51 若者達の帰還
飛車丸が駿府に帰ってきた事で、今回の遠州騒乱について一旦は収束した。
武田信虎についても、今川領から追放となり足利家に預けられる事になった。すでに、今川家重臣三浦様が護送する事になり、万が一にも逃げられることはないだろう。まあ、逃げたところで行く所がないからどうしようもないのだが。
この決定に、今川家中は多少騒いだものの、武家の棟梁である将軍家からの要求であり、彼らの矛先はそう命じた将軍に向いた。将軍家が信虎にお墨付きを与えた事は今川家中でも数人にしか知られていない秘密であったため、将軍家が出てきた理由も甲斐の武田信玄による介入があったからではと推測されるだけの話で終わる。
武田信虎の問題が解決した事で、オレの『元武田信虎邸』でのセレブな暮らしは終わりを告げる。再び庵原家の館で居候暮らしである。
飛車丸から「そのまま住むか?」といわれたが、ぶっちゃけるけど落ちつかない。名門武田家の元当主が暮らしていた豪邸である。護衛するだけの人員が30人もいる段階で、その広さが分かるだろう。そこに、雑用をこなす小者や、家事を担当する女官なんかもいる。
当然、名門の家なので彼らの礼儀作法や格式スキルは高い。
そして、オレは位とは無縁の底辺坊主だ。多分オレより女官のほうが格が高いと思われる。どう見ても不適材不適所です。
そんなわけで、このせせこましい館が自分にはあっているのだ。
「大きなお世話だ」
「おや、聞こえたか?」
館の主である庵原元政が、不機嫌そうにこちらを見る。もちろん、懐かしの“古“巣に帰ってきたオレは満面の笑みだ。
無理やり肩を組みわき腹をゴスゴス殴る元政に、体を斜めにしながら、とりあえず笑顔をゆがませる。
「で、あの話は本当なのか?」
「ん?ああ、新七郎が帰ってくるぞ」
オレの言葉に、心底うれしそうな顔をして元政は拘束を解くと、そのまま一緒に館の奥へ。奥の庭からは元気な声が聞こえてくる。
「やあ!とお!」
見れば、練習用の槍を振り回す鵜殿家の藤三郎だ。相手をしていた矢島殿がオレと元政の姿を見て手を止める。それを見て振り返った藤三郎がぱっと笑顔になった。
「元政様、師匠」
…なぜ、富ちゃん(元政のあだ名)の名前が先に来るのかね?生活を援助している家主だからとか、地位が高いからという事なんだよね。
藤三郎は、館の主である庵原元政に挨拶をするとオレに頭を下げる。
「お久しぶりです師匠」
そういえば、遠州騒乱で遠江を駆け回り、戻ってきても信虎の館にいたから会うのは本当に久しぶりだ。
「うん。息災か?」
そう言って聞くと、にっこりと笑って大きくうなずく。
「はい。元政様からも槍を誉められました」
「おう。藤三郎は筋がいいぞ」
喜色満面の藤三郎の言葉に、笑顔を向けるも胸中にチクリと何かが刺さる。もちろん表情には出さない。
一瞬オレが止まった隙に、横から声が上がった。
「そうだ。藤三郎。近いうちに新七郎が帰ってくるぞ」
「そ、それはまことでございますか元政様」
待って、富ちゃん。それはオレのセリフのはずだ。
「まことだ。なあ、承豊」
「……ああ、あと3日もすれば駿府に着くだろう」
「やったー!」
うれしさのあまり踊るようにくるくる回る藤三郎。横を見ると、その姿がうれしいのか元政が手を叩いて笑っている。
とりあえず、その右脇腹に拳を打ち込む。
完璧な不意打ちに顔をゆがませる元政。
「……な、なにをする」
「さっきのお返し」
他に理由などあろうハズがないのである。
オレと元政の状況に、不思議そうな顔をする藤三郎に、笑顔を見せて口を封じる。
5日後、遠江より新七郎が帰ってきた。
館の入り口で藤三郎と待っていると、供の者を引き連れた新七郎が姿を見せる。
姿が見えたところで藤三郎が駆け寄る。笑顔でそれを迎える新七郎。息せき切って話をする藤三郎だが、兄の隣にいる女性に気が付いたのだろう。いぶかしむようにそちらを見る藤三郎。
どうも女性から挨拶をしたようだが、藤三郎はおざなりな返事しか出来なかったようだ。
とりあえず、変なところで止まっていても仕方ないので、歩いて新七郎の元へ。
オレらに気が付いて頭を下げる新七郎。
「ただいま戻りました師匠」
「うむ、ようやった。殿もお喜びだ」
そう言って、館へ促す。
新七郎には十人近い供の者がおり、当然彼らは庵原館に入る事になる。その為に、急遽庵原館の大掃除が行われ、何とか供の者の住む場所を確保したのだ。
そんなわけで、やや窮屈な状況ではあるが、鵜殿家の嫡男を迎える体裁だけは整えた部屋で話を聞く。といっても、キャパオーバーで二人だけとはいかず、藤三郎や元政、矢島殿もいる。
「井伊谷はどうであった?」
「委細抜かりなく。後の事も小野様がつつがなく取りまとめております」
……もしかしたら、井伊家は早急に回復するかもしれないな。まあ、それならそれで問題はないか。新七郎から差し出された井伊家からの手紙を懐に入れる。
井伊家での経緯が書かれているのだろう。内容は後で精査するとして……
「それと、次郎法師殿も長旅お疲れ様です」
そう言って頭を下げる相手は、一緒に付いて来た井伊家の親族にして新七郎といい仲らしい次郎法師である。
「ありがとうございます。今では名を『直』と変えました」
見れば黒衣の尼の姿ではなく、井伊家の姫として仕立てられた衣服を着ている。まだ髪の毛が伸びていないのでおかっぱ頭だが、やがて姫らしく整えるのだろう。
「かしこまりました直“姫様”」
「……いえ。今後ともよろしくお願いいたします」
オレの言葉使いに、すこし驚いたように目を見開いたが、すぐにそれに合わせるように返事をする。なるほど、頭が良いようだ、この後の話に察しが着いたのだろう。
視線を新七郎に移す。こちらの方もすでに理解しているようだ。さっきまでの緩い雰囲気は消え、背筋を伸ばして自分と対峙する。
「五日後に元服の儀を執り行う。そうなれば、お前は今川家一門の鵜殿家の当主となる。あだやおろそかにするでないぞ」
「……ハハッ」
そう言って、頭を下げる新七郎。その横で、矢島殿が涙をこらえていた。




