59 尾張の密談ふたたび
※清洲同盟が史実より1年早く結ばれた為、小牧山城築城も半年ほど早く出来ています。
一揆との戦いに忙しくなる三河松平家を後にして、尾張織田家へ移送されました。
まあ、罪人用の籠ではありませんが、監視付きの旅でございます。ちなみに、監視役はわざわざ尾張からやってきた織田家の武士だ。
松平家は一向宗対策で家中の人員を割けないから、織田家が気を利かせて派遣してくれただけだよね?(願望)
そんな甘い考えを否定するように、連れて行かれる先は織田家の居城小牧山城。
なんでだよ。他国の小者の坊主なんて、適当な寺に放り込めばいいじゃないか、見張り一名で事足りるよ。あとは、身代金の金額交渉を(駿河御用商人友野屋が)して、金払ってさようならでいいはずなんですけど。
どうしてわざわざ客人待遇で織田家本拠地に直行するんでしょうかねぇ?(顔面蒼白)
一応捕虜なのだが、特に縛られる事はなく、そのまま小牧山城の一室へ通される。武器もないので身体検査もなかった。どうでもいい話だが、このお城は新築らしく新築特有のいい匂いがする。
しばらく新築の匂いに包まれていると、足音と共に扉が開き、声もかからずに人が入ってくる。
一応、現在の身分は社会的最底辺の捕虜という立場なので、頭を下げてそれを迎える。
「面を上げよ」
とりあえず、空元気の為に薄く笑みを浮かべて余裕を装いつつ顔を上げる。向こうは四人。中央に織田信長ご本人と、その後ろに小姓が一人。あと、武士っぽい人二名は護衛かな。
過剰すぎる警戒です。はっきり言うが、控えている小姓一人でオレの戦闘力を十分凌駕しているよ。
「三河で捕まったと聞いたが?」
「油断しました。はははは」
「武田相手の不始末か。まったく、どじな事だな」
笑って誤魔化してみたが、容赦なく爆弾を投下された。
返事に窮したオレに対して、口元に笑みを浮かべつつ、信長が口を開く。
「三河を掌で転がしているのだ。三河に隣接するのは武田。そして、先日駿河の騒動で京へ送られたのが武田信虎。少し考えれば分かるだろう」
オレが松平家をコントロールしようとしているのは、信長の推測どおり武田信玄に対処する為だ。三河松平家の北に隣接するのが武田家の信濃。三河を押さえようとしている理由が、同じ隣接する国だと推測するのはそう難しい話ではない。
もっとも、それはオレが三河で暗躍してコントロールし、その上で武田信虎の遠江騒動を収めた黒幕だと知っている事が前提だ。
百歩譲って、同盟国の松平家にオレが情報を流し操っているのは知る事が出来ただろう。だが、信虎の騒動の内情は松平家に教えてはいない。今川家でも当主と一部家臣だけの極秘情報だ。武田信虎はプライドの問題でオレの事を漏らすわけがない以上、伝聞と言う情報からあの騒動がオレの仕業だと推測した事になる。
笑みを深くしながら、信長に答える。
「……故に、西の織田家に含むところはありません。それをご承知で拙僧に何の御用か?」
今川家が武田家に向うと信長自身が語っているので誤魔化す必要はない。尾張織田家は北の美濃に全力を傾けている。オレの対武田の動きを理解しているなら、織田家とは関係ないのだ。それなのに、オレをわざわざ尾張に招く。なにか理由があるはずだ。それも、本拠地小牧山城につれてきて、即日会談するほどの要件。
「ワシに手を貸せ」
「残念ですが」
「氏真はそれほどの男か?」
「まさか、ただ拙僧にも情というものがありますので」
「戦国の世に情なぞ、儚いものよ」
「左様。情とは脆く儚いものです。しかし乱世の欲に最後まで立ちふさがるのが情でございます。それは織田様もよくご存知のはず」
オレの言葉に信長の声が止まる。織田信長が尾張を支配する上で、実の弟を謀殺しているのは有名な話だ。
口元の笑みだけは消さないように上座に座る信長を見る。向こうも不敵に笑っているが眼が笑っていない。
信虎とか寿桂尼様あたりとは別の、何かが削られていく感じがする。上から押さえられ圧力を感じるのではなく、真正面からゴリゴリ削られていくような感覚だ。
しばらくお互い笑顔(?)で視線をあわせる。
「まあいい。そう簡単に転ぶとは思っておらんからな。だが、せっかく飛び込んできた獲物だ。その身柄代は己で賄ってもらおう」
「あいにく、拙僧には大した蓄えはございません」
「だが、武器ならあるだろう」
確信するように信長が口にする。
「……」
「これよ」
沈黙するオレに、懐から取り出した書物を放る。その書の表紙には見慣れすぎた「今川仮名目録 追加含」の文字が書かれている。
「これが?」
「ワシがこれを手に入れたのは5年前。桶狭間の前だ。で、これはお前が長光寺に出した手紙」
そういうと、一通の手紙をその横に放る。
前に尾張に来た時にお世話になった長光寺へお礼の手紙を出していた。師匠のツテとはいえ数日滞在し、無名のオレが尾張大名織田信長と面会する為に骨を折ってくれたのだ。感謝の礼は当然の事であった。
それがなにを……
「お前の字だ」
その言葉に、オレの表情から笑みが消える。
この時代で筆跡鑑定とか誰が想像するだろうか。たしかに、手紙などの筆跡を調べる事はあるだろう。だが、他国の一坊主が出した手紙をわざわざ回収して、そこで書かれた書物と比較したという事実。
踊ってすらいない無名令嬢をガラスの靴で探すようなものだ。
どうすればそんな事をしようと思う。どうすればそんな事が出来る。
オレは信長とたった一度会っただけだぞ。
「師である雪斎が死した後に、お前が記した書。つまり、これがお前の武器だ」
確信の篭った言葉に、オレは再び深く笑みを刻む。
なるほど。オレの負けだ。わざわざオレを尾張に呼び寄せるはずだ。牙を見抜き、毒を持つ事まで調べが付いていれば、毒蛇に手を伸ばしても怖くはなかろう。
完璧にしてやられたわけだ。諦めたように小さく息を吐く。
「左様。これが拙僧の武器でございます。故に、織田様の武器とはなりませぬ」
「だろうな。真似るつもりもないわ。敵の武器をそのまま使うなど、術数にはまるようなもの。特に、お前のような陰険な坊主の武器などはな」
「残念でございましたな」
オレは二つの事を確信する。
まず一つ目は、オレが死ぬことはないという事だ。オレを殺す気なら、さっさと殺すだろう。生殺与奪の権利を信長が握っているとはいえ、殺す気がないなら、そんな権利持っていようとも恐れる必要はない。
そして、もう一つの確信。
「ゆえに十英承豊。ワシの為にその武器ふるってもらおう。その身柄代を賄う為にな」
面倒な事になったな。




