53 松平家の快進撃
題名が変更されました。
『復興名家の仮名目録 ~戦国転生異聞~』
となります。
今後もよろしくお願いいたします。
永禄五年九月
今川館が喜びに沸いた。
今川氏真の長女霞姫誕生。継承者たる男児でなかった事を残念がる声もあったが、二十歳を超えた氏真の初めての子であり、今川家中は慶事に沸いた。
ちなみに、命名理由は生まれたときにカスミ草が咲いていたからだそうだ。どうでもいい話だが女児の命名方法がおざなりすぎやしないかね?
ちなみに、母となった早川殿も産後は順調で、信虎と遠江での内紛という問題で暗くなった家中に明るい話題を提供していた。
産気ついた時の飛車丸の狼狽振りは笑えた。何をするにも「どうする?どうする?」と聞いてきて「とりあえず、座って落ち着け」と答えると座るのだが、すぐに立ち上がってウロウロウロウロ。そして不安そうに口を開くのでオレが答える。これをエンドレスリピート。
廊下に誰か来ると飛び出しそうになるのを、オレと三浦様で止めていたのだが、疲れたので元政を呼んで交代してもらった。
まあ、こうして今川氏真の黒歴史に新しい1ページが刻まれた事だが、今後の為に大事に保管しておこう(心からの微笑)。
お祭りのような今川館の祝いが一段落した後。
娘が寝るのを確認してから飛車丸が私室にやってきた。来るまでの空いている時間で、遠江から送られた書状を床に広げてオレは情報を整理している。
「タケピーも派手に動いているらしいな」
「ああ、年内には三河を掌握できるだろう」
飛車丸が座るまでに、得た情報を簡潔にまとめる。
松平元康は、今回の遠州騒乱で今川家が動けない事を察知し、東三河の反松平勢力に対し一気に攻勢を仕掛けた。
9月という年貢の季節を前に、兵を動員しているのである。それが何を意味するのか、もちろん手に入れた領地の年貢を目当てにしているのだ。
とはいえ、それは簡単な話ではない。
何せ、領主と農民とは違うからだ。「領主を倒したから、その領土はオレのもの」と宣言したところで、実際に年貢を納める農民が従わなければ意味がない。強引に手を出せば一揆から反乱に発展してサヨウナラだ。ちなみに、そうやって成り上がったのが三河地元の英雄である松平家である。
要するに、その土地を手に入れるには二つのものが必要なのだ。
一つが、大義名分。現在の領主を倒す為の正当(?)な理由を主張し、無法な強奪ではないと主張するのだ。例を挙げれば、帝や将軍から、この領地を支配する正当性たる「三河守」や「三河守護」を得る事で、現領主の代わりに支配すると主張するなどだ。
オレ達が武田信虎にブラフで振った三河守護職の話も、コレに起因する。将軍によって三河守護と認められた場合、将軍の命令に従う必要がある。つまり、将軍家に今川家と和睦しろと言われたら、しなければならないわけだ。逆らえば、将軍から得た権利は剥奪され、自分が奪われる側に回る。
コレが権威の力である。
ちなみに、松平家の大義名分は、元々松平家が三河守護である一色家の血を継いでいる(と自称している)家であり、三河守護の末裔として支配する権利がある(と主張している)というものだ。ただ、当たり前だが「三河守護」を正式に受け継いだわけではない。問題は、正式に三河守護を受け継いだ人が存在していない事だ。
そこで将軍家から「一色家の名前を継いでお前が正当な三河守護だ」といわれたら、正当性を手に入れた上で、将軍家にご恩と奉公が発生する。あとは将軍家の連枝である今川家と和睦させれば東海の問題はすべて解消する。信虎だってあせるわけだ。
話がそれたが、農民を従わせるために必要な物の二つ目。
欲である。
大義名分はあくまでも理由だ。当たり前だが、他人を裏切りたいと思う奴は極々少数だ。
普通の人間は、わざわざ恨みを買ってまで裏切りたいとは思わない。特に理由もなく他人を裏切る事を心から望める人は、立派なサイコパスである。
ゆえに、裏切るなら裏切る代価が必要となる。
年貢を安くするとか、治水を約束するといった利益を約束され、新しい領主を受け入れる。そして、理由のない裏切りではない証明として、大義名分を掲げ、自分にかかる非難と罪悪感を減らすのだ。結果、「正当な理由があるから従ったのであって裏切りではない」となる。おめでとうサイコパス脱却だ。
え?事実が変わっていない?サイコパスであるかは、裏切るかどうかではなく、それをどう感じるかの精神の問題だぞ。
事実は変わっていないし、やっている事は変わりないけどね。
まあ、何を言っているかというと。基本的に新領主というのは、旧領主を倒した後に、民を慰撫して自分が領主であると認めさせる必要があるという事だ。当然、農民側もそれを認めるから年貢を納めるのである。
松平家が年貢を納める九月の直前に攻め込むという事は、領民を慰撫する時間が必要ないということ。
つまりは、事前の根回しが終わっているということだ。
今回の騒動の前に三河に渡り、今川家の情報を流したかいがあるというものだ。去年のように、今川家の援軍がない事が確認できたからこそ、根回しが出来たわけである。
やったねタケピー。
「曳馬城には、飯尾家の家臣をあてがっている。犬居城にはこちらの家臣を入れた」
「タケピーが狙うなら南側か」
「井伊家を売り込むにも丁度いい。氏長には言い含めておいたか?」
「嫁のほうには伝えておいた。本人は言わずとも察しているよ。朝比奈様との連携も取っている。川をはさんでならなんとでもなろう」
敵対する今川家に遠慮する必要はなく、連戦連勝で士気は上がり、悲願の三河統一でテンションまで上がっている。
そして、目に映るのは無力な西遠江。
「初手は天竜川までか」
「そうだ。そこでタケピーには一旦止まってもらう」
「三河遠江国境では止めないのか?」
「そこで満足してもらっては困るからな。遠江に一旦手を出してしまえば、もう引っ込められない。タケピーが止まりたくても、家臣がそれを許さない。それを放置して攻めてきたら……まあ、カモだな」
「そうならないようにしろよ」
「カモにはネギをか。でかいネギになりそうだ」
こちらの想定どおり、お膳立てはすべて済んでいるのだ。




