56 岡崎の土牢から
※ちょっとネタ多め
牢の中からこんにちは?それともこんばんわ?とりあえず、十英承豊です。
思えば、幼い頃から寺で暮らし、長じて今川家に仕えたオレは、こういう牢屋というのを見た事がなかった。
唯一見たのは武田信虎の座敷牢である。板の間で寒々しいなとか思っていましたが、アレって実はすごい優遇された待遇なんだな。
こちらは正真正銘の土牢。普通に洞穴だね。穴掘ってそこに木で格子をつけただけ。もう一回言うけど、穴掘って格子つけただけだから。他に何もないよ。寝床用の藁すらない。寝るときどうするのかって、地面に横になるだけ。明かりもないから暗い穴の中よ。
そういえば、いまさらながら思い出したけど、確か戦国時代に長期間牢屋に入れられて体悪くした人とかいたよな。
まあ何より、まずは縄を解いてほしいわ。
なんか特殊な縛り方で(性的な意味ではないぞ)、動くたびに最終的に首が絞まり、息ができなくなるので、一番楽な姿勢でおとなしくするしかない。
ある意味、画期的かつ合理的な縛り方だ。
編み出した奴はきっと変態だな。
とりあえず、する事もないので今後の事を考える。
殺されないにしても尋問くらいはあるだろう。それに善住寺の住職が、オレが松平家臣に捕まった事を今川家に伝えるだろうし、飛車丸もオレの返還を求めるくらいはするだろう。
一応、戦国時代では捕虜の引渡しはよくある話だ。槍を交え刃を打ち合う戦場であっても、多勢に無勢、あるいは負傷によって敵に捕まるというケースは少なくない。
そして、捕虜を片っ端から殺すようなケースはめったにない。余計な恨みを買う上に、次からは本来降伏する奴が死に物狂いで襲い掛かってくるのだ。メリット皆無どころかデメリットしかない。
こうして、いくばくかの身代金を支払う事で身柄を返却してもらうという習慣が出来たのだ。中には、この捕虜の売買利益によって戦費を賄う大名すらいるらしい(例:越後の某義将)。
これって一種の奴隷売買なんじゃないだろうか……
まあ、中には自分の身代金が安すぎると駄々をこねる捕虜もいたという笑い話があるくらいである。
つまり、身分が高くなく、坊主という聖職者であり、松平家に恨まれるような心当たりもないオレは、適当な身代金で解放される可能性が高いわけだ。
オレがおとなしく酒井殿に捕まったのも分かるだろう。
そして、オレの目的が松平家への忠告である以上、尋問という意見交換をする機会が必ずやって来るのだ。
まあ、無様に敵に捕まり、身代金を払ってもらって解放されたという事で、オレの名誉的なものが下がるのだが、そもそもそんな物は「オレの中では評価されない項目ですからね」というやつで、実質ノーダメージだ。
一つだけ不満を言わせてもらえれば、食事の改善を期待したい。期待するだけだけど。
椀に盛られた麦飯に、汁物とは名ばかりのぬるい塩味の水。以上が本日のメニューである。しかも麦飯が冷めて硬いから、口内で汁でふやかせてようやく咀嚼させる仕様。
ふっ。日常が粗食でなければ即死だった。
寺出身の坊主ゆえに、粗食を常食にしていなかったら敗北していたな。「粗末な食事なんかに負けない」からの「お口の中が幸せなのほぉ」的な展開だっただろう。牢屋で「くっ殺」とか相性良すぎだろ。
まあ、そんなプリズナーライフの感想はともかく、あまり長く居たい場所ではないな。もちろん脱獄するようなガッツも知識もないので、基本的には他力本願だ。
推測で可能性がある相手は三人。
大穴はタケピーご本人。
まあ、その可能性はきわめて低い。タケピーの性格からして、牢にこっそり来て「次は見つからないようにしろよ」的に解放してくれるほど軽いフットワークは持っていないだろう。そもそも、松平家当主である松平元康本人が自分の城から脱獄の手引きとか普通はしないよな。
ついでに言えば、部下が捕らえた捕虜を勝手に逃がしたら大問題である。最悪、牢の監視をしている人が責任を取って腹を切るはめになるだろう。つまり、タケピーが穏便に解放してくれるには何か理由が必要となる。そんなウルトラCが必要となる為に大穴だ。
次が対抗の瀬名の方様。
まあ、駿府時代にはいろいろ配慮したからね。面識はあるし言葉も交わしたし、愚痴とか相談ごとにも乗ったから、オレの解放の為に一役買ってくれるかもしれない。
とはいえ、オレ自身が「松平家の事を第一に考えなさい(キリッ)」とか諭しちゃっているので、そこまで強引にはこれないと思われる。
そもそも、瀬名の方様にオレが捕縛された事が伝わるには時間が必要だ。彼女は別に松平家の武将(管理職)というわけではない。夫であるタケピー経由で伝わるかも知れないが、わざわざタケピーがそんな話をする必要性がない。
で、最後が本命。助さんこと石川数正だ。
過去に善住寺に呼び出して会っている事から、寺の住職から連絡が行く可能性も高い。
オレが松平家の為にたびたび情報を提供している事も知っているし理解もある。当然、オレの提供した情報は、タケピーこと松平元康に送られている事だろう。つまりは、オレの存在理由を知っているという事だ。
そこを考慮して、タケピーから助さんに連絡が行く可能性が高い。「待たせたな!」とか渋い声で言ってくれるかもしれない。その時は「遅かったじゃないか」と歴戦の戦士のような声で答えてやろう。
ザザッ
複数の足音が聞こえてくる。暗い洞窟を照らすように松明の明かりが近づいてくる。その光は、牢屋の闇になれたオレの目を焼く。目を細め近づいて来る男に焦点を合わせる。
やがて、光に目が慣れてその姿を見る事が出来た。
酒井忠次だった。ここまで予想して選外かよ。
顔を見てため息を吐かれた酒井様が、不機嫌そうに片方の眉毛を持ち上げた。




