44 略奪の一手
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ありがとうございます。
井伊谷を出るが駿府へもどらず、掛川城に入る。
あくまでも、今回の騒動においてオレが駿府に居なかったという証拠作りだ。
信虎の代わりに武田派閥の後処理をする上で、今回の信虎捕縛とは無関係である事が望ましい。当事者だと、関係者に恨まれる。あくまでも『信虎と知己を得ており、かつ今川氏真の信頼の厚い人間』という立場が有効だからだ。
今回の騒動について飛車丸からの連絡を掛川城で受ける手はずを整えていたので確認はできた。信虎捕縛は問題なく終わったらしい。庵原親子によって信虎の館の捜索も行われ、今回の件について、多くの証拠となる密書が見つかった。
同時に、信虎捕縛の報せは伏せられたまま、遠江の豪族達に離反の疑惑がある故の、忠誠を問う強い内容の手紙が送られている。
もちろん、コレも罠だ。ここで、忠義面をした返事を出したとしても、証拠がそろいすぎているので、誤魔化しようがない。
重要な意味は、それらの返事を今川家が受け取るという事にある。
信虎の今回の騒動に対して、遠江の豪族のすべてがノリノリで参加したわけではない。遠江の離反を知りながら黙って居た者。中立の立場で居る事で日和見の立場で居ようとする者。趨勢が決まるまで時間稼ぎをする者。
離反に対する虚偽の報告。遠江を支配する正統な統治者である今川家が大義名分を持って処罰できる理由となる。
では、その判断はどこになるのか。中立の立場で情状酌量の余地を求める事は不可能ではない。井伊家のように人身御供を用意して、それに罪をかぶせる事で、罪を償ったと主張する事も不可能ではない。だが、虚偽の報告をしたら話は別だ。
ちなみに、ここで井伊家は正直に報告した事で、安堵されるという方向だ。離反者から井伊家の話が出たとしても、今回の最後の温情に従った事で許されたという展開になる。
オレが事前に井伊家に持っていった手紙がそのためのカンペだ。
そして、何より重要なのは『誰を滅ぼし、誰を救うか』を決めるのは、手紙を受け取った今川家にあるという点だ。中立だとか日和見だとかは、彼ら豪族の判断だ。どうとでも自分達で言い訳できるだろう。だが、虚偽の報告をどう判断するかは今川家が決める事だ。
今回の強い内容の手紙は、判明している離反者以外にも有力な遠江豪族すべてに出される。
騒動に無関係の豪族達にしてみれば、無実の疑惑で迷惑でしかないのだが、実際に離反者が居るとわかれば話は変わってくる。
騒動の原因が遠江の豪族であるなら、同じ遠江の豪族である彼らは、彼らと無関係であると示さなければならない。当然、オレ達はそれを最大限利用する。
そして、離反者達に活路はない。今川家に反旗を翻そうにも、武田信虎がいなければ、切り札である武田家の協力は得られない。それどころか、三国同盟を盾にされれば、武田家が今川家に協力する必要が出てくる。なにせ、北条家による武田家監視という三国同盟の枷は外れていない。
もう一つの勢力である松平家は、オレの連絡で内通者に関する内紛疑惑の調査を始めたところだ。ここで、むやみやたらに容疑者を増やすような愚を犯せない。
そもそも、信虎による対松平家勢力というお題目を掲げたのだ。やっぱり松平家に協力しますなんて話を、松平家が信じるわけがない。
それに、松平家が遠江を攻めるのは、三河統一後だ。三河の反松平派閥の平定が終わるまで、他国に手を出している余裕はない。
つまるところ、離反者たちは孤立無援ということだ。一応、離反同士でまとまるという手もあるにはある。
だが、離反者の井伊家がすでに裏切っているのだ。結果は変わらない。
その後、駿府の騒動が一段落するまで掛川城に滞在する事になる。
なぜか城主の朝比奈泰朝殿に歓待を受け、いろいろ話をする事になった。
「十英殿」
「なにか?」
一緒に夕餉にまで招待されている。といっても、家臣や家族まで居るし、オレの扱いは客だ。ついでに坊主なので相変わらず一人だけ精進料理だ。
「以前、この城に連れてきた鵜殿家の新七郎は、よき若者でありました」
「左様ですか。拙僧もつたないながらも勉学を教え、恥ずかしくない教え子でもあります」
「元服すれば遠江に所領を得るとか」
「氏真様よりそう伺っております」
「しかし、前のときの話もある。所領を得ても手足となる家臣が足りないでしょう?」
泰朝殿の言葉にうなずく。人質の折に供の者が足りなくて助力をお願いしている。所領を得るとなれば、それ以上の人材が必要となる。領地に居た旧臣の取り込みや、三河で冷や飯くらいをしている旧知を呼ぶくらいしか伝はない。
「当家の縁者を鵜殿家に送ろうと思うのだがどうであろう?」
その言葉に、マジマジと朝比奈泰朝の顔を見る。
前にも言ったが、朝比奈家は今川家の重鎮中の重鎮。あの『今川仮名目録』でも朝比奈家の席順は上座と明記されるほど特別扱いをしている家柄だ。
オレのいない間に、新七郎は掛川城主にえらい気に入られたようだ。人たらしの才能でもあるのかね?
同時に、それは遠江鵜殿家が朝比奈一族の派閥に属する事を示唆している。まあ、それに関してはあまり気にする必要もない。新七郎は低いとはいえ今川一門。ここで朝比奈家に取り込まれようと根本の段階では今川本家から外れるわけではない。
最悪の場合は、新七郎を旗印に今川家簒奪となりそうだが、それをするには鵜殿家の家柄が低すぎる。
「それはありがたい限りではありますが、ご親戚一同は大丈夫なのですか?」
「無論。親父殿や親族衆にはすでに話は通してある。新七郎の母御は先代の妹君。否やはない」
「それは、重ね重ね配慮ありがとうございます」
このまま嫁まで用意されそうな勢いだ。とはいえ、新七郎は井伊谷で紹介された次郎法師殿とも親しいわけで、そこに朝比奈家から嫁を紹介とか、三角関係発生である。
新七郎には元服前から受難(女難)の相が出ているな。弟子ではあるが、忌憚なく言っておこう。
地獄に落ちろ。
そんな感じで、掛川城に滞在していると、駿府より信虎捕縛に関わる騒動が一段落したという報せがやって来て、駿府へ戻る事になった。
掛川城主に歓待の礼と挨拶に伺う。
「拙僧のような若輩者に、過分な歓待ありがとうございました」
「なに、十英殿と知己を結べるなら安いもの。駿府へ戻るのですか?」
「左様。氏真様の命にて」
「では、こちらも用意をしておきますと、殿に伝えておいてください」
「…かしこまりました」
一瞬沈黙するが、泰朝殿の目を見て納得する。なるほど、ある程度の先が読めていたのか。だからあの歓待。オレが掛川城を離れるという事は、事が始まる合図だと察知したのだろう。
さすが、名門今川家で譜代の重鎮と呼ばれる家だ。人材が豊富だ。
笑みを浮かべて頭を下げる。




