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49 虚実と利用価値

戸を開けると、板の間に太い木の格子がはまり、窓も同じように格子によってふさがっている。

座敷牢だ。

そこに一人の老人が座っている。


武田信虎。

今回の遠州騒動の首謀者だ。

反乱者とはいえ、名門武田家の元当主であり今川家当主の祖父である。礼儀に従い、手を突いて頭を下げる。

すると、その頭に低い声がかかった。


「謀ってくれた喃」


恨みの篭った声に、こちらも頭を上げて視線を合わせる。老人の大きな目がぎろりとこちらをにらむ。

さすがに、信虎も今回の騒動の裏で動いていたのがオレであると気が付いたようだ。まあ、あれだけ顔を合わせたのだ、関係者だと察しは付いていただろう。

そして、今ここで現れた以上、オレが今回大きな役割を果たしたと察するのは容易だ。


「左様で」

「いつから気が付いておった」

「三河との人質交換の折に」


落ち着いた声でウソをつく。最初から疑っているとは教えられない。

故にありそうな嘘で糊塗する。残念な事に、それを確認する事は信虎には出来ない。


「駿河と三河との往来で、遠江で不穏なものを感じ、網を張らせていただきました。遠江で懇意にさせて頂いた寺社はその地に根付いておりますので、些細な噂に事欠きませぬ」

「上京する際の同乗も策の内か?」

「はい。遠江に手を出せぬ状態にする為に、横に付かせていただきました。三河の所用の帰りに遠江を通るのは自然の事。誰も怪しみませぬ。そうでございましょう?」

「……」


あの時、最後にオレに会っていたのは信虎だった。オレの真意に探りを入れたが、自分の計画がばれている可能性までは考えていなかった。そう思い込ませる。

真相を暴露する時が、一番嘘を信じ込ませやすいタイミングだ。

こうやって、信虎に嘘を信じ込ませるのにはワケがある。要するに、オレ達が武田を敵に回すと察せないようにする為だ。

前にも言ったが、武田信虎は武田信玄の敵ではあるが、甲斐武田家の味方である。今川家が武田家を狙っていると知られるのは不味いのだ。

ましてや、将軍家を経由して武田信虎を「生かす」方向で話を進めている以上、今回の問題は、武田信虎自身の中でも武田信虎だけの問題として完結する必要がある。


「しかし、小手先の技よ。それでは永遠に師に追いつけぬわ」

「……」

「おぬしの師はな。ワシに毛ほども動かれるような隙を作らん。お前のやっている事など、己が未熟の尻拭いよ」


信虎の悪態を無言で受ける。


「信虎様のお命を生かすには、これしかありませんでした」

「……なに?」

「殿より命ぜられたのは、実の祖父である信虎様の存命。それゆえに公方様に働きかけ…」

「たわけが!!!」


オレの言葉は信虎自身の怒声に遮られた。


「まだそのような腑抜けた事を言っておるのか!あの戯けた愚物の軟弱者が!今は戦国の世だぞ。敵を滅ぼさねば己が寝首をかかれるだけだとなぜ気がつけぬ!」

「……」


無言でその言葉を聞くオレに、武田信虎は怒気を発したまま近づくと、檻の間から手を出して指を突きつける。


「お前もお前じゃ。あの師に学びながら、祖父だから?バカを言うな!何も分かっておらん。何も分かっておらん。敵を倒してこその戦国大名ぞ!それが出来ぬ者に何の価値がある!!」


そう言うと、格子につかまり、憎々しげにこちらを見る。


「お前が真に師を超えるのなら、あの軟弱者が真に戦国大名になるのなら、ワシを殺さねばならぬ。親兄弟すら殺してでも生き延びる。それが出来ぬ者が、どうしてこの乱世を生き延びることが出来る」


つばを飛ばして罵る信虎から視線をはずして目を伏せる。

別に罪悪感があったからじゃない。

ただ、これが信虎の生きてきた「血を血で洗う乱世を生きる男」のあるべき姿なのだと思ったからだ。敵はもとより味方も、さらには身内すらも裏切るような時代に、支配者として領地を守り、領民を生かすべく戦い、欺き、陥れる。

