55 弁護士を呼べ
三河の一向一揆は、ものの見事に泥沼となった。オレの予想を超え半数近い松平家の家臣が一揆に参加。残った戦力では互角にしかならない。これで早期解決できたら正しく英雄である。
思った以上に今回の一向一揆は三河武士の『頑固属性』にクリーンヒットしたらしい。
この事態に、オレは当初の予定通り三河に入る事にした。
もちろん三河で滞在するのは、もはやおなじみになった善住寺である。
さて、この寺に滞在するに当たって一つ問題があった。
この寺の所在地だが、三河の豊川という場所にある。その名の由来は、この地域には豊川という川が流れていることで、その流れは三河湾に繋がる。
まあ、はっきりいえば問題というのは地域的なものだ。豊川の隣の地域の名前が岡崎といい、そこには松平家本拠地岡崎城があるのだ。
「十英殿……」
青い顔でやってくる住職。
ここからは見えないが、現在山門では武装した足軽の皆さんがスタンバっている。
オレの立場は今川家家臣。そしてここは、今川家に敵対する三河大名松平家の本拠地のご近所さんだ。
敵国の人間がそんなところをウロウロしていたら、そりゃ兵を派遣されるわな。
とはいえ、いきなり踏み込むような事はしない。当たり前だが、寺というのは神域だ。そこで槍や弓を構えて血を流そうものなら、批難轟々である。
そんなわけで、三河の兵士も穏便に(ただし武力を背景に)容疑者の引渡しを要求しているのだ。
「逃げるのならば……」
「いいえ、結構です」
そう言ってくれる住職に、頭を横に振って断る。この状況だが、逃げる事は可能かもしれない。昔から寺というのは攻めるに難く、守るに易い場所で周囲には自然も多い。山道や裏道なども隠しやすい。
だが今回の目的は三河に入知恵をする為なので、密書の類は持っていない。取られて困るものもないわけだ。
そして、オレが即座に殺される可能性も低い。
理由は前にも言ったが、オレが坊主であるという事。坊主をうっかり斬ってしまうと、信心はもとより宗教関係者の心象にも影響を及ぼす。しかも、今は一向一揆により宗教関係に関して微妙な時期だ。容赦なくオレを殺した結果、一向一揆に禅宗一揆まで勃発したら、目も当てられない(まあ、オレの宗教界での地位的にそうなる可能性は薄いだろうけど)。
まあ、坊主であるだけで刃は鈍る(ただし第六天魔王は除く)。
次に、オレは三河に敵対的な行動を取っていない。というか、三河に好意的だ。最初の岡崎城での説得では、松平家家臣の恨みを買うような事は特になかった(はず)。
その後に三河と関わる行動は、人質交換という三河にも利がある内容。さらに、護送するに当たり、人質への不当な扱いは極力避けた。
つまりオレは、松平家臣にとって敵側の人間というだけで、松平家に恨みを買うようなことはしていない。
オレが松平家に有益な情報を与える交渉窓口である事は、助さんこと石川数正を経由して松平家当主の松平元康が知っている。当然、名門今川家当主の友人である事も理解されており、下手に抵抗しないなら、殺した場合のデメリットのほうが大きい……はずだ。
「ご迷惑をおかけしました」
「……いえ、ここは悟りの道に至る場所です。何人たりともここに来る事に憚りはありません」
「いずれまた、こちらでお世話になりたいと思っております。ご健勝を」
オレの言葉で察したのだろう。真剣にこちらの身を案じてくれる住職。まさしく聖職者の鑑である。
とりあえず、荷物を肩に引っ掛けると、山門に向かう。
先にも言ったが境内は聖域なので、そこから出る前に、全員に聞こえるように声を上げる。
「住職に説得され、おとなしくする事にしました」
とりあえず、住職の顔を立てる。良くも悪くも敵国の人間を匿っていたのだ。良い顔はされないだろう。しかし、こうやって敵を穏便に差し出せるよう便宜を図ったとなれば、罪一等を減ぜられる可能性も高い。
帰ったら侘び料の寄進(寄付)を弾んでおかないとな(ちなみに出すのは今川家)。
そんな事を考えつつ、参門で待ち構える足軽の前にでる。
「観念したか。残念だったな、お前の顔を忘れてはおらぬぞ」
「ええ、拙僧も忘れてはいませんよ。ゴローさん」
言い終わるのを待つことなく、足軽がオレを左右から捕まえ地面に引き倒される。そのまま、のしかかられて後ろ手に縛られると、こんどは乱暴に引き起こされた。
そしてあごを強く掴まれる。
「ワシをその名で呼ぶな」
「では、改めて名前をうかがってもよろしいですか?」
「酒井忠次だ」
「かしこまりました酒井様」
まあ、この人とも顔見知りなのだ。
この人もタケピーや助さんと一緒に駿府にきた人質組だ。酒井忠次の幼名の「小五郎」とタケピーたちが呼んでいたので、年上だったこともありゴローさんと命名した。人質組の中では一番の年長で、元服も既に済ませており、保護者的な立ち位置だった。鵜殿家の矢島殿的な役割でもある。
基本的には、臨済寺での教育に参加する事はほとんどなく。どちらかというとタケピーのボディーガードや、大人の同行者としての役割を担っていた。まあ、礼儀を知れとか、武士を変な名で呼ぶなとか、小言が絶えなかったけど、今思えば社会を知っていれば当然の事でもある。
学生時代には教師に対して不満を持ちもしたが、大人になれば、彼らなりの苦労も想像が付き、同窓会などで顔を合わせれば、自然と頭が下がるというわけだ。
「ほれ行くぞ」
「はい。お世話になります」
足軽の持つ棒で付かれ、せっつかれながら進む。
当然、オレが連れて行かれるのは岡崎城だ。
ま、コレも奇貨って奴だな。




