61 美濃の内情
2日ほどで、雑談しつつ菊千代君から必要な情報を集めた。それからさらに2日ほど、菊千代君との雑談のみで悠々自適に日々を過ごす。なにせ、他人の金で食う飯はうまい。それが何の恩も感じないですむ相手ならなおの事である。
そんな優雅な生活は、残念な事に5日目に織田信長に呼び付けられた事で終わりを告げた。
菊千代君に案内されて小牧山城の廊下を歩く。いくつかの部屋を過ぎた所で、小男が開いた戸の前で待機しており、こちらを見ると頭を下げる。
正面に立ち部屋の中を見ると、奥行きが広い。中には十人近い家臣達がきちんと並んでいる。おそらくここが小牧山城の評定の間なのだろう。
「十英承豊。まかりこしました」
部屋の中央まで進み膝を折ると上座の織田信長に対して頭を下げる。
敵であっても、オレの立場は捕囚の身。公式の場である以上、最低限の礼儀は必要だ。
「で、用意は出来たのか?」
「特に、用意するものなどありませんので」
「フン」
最低限の礼儀もなく、いやみったらしく聞いてくるので、こちらもいやみで返しておく。
それに対し、信長は軽く鼻を鳴らすだけで終える。
この部屋で一番偉い人には、最低限の礼儀がない様に思われる。
笑みを浮かべつつ頭を上げて、上座に座る織田信長を正面から見て口を開く。
「では、美濃について軽くお話しましょう。とはいえ、この程度の事は皆様もご承知の事と思いますが、まあ拙僧の確認をかねての事で、ご容赦ください」
「……」
愛想を向けてみたが、評定の人たちは誰一人雰囲気が和らいだ気がしない。アットホームな職場からかけ離れた場所のようだ。
まあ、完全に敵国の人間を前に和気藹々(わきあいあい)とされても困るか。
「現在の美濃の当主である一色龍興が一色家を継いだのは十四歳の時です。それも、先代の一色義龍の病死による急な継承でした。美濃を治める器量があるか懸念があります」
「しかし、美濃は重臣達がしっかりと守っておる」
家臣の中でも偉い方(上座側)に座る大柄の中年の男が、オレの言葉を遮る。
視線を向けて笑顔のまま言葉を返す。
「たしか先月、戦で手痛い敗北を喫したそうですな」
「貴様!」
声を荒げられるが、事実は事実だ。軽くスルーする。
先月、織田家は小牧山城を作った余勢を駆って、一色家に攻勢を仕掛けた。兵数でも織田家が勝っており、勝てると思われたが、一色家の伏兵によって撃退されている。
「そもそも、美濃はここ近年で三代支配者が変わっております。斎藤道三から始まり、一色義龍。そして、一色龍興」
美濃を語る上でまずはずせないのが、美濃の誇る梟雄斎藤道三だ。
油売りから身を立て、主君を追い落として最終的に美濃の大名にまでなった男。
とはいえ、その末路も梟雄らしく、息子である斎藤義龍(後の一色義龍)によって討ち取られている。
重要なのは、この父子の対決『長良川の戦い』では、斎藤道三の軍勢が二千にも満たない数に対して、斎藤義龍の軍勢は一万を超えている事だ。
この時代の兵士とは足軽であり農民である。つまり、集められた兵の数は、そのまま支持者の数であり、この段階で斎藤義龍は美濃の当主として民衆に認められているという事だ。
これには理由がある。美濃には元々美濃に住む豪族達がいる。完全な外様である斎藤道三が美濃の支配者になれた理由は、その力によるものだ。美濃を守る力と実績を示した斎藤道三に豪族達は従った。戦国大名らしい統治の典型と言えるだろう。
そしてそれは、斎藤道三の力が衰える事で崩壊する事を意味していた。
そこで、斎藤義龍は父とは違う方法を取った。斎藤家の家名を捨てたのだ。斎藤道三の息子ではなく、自分は旧主土岐家の子であるとしたわけだ。
こうすることで、支配者としての斎藤家ではなく、美濃大名の一色義龍の下の斎藤家になった。
斎藤道三の後継者のままでは、斎藤道三と同じように力を示し、豪族達を抑える必要がある。だが、斎藤家の名を捨てることで、美濃の豪族も、斎藤家の勢力も、同じように自分の下に取り込むことができる。
『長良川の戦い』は、斎藤道三率いる『斎藤派閥』対一色義龍率いる『斎藤派閥』と『豪族派閥』であったわけだ。まさに、戦う前に勝敗は決していたのだ。
そしてその結果、一色義龍は美濃の「斎藤派閥」と「豪族派閥」を統制してみせたのだ。悪くない手法である。
問題は、そんな美濃の大名が34歳の若さでポックリ死んでしまったことだ。
「年若い一色龍興を盛り立てているのが、斎藤道三の弟の長井道利です」
長井家は、斎藤道三が斎藤家を乗っ取る前に名乗っていた家である。つまり、長井道利は、斎藤道三の基盤であった長井家を受け継いだという事だ。肉親の信頼感があればこその対応と言えるだろう。まあ、その肉親に殺されている時点で、その関係はお察しである。
同時にここから見えてくるものがある。
「曲がりなりにも一色龍興が美濃を統治している状況から見て、重臣長井の力に疑いはありません。しかし、それはあくまで織田家……外に対してです。では、内に対してはどうでしょうか?」
清洲同盟により織田家が美濃を狙っているのは明白である。それに年若い一色龍興に美濃を任せるのは不安であり、誰かが龍興を補佐する必要が出てくる。