自分の欲の為ではない。自分の一族と民を守る為に、名門の名を背負い、歯を食いしばり彼らを守りながら生き、それでも不満があれば彼らは反旗を翻す。

それを抑える為に力を求め、家臣や兵という力を得る事で、勢力が増し。それゆえに、潜在的な敵となるかしんが増えていく。

正しく修羅の道だ。

そんな生きる為に身内を切り捨てた修羅に、あっけらかんと「身内だから」と慈悲を与える存在。彼らが認められるわけがない。それを認めたら、あの時の自分の苦悩と決断はなんだったのかと思い返す。

そうとも、武田信虎。お前はそれができる人間を認められない。自分の決断を否定して成功する人間を認める事が出来ない。

人生の大半をその為に尽くしてきた自分の生き様を、人生のなんたるかも分からない若造が否定する事を許さない。


それが、オレが信虎の行動を予測できた理由であり、それを認められない信虎は、オレがなぜ最初から信虎を疑い、警戒できたかに気が付く事はない。

偽りの情報を信じ、自分の失敗に気がつけない。


「……価値は勝者が決めるもの。敗者である信虎様に選ぶ事などできませぬ」


オレの言葉に、信虎は「フン」と蔑むように鼻を鳴らす。


「そうとも。価値は勝者が決めるもの。だが、敗者とて価値を見る目はあるのだ。お前達など無価値よ。ワシの策が成功したほうがまだましであった。予見してやろう。今川家は滅ぶ。力とか血筋などが理由ではない。お前達のその甘さが原因よ。遠江も駿河も戦火に飲まれ、今川家の栄華もこれまで。名門の権勢も、暗愚な当主とその部下が台無しにするのだ」


恐ろしい事に、史実ではその予見が的中している。まあ、甘さが原因かどうかはともかく、徳川家と武田家によって遠江も駿河からも今川家は追い出されるのだ。

だが、違うのだよ。武田信虎よ。

信虎が言う今川家や武田家は、大名である今川家であり、大名である武田家だ。

求めるものの違いなのだ。史実において今川家は大名でこそなくなったが存続した。名門今川家として残った。

なあ、信虎。あなたが若かりし頃にこの世を乱世と見定め、血を血で洗う修羅道に落ちると決めた理由はなんだった?なぜ、実の子に追放されながら、それでも甲斐武田家の味方である理由はなんだ?

同じなのだ。

違うのは、その方法。

何を捨て、何を残すか。


伏せた目を上げ、信虎の視線を受け止める。


「どのように言われようと、信虎様に選択の余地はありませぬ。すでに、公方様との話も進んでおり、京都に送られる事となるでしょう。そちらで大人しゅうしておく事ですな」

「……」


オレの言葉に返事をする事もなく、こちらに背を向け元居た場所に向かう信虎。

それ以上の会話は出来ないと判断し、オレも座敷牢から退出する。


これでいい。戦国大名としての信虎はここで終わる。

そして、武田家を経由して足利将軍家に沙汰を依頼した段階で、将軍家が行う武田信虎の処遇も決まったといえる。

生家である甲斐に戻れる可能性はない。今回の件で反省どころか危険度が増していると知られたのだ、そんな最大級の爆弾を武田信玄が認めるわけがない。そして、今川家に残しておく事もできない。そっちの方が命の危険が大きいくらいだ。

となれば、今回の問題は足利将軍家で飲む可能性が高い。信虎にお墨付きを与えた足利将軍家にも、責任の一端があるのだ。

そして、京都に行けば信虎に出来る事はない。そもそも、遠江騒乱は信虎が足利将軍家よりお墨付きをもらっての決起だった。しかし、今回の騒動でそれが信虎の策である事が発覚した。そのまま信虎が京都に行っても、将軍家からすればコチラを利用しようと嘘をついた相手。信用はゼロである。せいぜいが、甲斐武田家とのパイプ役だろう。


だからこそ、信虎には生きていてもらわなければ困る。甲斐武田家とのコネがある以上、初めて挨拶に言った当初から警戒し、今回動く事も事前に察知してそれを利用したなんて事がばれたら、武田家に手を伸ばしている事を察知されるからだ。

オレ達は“たまたま”信虎の策を察知し、今回の方法でそれを阻止した。そういう形で納めなければならない。


甘い軟弱者とオレ達を断じた信虎。

だから、オレ達が意図を持って信虎の助命に動いたとは疑いもしない。

お前には、オレ達は無価値かもしれない。

だがオレ達には、まだお前に価値があるんだ。

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