05 現実を知る
永禄三年五月
桶狭間の合戦が起こる。
何で知っているのかって?そりゃ、地元だもん。あ、誤解しないでね。桶狭間で名を上げた織田家にいるって話じゃないよ。
うん。オレがいるのはソッチ側じゃないんだ。
織田家があるのが尾張って国。その東に三河って国があり、その隣に遠江。その先が駿河。
この三河、遠江、駿河を支配していたのが織田信長に負けちゃった大名
今川義元。
ヨシモトって漫才じゃないよ。漫才みたいなやられ方したけど。
オレがいる臨済寺って、今川家の本拠地である駿府の都からほんの数kmの場所にあったんだ。へ~知らなかったわ~。寺から出たことないからぜんぜん知らなかったわ~(現実から目をそらしつつ)。
まあ、その辺の地域である可能性は考えていたよ。なんせ、師匠の話に北条、武田、今川、松平、織田。この辺のフレーズが出てきていたもん。
戦国時代でそのあたりが出てきたら、大体の場所の想像はつく。そうか、だから『今川仮名目録』なんてあるんだね。近所なら紛れ込む事もあるだろうな。
もっとも、戦争に出ない為に寺に入ったオレだ。世俗からは切り離されていますという立場を固持してきた。唯一、師匠にも「No」と言ったからな。
おかげで、最近わかったね。「お前なに言ってるんだ?」的な視線を向けられるから、変だな~とは思っていたんだよ。
オレ、職場でハブられてる。
理由は師匠である住職の崇孚様。
最初に言ったと思うけど。この時代の神社仏閣は治外法権なんだ。武士とかそういった血なまぐさい世界(世俗)の問題からは隔絶されるべき聖域だ。
オレの学友は師匠が連れてきた近隣の有力者のご子息一同。つまりは、武士の人達である。
つまり、隔絶しなきゃいけない職業の人間と親密な関係を築いちゃっているわけだ。
コレは罠だ!!師匠に嵌められたんだ!!
と叫んで見ても後の祭り。
現段階で寺から放り出されないでいるのは、この寺の大口スポンサーがその有力武家で「親密になったからポイね」とされた場合、スポンサーの不興を買うからだと推測している。
要するにオレはスポンサーとのパイプ役なわけだ。身内も後ろ盾もないオレなんて、いつでも切り捨てられる尻尾だよな!!
さらにひどい事に、諸悪の根源にして、頼みの綱の師匠も亡くなっている。
つまり、オレの神社仏閣引き篭もり生活の前途は、すでにお先真っ暗という状況だ。
最悪、放り出されたら、どっかの廃寺を占領して自称住職になろうかな。何の実権もないだろうけど。
一応、師匠が亡くなる前に垂示式をして坊主となっている。詐称にはならないはずだ。
ちなみに名前は、
十英 承豊
それがオレの名前だ。
一応、仕事は寺の書院番。臨済寺にある書物の管理と模写を行う仕事です。
この寺の書物を一番読んでいる坊主がオレだったというのもある。おかげで、オレは書庫の主みたいになっているし、ついでにたまり場の管理人みたいにもなっている。
「お前も真面目だよな」
「お前は不真面目だな」
オレが今川仮名目録に追加分を加えてまとめているところだ。昔師匠に追加分を渡されて以来、こういった追加分を加えた模写の仕事が定期的にやってくる。
そんなルーチンワーク的な仕事をしている後ろで、ゴロンと横になった飛車丸が呆れたように見ている。
本当になんでこんな所にいるんだよ。
向こうも武士らしく、すでに元服(成人)しているが「そんなの知った事ちゃねぇ!」と、昔のままの付き合いをしている。タマリ場である書庫には他の僧はめったに来ないので、文句をいわれる事もない。学生時代のタマリ場が、そのまま社会人になってもタマリ場になっているようなものだ。
「面倒なんで逃げてきた」
「逃げていいのかよ。なんか、ソッチは大変じゃないのか」
「そうだな。親父も死んじまったし、家臣達もぼろぼろだ」
「ほ~そりゃキツイ。ヘタすりゃそのまま没落か?」
建て直しをする目処がなければ、このままズルズル弱体化して衰退するかもしれない。まあ、兄弟とか分家から人を集めれば何とかなると思うけど。
戦国時代、基本は何でもマンパワーだ。
「いいんじゃん、もう滅びたって。いい夢見れたんだし」
「いいのかよ、そんな事言って。この後の生活どうするんだよ」
