕組みがあるからだ。
今川家当主の正室である早川殿には世話をする侍女達がいる。今現在も部屋の隅に控えている。当たり前だが、彼女等は信用の置ける女性ばかりだ。
その信用は、彼女達が生まれた家から来る。今川家譜代の家臣一族の縁者という信用だ。早川殿が面白おかしくオレの話をする事は、そのまま彼女達の耳に入り、その口から実家である今川家家臣の中に流れる。
さらに、彼女は北条家の娘である。実家の北条家はもとより、今川家北条派閥の重鎮である寿桂尼様とも繋がっている。
こうやって、軽口を叩くように会話することで、オレにかかる疑惑の目が大幅に軽減する事につながるわけだ。
軽減である。皆無にはならない。実に恨めしい。オレがその元凶について話す内容に力が入るのもうなずけるだろう。
「なに、おかげで珍しい品を頂戴しました。いや、傑作でしたぞ。してやられた時の織田殿の顔ときたら。こんな顔をして……」
そういって、信長の顔を真似る。顎を右手で伸ばしヘの字口にして、左手で両の眉毛を持ち上げ、目を吊り上げさせる。
「っ……!」
ツボに入ったようだ。早川殿が口元をおさえる。
「……きゃっきゃ」
同時に、霞姫がオレをみて両手をパチパチと叩いた。ほう、この顔が気に入ったか。今度力を入れる方向を逆にしてみる。
「だ~だ~」
うれしそうにオレの顔に手を伸ばす。覗き込むように変顔をしていると、横からツイと手が伸びた。
「やりすぎだ。霞の目が腐る」
「さっきの殿の顔を見ているなら問題なかろう」
赤ん坊の歓心を奪われた父親が、オレの邪魔をすべく伸ばした手でオレの両頬を押しつぶしてタコの口にした。負けじと邪魔者の顔に手を伸ばし、その目を横に伸ばして変な顔にする。
「プルプルプル……」
笑いをこらえるのに必死の早川殿から、落とさないように霞姫を受け取って抱える。見知らぬ男に抱きかかえられて霞姫は驚くが、さっきまでの雰囲気のせいか、グズる事もなくこちらをみている。どうも見慣れないオレの袈裟に興味津々のようだ。
「抱き方はこれでいいのか?」
「ああ、そうだ。頭を支えるようにして……どれ貸してみろ」
赤ん坊に関してはそこまで経験はないので、抱き方を聞いて見る。すると飛車丸がすかさず手を伸ばした。
「おい、オレが抱いているんだぞ。奪う気か」
「何を言う。ウチの姫だぞ」
「やれやれ……おっと」
一応主君にして父親の要請だ。抵抗をやめて霞姫を渡すと、飛車丸は慣れた手つきで胸元に抱える。もっとも、その際に袈裟をつかまれたので、そのままはずして持たせてやる。
「あらあら」
「よいのですよ」
袈裟を奪われた事で早川殿が手を伸ばすがそれを遮る。
オモチャ代わりに持っている分には問題あるまい。位の低いオレの袈裟は、金銀細工のようなきらびやかな装飾は皆無の地味なものだ。口に入れても毒にはならないだろう。
「ばっちいな」
着古した袈裟ゆえの衛生的な問題については目をつぶるが、口に入れないように邪魔をしている飛車丸の皮肉には、きちんと返しておこう。
「大きなお世話だ」
そして、大きく一つ息を吐いて肩の力を抜いた。
暗い陰謀話の前にクールダウン