つまり、その誰かを決める派閥争いがあり、その勝者が長井道利。つまりは『斎藤派閥』という事だ。
実際に、この決断は間違っていない。地元豪族派閥を選べば、今度は豪族派閥内での勢力争いになり美濃はバラバラになる。そういう意味では、一族で固まり一定規模の勢力である『斎藤派閥』は適任だ。
もっとも、だからといって豪族派閥が納得するわけではないのが悲しい話だ。
「必要とはいえ、斎藤一族である長井道利の台頭は、一色義龍によって保たれていた家中の均衡を崩す事になりました」
斎藤派閥と豪族派閥の齟齬は、先の織田家との戦『新加納の戦い』で見えてくる。
戦の勝敗ではない。「織田家に劣る兵数しか集められなかった」という事実だ。
相手より多く兵を集めるのは兵法の基本だ。それができなかったという事は、美濃がまとまっていない事の証明だ。
斎藤派閥の力で美濃大名となった一色龍興が、そんな美濃をまとめる方法は一つしかない。
力を示して豪族達を従えるという、斎藤義龍が父親に反逆してまで避けた修羅の道だ。
間違えてはいけないのは、現在の美濃は一色義龍によって両派閥のバランス調整をしていた時代でもなければ、斎藤道三による力によって支配していた時代でもないという点だ。
今の美濃は一色龍興が豪族達に力を示そうとしている状況だ。
それなのに「当主交代で弱体化しているだろう」と短絡的に攻め込めば、新当主の力を示すチャンスにされる。少ない兵でも伏兵を用意して逆転を狙い、「一色龍興はスゴイ」と美濃豪族達に喧伝する材料にするわけだ。
元々数が少ない軍勢なら、さらに伏兵のために数を割いても察知されづらい。さらに、伏兵の襲撃場所まで誘い込むのにも、数が少ないがゆえに押されているのか退いているか見抜くことは至難の業だ。
まさに、戦略から戦術を練る見本みたいな策だ。
まあ、オレにはどうでもいい話である。オレが見るのはもっと上だ。
「長井道利は、今回の勝利を自分達の勢力の強化に利用しようとするでしょう。美濃を一つにまとめる為に、その功績を高く見積もり力を集めます」
もし、斎藤道三の時代であるなら家臣達の功績を正しく評価しただろう。もし一色義龍の時代であるなら、両派閥の不満が出ないように恩賞を出しただろう。
だが、今の一色龍興にはそれができない。
織田軍に攻められても美濃豪族達が静観しているような状況で、彼等は一刻も早く斎藤道三のような豪族達を従える力を手に入れようとする。
勝利によって得られる力を出来る限り己の物にしようとする。
たとえそれが、他人の功績を奪っていたとしても、自分達の勢力を強化する事を優先する。強者である事が求められるからこそ、それ以外を省みない。
戦国大名であるがゆえに貪欲に。
では、そのせいで無視される者は誰か。そのせいで奪われる者は誰か。そのせいで面倒を押し付けられるのは誰か。
その勢力を見つけるのは容易だ。論功行賞による勝者と敗者なのだから。
力を求める『斎藤派閥』と、静観したがゆえに疎まれる『豪族派閥』。
結果、生まれる格差……
「つまり、一色家は今回の勝ち戦により、贔屓される者と疎まれる者が生まれます。それは美濃において如実に……」
「サァァァル!!!」
オレの言葉を切るように信長が立ち上がって大声を上げると、そのままずんずんと進んで、オレ越しに、評定の間の入り口を見る。
「聞いていたな。今すぐ稲葉山城下へ入り、美濃の話を集めよ。先の戦の流れ、そこで不当な扱いをされた者の有無。それらの者の身辺を探れ!」
「ハハッ」
返事に振り返ると、評定の間に案内される時にいた小男が出て行くところだった。「猿」とよばれる織田家家臣といえば一人しか思い浮かばない。後の天下人豊臣秀吉。今は木下藤吉郎か。
残念な事に、すぐに視界から消えてしまったので、よく見る事が出来なかった。そうだと知っていれば話くらいはしてみたかったな。
「いつか……」
そんな事を考えていると、上から声が聞こえる。視線を戻してみれば、織田信長がこちらを見下ろしていた。
「いつか、今ここで殺しておけば良かったと、後悔する日が来るかもしれんな」
素直に感心するわ。本人を前に殺害予告してきたぜ。どんなコミュニケーション能力しているんだよ。とはいえ、さあどうぞと首を差し出すわけにもいかない。
笑みを浮かべつつ口を開く。
「ご安心ください。その後に必ず、あの時に殺さないで良かったと思う日が来ますよ」
オレの返事に鼻の頭にしわを寄せると、そのまま視線をはずして上座に戻りながら言う。
「菊千代。コイツを元の部屋に戻せ」
「はいっ!」
元気に返事をする菊千代君。元の位置に戻っても、こちらに背を見せたまま振り返りもしない織田信長。
ニコニコ笑顔の菊千代君にほんのり癒されつつ、最低限の礼儀(見習えよ尾張の大名様よ)で一礼をすると、菊千代君と共に評定の間を出る。
部屋を出る際にチラッと見てみたが、信長は相変わらずこちらに背を向けたままだった。
こちらは約束を守ったぞ、お前も約束を守れよ。
※史実では、この時期(『新加納の戦い』後)に美濃三人衆の一人に数えられる豪族の義理の息子にあたる智将が、斉藤飛騨守という人に馬鹿にされションベンをかけられる事件があったらしい。