悪いが、お前の面倒見るほどの余裕はないぞ。オレは今だに無給の無休なんだからな。
「大丈夫大丈夫。こんな事もあろうか、能に蹴鞠に連歌と、多趣味にこなしたからな」
「ほんと、お前のところ金あるよな」
そんな教師を雇う金がどっから出てきたのやら。さらに、ここで師匠から家庭教師までしてもらっているんだ。それで出来上がったのがコレでは金を出した親も報われまい。
「最悪、嫁さんの実家を頼る」
「地獄に落ちろ!」
「ふひひひひ」
しかも、コイツ結婚してやがる。どっかの名家の娘らしい。公家のお姫様ではないが裕福な家だとの事だ。残念ながら、寺は女人禁制なので嫁さんと面識はない。
新婚当初、毎日のようにノロケに来たので「お前、今から蹴鞠の鞠な」と言って、何回か蹴りを入れてやった。
坊主にはなったが、悟りの道はまだまだ遠いらしい。
「…」
「…」
お互い話す事もなくなり、沈黙が落ちる。そのまま、オレは筆を進めて最後の文字を書き終える。
「飛車丸」
「…」
「お前はどうしたい?」
模写し終わった本を纏めながら、後ろに声をかける。
「やりたい事言えよ。今ある仕事も終わったし、手伝ってやるからさ」
ルーチンワークで慣れ親しんだ定型作業である。手早く終わらせればノルマはさっさとおわる。他の書物の模写の仕事が来る事もあるが、こんな時代に、そういった作業は多くない。今のところ次の仕事の予定もない。
時間が空いたらここにある本を読む程度しかする事などないのだ。
戦国時代の作業は基本マンパワーだ。文字の読み書きやら知識に関して、水準以上はあると自負している。すこしくらい手伝ってやってもいいやと思うくらいの付き合いはあるのだ。
「どうしたい、か…」
振り返ると、いつの間にか飛車丸が起き上がってあごに手をやり、自問自答するように考え込んでいた。
そして、顔を上げると真っ直ぐにオレを見た。
まあ、暇つぶしの読書の時間だ。少しくらい後回しにしてやるさ。
寺の責任者に許可をもらって、飛車丸と山門に向かう。
なぜか、驚いていながら歓迎するように送り出してくれた現責任者の住職。口減らし?そんなにこの寺の経営はやばかったのだろうか。桶狭間で有力スポンサーがいなくなったとかか?
まあ、向こうの態度はともかく許可は下りた。10年くらい前に清見寺から臨済寺へ引っ越して以来の外出だ。
それ以外では、金もないし縁もなく、そもそも用事もないので寺に引き篭もっていたけど、飛車丸の家に滞在させてもらえる事になっているので、安心して外に出られる。
コミュ障じゃないよ。ちゃんと、寺に来た学友の親御さんとかとは挨拶したし、礼儀作法だってばっちりだからね。
そこで改めて気がつく。これから滞在する先で、旧友とはいえ元服した武士(しかも既婚)を、幼名(しかもあだ名)のままで呼ぶのは失礼だという事だ。
とりあえず第三者がいる時は、きちんと立ててやろう。
「お前、自分の家ではなんて呼ばれているんだ?」
一緒に歩く飛車丸に聞きつつ視線を前に向けると、山門の先に数人の武士がいた。来客か?
オレ達を見て立ち上がるのをいぶかしむ横で、飛車丸がなんでもない事のように答えた。
「ん?名前か。今川氏真」
「…今川?」
「ああ、今川」
「ウジザネ?」
「氏真」
聞き返したオレに、当たり前のように答える飛車丸こと今川氏真君。
さすがにその名前は知っている。この前亡くなった話題の人である今川義元の息子。
現在の今川家棟梁だ。
なるほど。
今まで感じていた疑問が一気に解決した。
そうか、だからこいつは金があったのか。じゃあ、たまに様子を見に来たのが今川義元だったりするのかな。公家眉もお歯黒も塗ってないから、気がつかなかったよ。
そうかそうか、嫁さんが裕福な家って、そりゃ北条家の娘だもん相模の国で一番裕福な家だよな。
という事は、今あそこにいる人は名門今川家のお付きの人ってわけだ。大名のご当主様が一人でフラフラ出歩くわけないよな。
なるほど、なるほど。
納得すると同時に、笑みが浮かぶ。
「お前、今から蹴鞠の鞠な」
”笑み”とは本来攻撃的なものであり、獣が牙を向く行為が原点であるらしい。
ようやく話が始まった。