63 弁明と種子島
実に二か月近く離れていた駿河の港に着いた。
港では、事前に連絡がされていたようで、居候先の庵原元政が迎えにきていた。
感謝しているが、オレの顔を見て泣きながら抱きついてくるのは勘弁して欲しい。暑苦しい。離れろ。
事情を聞けば、三河で捕囚の身となったオレは、松平家の厳重な警備の元で監視下に置かれ、さらには今川家から奪還されないよう、尾張に移送された事になっていたらしい。
ちなみにすべて今川陣営側視点です。
考えてみれば、三河との外交窓口ってオレだったもんな。敵対している松平家がわざわざ正確な事情を説明するはずもなく、裏での取引出来る人もいないありさまだ。
そんな状況だったはずのオレが、織田信長から帰り際に渡された豪華景品を持たされている事に元政が目を白黒していたが、ちょうど良い人手なので、そのまま運んでもらう事にした。
駿府の今川館に到着。
ただの御伽衆と身分の低いオレ的には、異例の速度で報告に上がるよう通達され、重臣達が控える評定の間に通され主君である今川氏真の前に出る。
「ご心配と、ご迷惑をおかけしました。只今帰参いたしました」
「無事で何よりだ。承豊」
今川氏真の言葉に恐縮するように再び頭を下げる。
と、重臣の孕石様が、本題に入ろうとゴホンと咳払いをした。
本題とはいわゆる、信長の帰り際に渡された贈呈品の話である。
「尾張より戻る際に、過分な厚意を受けたようだな」
「はい。尾張織田家におきまして、当主信長様より拝領させていただきました。これらの品に関しては、拙僧には必要のないものゆえ、今回のご迷惑をおかけしましたお詫びに、すべて献上させていただきます」
一つでも懐に入れたらアウトである。まあ、こうして献上しても織田家と繋がっているかもしれないという疑惑は払拭できない。その為に、重臣達の意識をずらすとしよう。
「ただ一点。拙僧が求めた品がございます」
無欲にもすべて献上したはずの僧が、わざわざ求める品とは何か。そんな好奇心を刺激させつつ行李の一つを引き寄せて開ける。中にあるのはオレが信長に要求した一丁の火縄銃だ。
「これは種子島か?」
オレが手に取った品を見て、声を上げる孕石様。
「ご存知でしたか」
「当然だ。当家でも数丁あつかっておる」
へえ、今川家の戦なんて見た事もなかったので知らなかった。後で飛車丸に確認すると、先代の今川義元の時代にすでに今川家でも取り入れているのだそうだ。
それならよかった。火縄銃についての説明が省けた。
「左様ですか。拙僧が求めた種子島ですが、尾張で保有する種子島の数は数百丁に上るそうです」
「数百?」
オレの言葉に孕石様が驚いた声を上げる。尾張で菊千代君からさらっと聞きだしたのだが、近江の鉄砲鍛冶屋に五百丁を発注し保有している。種子島を持っている重臣達なら、種子島が一丁どれくらいの値段がするか知っているだろう。
残念な事に、今川家は鉄砲集団というのを編成できない。
その理由はオレの作った『仮名目録』にある。この中で軍法をひき「寄り親」「寄り子」という組織体制を作った。当然彼らの上に立つのが今川家の家臣達だ。あくまでも、今川家家臣たちの下に組織だった軍隊を作ったに過ぎない。だから、今川家が保有する種子島(鉄砲)というのは「家臣たちが購入しそれを部下に与えたもの」でしかない。
今川家でも総数で言えば百丁以上あるだろうが、それは家臣達の持つ種子島もいれての話である。
「つまりは、織田家は種子島による戦いに長けておるという事か」
「御意」
氏真の言葉に頭を下げて同意する。
織田家の持つ種子島と、今川家が持つ種子島とでは、運用方法が違う。
あくまでも、今川家が持つ種子島は武器としての種子島である。槍や弓などの武器の選択肢の中に種子島があるに過ぎない。
織田家は違う。種子島を使うための組織。種子島を使うための部隊。種子島で戦うための方法。
運用レベルで違うのだ。
隣接こそしていないものの、織田家と今川家は敵対関係だ。対武田家はあくまでもオレ達の中だけでの話。今川家中においては三河の問題を片付ければ織田家と決着をつけるとみているだろう。
その際に、織田家が力を入れる武器について意識させる。これは対織田家だけの話ではないのだ。今後の戦で火縄銃と対峙した時、対応策の有無は文字通り生死を分ける。
そして、最後のオレ個人への保険として、情報を手に入れるために、あえて織田家に潜入したと重臣達に見てもらう。そうでなくても、敵である三河松平家に近いオレだ。逆に言えば、敵の情報をもたらす事の出来る人間でもある。
見方を変えるとただの二重スパイである。どの道、善意の誅殺の危険はなくならない模様。
おのれ織田信長!!
「この種子島もお納めください」
「わかった。この件はこちらで対処しよう。承豊。その方の献身も忘れぬぞ。大儀であった」
「ありがたき幸せ」
氏真からのお褒めの言葉に深く頭を下げる。これで、一応は捕まった件に関しては主君からは不問となった。家臣達はどうか知らないが、彼等には今後対処が必要となる新武器の方が重要だろう。
おかげで当分の間、目立つ事を避け慎ましく生きる必要が出てきた。
おのれ織田信長!!
「で、数をそろえれば使えるのか?」
「使い方次第だ」
評定の間での接見を終え、いつもの私室で種子島をひっくり返したり覗き込んだりして遊びながら聞いてくる飛車丸に答える。
「ただ使うだけなら欠点もあり、そうでもない。値段が高い。弾を打つ薬の取扱いに危険が伴う上に、その薬も買わねばならない。命中精度も良くはない。音がうるさく、煙が出るので位置がばれる」
「が、撃たれればなすすべなしか」
オレが火縄銃の欠点を上げていると、そのものずばりの本質を飛車丸がついてきた。何より火縄銃の利点を上げるとこれだろう。避ける事も防ぐ事も出来ない必殺の武器だ。
「そうだ。これを横一列に並べて一斉に撃てばその威力は計り知れん。南蛮で実際に使われている武器だ。見世物として海を越えたわけじゃない」
「つまり、南蛮の戦い方を取り入れるか。さすがは尾張のうつけ。目の付け所が違うな」
そして、火縄銃を取り扱う意味をさらっと口にする飛車丸。高価だからとか、音がどうとか、そんなモノは火縄銃の特性でしかない。
現実に南蛮という異国で、この銃が武器として使われている事実。その武器の使い方を知らない日本で使えば、それだけで強力な戦術になる。槍を知らない者に槍を使った戦い方が、弓を知らない者に弓を使った戦い方がどれほど有効か考えるまでもない。
兵法書『孫子』がなぜ尊ばれるのか。それはこの書が「この武器でどう戦うか」とか「この敵にどう戦うのか」といった、その場その場の戦い方を記した書物ではなく、戦い方の根幹について記しているからだ。
これが火縄銃ではなく他の新兵器であっても、それを先んじて使うことで有利になるという概念を記しているからこそ、千年を経ても『孫子』が兵法の極意とされるのだ。
だからこそオレはそれを駿河に持ちこんだ。今川家がそれを『知る』ために。
「そっちはどうだった?」
「変わらん。義兄弟達とのやり取りも順調だ」
オレの言葉に飛車丸は返事をしながら火縄銃を行李に仕舞い部屋の隅に置くと、笑みを浮かべたままオレに声をかけた。
「豊。少し付き合え」
「なににだ?」
「ご機嫌伺い」
そういうと、飛車丸は小姓を呼んだ。




